つまりはただのプロポーズ
パインアメは好きだ。
ころり、口の中で転がす。まだ大きいそれの中心に、舌を当てた。
パインアメは、好きだ。舐めて薄くした後に少し噛めば、鋭く尖る欠片が簡単にできる形状。それでわざと舌を傷つけて、ほんのりとした痛みを楽しむのだ。私は痛いことは大嫌いだけど、これくらいの痛みは心地よくて好き。ささくれだった気持ちが、なんだか落ち着くから。だからまあ、パインアメが好きというよりは、この行為が好きなんだろう。
「しーちゃんさぁ、それ舐めんのやめたら?」
幼馴染の唐突な言葉に、「は?」と低い声が出る。
そもそも、なんで私の部屋にいるんだろう。それにいつから? 私はベッドに転がって飴を舐めながら、一人で本を読んでいたのに。勝手に部屋に入れたのは母さんだろうな、とわかりつつも、気分は良くない。
私の声に引いた様子も見せず、彼は続ける。
「好きなのは知ってるけど、最近舐めすぎじゃない? この前おばさんが、一日で一袋食べたとか言ってたんだけど」
「それが?」
「流石にカロリーやばいでしょ。しーちゃんせっかく可愛いのに、太ったらもったいない」
「私は太っても可愛いから」
冗談のつもりで言ったのに、真顔で「それはそうだけど」と返される。相変わらず私に甘いな、と呆れてため息をついてしまう。平べったくなってきた飴を軽く噛んで、鋭い部分に舌を沿わせる。ちくりとした痛みに、ほっと息を吐いた。
……幼馴染だとは言え、一応異性なのに、こいつはなんでこんな言葉をさらりと吐くんだろう。彼女だってできたのに。確か今四人目の彼女だけど、今までの彼女は全員、自分より私を優先するから、という理由で彼を振ったはずだ。そろそろ学んでもいいんじゃないか。
「それで、今日はどうしたの?」
読書は諦めることにして、持っていた文庫本を閉じる。
「んー……しーちゃん怒りそうだからいいや」
「ならなんで来た」
「会いたかったから?」
不覚にもどきりとしてしまって、近くにあった枕を投げつけた。あ、軽く受け止められた。
イラっとして、パインアメの袋から飴を一粒取り出す。ちょうどそろそろ口の中の飴がなくなりそうだったのだ。
けれど、その袋を破ろうとしたところで腕をがしりと掴まれた。
「ストップ。それ今日何個め……って訊いてもしーちゃんは把握してないか。とにかくやめよっか?」
「なんで」
「飴って何個も舐めてると舌とか痛くなってこない? たまにちょっと口の中切れたりもするよね」
さっきとは違う意味でどきりとする。……大丈夫、バレてはいない。
なに食わぬ顔で、そうかな、と言えば、そうだよ、という返事。それとともに、手の中の飴は奪い取られた。ついでに、残りの飴が全部入った袋のほうも。
「というかさっきから言いたかったんだけど、しーちゃん何その格好! 僕一応男なんだけど? しかもなんでベッドの上にいるままなの?」
「めんどくさい」
流石にこの格好は自分でもどうかとは思うけど、私の許可なく入ってきたのが悪い。
でもさ、制服が皺になったら困るじゃん。だからスカートは脱ぐけど、下の服わざわざ出すのめんどくさいじゃん。だからもう、ベッドの上のタオルケットで隠しとけばいいかなって思って。
「でもなんで何にもはいてないってわかるの? 隠してるのに」
「……待って。待って? はいてないの? ほんとに? 僕が言ったのは、透けてるうえに第三ボタンまであいてるワイシャツのことだったんだけど?」
「あ、そっちか。気づいてなかった。パンツははいてるよ」
「そういうことじゃなくてさぁ……! 何それもうほんっと有り得ない! しーちゃん女の子の自覚ある!?」
「あるある」
だから今ボタンをしめてるんじゃないか。
もー! と怒ったように叫ぶ彼の顔は赤い。一応女の子としては見られてるんだな、と思うと少し意外で、少し嬉しかった。
なんとなく一番上までボタンをきっちりしめてから、透けてるのをどうしようか逡巡する。上にベストなりカーディガンなり、まあとにかく何でもいいから着ればいいんだろうけど、めんどくさい。そもそも服を出すために立ったら、パンツ見られることになるし。
……タオルにくるまっておけば平気か。下半身にしかかけていなかったタオルを引き上げて、脇の下で挟む。ん、おっけー。
「それで? しーくん、何しに来たの?」
しーくん、とは彼のこと。本名は幸村静流。ちなみに私は高野詩織で、幼馴染である彼とは物心ついたときから『しーくん』『しーちゃん』と呼び合っている。何せお隣さんだ。よく漫画とかでよくあるように窓を行き来したりはしなかったけど、昔は毎日のように一緒に遊んでいた。
「会いたかったからって言ったでしょ」
「……本当にそれだけで来たの?」
てっきり、誤魔化されたんだと思った。
首をかしげてじっと見つめれば、しーくんは気まずそうに視線を彷徨わせる。……やっぱり嘘なんじゃん。
「宣言、していい?」
