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素数マネジメント

 幼い頃は「サーツキちゃん」と呼ばれる度に「はーあーい」と返した。言葉のやり取りだけでキャッキャと笑えた。繰り返し観た名作は想い出に色を添えたが、高三ともなれば色褪せた。

「なんで返事しないのさ」

「軽薄さに染まりたくないんだ」

「誰が軽薄だよ」

 紫陽花の瑞々しい平日の朝、私は黙ってバスに乗る。葉月は「誰がだよ」とぼやきながら、スタスタ後から付いてくる。


 開校記念の休日、行先は市営博物館。夏休みの日本史Bの課題は毎年同じで、展示物についての所見を八百文字。OBの作文も秘密裏に受け継がれていたけれど、昨年、先生達の捜査が入った。

 今年度からは個人の努力が問われる。

「今の特別展示がわかりやすいんよ。縄文から弥生の土器だって」

 葉月の口車に乗せられ、夏休みの課題を前倒しに着手。公園内には美味しいアイスキャンデーも売っている。

 市民公園まではバスに揺られて二十五分。小雨の止んだ公園はひどく蒸して、博物館の冷房はロビー外まで伸びていた。私たちは傘立ての鍵を片手に、特別展示展のチケットを学割で買った。


 空いているかと思っていたのに、入館早々、第一展示室のフロアに人だかりが見えた。地元大学のゼミらしい。先頭で教授的な大人がゆるゆると説明をしている。

(マジか。いきなり見にくいじゃん)

(でも解説が聴けてラッキーだよ)

(俺はいいや。ここはまた後で見るよ。先に行っていい?)

 葉月はコソッとボヤくと、第二展示室に向かってしまった。聞きかじった内容をまとめればレポートのネタにもなるのに。

 でも葉月が正解だった。集団の後ろから聞き耳を立てていたけれど、内容はサラリとしたものだ。目玉展示の土偶のくだりだけ聴いて、私も第二展示室に向かう。インパクトのある土器が目白押しで、配布用の資料も豊富に並んでいる。


「このレポートは楽かも」「うん、もう終わったも同然」

 休憩コーナーのソファー。幾つかのパンフレットをピックアップし、私たちは悪い顔をしてほくそ笑んだ。すると唐突に空が暗くなり雨音が酷くなり、窓ガラスに大粒の雨がどんどん当たった。

 同時に天罰もくだった。

「あ……サツキ」「何」「すまんかった」「何が」「今気付いたんだけど」

 葉月は絶望の宿る目でパンフレットの日程をそっと指さす。私も息を呑む。

 この特別展は夏休み前に終わるのだ。

「待って、それって」

「えー、つまり、このネタは宿題に使えな……」

 途方にくれる私に葉月は頭を下げる。

「うっかりしてた。ごめん」

 睨む私は非情だろうか。

「だってこんな分かりやすい派手な展示、普通夏休みまでやるだろ」

「展示スタートは四月半ばからだったんだね。元々はゴールデンウイーク用の企画じゃない?」

 あの土偶は国宝だった。レンタル料も高いだろう。再び葉月から謝罪が入る。

「マジごめん。とりあえず後でアイス奢るから」

「ぜひそうして。でも早く気付いて良かった。常設展で何か探そう」

 二人とも既に投げやりだ。おざなりに観覧し、私は小学校の地域学習で必ず触れる市内の城跡ネタに、葉月は数年前に大河ドラマで取り上げられた人物のネタに決めた。

 再び配布用資料を漁り、外に出る。雨は小降りになっている。公園内の売店で約束のアイスキャンデーを奢らせ、私はさっさとバス停に向かう。

「用も済んだし、早めに帰ろっか」

 博物館の入場料に交通費。正直いって懐も寒い。今すぐ戻れば家で昼食も食べられる。とっても良い案だと思ったのに、葉月がションボリな風情になった。



 ❇︎❇︎❇︎



 学校前のバス停がごったがえす。もうすぐお昼。校内テストが終わるまであと一日。私とユイナは駅ビルでランチを調達して、午後からは塾で自習の予定だ。

 平日の空いたバスが停まる。車内が母校の生徒で埋まる。後から乗車したユイナが私の背をつつくまでは、景色は惰性に染まっていた。

(奈々見て、真後ろの席!)

