別れの日までご馳走を
「ふー……レシピノートの複製完了。結局二日かかっちゃったな」
隠れ里を発つまでの残り僅かな時間をどうするか。
里長に渡す為のレシピノートを完成させた俺は、長時間に渡り机に向かっていた腰を労るように大きく伸びをしながら、そんな事を考えていた。
実際、この里は既に完成されている。不便な部分や物資が不足しているという面もあるが、それも含めて自給自足、そして外部との交渉でこれまで無事に生活出来ていた。
そこに少しだけ取り引きのレートの改善や、新たな加工品の製法を伝えた事で、もう完全に一つの里としては十分すぎる程の生活の基盤を築けたと言える場所まで来ている。
……それに、なんだかこの里の在り方を勝手に変えてしまうみたいで、少し気持ちが咎めてくるのだ。
手付かずの自然を侵略するような、そんな罪悪感のような、恐れのような。
「ま、困ってる事があればちょっとだけ手を貸す程度でいいのかもしれないな」
館の中を探して回ったのだが、どうやら里長は今外出中のようだった。
そういえば以前、アマミが『普段里長は家畜から住人まで幅広く見る、診療所のような場所で働いている』と言っていたような気がする。
仕事中に尋ねるのは迷惑かもしれないが、どうせならそこで何か里に関する仕事がないか聞いて手伝いを買って出たらいいかもしれないと、早速向かう事にする。
そうだ、もうすぐ昼時なのだし、レシピノートと一緒に昼食を持っていくのもいいかもしれないな。
肉の切断される音……否、生き物が生きたまま解体される音。
水音が多分に混じるその音は、不思議と人間を高揚させ、また同時に嫌悪感を抱かせる。
その音の発生源。その惨劇の主がゆっくりとこちらへと振り返る。
「あら? どうかしましたかカイヴォンさん。今丁度午前の診療が終わったところなのですが……さては人に聞かれたくない相談でしょうか? 実は丁度ご禁制一歩手前の催淫剤が――」
「人を勝手に不能にしないでくださいよ! っていうかなんですがこのスプラッタな様子は」
「私は基本的に獣医や医者の仕事もしていますが、家畜の解体も請け負っているんですよ。誰よりも生き物の身体に詳しいので。さて、ではちょっと後処理をしますので失礼しますよ」
いやぁ驚いた。里の診療所の裏に動物を預かる小屋があるのは知っていたのだが、そこからさらに離れた場所にもう一つ大きめの小屋があり、そこでまさかこんな光景が広がっていようとは。
一応社会科見学として屠殺場への研修も行っている身ではあるが……。
きっと、日本よりもこちらの世界の方がこういう食への意識は高いのだろうな。
よく冒険者も魔物の肉を解体しているのだし。
だがそう考えると、俺のようなアイテムボックス持ちに自動で特定の部位が収納されるのは、こういった解体の手間も省かれるので、とんでもなく有利なのではなかろうか。
「とはいえ、その他の有用な部位は自分で解体が必要なんだよなぁ」
「なにか言いましたか? 今ちょっと手が離せないので――」
「あ、俺も手伝いますよ」
ひとまず、この淑女がこれ以上血に塗れるのは看破出来ませんので、その広がった臓物は俺がバケツに詰め込んでおきますね。
いやぁ……せめて作業着に着替えましょうよ。ゴシックな格好で血まみれって、色々と噛み合いすぎていて恐いくらいですよ。
「カイヴォンさんはこういうのに抵抗がないんですね。まぁ……あれだけの人間を殺害したのですし、当然といえば当然ですが」
「結構、戦いと日常でオンオフはっきりしている人っていますからね。俺の場合、今の作業は日常の一部なんですよ。料理好きは伊達じゃないんです」
「なるほど、それは好ましいですね。ではその内臓は私が後で森の奥にある肥料用の大穴に放り込んでおき――」
「それを捨てるなんてとんでもない!」
おっとー? レバー以外は捨てるおつもりですか里長。
大腸、小腸、胃袋に食道! そして横隔膜付近から背中の筋に至るまで、処理が面倒なだけでとても美味な場所ばかりだというのに。
「いえ、捨てるのではなく肥料にするのですよ」
「いやいやいや、食べましょうよ。これすっごく美味しいですから。ちょっと俺が食べられるように処理しますので――」
