フラワー・ガーデン・センチネル
■Sentinel
「藤堂さんはどうして花を盗んだの?」
初めて声を掛けられたと同時に泥棒呼ばわりされた藤堂舞は明らかに動揺していた。
「私?」
「そう君、盗んだでしょ? 堂島さんの胸に咲いていた黒いバラみたいな花を」
胸に咲いていたと奇妙な言葉を口にして、クラスメイトの三島満雄は舞に向かって静かに話す。
「あれは堂島さんの大事な花だよ、勝手に取って良いモノじゃない」
満雄は舞に比べて頭一つ抜けた背の高さだった。まだ制服が大きくぎこちない舞より、どこか白いシャツも似合って中学生らしい格好をしていた。端から見れば舞も満雄も同じようなものだが、舞から見て満雄は十分威圧的だった。
「私は・・・・・・」
何から話して良いのか舞は迷ってしまった。
「花なんて盗んでないよ」
「君の手が堂島さんに伸びるのを見たよ」
満雄は舞の言葉を無視して話しを続ける。
「堂島さんが他の子と廊下を歩いているとき。対面から歩いてきた君がすれ違いざまに左腕をそっと上げて、堂島さんの胸に咲いていた「花」を取った」
満雄は舞の前で手を上げて取る動作をしてみると、舞は明らかに動揺した様子で少し自分より上にある満雄の顔を見た。
「躊躇無く簡単に堂島さんの花を君は盗んだよね」
眼鏡を掛けた秀才顔に何処かうさんくさい笑顔を浮かべながら満雄は舞を詰問した。
舞もけっして背が低い方ではないのだが、背の高さと何処か飄々とした全てを見過ごした態度に気圧される。
「なんであんなに彼女が綺麗に咲かせた花を盗んだの?」
「さっきから何言ってるか分からない」
やっと目をそらした舞は、あわただしく鞄に荷物を詰め込んで帰り支度をする。
「君にも見えるだろ?」
ホームルームが終わった教室、満雄が指さす方向にはクラスメイトが談笑していた。何てことのない風景だが舞と満雄には他の人とは違うモノが見えていた。
「ほらあの子にも咲いてる」
グループの中、背の小さい女の子の胸元にだけ小さな花が見えた。黄色い可愛らしいガーベラの様に沢山の花弁が付いた花が複数咲いている。
(ああ、もうあんなに大きくなったんだ)
舞の目に映る花はここ数日でまた成長したようだった。舞が最初に見つけたときは黄色い花が一本だけ左胸に咲いていた。それがここ数日一本、また一本とドンドンと胸の真ん中に群生し花を咲かせていた。
嬉しそうに男の子と話す、女の子の花がまた大きくなったような気がした。
(多分今話している隣の席の子が好きなんだ)
舞が人の胸に咲く花に気が付いたのはこの中学校に入学して一月ほど立った頃だった。最初に花を咲かせた子を見たときは変わったお洒落だと思ったが、誰も胸に咲く花については話題に取り上げていなかったのを見て、どうやら自分にだけ見えるモノらしいと気が付いた。
友人に花が咲いているよねと聞けば直ぐに判断が付いたのだが、この地域に中学生に上がったと同時に引っ越してきた舞には周りは全員赤の他人で、いきなり聞くのを躊躇した為に事実に気が付くのに時間が掛かった。
元から人と話すのはそんなに好きな方ではなく、グループで居るより一人で本を読んでいるのが好きだったので、ゴールデンウィークを過ぎた今でも一緒に登下校する友達も居なかった。
そんな舞にとってクラスメイトに咲く花を見るのは、退屈になりがちな休み時間を有意義に過ごす楽しい作業だった。
休み時間、机に肘をついて片手に文庫本を顔まで持ち上げて読む。
周りからは声を掛けづらい雰囲気だが、舞に取っては少し本をズラして目の前に居る花を咲かせた子達を見るためにわざと取ったスタイルで、開いたサリンジャーも殆ど読んでいなかった。
最初の花に気が付いてから直ぐに他の人にも咲いているのが分かった。色々な花を色々な人が咲かせているがある法則があるのを舞は気が付いた。
まず花は自分と同姓の女の子にしか咲かない。舞が見てきた中で、男の子がブレザーの奥に見えるネクタイの上に花を咲かせている姿は皆無だった。
もう一つ気が付いたのは、花は見ようと思って見えるモノではないらしいということだ。
花を見つけても、凝視して見ようとするといつの間に何故かスッと最初から無かったように消えてしまう時がある。道ばたにひっそりと咲いた花に気が付いた様な状況の時だけ、ふと気が付いたときだけ見つけることが出来る。
この変な現象を舞はそれなりに楽しんでいたのだが、ある時本を読んでいると前から歩いてくる子の胸に白い小さな花が咲いていた。綺麗な白い花びらが白いセーラー服にとけ込むようにひっそりと咲いていた。
また見えたと近付いてくる花に向かって嬉しそうに舞が微笑むと、花がその気持ちに答えたかのように小さく風に揺れていた。
その時思わず舞は綺麗だなあと本を持っていない左腕を開き、歩いてくる女の子へと手を伸ばした。
無意識に伸ばした手に何かが触れるような感触があった。慌てて手を引っ込めると、花を咲かせた女の子は一瞬舞の横で止まる。舞は自分の胸に手を当てて、視線だけ通ってきた女の子に送る。
花を取られた女の子が不思議そうに何?と舞と顔を合わせると、別にと舞は曖昧な笑顔を浮かべた。
舞本人は笑顔を浮かべたつもりだったが、少し額を出して、伸びた髪を片側にまとめ、日本人形のような品のある大人しい顔は舞が思ってるよりもずっと澄ました顔で、女の子は変なのと直ぐに興味を無くしてそのまま舞の横を通り過ぎた。