 ユイナは興奮の抑えきれない声で

(太田葉月さんが乗ってるよー! しかも私服!)

 そう呟くと、端末で検索を始めた。

(ああ、太田さんとこ、今日は開校記念日なんだ。いいなあ。ウチらはテスト中なのに)

 私たちの通う中高一貫校と太田さんの通う県立高では、スケジュールが微妙に違う。彼は光陽高校陸上部の三年で、去年は県代表にもなった。同じく母校の陸上部に所属する私たちも、彼の勇姿は予選会でお馴染みだ。

 特にユイナは彼のファンだ。長身に加え、キリッとした眉に甘めの垂れ目が絶妙だそうだ。

(バスに乗ってどこに行ってたんだろ)

(この手前だったら市民公園じゃないかな)

(あの隣の女の子誰だろ)

(仲良しさんじゃないかな)

(スッキリした感じのひとだね。並んでいるとお似合いだ。うん、いいね!)

 同校の生徒で一気に混雑した車内。お互いの端末でやりとりしながら、私はユイナの横顔を盗み見る。小柄なユイナのおつむが私の肩越しに見える。平静を装いつつも心がニコニコしているのが判る。なんて可愛いんだろう。

 こんなに愛らしいのにユイナはいつも、「カレカノなんて面倒くさい」と、好意を寄せる男子をバッサリ切る。二次元の推しが多すぎて、太田さんへの欲もないらしい。

「時々お見かけするだけで充分だよ。市内に三次元の推しが居て嬉しい」

 差し詰め今日も(見ちゃってラッキー!)程度だろう。楽しそうで何よりだ。

 ユイナは明るくてカラッとしていて、無駄に背のあるボンヤリな私とは正反対。彼女は私の理想の女の子。こんなに素敵な子と仲良しで嬉しい。

 私たちは駅ビルに着くまで、ずっと端末でお喋りしていた。

(奈々は駅ビルで何買うか決めた?)(まだ)(良かったらミスド行かない?)

 私はOKマークのスタンプを返す。見上げたユイナがニコッと笑う。

 駅ビル前のバス停で殆どの乗客が降りた。太田さん達は降りなかった。



 ❇︎❇︎❇︎



 成績が伸び悩んだのにも関わらず、通学圏内の工学部所属が許された。忙しい授業の合間に単発バイトをこなし、隙を見て自動車免許を取得した。合同陸上サークルの新歓コンパと二年幹事の選出を無事済ませ、その勢いで実験レポートをやっつけたら、連休後半がぽっかり空いた。

 プライベートが空白になったのは久しぶりだ。

 地元国立大に通うサツキはボランティアサークルで忙しいと言った。

「明日暇なの? だったら賑やかしに見においでよ。美味しいモノ出てるよ」

 やり取りに乗せられて足を運んでみたはいいけれど、等の本人は何処だろう。


 市民公園のオーガニックマートは年々盛り上がりを見せている。出店舗はセンス良く、客層はお洒落カップルや親子連れ、上品そうなおひとりさま。遠来客も居るようだ。

 苦学生には居心地が良くない。サツキから聞いた時は、もっと気楽なイベントだと思っていた。

 学部の関わった産直物のブースがあるとも聞いた。確かにあった。けれど目立つ店舗は有機野菜、珍しい品種の花、国産小麦の酵母パンと焼き菓子。イタリア惣菜に小さなワイン。こだわりのパッケージで見栄えも良く、割高価格なのに何処も行列。既にソールドアウトの札が揺れる店も有る。

 昼どき、持ち合わせに乏しい民は途方に暮れる。サツキは何してるんだろう? 本人はOBに駆り出されたと言っていた。バイト料は現物支給だけど、お洒落ランチボックスだから楽しみだと。

 簡単に会えると思った自分は浅はかだったか。


 スパイスカレーと有機コーヒーの香りは食欲をそそる。日差しが高くなるにつれ気温も上がる。凝ったガラス瓶の有機サイダーを横目に、持ち込みのミネラルウオーターをそっと飲む。