そんなおぞましい物を見るような視線を向けないで下さい……おかしな性癖に目覚めてしまいそうです。
「臓物は確かに美味しいですが……そこは腸ですよ、うんちの通り道なんですよ」
「改めてそう言われるとぐうのねも出ないんですが……しっかり処理したら美味しいんですってば、見ていて下さい」
とりあえず小腸から大腸までを洗浄致しましょう。
魔術で内部に水を流し込み、内部をすすいでいく。
ああ……こんな事なら俺も浄化系の術を学んでおくべきだったか。
……そうだよ、この世界は浄化なんて便利な物があるのだし、もっと浸透してしかるべきではないだろうか? ホルモン文化。
「ところで、なにか用事があって来たのではないですか?」
「あ、そうでした」
作業を進めつつ、要件を告げる。
昼食の差し入れと、レシピノートを事務室の方に置いておきました、と。
すると、珍しく表情を輝かせながら『少々失礼します』と走り去っていった。
いつも淑女然としている里長が、外見相応の表情で駆けていく姿は、なんとも微笑ましく貴重な光景だ。
「さーてと、じゃあ戻ってくるまでに腸をひっくり返して、もう一度よく洗って、と」
ビバ魔術。この便利な手段を用い、日本では考えられない程のペースで作業を進めていく。
汚れも不純物も見た目には分からない程に洗浄した後、今度はその腸を一度アイテムボックスに収納する。
アイテムボックスの特徴は『生物を収納すると死んでしまう』という点。
それは微生物や菌、ウィルスや寄生虫というものも含まれているのではなかろうか。
一度入れ取り出した後に、もう一度流水で洗い流す。
ふむ、これで後はぶつ切りにすれば見慣れた牛ホルモンとなるわけだが――
「残りもやっておくかな。おー立派なノドスジに横隔膜。これはハラミとサガリがたっぷり取れそうだ」
なんだかシンプルに焼き肉にして食べたくなってきたなぁ。
本日、まだ何も入れていない胃の悲鳴を聞きながら、黙々と精肉を進めていくのだった。
「里長、戻ってこないな」
一通り処理を終え、ついでに辺りに飛び散った血や斧の洗浄も行ったのだが、里長が一行に戻ってこない。
何かあったのだろうかと、ひとまず彼女の仕事場へと足を運んでみたわけなのだが――
そこには事務室の椅子に座り、妙に似合うメガネをかけた里長が、黙々とレシピノートを読み込んでいる姿があった。
ふむ、どうやら昼食は先に食べてくれたみたいだ。
「里長、どうですか、そのノートは」
「あら……私とした事がすっかり読み込んでしまいました。申し訳ありません、つい」
「気に入ってくれたならそれで問題ありませんよ。何か分からない部分がありましたらなんなりと聞いて下さいね」
「そうさせていただきます。ですが、ずいぶん丁寧に注釈されていますね」
そのレシピノートは、元々リュエの家を出る時、残していく彼女の為――と書き始めたものだから。
だから、彼女にも分かるように用語や調理法を細かく解説したページが幾つもあった。
だが……次第に俺は、彼女を残すという考えを頭から消していった。
だから、途中から半ば日記のような気持ちで日々の料理のレシピを書き留めていたのだ。
結局、彼女と共に歩む事決めた為、このレシピノートを見るのは俺だけになってしまったのだが、今こうして他の人間の手に渡り、それが広まっていく。
それも、リュエとは浅からぬ関係のあるこの里で。
……なんだか感慨深いものがあるな。
「幾つか聞き慣れない調味料がありますね。このミリンという物やミソというものは?」
「それはセミフィナル大陸で作られているものですね。ミリンはお酒と砂糖で代用出来ますが……味噌はそうですね、ちょっと手に入りにくいかもしれませんね。ただ、ダリアが大豆の生産を求めた以上、この大陸でも手に入るようになるかもしれませんが」
「なるほど。ではそれまで、なんとか外の商人に頼んでみるとします」
そういえば、味噌って人気がないんだよな。
実はエンドレシアでも味噌の取り扱いは極めて限定的であり、アギダルの旅館に泊まった時も、一切料理に出てこなかったのだ。
醤油が流通している以上、当然味噌も流通していると思っていたのだが……。
やっぱりビジュアルや臭いの所為だろうか?
