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フェアトレード

 甘味が苦手だと言っていたので、バレンタインのプレゼントは牡蠣の時雨煮にしてやった。今は後悔している。

「ゴメン、オレ貝アレルギーなんだよ」

 大暴投だった。なんと準備不足であったことか。

「こちらこそゴメンね。じゃあこれは私が責任もってお茶漬けで食べるから」

「悪いね。でも何故にまたこんなに渋いチョイスを」

「デパ地下で目が合ってしまったのです。限定販売のラスト一個」

 老舗の佃煮屋の店頭、ふっくらと煮付けられた大粒の牡蠣が真空パックの中でむくむく並んでいたのだ。サトミ君は日本酒好きだから、ツマミにイケると早合点した塩梅。惨敗。


 黒縁眼鏡がよく似合ういかにも草食風の彼は、舌を絡める濃いキスは苦手だとか。でもまったりした舌触りの食材は大丈夫だとか。

「うるかとか平気? 鮎のハラワタ」

「高い蕎麦屋でほんの少しだけ舐めた。まあ大丈夫だったよ」

「そっかあ。私はダメだったな。会社の忘年会で初めて食べたんだけど」

 お互い呑んべえだけど、酒のアテの好みは少し違う。

「豆腐ようやチーズの味噌漬けも好きだな。味が濃くて」

「え、サトミ君、味噌漬け作るの?」

「いや、手間なのは実家に帰省した時に作ってもらって食べるだけ」

「あはは」

 料理まで丁寧にこなすのかと焦った。でもご実家では大切にされていたのだろう。サトミ君から聞く食の話は美味しくて手間のかかる品ばかりだ。

 私のツマミなんてスーパーの三袋千円。そもそもコンパで意気投合しての付き合いだなんて、私にしては出来すぎの様な。

(でも何故こうなったかな?)

 実はサトミ君とは、小鳥のご挨拶みたいな可愛いキスをしてしまった事がある。しかも一度ではない。シチュエーションは最初がコンパのその場で酔った勢い、次が映画のムードに流されたノリ。その時に実は深いキスが苦手だという話になって、それから牛タン話からフォアグラ問題にまで発展して語り合ったのだった。

 その後からはただの呑み。美味しいモノの追求。それが会社帰りに一回と休日が一回。とても健全だった。

 なんというか、そうなるタイミングを逃してしまったというか、

(これ、とてもとても友達コースね)

 そんなモノは気のせいだったというか、無かったコトになっているというか。

 だけどあまり深く捉えたらそれこそ自分が腐り葉てるというもの。腐るよりはせめて、美味しく発酵させてゆきたいもの。気張らない男友達は貴重だ。めでたしめでたし。

 バレンタインの夜、五回目の約束。待ち合わせのスタバで役割を失った牡蠣の時雨煮。今冬は寒い。鼻先が冷えて赤くなる。


 クリスマスとは異なるその夜の街は日常そのものだった。華やかな飾りもなく、すれ違う人も普段通り。飲み屋も普通。今宵ならムーディなディナーも年末より入り易いだろうけど、

「何か食べたいモノある?」

「取り敢えずあったかいモノ行こうよ」

 目の前のコンビニでイメージ出来るのはおでんと肉まんだ。

「ん、なんか可笑しかった?」

「今ね、B級グルメばっかり思いつくんだ、私」

 指差した店内には限定販売の某キャラクターを模した肉まんも売っている。それを見たサトミ君は「ふうむ」と言った。

「じゃあ、たこ焼きとかも好き?」

「うん、好きだよ。今夜は鉄板焼きにする?」

「ちょっと変わった所があるよ。こっち」

 私は言われるままに着いて行く。駅から少し離れた商店街にある果物屋……の隅を改装した不思議な空間。そこは夏場はフルーツ山盛りのかき氷、冬場はたこ焼きが美味しいそうだ。取ってつけた様なカウンターにスチールの椅子とチープだけど、奥には一組の仕事帰りらしき女性客がいた。

「ここ、夕方はよく会社員の止まり木になってるんだ。よかったらまずここで一服」

 壁にはソフトドリンクやアルコールの貼り紙があった。メニューにはフルーツを使ったツマミも。隣の焼き鳥屋からの持ち込みもOKだとか。

「いいね、フレッシュジュースも美味しそう」

「うん、それから、こういうのは好き?」

 サトミ君の黒い鞄からは華やかな金のシャンパンの小さな紙箱。

「わ、モエのピッコロだ。いいなあ。どうしたの?」

「室長から若手にバレンタインのプレゼント」

「室長、センスいいね!」

「とんでもない」

 サトミ君はブルブルと首を横に振った。

「この裏には『てめえ等もっと小洒落た仕事をしろ』というメッセージが隠されているのです」

 うわあ。

「しかもホワイトデーには倍返しをしろというプレッシャーもあるのです」

 むわあ。

「あ、じゃあ室長にこの牡蠣の時雨煮を」

「それは駄目、旨そうだからミサトさんが食べて」

 初めて下の名前を呼ばれた。そうだそれで思い出した。どうしてあの時キスする羽目になったのか。


 サトミ君と出会ったコンパの終盤、確かサトミ君の先輩である幹事に言われたのだった。

「二人は似た名前ー似たもの同士ー! ちゅうしろちゅうー!」

 あの時、あの先輩もかなり酔っておられた筈だ。

「そういえば件の先輩はお元気ですか?」

「暴走し過ぎて困りますね。モエ好きなら今夜の二次会はオレん家にしようか」

 予想外の提案を出されていた。

「あ、うん、え?」

 返事が七曲がっていた。

「実はその先輩が室長にチクって。それでオレはモエをプレゼントされてしまったという」

「何をチクられたの?」

「詳細は省かせてください。とにかく室長は『中身まで草食のヤツはいらん』と。『気張れ』と」

 たこ焼きはテイクアウトが出来るそうだ。


 モエのお供にフルーツを。果物屋さんのセンターには真っ赤な苺が煌びやかで、食べ頃のパックを包んでもらった。

「代金は私が」

「ありがとう」

 これが今回の、バレンタインのプレゼント。

「よかった。牡蠣の時雨煮よりロマンティックだ!」

「さっきのコンビニのキャラ肉まんはどうする?」

「ああーロマンティックじゃないー」

「冷凍庫にご飯もあるから、牡蠣も食べてください」

「全然ロマンティックじゃないー」

 これでいいのだろうか。取り敢えず今回も美味しい約束。

「お腹がぱんぱんになりそう」

「明日休みだし、ゆっくり食おうよ」

 サトミ君は近くの寿司屋の折もオススメだというので、また少し遠回りをした。二人の鼻先が冷えて赤くなる。今宵も寒くてとても良い。




 おしまい

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