本人が笑っているつもりでも、澄ました顔に見えるのが舞を孤高の人にしている原因の一つでもある。
そんな事には気が付かないで、女の子が去って行くと舞は握った手をじっと見ていた。
他の人にはそう見えた。クラスの子にも握った手を見つめる舞の姿が映った。
(やっぱり見えてないんだ)
舞だけには見えていた、自分が握る手の上に咲く白い小さくて可愛らしい一輪の花が。そっとそのまま文庫本に挟むようにして舞はマジマジと今取ったばかりの花を見た。
確かに見た目は花だったが触った感じが本物の花、植物とは違う、柔らかい感触ではなく、何処か紙などの無機質なモノを触っているみたいだった。
造花なのかと思ったが、見た目は瑞々しく生命力に溢れていた。見ていて本物の花のように、いや本物の以上に綺麗で、絵のような姿で舞をたちまち魅了してしまった。
それからというもの舞は見つけた花を事ある毎に拝借するようになった。
花は咲いている子の胸から取ると数日で消えてしまう。最初に取った花も押し花のように文庫本に挟んでいたら、いつの間にか消えてしまった。
消えても何処かにまた生えている。
気楽な感じで舞は教室に咲く花を取っては鑑賞に浸っていた。
そんな事が出来るのは自分だけだと思っていた。
自分が今読んでいる本にも、今まで生きてきた中で得てきた知識にも人の胸に咲く花について言及したものが無かったからだ。
自分だけの秘密。
何の得があるか分からないが妙な特権階級意識というべきか、或いは誰にも話せずに持て余していた、ただの暇つぶしに使っている、そんな能力をただ花が綺麗という理由で使っていた。
「早く堂島さんに返さないとその綺麗な花が消えてしまうよ」
満雄はこの花の特性に付いて全て分かっているようだった。
舞はやっとこの不思議な現象について分かり合える他人が居たことに素直に喜んでいい筈だったが、それよりも最初に泥棒と断定されたことに罪悪感を感じていた。
「あなたにも見えるの?」
それでも舞は、やはり共感できる友達が欲しかった。呟くように、満雄に聞くと、彼はクスッと微笑んだ。
「見えるよ」
舞は右手を満雄に差し出す。
手の平を開くとそこには大きなバラが咲いていた。
姿形は大きく綺麗な花びらを付け、緻密に重なり合った美しい姿。だが一番最初に目に飛び込むのはその色彩だった。黒い、まるで全ての光を吸い込んでしまうような深い黒。
それだけでこの花が自然に出来たモノではないと納得させるのに十分だった。
「凄い花だね」
「本当に見えるんだ」
「ああ、僕は見えるだけなんだ」
花びらに手を添えるとスッと満雄の手が花と重なった。舞は雲を掴んだことが無いが、とっさにそんな絵が浮かんだ。
「君は花を取ることができるけど、僕は見るだけなんだ」
「あなたはこの花の事何処まで知ってるの?」
舞はここが教室だと言うことに気が付いて、手を直ぐに引っ込めて質問すると、満雄も鞄を取り出して帰り支度を整えた。
「僕もあまりよく知らないんだ。けど桜さ・・・姉さんだったらこの花についてよく知っているんだけど?」
「お姉さん?」
「そう、人間的には駄目な人なんだけど事花のことに関しては知らない事は無いくらい詳しいから。君のことを話したら是非会いたいって。藤堂さん帰宅部だよね?」
自分のお姉さんを駄目人間と断言する笑顔の満雄に呆気にとられて、舞は返事をするのを忘れた。
「じゃあこれからウチにいこう」
付いて来いとも言わずにさっさと満雄は教室を出て行ってしまった。
何て勝手なヤツだと怒る暇さえなく、舞はしばしあっけにとられた後、鞄を机の上にドカッと置いて。それを合図に手の平に残る不思議な花の正体を聞きに行くことにした。
「なんだまた「三島のお節介」が始まったのか?」
満雄と舞が一緒に出て行くのを見て、男子の一部がザワザワと噂し始めた。
「なに三島君のお節介って?」
花を盗まれた張本人の、藤堂加奈子が興味津々で聞き耳を立てた。
「あいつ何かに付けて女の子をつけ回すクセが有るんだよ」
満雄と同じ学校から進級して来た子が説明をし始めた。
「心に傷があるとか言って、そいつの悩みを聞きまくるんだ」
「何ソレ、恐いねちょっと」
「けど、たいがいアイツに話して良かったってみんな言うんだよ」
何でアイツだけモテるんだと、不思議そうに腕を組んで首を捻る。
「女子限定の悩み相談室だ」
「へえやっぱり顔が良いとそういうタラシになるのかしら?」
三島満雄は清潔感と背の高さで女子には敵意よりは好意を寄せられることが多かった。
「何だ、藤堂も三島に興味が有るのか?」
別の男子が冷やかすと、ふんっと加奈子は胸を張った。
「別に私は悩みなんか無いもん」
胸を張って加奈子は元気に応えた。
「そうなの加奈子?」
加奈子の親友が声を掛る。
「最近絶好調」
「じゃあ叔父さんのことは?」
「叔父さん?」
「もう、貴樹叔父さんのことよ。あんなに落ち込んでいたのに」
親友は何言っているのと加奈子を心配したが、当の本人はケロッと忘れているようだった。
「別に落ち込んで何か無いよ」
「そう。だって学校から家まで遠回りになるのに河川敷は絶対歩かないって、叔父さんと思い出の場所だからって・・・・・・」
「そんな事言った?」
ちょっとどうしたのよと友人に軽く叩かれたが加奈子自身には実感がなかった。
「なんで私、河川敷を歩かないっていったんだろう?」