「しかし面白いですね……見たことも聞いたこともない料理や調理法ばかりです。この『酒蒸し』というのは、別にお酒ではないのですよね? アルコールも飛ぶのですよね?」
「ええ、勿論です。里長、あまりお酒が好きじゃありませんでしたよね」
「そうですね。ただ、調味料としては評価していますよお酒の事も。ふむ……アルコールが食材の臭いを消すのでしょうね。これはすぐにでも試すことが出来そうです」
しきりに頷きながら、熱心に読み込んでいく姿に、少し胸が高鳴る。
良いものだ。自分の好きなこと、力を入れてきた物を、誰かに評価されたり、熱心に見てもらうというのは。
「あ。解体所の方は掃除しておきましたよ。それに内蔵も可食部は全て処理しておきました」
「あ、すっかり忘れていました、申し訳ありません」
「いえいえ、おかげで美味しい部位がたっぷり取れましたよ。いやぁ……久しぶりに堪能出来ると思うと、今からよだれが止まりませんよ」
「……そこまでですか? うんちの通り道をそこまで楽しみにするなんて……なかなか特殊な性癖をお持ちなのでしょうか……」
「やめて! せめてホルモンって言ってください!」
ええい、俺がその考えを覆してあげましょう。
ホルモン焼き肉の美味しさをたっぷり味わってもらいましょうか!
「あ、カイくんおかえりー! 見ておくれ、これ私が釣ったんだ、生まれて初めて自分で釣り上げた釣果さ」
里長に『今晩覚悟しておいてください』と啖呵を切り屋敷に戻ると、丁度戻ってきたと思われるリュエが、なにやら水の入ったバケツを差し出してき。
ほほう、リュエが釣り上げたとな。どれ、一体なにを――
「……リュエ、これは裏庭の池に逃がしてあげなさい」
「ええ!? 食べられないのかい?」
「いや食べられない事はないだろうけど……冷静に考えるんだ、リュエ」
バケツの中はメダカの学校でした。
そーっと覗いてみたんです。全部小指の第二関節くらいの大きさでした。
「……そうだね、私がどうかしていたよ。いや、分かっていたんだ、初めて釣れたからついうかれていたんだ……」
肩を落とし裏庭に向かう彼女を見送りながら、キッチンへと向かう。
すると、中から子供のはしゃぐような声が漏れ聞こえてきた。
誰か来ているのかと覗き込むと、そこでは里の子供数名とレイスが、一緒に作業をしているところだった。
楽しそうに背伸びをし、レイスの手元を覗き込む女の子に、恐らく彼女の釣果であろう大きなバケツを覗き込みはしゃいでいる男の子。
なんとも微笑ましい光景がそこに広がっていた。
「レイス、ただいま。どうやら今日の釣果もバッチリだったみたいだね」
「あ、カイさん! おかえりなさい、私もさっき戻ったところなんです」
「なるほど……お、今日は前のガシウスとは少し違うね……カムルチーの仲間かな……」
「私もよく分からないのですが、どうやらこの魚も食べられるそうですよ。なんでも、皮を向いて一度茹でてから調理を始めるのだとか」
彼女の釣果は、体長八◯センチはあろうかという、俗にいう『雷魚』に似た魚だった。
日本にいた頃の雷魚は、その雑食性のイメージが先行し、あまり食べたいと思われない魚だったのだが……この里の清流に棲んでいたのだ、期待して良いだろう。
そもそも、雷魚って台湾や他の国だと食用としてポピュラーな魚だからなぁ。
ううむ……そういえば俺も香油がけとかチップスにした事があったけな。
「レイス、俺は今日他に作りたい物があるから手伝えないけれど、大丈夫かい?」
「はい、今のところ問題ありません。あ、ごめんなさい、ちょっとそのお鍋にお水を入れてくれませんか?」
上手に子供達に仕事を与えていく彼女に安心し、こちらも作業にとりかかる。
さーて焼き肉ならまずは漬け込み用のタレと、食べる時のツケダレ、後は肉を食べやすい大きさに切っていかないとな。
網目状にさしの入った、見るからに脂ののったハラミやサガリをやや大きめの一口大に切り分けていく。
さて、次はノドスジ……おお、ここもいい感じにさしが入っている上、ものすごく柔らかいな。
「あー夜が楽しみだ」
少しすると、レイスの調理が終わったようだ。
どうやら一度茹でた魚の身を、たっぷりのハーブと一緒に釜で蒸し焼きにする料理のようで、出来上がった料理を一口子供が持ってきてくれた。