 休憩コーナーも盛況だ。食事の済んだこども達が噴水広部に行きたがっている。席が空くかと思ったが、すぐに次のご家族連れが来るだろう。

 独り者は大人しくしよう。サツキも関わっている事だし、些少なりともお金も落とそう。

 目についたベーグルサンドの列に並んだら、後ろから声が掛かった。

「やっと来た。遅かったね。今起きたの?」

 サツキだ。ゆるい白シャツとダメージデニムに薄青のエプロン。裏方同士、博物館裏のベンチで昼食を済ませてきた、美味しかったと笑った。

 そうか、やっぱり短慮だった。一緒に過ごすだなんて無理に決まってる。自分だってバイト先に友人が来たらどうだ。

「ここのお店、アンチョビサンドが評判なんだよ。葉月ってアンチョビ大丈夫?」

「塩っぱい鰯だっけ」

「そうそう、油漬け」

 試してみてよと肩をたたくと、サツキは自分の持ち場とやらに戻っていった。本部連に居たそうだ。

 サツキは昔よりうんと柔らかく笑う。首筋にひかる華奢でシンプルなネックレスに胸が少し痛む。

 それでも顔が見られてホッとした。年を重ねる毎に、少しずつ違う世界を持つ。



 ❇︎❇︎❇︎



 太田さんと一緒にバスに乗っていた人だとすぐ分かった。それだけあの時の印象が強かった証だ。

 兄が連れてきた歴代彼女の中でダントツに親ウケが良いのは、無駄な色気の無さと心根を表す真っ直ぐな瞳だろう。あの時「スッキリした感じ」と思ったマイ観察眼を讃えたい。

 それにしてもタイミングが良くない。奈々から太田さんとの別れ話を聞いたのはつい先日だ。

 彼女の手土産を皆で和やかにいただいた後、「宿題がある」と言い訳して自室に籠もった。余計なことはしたくなかった。


 高校時代、奈々はチビッコでおっちょこちょいな私を、やたらと褒めてくれた。

「でもウザいでしょ。落ち着きがないって叱られっぱなしなんだ」

「全然。とっても可愛いよ。それに側にいるだけで私、すごく和んでいられるよ」

 背の高い奈々の落ち着いた低い声に、逆に私はどんなに救われたか。

 それから本人は決して認めなかったけれど、奈々が太田さんに本気なのは痛いほど判った。表に出してしまえば楽だろうに、彼女は妙なところで壁を作った。

 だから代わりに私が騒いだ。無責任な方が大きな声が出せるから。太田さんは他校生なんだもの、私といる時くらい、奈々にはリラックスして欲しかった。


 別々の大学に進学した後も、奈々とはずっと仲良しだ。陸上イベントで太田さんと接点が出来たと聞いた時は、我が事のように飛び上がった。

「来たね奈々! 太田さんと仲良くなるチャンスだよ!」

「なんで……ユイナの方が太田さんを好きだったじゃない」

「前から言ってるけど、私のイチオシは二次なの。太田さんじゃないの。てか、奈々にこそ幸せになって欲しいの!」

 クソデカ声で本音を言えた。

「だから奈々、太田さんにはうんと素直にね、素直にね」

 今度こそ自分の気持ちに正直にね。私は何度も言った。

「え、待って、素直って……私、どうすればいいの?」

 戸惑う奈々を前に、やいやい騒いでしまった。自分も大した経験がある訳じゃ無いけど、何故だろう、他人の事はよく判る。因みに私は薄い本関連で忙しいので、是非とも静観してほしい。

 その後の奈々は勇気を出した。太田さんと少しずつ関わって、少しずつ仲良くなった。がんばって頑張って、とうとうお付き合いが始まったと聞いた年末、私は両手をあげて喜んだ。嬉しくて涙も出た。大好きな奈々にはうんと幸せになってもらわなきゃ嫌なんだ。良い子は報われないといけないんだ。

 その後の様子もくまなく聞いた。残念ながら恋の寿命は短めだったけど、奈々が大好きなひとと関われて良かったと心から思う。当人はまだ辛いだろうから外野は沈黙を守るけれど、経験は宝だ。奈々の大きな第一歩だ。