心にポッカリ穴が空いたような感触を加奈子は味わっていた。それが藤堂舞に盗まれた花の所為とは誰も気が付かなかった。
■Garden
「僕の家はこの上だよ」
そう言って指した方向には小高い丘の上、緑に包まれた閑静な住宅街だった。
個性的な注文建築と旧い家がずらりと並ぶ、坂がちな町並みを満雄と舞は距離を取りながら歩いていた。緩い勾配の道に差し掛かると左側は無粋なコンクリート、右側は所々緑の点が見える町並みが大きく広がっていた。ちょうど駅や学校が見えて自分たちの生活している場所全部が見えた。
目的地の詳細が分からない舞が当然満雄の後ろになって、トボトボと歩いていく。殆ど振り返らずに、さっさと先に行く満雄に追いつくのは結構たいへんだった。ましてや舞は引っ越してきたばかりでこの辺の土地勘は無いに等しい。
「藤堂さん」
そんな満雄が急に振り返ったので、思わずビクッと鞄を握りしめた。
「藤堂さんてどこに住んでるの?」
「私?」
随分と急な話題だなあと思いながらも、舞は律儀に自分の住んでいるところを指さした。
「あそこ」
駅の近くにこれでもかというくらい自己主張の強い、灰色の大きなマンションが建っている。
「ああ、スカイガーデンに住んでるんだ」
スカイガーデンとは駅前の工場跡地に出来た大きな高級マンション。街の再開発の目玉として先々月に入居が始まった。
「何階?」
「四十八階」
「景色良さそうだね」
「まあそれだけが取り柄みたいなとこ」
五十階建てのビルのスカイガーデンは山がちなこの地域では異彩を放っていた。遠くに見える新宿の高層ビル群の一部が急に戸建ての多く、古い町並みに現れたのだから居心地の悪さを感じる。
「三島くんの家は?」
満雄の振った緩い話題に、なんだか急に花を盗んだ罪悪感や、初めての男の子と一緒に歩く緊張感みたいなものから解放された様な気がした舞も、話題を振ってみる。
「ウチ? 庭があるよ」
「良いなあ」
「まあ、スカイガーデンって言ってもマンションには庭がないしね。興味ある?」
「やっぱり庭があった方が良かった。前の家は旧くてぼろかったけど、庭があったの。花が咲いたりして良かったのに」
舞が引っ越す前に住んでいた旧い家には庭があった。小さな庭だが勝手に咲くツツジとかが綺麗だったのを舞は覚えていた。引っ越してきたマンションは新しく、白い壁は絶対汚してはいけないのだろうなあと思わせるくらい威圧的な態度で自分を囲っている。
「じゃあ、ウチは気に良いって貰えると思うよ」
ちょっと年上のような余裕の笑みを浮かべて、またさっさと先に進んでしまった。
いったい何だろうと舞は目の前の少年の不思議さに相変わらず納得が行かなく、かといって今更引き返すつもりもなく後を付いていく。
満雄の後を付いていくのは結構大変だった。さっきまで開けた景色の道を歩いていたと思ったら、急にコンクリートの壁の中に現れた小さな階段を上る。家と家の間のすり抜けるとまた大きな道。そこを少し歩くとまた小さな階段が林の中に隠れていたりする。
そんな動作を数回繰り返して気が付くと丘の頂上まで登ってきたようだった。大きな木を中心にロータリーのようになっていて、家や何件かの商店が並んでいた。
「へえ、こんな所があるんだ」
「うちは彼処だよ」
大きな家と家の間に小さな林が見えた。木々の間の小道を通ると鉄製の寂びた背丈以上の門がある。門だけ見ても今まで見てきた家とは違っていた。舞には詳しく分からないが多分ヨーロッパとかから家毎持ってきたような感じに見えた。
門を支える石造りの柱に三島という表札が有った。
ゆっくりと重そうな扉を満雄が開けて入っていく。舞が今まで見たことのないたたずまいに躊躇していると、おいでと中から満雄が手招きをする。
家まで続く旧い石を敷き詰めた道沿いには様々なバラが咲いていた。その奥には背の高い草たちが家の奥の方から差す陽射しに向かって力強く生えている。
「凄い」
バラの垣根越しに見えた景色に、どう評して良いか分からない舞は感嘆の声を上げた。
煉瓦の壁に囲まれた空間は正に草花の楽園だった。様々な花や草花が無造作に咲き乱れている。赤、青、黄色の花や、緑色の背の高い芝生やツツジにライラックなどの群生が辺り一面に生えていた。
「こっちに来てくれる?」
再び手招きする満雄の声に視線を移動すると、旧い家が見える。満雄のウチは旧い木造の家だった。出っ張りのある窓や濃い茶色の壁が古い建物だと舞に教える。家の壁のにも蔦が張ってりその根元には緑の固まりが有る。
家の隣にあるのは大きな楡の木で、大きな影を作って家を囲っていた。
その根元から少し離れたところに小さな屋根付きの空間があった。家の玄関の前を通って満雄の所まで行くと、屋根の下にある机にだらしなく寄りかかっている人が居た。
「桜さん、起きて」
満雄が声を掛けると、長い腕を引きずって気怠そうに顔を上げた。長い髪を鬱陶しげに掻き上げる。
「ああ、みっちゃんお帰りなさい」
「ただいま」
満雄の顔を見ると子供みたいな笑顔で迎えると、まだ眠いのか目を擦りながら欠伸をした。
「桜さん、藤堂さんを連れてきたよ」
「藤堂?」
誰という顔をして居る桜をみながら、呆れもせずに満雄は説明する。
「ほら学校で僕と同じ人を見たって言った・・・・・・」
「ああ花泥棒の藤堂さんね」
桜は改めて泥棒呼ばわりされてビクッとする舞を遠目にのぞき見た。
「随分可愛らしい泥棒さんね」