「んむんむ……凄い身がプリプリしてるなぁ美味しい。君は食べたのかい?」
「うん、食べた。美味しかった!」
話しかけられると思っていなかったのか、運んできてくれた女の子が少し驚いたような表情を浮かべながら答えてくれる。
照れくさいのか、そのままレイスの元に走って戻っていってしまった。
笑顔の子供達に囲まれながら、一緒に料理を楽しむレイス。なんとも微笑ましい光景だ。
そしていつのまに現れたのか、ちゃっかりリュエも子供に混じり料理を頬張っているところだった。
「んー! 口の中でお魚が弾けるね! 香草の香りと一緒に口の中で広がる!」
「ふふ、そうですね。少し恐い見た目でしたが、美味しいですね」
「あ、カイくんも食べた? モンスターみたいな魚だったんだけど、美味しいよ」
「ああ、さっきもらったよ」
食事が終わると、子供達が自分達で食器を洗い、しっかりとこちらにお辞儀をした後に館を去っていく。
さすが里長が治める里なだけはあり、親から子の世代に至るまで、しっかりと礼儀を教え込まれているのだろう。
そんな子供達を見送り、こちらも残りの作業を終わらせようと台所に戻ると、リュエがこちらの鍋を覗きにやってきた。
「ありゃ? ただの野菜かー……熱心に作っているから、てっきりシチューかなにかだと思ったのに」
「ははは、残念。さて、俺は何を作っているでしょうか?」
「えー? こんなにまるまる野菜を煮込むなんて想像出来ないけれど……スープ、お出汁をとっているんだろう?」
「正解。そろそろこいつらを潰して、一度濾すんだ。その後に煮詰めて、今度はそこに香味野菜を刻んだものや、すりおろした果物を加えて、ウィスキーや蜂蜜、コショウや塩、醤油で味を整えていくのさ」
自家製焼き肉のタレである。何気に万能調味料なので、この際大量に作ってストックしておく事にしたのだ。
これで、道中いつでも焼き肉を楽しめるって訳だ。
「察するに、何かのソース作りですか?」
「あ、おかえりレイス。子供達のお見送りご苦労さま。うん、それも正解、ソースだね」
そしてレイスが喜びそうなお知らせ『今晩はお肉三昧にするつもりだよ』と。
大きな反応をするのが恥ずかしいと思ってか、一瞬表情が華やぐのを堪えたように見えたのだが、頭の羽は正直です。ピコピコパタパタと自分の髪を揺れ動かしている。
「焼き肉。シンプルだけど、俺のいた世界の人気メニューの一つだね。加熱用の魔道具みたいなのに、タレに漬け込んだお肉や、そのままのお肉、野菜を並べて焼いていって、焼けたら自分の器に注いだソースにつけてそのまま食べる。つまり焼き立てをすぐに食べる料理なんだ」
「へー! なんだか昔の冒険者の野営料理みたいだね! こう、狩猟本能を刺激するような、ワイルドな感じじゃないか」
「そ、そうですね……なんとも豪快ですが……楽しそうですね……」
よだれ出そうな顔ですよレイスさん。
「ソースが出来たらこっちは準備完了だから、二人は休んでいていいよ。午前中からずっと子供達の面倒を見ていたんだろう? ゆっくりしていなよ」
「うーん、そうかい? じゃあ私は少しダリアのところに行ってくるよ」
「では、私は少し部屋で釣具のお手入れをしておきますね。夕方前には終わりますので、何か手伝える事があればおっしゃってください」
二人を見送り、引き続き焼き肉のタレ作り。
ピューレ状になった野菜や果物を更に煮込みながら、ウィスキーと蜂蜜を加えて甘みとコクを追加。
そして、この里一番の稼ぎがしらであるクーちゃんのニンニクをたっぷりすりおろして加え、最後に醤油を加えて一煮立ちさせる。
後は馴染むまで常温で放って置くだけだ。
「つけダレはこれでよし。後は漬け込みダレの方は……まぁこのタレを少し伸ばして使えばいいか」
切り分けた希少部位達をバットに並べて、タレを流し込む。
ああ、空気に触れて鮮やかな赤色に変化した肉達が、今再び暗いタレの中に沈み込んでいく。
時間的に、今から三時間は漬け込みが出来そうだ。ならば、この後は野菜でも切って――
「あ、本当にカイヴォンが料理してた」
「だから行ったでしょ? かいぼんがニンニクを使ってるって」
するとその時、台所から直接裏庭に繋がっている勝手口からアマミとクーちゃんが現れた。