「やだ。わざわざ訊いてくるってことは、なんかまずいことなんでしょ。めんどくさい」
「そう言わないで聞いてよ!」
最初からそう言えばいいのだ。聞いてほしい、と言われれば、私に聞かない理由なんてないんだから。
おとなしく聞く態勢に入ると、しーくんはわざとらしく咳払いした。
「……僕はもう、彼女を作るのをやめようと思います」
「え、今の彼女は?」
「この前別れた」
まだ付き合って一ヶ月くらいじゃなかったっけ。しーくんはかっこいいし優しいし、私を優先しすぎるのが問題だといっても、そう簡単に愛想尽かれるような人じゃないんだけど……なんでだろう。この宣言と関係あるんだろうか。
「しーくんはそれを私に宣言してどうしたいの」
「……好きな人ができたんだ」
流れから予想できなかった言葉に、へ、と口から間抜けな声が漏れてしまった。……今までしーくんから好きになって付き合った彼女はいない。だからこそ私を優先していたんだろうし、きっと付き合ってる間もそんな真剣に好きだったわけではないんだろう。
安心、していた。油断というか、なんというか。しーくんにとっての一番は、ずっと私だろうって。
無性にパインアメを舐めたくなったけど、その袋は奪われたままだ。この感情をどうにかやり過ごそうと、こっそりと手のひらに爪を立てる。
そこで、あれ、と気づいた。しーくんは好きな人ができたって言ったけど、それがどうして彼女を作るのをやめる、っていうのに繋がるんだろう。
「……もしかして、望みないの? 彼女作るのやめるってことは、その好きな人と付き合うのも諦めるってことでしょ?」
ぱち、と目を瞬いた彼は、「あー……」と苦笑いした。
「望みは確かにないね。好かれてる自信はあるけど、そういう『好き』じゃない。あ、でも別に諦めたわけじゃないよ。彼女作るのやめるっていうのは、もう誰の告白も受け入れませんって宣言」
「流石モテる人は違うね。でも私に宣言して何になるの?」
今度はしーくんが私を見つめる番だった。おしゃべりな彼が何も言わずに見つめてくることなんて滅多にないから、なんだか居心地が悪い。何も話さないなら、パインアメ返してくれないかな。
「……わかんない?」
「全然」
「だーよーねー、知ってた!」
はあああ、と大きくため息をつくしーくん。呆れられたって、わからないものはわからないんだから仕方ないじゃないか。
「あれですよ、気づいちゃったんですよ」
「何をですか」
なぜか敬語な彼に、私も敬語を返す。
……うん? 私に宣言したのは、何かに気づいたから? 私が隠してることに気づいた? つまり。
考えられることは一つしかなくて、さあっと顔から血の気が引くのがわかった。
「し、しーくん!」
大慌てで彼を呼んで、続く言葉を封じる。
「私、しーくんのこと別に好きじゃないから! 大事な幼馴染で、そりゃあ好きだけど、そういうのじゃないから!」
しーくんの傍にいられなくなるのは絶対嫌だから、必死に嘘をつく。
いつになく焦る私に、しーくんは「はあ!?」と目を見開いた。
「しーちゃんってそんな察しよかったっけ!? なんでこんなときだけ!」
「だってやだし!」
「やだって何!? 告白もせずに振られたうえにそこまで言われると、僕の心もう修復不可能なんだけど! しーちゃんがそんな必死なの初めて見たし!」
「……う、ん?」
「あー、やっぱもっとアプローチしてからにすればよかった……」
「え、しーくんちょっと、ええっと、あの、何の話?」
「……え?」
ようやく私の様子に気づいたのか、しーくんはぽかんと私を見る。数秒、無言で見つめあった。
なんか今、しーくんはすごいことを言ってなかったか。
先に口を開いたのは、しーくんだった。
「……今、僕たち盛大に勘違いした気がする」
「だね」
こくりとうなずいて、さっきの会話をもう一度よく思い出す。
告白もせずに振られた、ってどういうことだ。私はいつの間にかしーくんを振ってたのか。ということは、しーくんは私に告白するつもりだった、と。
……夢だな、これ。寝た記憶はないけど、ベッドで本を読んでいる途中で寝落ちしたんだろう。
「しーくん、パインアメちょうだい」
「なんで今欲しいのかわかんないけど、食べすぎだって言ったでしょ。駄目だよ」
「けち」
もらえないなら仕方ない、と私は自分のほっぺたをびよーんと横に引っ張った。……なんということだ、普通に痛い。
大分力を入れていたので、手を外した後もちょっとひりひりと痛んだ。
「急に変顔してどうしたの?」
「いや、夢かと思って。しーくんは私が好きなの? いつから?」
ストレートに訊けば、しーくんが言葉に詰まる。
「……たぶん、けっこう前から。今までの彼女も『こういうときしーちゃんだったらこうするだろうな』って比べちゃって、結局好きになれなかったし。最初に彼女ができたときには、もうしーちゃんが好きだったんだと思う」
「うわ、最低」
「ごめんなさい」