目と目が合うと、改めて造作の整った桜の顔に舞は驚く。多分十人の人間に感想を聞けば十人が美人と答える、そんな整った顔。でもどんな顔でもいきなり泥棒と呼ばれては、あまり気分は良くない。
「お茶入れてくるよ」
「ありがとう」
舞を残して満雄は家の中に入っていってしまった。
舞はこの人が三島君のお姉さんかと改めて目の前の女性を見る。
黒いニットにスカート姿の地味な格好なのだが、細長い手足と長い髪がキリッとして無駄がない。骨から美人なのではと思うくらいに均等の取れたプロポーションだ。
「どうぞ座って藤堂さん」
桜に椅子を勧められて、舞はとりあえず着席した。目の前の白いテーブルには無造作に大きな帽子が置かれている。
「初めまして、三島桜です」
満雄に話しかけたときの怠い感じが無い、凜とした声が通る。
「藤堂舞です」
「マイ?」
名前に疑問を持って、桜はもう一度名を聞いた。
「はい、踊るの「舞い」でマイです」
「舞ちゃんか、私「桜」で二人揃って「桜舞い散る」だね」
何が楽しいのかまた崩れた声でケラケラと桜は笑う。ハアとしか舞は応えられない。美人なお姉さんが突然クラスメイトみたいに笑い出した。
「マイちゃんはお花好き?」
「はい」
「私もね大好き。だからこの家に住めて幸せなの」
細い指を絡めて顔の前で祈るようなポーズ。子供みたいに無邪気な人だと思うと舞の緊張も解ける。
「凄い庭ですね」
「そう? 全部私が毎日面倒見てる」
よく見ると桜の指先には土が付いていた。
「大変ですね」
「全然、放っておけば勝手に咲くもの。適当に水をやっていれば綺麗に咲くいてくれるモノよ」
どこか散らかって見える三島家の庭はこの桜の意志が働いたものだった。煉瓦で囲って花壇を作るのではなく荒々しく咲くに任せている。
「花はね、どうやっても勝手に咲くモノだと思ってるの。何処かの誰かが土に種を運んできてね、光と水を吸って大きくなる。誰かの意志で大きくなるわけではなく、自分の力で咲くの。そう言う花が大好き」
自分の手入れした庭を見る桜の優しい視線は同姓の舞も憧れるほどの母性的な眼差しで、何だか気持ちが高ぶった。
「だから、これが見えるのは嫌いじゃないんだ」
そう言って桜が舞の舞に手を出した。一瞬握って、再び手の平を開くと手品の様に無数の花が咲き乱れた。
「花・・・・・・」
「私たちの心の庭に咲く花、私はそう思う」
舞は改めて目の前の不思議な花を見つめた。まるで丁寧に作られたブーケの様に、美しく花は桜の手に収まってっていた。
自分の手から出ているときは信じられるが、いざ他人の手から出てくると、これが本当に人に咲いていたモノとは思えなかった。
「この花は?」
「私が昔咲かせたものなの、今もずっと心に咲いているよ」
赤、青、黄色の原色だけでなく、白や黒い花も混ざっている。様々な色彩の花束に舞は見取れた。
「桜さんが人に花を見せるなんて珍しいね」
ティーセット一式を抱えた満雄が戻ってきた。
「信用を得るにはまず手の内を見せないとね」
再び手を握って桜は花を仕舞い込んだ。桜が腕を退けたテーブルにティーポットとお菓子の入った皿が並ぶ。カップソーサーを舞と桜の手前に置いて。満雄は丁寧に陶器製のポッドからお茶を注ぐ。
礼も言わずに桜は直ぐに砂糖とミルクをタップリ入れて。一気にお茶を飲み込んだ。
「うん、生き返る」
「そんなに飲みたければ自分で煎れれば良いのに」
「面倒」
やれやれといった様子で満雄も席に着いた。
「マイちゃんもどうぞ」
桜に進められて舞は砂糖も入れずにストレートのまま紅茶を口に付けた。
「みっちゃんお茶を入れるのが上手なのよ」
嬉しそうに両手でカップを持ちながら桜が笑う。確かに今まで飲んできた紅茶とは違う、何か複雑な味がした。苦すぎない感じが舞には気に入った。
「桜さんが自分でやらないから」
だから変わりに僕がやっていると舞に合図を送った。
「二人とも仲が良いね」
「今日初めて声を掛けたよ」
初めて声を掛けた相手を直ぐに家に誘ってしまえる子なのかと、舞は隣に座る満雄のことを考えた。普段クラスでも物静かで、あまり目だったことはしない。けど、舞のように一人で閉じこもるわけでもなく周りに友達もいる。
言ってしまえば別にエキセントリックな子ではなく、何処にでもいる普通の男の子。
確かに、住んでいる場所は変わっているとは思うけどそんな話は学校で一度も聞いたことがなかった。不思議な姉妹だなあと、舞はもう一度紅茶に口を付けた。
「まったく。みっちゃんは何時も見ているだけなんだから」
「そういのは得意だからね」
「マイちゃん、あなたが盗んだ花見せてくれる?」
唐突に話を打ち切って桜は本題に入った。舞も自分がここに来た理由を思い出して、慌ててカップを戻して手を桜に差し出す。
意識もせずに手の平を開くと黒いバラが現れた。桜が見せた花々に比べて圧倒的に大きく咲いていた。
何度見ても不思議な花だと舞は思った。
「ちょっと良い?」
そう言うと桜は舞の手の平に自分の手を重ねた。すると満雄の時とは違い、バラの花は桜の手の中に消えてしまう。
「あまり他人の咲かせた花を弄びたくないのだけど・・・・・・」
桜が黒いバラを見つめている。その姿は絵画の様に美しく文字通り絵になる。
「哀しい花ね」
桜は手前ににたぐり寄せて、手の平を胸元に充てる。手を放すと花はそのまま桜の胸元を飾る、地味なニットの胸元に大輪の花が咲いた。
(花が元気になった?)