以前、にんにくを使うと毎回クーちゃんがやって来ると聞いていたが……まさか本当に嗅ぎつけてくるとは。
どこかで力仕事でもしていたのか、二人共薄着で動きやすそうなシャツを着ており、うっすらと肌に汗が浮かんでいた。
それについて尋ねると、どうやら白髪の子が住む集落の中央にある、どこか外の森林と繋がっているという林の中で、まだ揃っていない家具や道具を作るのに必要な木材を切り出していたそうだ。
そういえば、今日はダリアもずっとそっちにかかりきりという話だったな。
一緒にはいないようだが――
「だーちゃんなら、今最後の仕上げで一軒一軒家を見て回ってる。先に帰って良いからって」
「ダリア様、やっぱり罪悪感があるのか、私達の誰よりも沢山働いていたんだ。少し心配なんだけど、さっきリュエが入れ違いで手伝いにいったから、そのうち戻ってくると思う」
「あー……まぁ心情的に仕方ないのかね。大丈夫、あいつああ見えて子供の扱いにも慣れてるから、なんとかなると思うよ」
つまり、あいつも今日はヘトヘトになって帰って来ると。
こりゃあ焼き肉の食べさせ甲斐があるってもんですな?
「で、何作ってるのかいぼん。ニンニクのソース?」
「正解。ニンニクを少し使ったタレだよ。今日は二人もこの館で食べていきなよ。是非みんなに食べてもらいたいメニューなんだ」
「へぇ、カイヴォンがそう言うって事は、期待しちゃってもいいのかな? ねぇ、何か持ってきて欲しい追加の食材とかある? 運んできてあげるよ?」
気が利く頑張りやさんの提案に甘えさせてもらいましょう。
焼き肉には勿論焼き野菜も含まれているという事で、彼女にはとうもろこしとナス、ピーマンなど、焼いて食べると美味しい野菜をチョイスするようにお願いする。
『任せて』と言い、彼女は長い金色の髪をなびかせ駆けていく。
少し色の濃い青空の下、白いシャツと金色の髪が驚くほど映えていた。
とても絵になるその光景を目に焼き付けるようにして見送りながら、彼女とももう少しでお別れなのだなと、ちょっとだけ胃がシクリと病んだ。
「かいぼん、アマミと仲良いよね」
「ん、そうだね。クーちゃんと同じでアマミは友達だから」
「うん。さてと……じゃあ私は何したらいい? にんにくいる?」
「にんにくいらなーい」
「えー……じゃあなにする?」
相変わらずニンニク好きな娘さんには、外に椅子やテーブル、照明を運ぶのを手伝ってもらう。
やはり普段からニンニクを摂取しているせいか、妙にバイタリティ溢れているんだよなぁこの子。
そうして、一通り準備が終わる頃には、空がみるみるうちに色をかえていくのだった。
「ただいまー! いやぁすっかり暗くなってしまったよ」
「悪かったなリュエ助、付き合わせてしまって」
「いいのいいの! それにしてもダリア、子供達に大人気だったね」
すっかり夜になった頃、館の扉の開く音と同時に元気の良いリュエの話し声が響く。
出迎えるとそこには、疲労困憊といった様子のダリアと、そんな彼女を面白そうに見るリュエの姿。
二人に労いの言葉をかけながら、今日の晩ごはんは裏庭で食べるから、と伝える。
初めは闇魔術で加熱用の魔導具を覆い、屋内でも使えるようにと思ったのだが、さすがにこの美しい館の内部に焼き肉の匂いを残す訳にはいかないからと考え直したのだ。
「お、なんだなんだ。今度は何を作ったんだ?」
「ハラミ、サガリ、ホルモンにレバー。後は分かるな?」
「マジか! よし行くぞリュエ助!」
「うわ、待っておくれよ! 凄いねカイくん、ダリアがあっという間に元気になった」
「まぁそんなもんだよ。じゃ、俺達も行こうか」
幾つになっても焼き肉には心踊るのが男の子ってものなんです。
台所の勝手口から裏庭に出ると、既にレイスが魔導具の設置を終えたところだった。
今回は皆で囲めるようにと、小型の魔導式コンロを二つ並べ、その上に鉄板を設置し、更に小さなテーブルで囲むという方式をとっている。
これがもし日本のガスボンベ式のコンロだったら大惨事に発展していた事だろうが、さすが魔導具、なんともない。
エコでなおかつ安全だなんて、本当こうしてエネルギーとして見た場合の魔力は反則もいいところだ。
「設置、完了しましたよカイさん。既に点火していますので、気をつけてくださいね」
