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だれにも教えたくない場所がある。たとえば無料の公共駐輪場にある、ひと気なく物寂しい空きスペースなんかだ。
駅まで五分、走れば三分の公共駐輪場は常に自転車であふれている。なかには、雨ざらしのまま早何年といういかつい風貌の放置車両まである盛況ぶりだ。
毎朝地味な陣取り合戦が繰り広げられる。駐輪スペースをめぐり、老若男女が鬼気迫る形相で駐輪場へ集結する。迅速に、かつ無言でおこなわれる陣取りに、一分の遅れで場所を確保できず、発車してしまった電車を呆然と見送る人々の哀愁が毎朝のようにただよう。
ひと気ない物寂しいスペースを見つけたのは、駐輪場のなかでも駅からもっとも遠い区画へ、あれよあれよと迷いこんでしまったときのことだった。
高校生となりひと月、緊張感によってたもたれていた意識がゆるみ、僕はふだんより五分も遅く家を出てしまった。今日はめずらしく星占いをやっているななどと、悠長に朝の情報番組を見ていたせいだ。いつもならその時間帯には家を出ているから見られないのだ。
一分の違いが明暗をわけるのだから、五分の遅れなど門前払いでタンをはきかけられてもおかしくない。当然僕は、駐輪スペースを求めて場内をとぼとぼと歩きまわることになった。車体と車体のあいだに空いたわずかな空隙にさえ、力技でカゴと前輪だけがつっこまれている。そういった自転車は狭い道をふさぎ、ほとんどの通路は自転車をおして通行することができなかった。
電車に乗り遅れるという焦燥感がピークに達したとき、僕は灌木の列のそばにいた。それはいっけんすると、駐輪場の一辺を境界づける生け垣のように思えた。だから、すぐに引き返し、ほかの通路へ探しにいくところだった。
密生する木立ちのなか、銀色に返す光を見た。
まさかと駐輪場の端へ近づいていくと、生け垣は途切れ、その奥に緑色の網状フェンスがあらわれた。なんだ、やはりデッドエンドかとため息をつきかけて、フェンスは真横ではなくすこし奥へ、つまり斜めにむかって延びていることがわかった。さらにフェンスへ近づき、生け垣とフェンスとのあいだに、人ひとりがとおれる空間があることを知った。
斜めに延びたフェンスと生け垣は、直角三角形のスペースをかたちづくって、広大な駐輪場からそっと区切られていた。自転車が数台停められている。
翌日から僕は、朝の駐輪スペース争奪タイムロワイヤルにわずらわされなくなった。もしや放置自転車を一時的に撤去しておく場所なのではないかとも思ったが、ほかに停められている自転車たちには持ち主がいたので、れっきとした駐輪場なのだと判断した。
アマガエル色の自転車に乗る大学生とおぼしき若い男性とは、ときどき夕方にかちあう。すこしやつれたサラリーマンの男性が、黄色いクッションの飛び出たサドルから降りるところを、毎日のように見かける。フェンスにチェーンでつながられたスポーツタイプの自転車の持ち主を見かけたことはないが、駐輪されているときとそうでないときがあるため、放置自転車ではなさそうだ。
秘密の駐輪場を隠す生け垣は、だいたい二メートルほどのたかさに刈りそろえられ、いつも瑞々しい緑色を日にさらしていた。表面の葉の輝きと、その奥にある陰葉との対照が目に楽しかった。どんな名まえの植物なのかはわからなかった。特別しらべてみようとも思わなかった。
石田光希が駐輪場で呆然としていたのは、冷水につけておいたタコが茹であがるように暑い初夏のことだった。
黒と茶色が入り乱れた塗装の自転車を両手で支えながら、じりじりと垂れ落ちる汗も気にできず、ただただ無力に立ちすくんでいた彼女の姿は、見ていていたましかった。
利発そうな目は伏せられ、小ぶりな唇はつぐまれている。長袖のワイシャツは手首のボタンまで留められていて暑そうだ。長めに穿いたスカートのさきで、ローファーのかかとは砂埃でうっすらと白い。
僕はすでに、いつも通り木隠れ三角地に駐輪したあとだった。彼女は僕に気づくと、すこしふしぎそうな表情をうかべた。
秘密の駐輪場の存在を教えてあげるべきかどうか、瞬時に判断しなければならなかった。彼女のまなざしは、なにか知っているだろうという詰問のニュアンスをふくんでいるように感じられた。
彼女ひとりに教えたところで駐輪スペースには余裕があり、たいした問題にはならない。だが、もしも彼女が周囲に話してしまったら? 駐輪場の秘密は公然の秘密になってしまう。いまだ新参者である僕は、大学生やサラリーマンやだれかに対して申し訳がたたない。
「よく停められましたね」微苦笑をうかべて話しかけてきたのは彼女のほうだった。「私のほうがさきに駐輪場へきたのに。どこか、空いている場所を知りませんか? いつもはもうすこしはやくくるから、こんなことにはならないのだけれど――どこかあれば、ぜひ」
目が輝いて見えたのは、なにも夏の日射しだけが理由ではない。