信じられないが自分が盗んだときよりも、花が輝いて見える。外の光の所為でもなさそうだ、黒い花びらが生気を取り戻したのか輝きを取り戻した。舞は信じられないモノを見るように、その奇跡に見入る。
対面に座る舞はその華々しさに目を奪われていると、桜の表情が哀しく沈んでいった。こらえきれなかったのか、風が運んだのか分からないが大粒の涙が零れた。
「永遠の別れと後悔がこんな花を咲かせたのね・・・・・・」
涙を溢しながら胸のバラを愛おしげに桜は見つめた。
「藤堂さんは時々空っぽな笑顔をしていたよ」
満雄は涙を流す桜を見ても表情一つ変えなかった。
「どうしてその花は哀しい花なんですか?」
舞の問いに桜は涙を拭くと、花を飾る前の無邪気な笑顔へ直ぐに戻った。
「それはね、咲かせてみれば分かるよ」
再び桜が胸元に優しくそっと手を充てる。花はまた手品のように消えた。
「花はハートで育てるの」
そう言って机越しに桜は舞の胸元に手を置いた。
かざした手を引くと、舞の胸元に花が咲いた。それは桜の胸元で咲いたときよりは些か輝きが落ちたような気がした。しかし、あどけない少女を飾るのには十分だった。
「私にも花が咲いた」
今までクラスメイトの胸元にしか見えなかった花が舞の胸に咲く。黒いバラは盗んだときと同じような瑞々しさで輝き始めると、舞は胸の奥が苦しくなるの覚えた。
「藤堂さん?」
舞の異変に気が付いた満雄が腰を上げると、桜が手を出して止めた。
「まいちゃんどんな気持ち?」
「なんだろう、苦しいです」
舞は何か胸の奥を締め付けてくる。そう幻の花がまるで重みをもって自分の心臓を押しつぶしてくるようだった。
「それがあなたが盗んだ花を咲かせた理由」
「これが」
苦しそうに舞は顔を上げる。
桜は謝りながらもう一度舞の胸元に手を充てて花を拾い上げた。舞の心の中の悲しい感情も、砂に染みこむように消えていく。
「この幻の花たちは、その人の気持ちを養分に育って花を咲かせるの」
「気持ちですか?」
「感情と言う言葉の方が適切なのかな」
微笑みながらもう一度桜は花を見る。
「人は生きている間に色んな人から種を貰う。それを自分の気持ちで花に育てていくの。この花は悲しみで育っている。だから花はこんなにも黒く荘厳な色をしているの」
舞が盗んできた花を見ながら桜は静かに花を見つめた。
「これだけの大きさに育てるのはそれだけ積もった思いがあったからなの、だからこの花は咲かせた人の心に有るのが一番正しいことなんじゃないかな」
そう言って桜は花を舞に差し出す。
舞は桜に差し出された花を受け取ろうともせず、ただ伏し目がちに肩を下げた。
「すみませんでした、私知らなくて」
今まで自分が盗んでいた花が、他人の気持ちだったという事実を知って、舞は自分の行動は軽率だったと思うと動けなくなった。
「本人達は盗まれたことに気が付かないんだけど、だからといって見える私たちが盗んで良い物ではないの。花は、花には咲いているべき場所があるから」
「私が摘んで消えてしまった気持ち・・・・・・花はどうなるんですか?」
「気持ちだから、自分の庭から無くなったらそれに気が付かないだけ。ただ心の中に何時も見ていたモノが無くて身体と感情のギャップに寂しい気持ちになる」
自分のモノなのに気が付かない、おかしな事でしょ? と桜は笑った。
「花をね、人は見ていないようで見てるんだ。道に咲いている花とか、普段は何でもないんだけど、時々美しくて仕方がないときがあるんだ。きっとその時の気持ちが花に宿るからだ」
満雄が空を見上げながら自分に言い聞かせるように言った言葉で舞は涙を溢してしまった。頬を暖かいモノが触れる。
「優しいのねマイちゃんは」
桜が優しく舞の頬を撫でた。細く綺麗な手は最初に見たときは冷たい印象を持ったが、今触れている手はとてもあたたかった。
「ゴメンナサイ」
素直に謝ると桜は軽く頭を撫でた。
「謝る必要なんか無いの、あなたみたいな優しい心を持っているから花を手にすることが出来たの。だから戻しましょうこの花を、元の場所にね」
桜は少女のような笑顔で最後に言った。
「その方が綺麗よ」
「ハイ」
素直に舞は返事をした。そんな舞をギュッと優しく桜は抱きしめた。
桜からは優しく暖かい土の臭いがした。甘い臭いではなく、懐かしい感じの臭いに舞は惹かれた。
「ねえみっちゃんもう一度お茶を入れ直してよ」
ハイハイといった様子で満雄は直ぐに席を立った。
「泣いた分、暖かい飲み物を補充しましょう」
「優しいんですね桜さんは」
そんな事は無いと桜は首を振った。
「私はズボラでね、この家から出れないの。だからこの庭で草花を育てることくらいしかできないから、自然と花とか草木がどうやって育つのかはよく分かるようになったの」
そう言って桜は庭の方を向く。
舞が改めて見た庭に調度夕暮れ前の陽射しが庭に注ぐ。輝やく庭に浮かぶ桜は幻の花と同じように見えた。何処か現実的でない人だと思った。
「あなた達くらいの歳から人は沢山の花を咲かせ始めるの。色々なものを吸収して自分だけの花を咲かせ始める。私は動けないから変わりにみっちゃんがね色々なものを見つけて私に教えてくれるの」
「三島君は本当に見えるだけなんですか?」
「そうみたいね、あの子は本当に見つけるのが上手い子だからそれだけが特化したのかも知れない、まるで歩哨に立っているみたいに小さな変化も見逃さないわ」
「歩哨?」
「歩きながら変化を見つける人の事よ、何でもない風景の小さな変化も敏感なセンサーで見つけてしまう」
「だから私も捕まったんですね?」
「それは違うかな、みっちゃんは見つける事は出来ても捕まえることは出来ない。現実的なその花をすくってあげる力がまだ無いから、きっと何時も歯痒い思いをしてるのかも」
振り返って桜はもう一度舞の手を握った。今までで一番真剣な眼差し。
「だからマイちゃん、満雄を助けてあげられたら助けてあげてね」
「私がですか?」
自分に何が出来るか何て、舞には思い付かなかった。もう一度腰を落として縋るように桜は舞を見上げる。
「マイちゃんの手、きっと誰かの花を綺麗に咲かす事が出来る庭師の手になる」
ギュッと強く握りながら、桜は少し潤んだ目で舞を見つめた。もし自分が男の子で桜さんにこんな風に頼まれたらどんな事でもしてしまうような気がした。同姓でも、この潤んだ目と細い柔らかい手でお願いされたら嫌といえる人間がどれくらいいるのだろうか?
