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雪明かりに花咲く(1)

『冬』『キス』がテーマ。貴族令嬢のふんわり恋愛模様です。

当社比、砂糖多めのつもりです(笑)


 暖炉の前で刺繍をしていたロザリーは、ふと顔を上げた。

 薪がパチパチと音を立てながら燃え、火の粉を飛ばすのを見つめながら、物思いに耽る。


「あら、ロザリー、熱心ね」

「お義姉さま」


 声をかけられ、ロザリーは、義姉が部屋に入って来たことに初めて気付く。それだけ呆けていたらしい。これではいけないと、ロザリーは手元の刺繍に意識を戻した。

 ロザリーの義姉、フローラは、その途中の刺繍を見て目を細めた。


「だいぶ上手になったわね。ファリス家の家紋」


 窓の外には雪が降り、静かに白く積もっていた。あの雪が溶ける頃、ロザリーはファリス伯爵家に嫁ぐ。

 嫁ぎ先の家の家紋の刺繍ができることは大事なことだと、ロザリーは幼い頃より母にしつけられ――まあ、どうにか形になった、というところだ。


「お母様は良かったのです。我がアーランド家の家紋の意匠は易しいですもの」


 花を中心としたアーランド家の家紋に対し、ファリス家の家紋は、荒波を進む船と蛇という、花嫁泣かせの複雑な意匠である。そんな愚痴を聞き、去年アーランド家に嫁いできたフローラは、口に手を当ててくすくすと笑った。


「それでは、私は幸運だったということね」

「まあ、お義姉さまったら」

「……もう、これで支度は十分ね」

「……。」


 その言葉を聞き、ロザリーは俯いた。物憂げな顔をするロザリーに、フローラは首を傾げる。


「どうかして?」

「……お義姉さま、聞いてくださる?」


 ロザリーは恥ずかしそうに、小さな声で言うと、フローラを上目遣いで見た。

 兄の妻であるフローラは、ロザリーにとても優しくしてくれる。フローラ自身、妹がいたためかとても面倒見が良く、ロザリーのことも実の妹のように可愛がってくれているのだ。

 僕よりロザリーの方が、フローラと仲がいいじゃないか……とは、新婚当初の兄が妬いて呟いた言葉である。


「あ、あの、……結婚式があるでしょう」

「ええ」

「そこではその……誓いを立てるでしょう」


 結婚式の誓いといえば一つしかない。

 健やかなる時も病める時も、互いを死が別つまで愛するという――夫婦の誓い。


 ロザリーは恥ずかしそうに言い淀んでいたが、やがて真っ赤になって言い切った。


「カイン様は、その……私に誓いの口付けを、してくださるかしら?」


 ◇


 ロザリー・アーランドが、婚約者であるカイン・ファリスと初めて顔を合わせたのは、十歳の時だった。


 アーランド伯爵領は肥沃な土地を有しており、農業、とりわけ、花の生産が盛んだった。山からの清んだ雪解け水で咲く美しい季節の花々は、王宮にも献上される。

 一方ファリス伯爵家は、領地こそ狭いものの、立派な港と最新式の船を有し、川や海の水路を使った運送業で成功した一族である。


 花という鮮度が問われる品を売るアーランド家にとって、ファリス家は良き商売のパートナーであり、ファリス家にとってもそれは同じことだった。

 もとより、ロザリーの父であるアーランド伯爵と、カインの父であるファリス伯爵は友人であったが、さらなる友好関係を望んだ両家の間で、婚約が結ばれたのは当然の流れともいえた。


 ただ、当時のロザリーは、そのような事情など知るよしもない。

 将来の夫になる人と会うのだからちゃんとしなさい――それだけ聞かされても、実感がわかなかったのだ。


「私、結婚するの?」

「今すぐにではないけど、ロザリーが大きくなったらね」


 その時のロザリーはふうん、と思っただけだった。

 しかし、顔合わせの場で、出会った婚約者を見て、ロザリーは一瞬、息をすることも忘れた。


「息子のカインです」


 ファリス伯爵が連れてきたのはロザリーの予想に反して――てっきりロザリーは、自分と同じくらいの男の子が来るものだと思っていたのだ――立派な青年だった。

 父や兄よりも背が高く、青のかかったグレーの切れ長の瞳は、涼し気でどきりとする。


「お初にお目にかかります。カイン・ファリスと申します」


 洗練された身のこなしで優雅に礼をする青年は――絵本の中の王子様のようだった。


 ◇


 ロザリーは、ため息をついた。曇る窓の向こうでは、白い雪が踊っている。


 ロザリーが十歳、カインが十六歳の時に婚約が決まり、それから七年の月日が経った。


 ファリス伯爵家の奥方として恥ずかしくない、素敵なレディとなるまで。ロザリーはアーランド家で、時にはファリス家に招かれて、様々な花嫁修業を積んできた。

 苦手な刺繍だけは、手先が器用で、優しい義姉が丁寧に教えてくれて、どうにか仕上がったというところであるが、カインの横に並ぶのに相応しくなれるよう努力してきたつもりである。


 だが、ロザリーの顔は浮かない。


「彼が結婚を拒むだなんて、そんな事はないでしょう……向こうも今頃結婚の準備を進めているのでしょう?」

「ええ、きっとカイン様は、私と結婚の誓いをしてくださる……ので、しょうけど……」


 言って、恥ずかしくなる。赤くなって顔を覆うロザリーに、フローラは優しく微笑みかけた。


「不安なのね? 私もそうだったわ。でも、カイン様とは私も何度かお話したけれど、とてもお優しい方だったわよ。彼に任せていなさいな、きっと大丈夫よ」

「……はい、お義姉さま」


 頷いて部屋に戻ったロザリーだったが、心の中にある靄は晴れないままだった。


 義姉の言う通り、カインは婚約者であるロザリーに何かと気を遣って優しくしてくれる。


 カインは次期当主として、領地経営を手伝っており、最近は船に乗ることも多いそうで、忙しくしている。

 だから頻繁には会えないものの、訪ねてきてくれる時は必ず素敵な贈り物をくれたし、ロザリーがファリス領を訪れた時は、時間が許せば馬車で観光に連れていってくれた。


 今も結婚式の準備を進めていてくれるカインが、よもやこのタイミングで結婚を拒むはずがないことは、ロザリーも十分理解していた。

 だけど。


「……式では、キスをする、のよね……」


 自分の人指し指を唇に触れさせても、分かるのは指先が冷えていることだけだった。


 もちろん、ロザリーは貴族の令嬢として、貞淑に慎ましく育てられている。

 それでも、本で読んだ恋物語では、愛を誓う二人は互いに唇を寄せるものというくらいの知識はあった。

 ロザリーは自分の婚約者と、キスをしたことがないまま結婚式当日を迎えるのが、たまらなく不安だった。


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