「おおおお! すげぇな! 本格的じゃないか! よっしゃカイヴォン、肉もってこい肉!」
誰よりも早く席についたダリアの様子を見て、周囲の人間もそれに習う。
さて、今回一番食べさせたかった相手である里長は――
「はよ」
「はよ」
ダリアの隣で一緒になってこちらを急かしておりました。
そんな言葉遣い覚えないでください。淑女でしょ貴女!
「じゃあ、まずは鉄板に牛の背脂をしきますね。アマミ、反対側の方お願い」
「う、うん……これ、うちの牛じゃないよね? 大丈夫だよね?」
「大丈夫、これ里長のところにいた牛だから」
「ええ!? 里長、これ牛子じゃないよね!? ちょっと健康診断するだけだって――」
「大丈夫ですよ。これは別な牧場から頂いた牛です」
「そ、そっか」
酪農家的には複雑なんですかね……?
「では自分でこのトングで焼き始めたら良いのですね? ふむ……これがサガリという部位ですか? 確かにこれは随分と美味しそうな見た目をしていますね」
すると、里長が我先にと、こちらがタレに漬け込んでいたサガリ、牛の横隔膜、中でもアバラ骨付近の部位を鉄板に広げる。
ほぼ赤身と変わらないのだが、一応これも部位的にはホルモンに分類される。
本当はマルチョウのような、ザ・ホルモンといった部位を味わってもらいたかったのだが、やはりそれは最後に回そう。敬遠する人間も出てくるかもしれないのだし。
「おや、随分と柔らかいのですね。火が通ってもこんなにフニフニと」
「しっかり中まで火を通したほうがおすすめですが、まぁ中がある程度レアでも大丈夫だと思いますよ、このお肉なら」
鮮度もさることながら、一度アイテムボックスに収納した関係で、かなり信頼出来る品質だからね。
それに元々、レアの方が好みだと言っていた記憶がある。
では俺も自分の分を焼き始めましょう。とりあえずノドスジをば……。
「んん! これはまた……いい味付けですね。このソースのレシピもあのノートにあるのでしょうか?」
「ありますよ、それに今食べているのは殆どこの里で採れた材料で出来ていますし。醤油とウィスキーさえあればすぐにでも作れるものです」
「なるほど。これは良いですね、ステーキにも合いますでしょう」
こちらの話に耳を傾けていたレイスが、隣でこそこそと何かをアイテムボックスから取り出し始める。
気がつけば、彼女の前の鉄板には既にサガリを始めとした部位が全て並べられている。
さすが肉食系お姉さんである。焦げてしまいそうなので俺もこのお肉さんたちの面倒を見ますかね。
「あ、ごめんなさいカイさん」
「いいよいいよ。はい、これ焼けたから皿に移しておくよ」
「あ、私にも焼いておくれよー」
「リュエはまず今焼いてる分を食べてからな。もう、なんでそんなに欲張ったんだい?」
「いやぁついつい……でもこれ楽しいね、目の前で焼いてすぐに食べるなんて」
パクパクと、野菜と一緒にお肉を食べ進める彼女。
「この焼いたキャベツと一緒に、この野菜の甘さたっぷりのソースをつけたお肉を食べる……美味しいねぇ」
「りゅえさん、一緒に焼いたニンニクも食べると美味しいよ」
「どれどれ……あ、美味しいねぇ」
嬉しそうに、楽しそうに。
驚きながら、感激しながら。
皆、それぞれの感想を懐きながら、ささやかだけれども、とても幸福な時間を過ごす。
煙が星のない夜空へと上がる。けれども、なんだかいつもと違い、少しだけきらめいているような、そんな錯覚を覚えるほど、皆の声がキラキラと輝いていて。
……って、火の粉だな、これ。そりゃ輝いて見えるわ。
「カイくんキャベツ燃えてる!」
「うお!? しまったよそ見してた!」
「ダメですよカイさん、油断大敵です。この焼き肉という料理の奥には、なにかこう、闘争にも似た物を感じます……そう、たとえば」
その瞬間、レイスのトングが鉄板へと伸びる。
そして金属音と共に、もう一つのトングが弾かれる。
「ダリアさん。これは、私が焼いているお肉です」
「くっ……バレてしまったか」
「おや、レイスさん、そのようなお肉は用意されていなかったと思いますが」
里長の言う通り、そこには大きな一枚肉、つまりステーキが鎮座していた。
……さっき取り出していたのはこれか!