「はい」
誘導尋問だと思いながらも舞は二つ返事をしてしまった。
「ありがとう!」
そう言って舞に抱きついて桜は優しく舞の唇にキスをした。
「なに?」
「感謝の印」
椅子から引っ張り上げるほど強く舞を桜は抱きしめた。
「恥ずかしいです」
「大丈夫ここには二人しかいないから」
嬉しそうに抱きつく桜の後ろに、すっと満雄が立っていた。
「桜さんの愛情表現は動物相手には毒だね」
だから抱きつけない草木は良い対象物だなあと満雄は何時も思っていた。
「私は愛玩動物じゃありません」
「愛玩動物なんて難しい言葉知ってるのね、頭良い!」
更に抱きついて、舞は何だか自分はとんでもない人達に捕まってしまったのでは後悔した。
「明日ガンバってね」
「ハイ・・・・・・」
最後に桜は舞の額にキスをした。
舞は胸の奥に何かが開こうとしているのを感じながら、あしたの事を考えるとちょっと憂鬱になった。満雄は笑いながら二人に新しいお茶を入れる。
今度は自分の分から先に入れて、抱き合う二人を見ながら満雄は明日のことを考えた。
「まあ何とかなるかな?」
■Flower
「花を戻すって、具体的にどうするの?」
次の日川沿いの高台にあるみんなが通る通学路で舞と満雄は肩を並べていた。
「決まってる。昨日桜さんがやったように、君が堂島加奈子の胸に花を戻してやれば良いんだよ」
「けど、あなたの花を盗んだから返すねって言って胸に手を充てるの?」
「出来ない?」
「出来ない」
からかっているつもりは満雄には無かったが、そういう風に舞には聞こえた。他人事みたいに考えてと舞には隣にたつ満雄を腹立たしく思った。
「何か取るのは簡単だったけど、戻すとなるとなんか難しいな」
「触るだけじゃないでしょ?」
舞が驚いて顔を上げると、満雄が優しそうに見つめていた。
「こんな悲しい気持ちを元に戻して良いのかなって考えてない?」
「なんでもお見通しなのね、三島くんは」
「ううん、カマ掛けただけ」
舞の口元が少しふくれたのを見て、満雄は謝った。
「桜さんが言ってた。悲しいことは悪い事じゃないって。それも感情だと思って大事に出来る日が来るから心配しないでいいって」
きっと花の持つ感情に触れた舞が元に戻すのを躊躇するのだろうと桜は知っていた。なんでもお見通しなのは桜なのかも知れない。
「これがずっと心に残るのよ、なんか可哀相」
「そうかも知れないけど、本人にとってはそれが大事になるかも知れないから」
二人で変な話をしているのは十分理解はしていた。ただ、それでもこの幻の花は現実的に見えて、今は少し元気なく咲いている。この美しい花を美しいままにしておくには早く咲かせた堂島加奈子に戻してやらなくてはいけない。
「来た」
前から堂島加奈子が出て来る。彼女はまだ部活を決めて無くて、何時も一人で帰るのを満雄が知っていた。そして最近河川敷を通って帰るのを人づてに聞いていた二人は先回りして待っていた。
「どうしよう?」
「僕が呼び止めるからその隙に頼むよ」
そんなどうやってっと聞こうとすると、満雄は優しく微笑んだ。
「頼むよ花泥棒」
なによと舞は目をつり上げた。何だかやってやろうと気持ちは昂ぶる。
「堂島さん」
声を掛けて満雄が堂島加奈子を呼び止めた。
「何、三島君」
呼び止められた堂島加奈子は元気よく返事をした。誰にでも屈託のない返事で会話できる明るい女の子。何でも引き気味な舞と比べると随分反応が違うなあと満雄は笑いそうになった。
「あのさあ一つ質問して良い?」
「何よ改まって」
加奈子は満雄とそんなに会話を交わしたことが無いが、満雄は相手に不快感を与えるような格好はしていないのですんなりと話すことが出来た。
「堂島さんにとって一番悲しいことってなんだろう?」
「随分突飛な質問ね」
「そうかな大事なことだ」
満雄の真剣な顔が、なんでそんな事を聞くのと言う加奈子の言葉に封をした。
「そうねえ」
加奈子はとりあえず悲しいことを考えてみた。
その時自分の心に違和感を感じた。ポッカリと穴が空いたような空虚な気持ち、何か大事なモノを落としてしまったような不安が急に襲ってきた。
「あれ、なんか大事なことが・・・・・・」
加奈子は目を閉じて手を口元に充てる、必死に記憶を辿るが何か黒いモノが邪魔をして景色がぼやける。
今だよと軽く舞に向かって満雄は合図を送った。
誘われるまま舞はそっと手に花を出して、桜がやったように優しく加奈子の胸に手を重ねた。
「何?」
満雄の横に隠れていて、急に現れた舞を見て加奈子が少し驚く。伸ばされた手の意味を考える時間もなく、もう一度満雄が質問する。
「思い出した? 悲しいこと」
「悲しいこと・・・・・・」
その時舞は加奈子の胸元を飾る花が大きく開くのを見た。桜が胸元で咲かせたよりも、盗んだ最初の時よりも、一番綺麗に瑞々しい姿で花が咲く。
「そんなの決まっているよ、死んだ人に会えないこと」
加奈子には見えていないはずだが、舞や満雄には加奈子が花を大事にかかえているように見えた。
「何かあったの堂島さん?」
「何で?」
「何か最近元気無さそうに見えたから、な」
「うん」
満雄が隣の舞に同意を求めると、舞も慌てて頷いた。
「私が大好きな叔父さん死んじゃったの」
「それでか・・・・・・」
「大好きな叔父さんだった・・・・・・何時も一緒に遊んでくれて」
「どんな人だったの?」
「子供っぽい人でね、何時も川とか山とかに遊びに行こうって誘ってくれるたの。この川でもよく遊んでくれた」
加奈子は自分でも驚くくらい、急に叔父の記憶が戻ってきたのを感じた。それは舞が盗んだ花が、久しぶりに持ち主に戻り、持ち主の身体に宿る記憶と花の蓄えた思いが結実した証拠だった。