 太田さんとの関わりは、奈々にとって、どんな色に見えたろう。


 今の奈々に、兄の今カノの正体は言いにくい。あの兄が初めて真剣に、真面目に付き合っているのも何となく。

 ボランティアサークルの後輩と聞いた。自然の流れでそうなったらしいけど、プレゼント選びに付き合わされたのも初めてだ。

「なんで私が。女の子とのやり取りは熟知してるでしょ」

「今までは面倒で『一緒に選ぼう』って言って、店に出向いてたんだ。でも今回はちゃんとサプライズしたいんだよ」

「面倒って。酷い」

「なんで? 『一緒に選ぶ時間』もプレゼントしてあげてたんだよ」

 なんという上から目線。歴代カノジョは怒りに震えよ。実妹として、女子代表として、小一時間ほど叱ったけれど、兄には全くわかるまい。身内から見ても無駄な華やかさがあり、幼稚園時代から常に女の子に囲まれていたから。

 その兄が初めて押す側に立つ。喜ばしいけど相手が相手だ。世間はなんて狭いんだろう。

 プレゼント選びの報酬パスタをパクつきながら私は聞いた。

「サツキさんの何処が気に入ったの?」

「常にニュートラルであろうと自制する姿勢。いつも落ち着いてるんだ」

 兄は尊敬のこもったキラキラした眼差しで呟いた。

 盲目かもしれないと私はくさす。サツキさんは本当の自分を出せているだろうか。だって、バスの中での、太田さんの隣のいた時のサツキさんの様子。まるで無防備な、きっと自宅のリビングではこんな顔なのかな? と思わせた、ほどけた気配。

 わざわざ言うことでもないから黙っていた。高校時代の奈々を思い出した。



 ❇︎❇︎❇︎



 ジ・エンドについて想いを馳せる。通勤電車に揺られながら柄にもなく憂う。何処で間違えたのだろう。女の子のあしらいは得手のつもりだったのに、自分が押す側になると勝手が違った。何処で間違えたのだろう。

 何度でも問う。何処で間違えたのだろう。線路の音で電車が長い橋を渡っていることに気付く。増水した河の淀んだ流れを眺める。


 やっと足を踏み入れた大きな街、微量の矜持を蹴散らす社畜ライフは何処まで続くのだろう。

「リカバリーは俺等の仕事だ。君は都会の水で洗われてる最中なんだから」

 最初にフォローをくれた優しい先輩は、後に体調不良で戦線離脱。直ぐ上の先輩は要領の良いヒトで、直属の上司の顔色は山の天気だ。

 出来ない自分は図太く開き直る。出来る人の後ろをついて回る。偉い人の気配を見て、動きと言葉に気を配って、守備範囲を増やすべく努力する。

 敬語と建前。それは決して己を偽る訳ではない。小さな社会をまわす為だ。


 人の波に流される自分はさぞかし散漫だろう。

 らしくない。消える時は消えるし終わる時はおわる。今までだったらさっくり切り替えて先に進んだ。現に次の気配は既にある。さっさとそちらに行けばいい。彼女にだって、待ち受けていた誰かが隣を狙うかもしれない……誰かが向かうかもしれない。

 乗り換えの駅で降りる。長いエスカレーターで地下に潜る。

(仕方なかったろ)(タイミングだよ、全部)(忙しかっただろ)(仕事覚えなきゃいけなかったろ)

 出来の悪いイナカモノの七転八倒。

 敬語が少しずつ減ってゆく姿が嬉しかった。どこまで遡ればやり直せただろう。

(カノジョも仕事覚えなきゃいけなかったろ)(こっちのお守りばっかりさせちゃいけなかっただろ)