しーくん自身も自覚しているのか、即座に謝る。私に謝られても知らないよ。
……けど、私と比べるってどういうことだろう。私と比べたら、大抵の人はやる気に溢れた素直ないい人になるはずなんだけど。
「あのねしーくん、私は今の距離感が好きなの。そもそも、彼女とそんなに長続きしない人の気持ちを信じられないし」
「うっ、正論、正論なんだけどさ! っていうか結局僕は振られるのね……」
あれ、また振っちゃったんだろうか。そんなつもりはなかったんだけど。
首をかしげながら、言葉を続ける。
「だからね、もし三十歳になるまでお互いがお互いを好きだったら、結婚しない?」
「……うん?」
「あれ、やっぱりやだ? プロポーズしてるつもりなんだけど」
「…………うん? え? もちろん嫌じゃないけど、何が『だから』? しーちゃん僕のこと好きなの?」
「小学生のときからね」
私の返事に、しーくんはぱかりと口を開けた。間抜けな顔だな。
私のことが好きなら、とプロポーズしてみたけど、ちょっと早かったかもしれない。でも期限は結構先だし……いや、それが駄目だったんだろうか。だからと言って、しーくんの気持ちをそんなすぐには信じられないのだ。
「……知らなかった」
そう呟いたしーくんは、しゃがみこんで真っ赤な顔を両手で覆った。なんだその反応、女子か。
「うわ、うわあ、どうしよう嬉しい」
「よかったね? あ、さっきの答えだけど、私がしーくんの気持ちを信じてないからだよ。三十歳まで好きでいてくれたら信じられるかなって」
「それって、結婚を前提としたお付き合いってやつ?」
窺うように私を見てくる。
……おぉ。これがよく漫画とかである「結婚を前提にお付き合いしてください」か。結婚しか申し込んだつもりはなかったけど、そっか、付き合いもせずに結婚はちょっとおかしいよね。政略結婚とかだったら別だけど。
だけどしーくんが本当に私を好きかわからないのに付き合うのはどうなんだろう。私が出した条件と合わない気がする……ああ、なんか考えるのがめんどくさくなってきた。もういいや。
「じゃあそういうことで」
「いいの? ほんとに? めんどくさいからやめる、とかはなしだからね?」
「今すでにめんどくさい」
やだやだ付き合う! と駄々っ子のように叫ぶしーくん。
「ちょっと落ち着きなよ。パインアメ食べたら?」
「……もしかしてしーちゃん、落ち着くためにパインアメ食べてたの?」
「うん。薄くなったときに噛んで割って、とんがったとこで舌刺したら落ち着くよ」
「何やってんの!?」
私もこれが変なことだってことくらいはわかっている。
だけどそう言われるのは少し面白くなくて、むっと唇を尖らせた。
「しーくんのせいだから。私、しーくんに彼女いるときしかこの飴舐めないもん」
しーくんが女の子と一緒にいるのを見ると、いらいらしてしまうのだ。私は結構嫉妬深い。
目を瞬いたしーくんは、次の瞬間ににへらっと笑った。
「しーちゃんのヤキモチは嬉しいから、やっぱり僕しーちゃん好きなんだなぁ。これからもずっと好きだから、よろしくね未来のお嫁さん」
……めちゃくちゃ甘い声で言われて、寒気がした。思わずぶるっと体を震わせれば、「え、なにその反応傷つく!」としーくんはむくれる。や、嬉しいんだけど、なんかつい拒否反応が。
「……まあ、私もここまできたらずっとしーくんが好きだろうし、もしかしたら結婚できるかもね」
「もしかしたらじゃなくてするんですー。あ、そのときはちゃんと僕からプロポーズするからね。ちょっとこのシチュエーションは酷いし」
苦笑いするしーくんに、改めて今の自分の格好を思い出す。このタオルの下は透けてるワイシャツとパンツだ。ひどい。
「とりあえずは、僕の気持ちを信じてもらえるように頑張るね。信じてくれたら、三十歳になる前に結婚でもいいんでしょ?」
それはまあ、とうなずくと、しーくんは嬉しそうに笑う。なんだか自信満々なんだけど……。めんどくさい約束をしてしまったかもしれない、とちょっと後悔した。
今の距離感が好き、というのは本音なのだ。どんな距離感になっても私はしーくんが好きだろうけど、急に変わるのは困るし、何より嫌だ。
しーくんの私への気持ちが勘違いだったとしたら、付き合うのは変だよなぁ。けど、三十歳になったら結婚しようと言ってしまったからには、付き合わなきゃだろう。いきなり結婚でも私はいいんだけど。……うーん、ややこしい。やっぱりこんな約束しないほうがよかったか。
「だからやめるとか言わないでってば」
私の考えを見透かしたようなタイミングだった。あー、はいはい、と適当に返事をしながらしぶしぶうなずく。……まあ、流石にパインアメ食べすぎだとは思ってたし、いい機会だ。
「じゃあよろしく、しーくん」
「こっちこそよろしく、しーちゃん」
こんな私たちが結婚するまで、あと七年。
「ねえねえ、しーちゃん」
「静奈の前でその呼び方やめてって言ってるでしょ」