「貴樹叔父さんね、昔から身体が弱くて病院を出たり入ったりしてたの。でも病院を出ると一番最初に私の所に来て遊んでくれた」
「優しい人だね」
「そう優しかった、だから私は・・・・・・」
「何をそんなに悔やんでいるの?」
舞が質問をすると、加奈子は何でという顔をした。なぜ目の前の口も聞いたこともないクラスメイトが自分のこの気持ちを見抜いてのか分からなかった。
「悔やんでいる、難しい言葉使うのね藤堂さんは。やっぱり毎日本読んでるから?」
「いや、そんな何となく」
まさかあなたの気持ちを盗んだからとは言えなかった。
「悔しいか、そうかも知れない。私叔父さんが死んで悔しいんだねきっと。なんか置いて行かれたような気がしてね」
(あっ、また花が開いた)
舞には加奈子の胸を飾る花が大きく開くのが見えた。満雄も当然その事実に気が付いていた。
「叔父さんは私と楽しい思い出を持って遠くへ行っちゃったのに、私は何時もその事を思い出してるだけで毎日が辛い」
「それは違うなあ」
満雄は少しバカにした様に加奈子を見た。
「叔父さんは堂島さんを置いて行ってなんか居ないよ」
「どうして?」
「だって君の中にずっと居るんだろう、大好きな叔父さんが」
加奈子の胸に咲く花を指さしながら満雄は言った。
「楽しいこと何時も思い出せるんだろ、何時も一緒にいるじゃないか。胸に手を充ててみなよ」
そう言うと加奈子は素直に胸に手を重ねた。加奈子に咲いた花は今一番大きく輝き始めていた。
「あれ、なんだろうこの気持ち」
加奈子は満ちてきた気持ちを抑えられずに目に涙を浮かべた。急に死んだ叔父さんと最後に遊んだ記憶が甦る。
それがこの花の種だった。
「加奈子走れ!」
凧を持っていた叔父さんが手を放すと同時に、加奈子は一生懸命河川敷を走った。頑張れの大きな声に、必死に足を動かすと、瞬間ぐいっと空に引っ張られる感覚に当たった。
「浮いたよ!」
はしゃぐ加奈子に叔父さんは走って寄ってきた。
加奈子は手を振って退院したばっかりだから無理するなという意味だったが、叔父は嬉しそうに走ってきた。
息を荒げる叔父を見て、加奈子は少し自分の行動を悔やんだ。
たったこれだけの距離を走っただけで息を荒げてしまう叔父を見て悲しくなった。しかし、そんな表情をすれば叔父さんが悲しむのは分かっていたので加奈子は我慢した。
「よーし手を放すなよ」
加奈子の後ろに回って、
細い身体に抱かれて加奈子は少しぞっとした。夏に一緒に釣りをしたときよりも、更に身体が痩せているのが背中越しに分かった。
この前病院でお医者さんの説明を聞いた両親が泣いていた。子供ながら、加奈子は叔父の病気が悪くなる一方だと言うことを知っていた。日増しに濃くなる不安が死の臭いだと言うことはまだ分からなかったが、近づく何かには怯えていた。
けど一番恐いのは叔父さん本人だからと我慢していた。
だから、今日も凧揚げだと言う叔父さんのワガママもすんなりと受け入れた。
「凄い、高く昇ってる」
「ああ、凄いなあ」
無邪気を装って二人で凧揚げに興じた。青い冬の空に凧が吸い込まれていった。
「加奈子、ありがとうな」
「何が?」
「今日も付き合ってくれてさ」
「そんな事無いよ、楽しいよ」
加奈子が見上げると、何時もの優しい叔父の笑顔が有った。少し頬が痩けているのを見て、不意に目に涙が溜まってしまった。それを見て叔父はもう一度凧を見上げた。
「俺がもうすぐあそこに行ったら、こうやってお前を見てあげられるだろうか?」
叔父さんは加奈子の肩に優しく手を掛ける。青い空には雲一つ無い。混じりけのない清々しい透明感に包まれていた。
「聞きたくないよそんな話」
加奈子が大きな声で叔父の声をふさいだ。
「加奈子、今までありがとうな色んな事に付き合ってくれてさ。あの凧のように見上げるお前を見守っていたいなあ俺は」
「そんな事言わないでよ・・・・・・」
「俺をここまで引っ張ってきたのはお前なんだよ、加奈子。お前がいなかったら俺はここまで来れなかった。だからありがとうなんだ」
加奈子には叔父が何を覚悟したのか直ぐに分かった。だから凧を上げながら涙した。
「私、放さないからこの糸を」
加奈子は鼻を啜りながら凧を見上げる。
「絶対叔父さんとずっと一緒にいるよ」
「そうだな約束しよう加奈子、目に涙を貯めて空を見上げるのは禁止だからな」
そう言って叔父は手を握って一緒に凧を上げてくれた。暗くなるまで飽きもせずに二人で凧揚げに興じて、手を繋いで帰った。
それから直ぐ叔父の病状は悪化して、桜が咲く前に亡くなった。享年は三十六歳で、病弱で生涯を独身で過ごし、周りに友人知人は少なかった。それだけに加奈子の事は娘のように可愛がっていた。だから加奈子にだけは無償の愛を注いでいたと加奈子の両親には伝えていた。
「堂島さん?」
「御免なさい、なんか止まらないの」
大粒の涙を溢した加奈子に、舞は持っていたハンカチを進めた。
「ありがとう」
舞には見えていた、胸に咲いたバラに加奈子の涙が吸い込まれていった。花は哀しく輝いた。
「何で急に思い出したんだろう、何で私は忘れてたんだろう」
「忘れるのは悪い事じゃないけど思い出さないのも良い事じゃない。それだけ大事な人だったんだ、忘れることなんかない」
諭すような大人っぽい満雄のしゃべり方は何だか桜さん譲りなのかと舞は思った。
「だから悔やむこと無いよ、思い出が有ることを」
「それって慰めてるの?」
「いやそう言う訳じゃない」