「せ、せっかくですので……」
「なんとも羨ましいですね。ふむ……ですが今日はこのホルモンというものを体験するのがメインなので、私は後にしましょう」
「後で真似するんだ里長」
すると今度は、ついに里長が散々『うんちの通り道』と呼んでいたホルモンに手を伸ばした。
脂がたっぷりとのった、プリプリとしたその牛ホルモンが鉄板へと置かれる。
するとすぐさま、その大量の脂がジュワジュワと溶け出し、どこか甘みを思わせる香気が立ち上った。
「あ! ホルモンまであるのかよ! 俺も焼くぅ!」
「聖女様はこれを知っているのですか? 私は初体験なのですが」
「それ、凄く美味しいんですよ。いやぁ俺も久しぶりです」
それを見て並べだすダリア。そして、その謎の物体扱いのホルモンを眺める皆。
大丈夫だから! これ美味しいから! 少なくとも豚ホルモンにくらべて癖も匂いも少ないし、しっかり処理もしているから!
「……焼けているのかどうかわかりにくいですが、焦げ目がついてきているのでもう大丈夫なのでしょう」
「あ、もう大丈夫ですよ里長。さて、では俺も……」
思えば、ブライトネスアーチでも魚の内臓や使った料理を披露し、好評を得ていたのが、やはり内臓系を食材として扱う文化はあまり浸透していないのだろうか?
レイスが言うには、ギドニーパイのような料理もあったそうなのだが……。
「ふぅむ……そうか、大陸規模で考えたら普通の事なのか」
「どうしたんですか? カイさん」
「ああいや、食文化についてちょいと考察をば。こっちの大陸って、もしかしてあまり内臓系を使う文化がないのかなって」
「なるほど。確かにセミフィナルでも、北部と南部では食べられる料理、食材が違いましたからね。私のいた北部では肉食文化が浸透していましたが、南部に行くほど野菜や魚介が多くなっていましたし」
なるほど。となると、そもそも肉を食べる習慣がこの国ではあまりなかった……と。
そういえば魚の方が頻繁に食べられていたっけ。
「ふむ……噛み切りにくいですが……これは噛むほどに甘みが染み出してきて……美味しいじゃないですか、まさかあんな場所がこんなに美味しいなんて」
考察を途絶えさせたのは、神妙な、そしてどこか悔しそうな表情を浮かべながらホルモンを食べ終えた里長の言葉だった。
よしよし! どうやら受け入れてもらえたようだ。これで安心して他の皆にも――
「むーんむーん、噛みちぎれない! けど美味しいね! ワインが飲みたくなる!」
「あら……これはなかなかの珍味ですね。煮込み料理にも使えるかもしれませんね」
「もつ煮! カイヴォン、次はもつ煮で頼む! ネギましましで!」
「にんにくもっと効かせたほうがいいかも」
「……捨てる場所が少しでも減るのなら、これはこれでいいのかも。美味しいし」
勧めるまでもなく、どうやら皆にも受け入れられたみたいですね?
んむ、美味しい美味しい。
この里で過ごす残り僅かな時間。どうやらどんな風に過ごすべきなのか、その答えが俺の中で出たようだ。
(´・ω・`)本編の次話はもう少しおまちくだし