 もう良い先輩じゃなくなった自分はさぞかしガッカリされただろうな。


 就活を終えた妹から、友達と旅行すると連絡が入った。

「友達と?」「そう、奈々と」

 家によく遊びに来ていた、背の高い落ち着いた女の子だ。

「私たち、やっとスケジュールが合ったから、今のうちに遊んでおくの。お兄ちゃん、何処か良さそうなとこ教えて。ちゃんと案内もしてね」

 そうなんだよ、軽率で軽薄な作業は己の最も得意とするところだよ。今ドキの女の子たちが喜びそうな場所を検索した。色々と煩い妹なので、お伺いのメッセージも送った。


 結果、お高いアフタヌーンティーをご馳走する羽目になった。三人おのぼりさん気分で、でもお行儀良く、楽しく過ごした。ナントカと煙は高いところが大好きなので、某タワーにも足を伸ばした。

 食事時と重なったお陰で、混雑の緩和された土曜の展望台。夕暮れと共に明かりが灯る街。四方八方に流れてゆく車のライト。

 妹と奈々ちゃんが奏でる地元訛りのお喋りは耳に心地いい。同時に思い出す何かがほろ苦い。

「そういえばこの間、バイト先で聞いたんだけど」

 だのに何故この穏やかなシチュエーションのなかで、デカい爆弾が落ちるのだろう。

「サツキさん、太田さんと付き合いだしたらしいよ。ふたりは幼馴染みなんだって」

 こんなに酷い妹からの仕打ちは、幼い頃に破壊された巨大レゴ模型以来か。その場で石化したのも無理はない。胸の傷は決して乾いてはいない。


 聞こえてくるのは奈々ちゃんの声だ。

「ええとユイナ、太田さんと……誰が?」

「サツキさん。奈々は覚えてないかな。高校の時にバスの中で見かけたひと。この間までお兄ちゃんと付き合ってたんだよ」

「待て」

 つい地声が出た。

「ユイナ、ちょっと待て。オレまだ胸が痛いんだよ。それに太田ってどこの誰」

「え、お兄ちゃん太田さん知らないの? てか、まだ癒えてなかったの? もう随分経つじゃない!」

 妹はデリカシーについて学んでくれ。ご馳走した恩を仇でかえすのは辞めてくれ。

「だって私だって、この場で言わなかったら、もっと言いにくくなるじゃないよ!」

 妹は更に「ずっと黙っていたんだよ」と言ったが、何を黙っていたんだ。自分の立場しか考えない妹の口を、誰か塞いでやってくれ。

 でも確かに聞かねばならない話なら、この流れで良かったのかもしれない。奈々ちゃんが目を丸くしてこちらを見ているが、自分だって今更ながら、格好つける術もない。

 奈々ちゃんが何故か小さな声で「ユイナがごめんね」とオレに言った。実は私もほんの少し、太田さんと付き合っていたと、慰めのようにオレに告げた。

 意外な話に一瞬、痛みを忘れた。そうか。奈々ちゃんも誰かと付き合ったりするのか。そりゃまあ、当然だろうけど。

 それでもって太田という輩は、一体どこの誰なんだ。


「そんな訳だから、私たちは二次会に入ろうか」

 妹はブクマしていたお洒落カフェの画像を見せ、大きな声でその場を仕切った。

「このお店に行ったらお兄ちゃん、今日はもういいからね。ちゃんと私たちをホテルまで送ってね。後ね、お母さんにお兄ちゃんの下宿先の様子を見てこいって言われてるの。明日見せてね」

「ホントもうマジで勘弁して。それから母さんには、下宿先はひたすら汚いだけだから安心してって言っといて」

「そうだね。そんな傷があったんじゃ、女の子の心配もなさげだね」

 あけすけな兄妹の応酬を、奈々ちゃんが気の毒そうに聞いていた。


 田舎は狭く、誰かの動向なんて何時でもどなたにでもお見通しだ。現にせっかく脱出した都会にまで、身内は塩を塗りに来る。

 世間も狭く、街は混雑している。見失わぬように迷わぬように、誰かの後に付いて行く。

 妹は先走って、人波に呑まれぬようにと、無駄な早足でちょこまか歩く。オレは「はぐれないように」と奈々ちゃんの腕を取って、せっかちな妹を追いかける。

 ここからなら地下鉄で行った方が早いと、妹の背中に向かって大声を出した。振り返った妹が慌てて戻った。奈々ちゃんが心底ホッとしたように、オレの隣で小さく笑った。





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