満雄の結論を言わないで、自分で考えさせる言葉は加奈子の涙を止めた。
涙を得た黒い花は見事な大輪を胸元に咲かせていた、少し俯いた加奈子の顔と向き合う。鏡写しのように二つの顔は微笑み会う。
「何だか叔父さんの事久しぶりに本気で思い出せてスッキリした」
「そうか、良かったね」
「なんでそんなお節介するのか分からないけどありがとう」
満雄は綺麗に花が咲く姿を見たいからだよとは言えないので、どうとでも取れる微笑みを加奈子に返した。
「あっ花が・・・・・・」
加奈子に咲いていた花がスーッと胸に溶け込んでいった。
「大きく咲いた後は消えるんだ、自分だけの庭に咲くために」
満雄がそっと舞に耳打ちした。
「何?」
「いや何でもないよ・・・・・・」
加奈子はクラスで異彩を放つ変わり者二人を見て苦笑した。
「何、こんだは二人がかりでお節介を焼くの?」
「私は別に・・・・・・」
「そうだねそれは良いかも」
舞は全力で否定したが満雄は満更でもなかった。
「ハハ、変なの」
笑った顔は何かスッキリした表情になっていた。
舞にも少し満雄が言っていた空っぽな笑顔の意味が分かったような気がした。今、目の前で笑っている加奈子の顔が本当の笑顔なのだ、感情と表情が直結した混じりけのない笑顔。
クラスメイトに混じっているときに見せる笑顔とは本質的に違う、一瞬だけ観れる特別な笑顔。
この笑顔が見たいのか、花が大きく咲く方が見たいのか舞には分からなかったが、満雄が見たいと言っていたモノはそのどちらかなのだろうと思った。
「ゴメン、私用事思い出したから先に行くね」
「ああ、気をつけてな」
そう言って加奈子は走り始めたので、満雄は後ろから声を掛けた。
「堂島さん!」
大きな声で満雄は加奈子を呼び止めた。
「走りながら泣くのは危ないから、ゆっくり家に帰った方が良い」
「本当に三島君はお節介」
また駆けだした加奈子を満雄は頭を掻きながら見送った。
確かに自分はお節介でエゴイストなんだろうなあと思った。結局、花が咲くところが見たいエゴイストだと。
「私、やっぱり酷いことしちゃったね」
満雄が自壊していると、隣の舞はしゅんとして頭を下げた。大事な花を消してしまうと所だと思うと、急に恐くなった。
「そんなことないさ、堂島さんも自分の気持ちと向き合う良い機会になった。前に進んだじゃないか」
「そうかな?」
「そうだよ」
河川敷の高台に柔らかい風が吹く。舞の心には何か達成感みたいなものが残った。
じっと自分の手をみてみる。小さな手だがこの手で自分が問題を起こして、それが無事解決できた事が奇跡のように思えた。
幻の花が見えている時点で奇跡なのだが、なんだか見える見えないと言うことよりも、自分が相手の気持ちと一体になる感じが今流れる風のように心地良かった。
「ねえ藤堂さん、さっき堂島さんが言っていたの覚えている?」
「何?」
「僕らお節介コンビだって」
「私を巻き込まないで欲しいな」
「けどさ、実際コンビを組んだ方が良いかもしれないね僕ら。僕は見つけるだけだけど、君はそれを取ることが出来るんだから、今日みたいに組めば色んな花を咲かす事が出来るよ」
「もう良いよ」
「そう、結構充実感あるんじゃない?」
ちきしょうコイツはやっぱりよく見ていると舞はどうも逃げられない事を悟った。
「まあ、うん、考えさせて」
「分かった。とりあえず桜さんに報告しに行かない?」
「そうね、私は人の胸に咲く花よりも桜さんの庭の方が好きかも」
「喜ぶよ」
ふと微笑むとまた満雄はさっさと先を歩き始めた、全くなんて自分勝手なヤツだと舞は呆れた。紺色のブレザーの背中を追いかけた。
「あっ」
「どうしたの?」
満雄が振り返ると舞は鞄と手を後ろに隠す。
「何でもない」
そうと興味なく、さっきより若干歩くスピードを落として満雄は歩き始めた。
(危なかったかな?)
舞は再び前を向いて歩く満雄を見つめながら、手の平に隠したモノを見た。
(私にも咲いちゃった)
手の平に有るのは小さな小さな二つの花。一つはピンク色でもう一つは青い花だった。何となく舞にはピンクが桜さんで、青い花が満雄だと言うことが分かった。
この二つの花がどんな風に育つのかと思うと少しワクワクしてきた。
自分に咲いた花が凄く愛しく見え、大事にしようと舞は花の色と同じ空に誓う。
「藤堂さん?」
いつの間にか振り返った満雄がどうしたのと声を掛ける。
「何でもないです」
また興味なく満雄は背中を向けた。
(別に隠すことでは無いのだろうけど)
何となく自分の花は、自分だけのモノにしたかった。ああやっぱり自分が見ている花は人の個性なんだと改めて舞は考えた。
そうだやっぱり花は自分の心に咲かせるべきだねと、これから会いに行く桜さんにそう伝えようと思った。
「藤堂さん」
「何?」
満雄は背中越しに声を掛けた。
「小さくて可愛い花だね」
「見ないでよ!」
怒る舞から逃げる冗談めかして満雄は走った。
花泥棒を見つけた歩哨が今度は逆に追いかけられる。嬉しそうに、楽しそうに、二人で庭に向かって走り始めた。
彼らは走りながら笑って、走りながら泣く。ただそれだけのために咲いている。
END
近お気に入りの言葉
「君を棄てて 仕事やめて 今夜から冬支度をする」
堀込高樹(キリンジ兄)
あとがき
どうもさわだです。
最初は全然違う話を考えていたのですが、どうしても正月見た岩井俊二監督の「花とアリス」が忘れられず。
この様な結果となってしまいました。
ものすごく「変態」な映画に、すっかり心奪われました。
何処に奪われたかを書き始めると長いし、ただの「変態」になってしまうので此所では割愛します。
では