ジャムはかく語りき
学食でコウヨウから受け取った紙袋はいつにも増して重かった。
「今回のママゾン多くない?」
「親心だと思うよ」
中身はレトルト食品にパックご飯、根菜類、地元特産の林檎ジャムと肉味噌の瓶詰だ。硝子の瓶が肩寄せあってカチンカチンと鳴いている。
「嵩張るモノばっかりでごめんね」
「いいよ。おばさんにはちゃんと連絡いれてな」
コウヨウは教科書だらけの黒のリュックを背負い直すと、午後からの授業のある一番遠くの棟に戻っていった。
コウヨウを見送る私の隣で、同じ学部の友人が
「いいなあマリは。コウヨウと幼馴染で」
と呟くので、いつでも代わるよと淡々と返した。これは私達のやり取りを見かけた女子全員とのルーティンだ。今までに何度この儀式を交わした事か。
でも自然の摂理だ。コウヨウは昔からキラキラで、しかもその光は益々強くなる。雄雌問わずあらゆる生物を引き寄せるその様は、いっそ壮観でもある。
あらためて紙袋の中身を見る。無添加を謳う薄茶色の林檎ジャム、多分これは本当はコウヨウ宛の品だろう。甘いものが好きな私に、コウヨウが譲ってくれたのだ。
コウヨウの実家からの仕送り荷物には必ず私への物資が入っていた。同時に私の仕送りにはコウヨウの分が。理由は私達の母親が親友同士だからだ。それぞれが地元で結婚出産、生活環境が似通った事も幸いし、その後も着々と交流を重ねている。
特に私達の大学の合格発表時の狂気は乱舞半端なかった。入学式では共に並んで座り校歌を起立して拝聴し、校門前での記念写真も腕組む浮き足ぶりだったのだ。
「恥ずかしいなあ。私と違ってコウヨウは医学部なんだよ」
「そんなの外から見たらわかんないわ」
「全っ然違うよ!」
「ともかくお互いの大事なコドモが家を出て一人暮らしをするんだもの。私達は心配でたまらないのよ」
それは子として大変有難く、同時にとても申し訳ない。
「二人が同じ大学で本当に良かったわ」
内容を再度確認して頂きたい。
「就職も是非二人とも地元に戻ってきて欲しいわ!」
それこそ真っ先に手放さねばならぬ願望だ。我が故郷は日本有数の面積のあり過ぎる市、つまりは由緒正しい山奥の過疎地区だ。コウヨウなら医療貢献の可能性も有りそうだけれど、私の生きる道は無いに等しい。
仕送り荷物を鞄に突っ込んでいるとまた他のコの視線を感じたので、私達は幼馴染の世襲ですよと念を返しておいた。宿命は私の責任ではないですよ。本当に代わって差し上げても一向に構わないですよ。
ああ面倒くさい面倒くさい。私は私で青春があるのです。所属する文系学部の旅行サークルは大層ユルいのです。この週末はタカノ先輩との乗り鉄デートです。お付き合い一カ月で青春真っ盛りなのです。煌めくコウヨウとは圧倒的に違うけど、でも私は私なりに、楽しくゆるやかに前を向いているのだ。
その日は華やかな五月晴れだった。天然好青年のタカノ先輩は、改札前で切符を用意して待機してくれていた。
「途中でICカードが使えなくなるから」
「安定の田舎旅行ですね」
エヘヘと笑いあう私達はサークル公認の小動物系無害カップルだ。早起きして作った朝ごはん弁当を手渡すと、先輩は嬉しそうにありがとうと言ってくれた。
古い私鉄を買い取ったローカル線の車両は、ノタノタとホームに入ってきた。乗客もまばらな土曜早朝。県境のトンネルを抜けると車窓には美しい田園風景が広がった。開墾を始めたばかりの茶色の畑、レンゲソウが咲き乱れているピンクの草原、朝日に輝く眩しい水田。
「わあ、春のパッチワークだあ」
「うん、綺麗だね」
光る青空の下、豊穣への歩みを始めた田畑は爽やか過ぎて写真に撮る間も惜しいくらい。この目で脳裏に移さなければ勿体ない。農道を行く白い軽トラさえ疾走する馬の様に美しい。
「お弁当、全部美味しいよ。ウインナーに卵焼きに鮭と梅とおかかと……あ、これは肉味噌?」
「気に入って貰えて良かった。肉味噌は母から送られてきた田舎の名物なんです」
「そうなんだ。そうやって聞くと余計に美味いな」
車内で食べやすい様にと全部一口サイズに揃えた定番お惣菜とおむすびだ。思わず有頂天になる。
「マリの故郷もこんな感じの景色なの?」
「全然違いますよ。山間部だし高速道路が開通した時にめっちゃ整地されて、人も減るばっかりで」
「え、そうなの?」
「でもこの景色を見てたら判ります。農業だってこういう平地の方が作業も流通もスムーズだもの」
「段々畑は先人の知恵の賜物だよ。過疎化は難しい問題だよね」
タカノ先輩は寂しそうに言った。先輩は古き良き日本の田園風景や民衆学が大好きだ。
「その景色、いつか見たいな」
タカノ先輩のその小さな呟きを私は聞き逃さなかった。勿論、心の中で都合よく捉えた。でも今までの非モテ人生が災いし、気の利いた可愛いリアクションはまるで取れなかった。大変遺憾だった。
盆地中央に位置する城下町が今回の目的地だ。市内を散策し石垣美しいお城を拝観すれば、あっという間にお昼を回る。
「ごめんな。折角来たのに」
「気にしないでください。それより急ぎましょう」
私達は慌ただしく城下町の串団子と黒蜜きな粉氷を平らげた。先輩は古い私鉄車両が大好きなので、午後からは別のローカル線にも乗る予定だ。そこではマニア垂涎のレア車両が未だ活躍中だとか。
私は旅行サークル所属とはいえ先輩程のガチでは無い。車両のディティールの差にもさほど興味が無く、路線全制覇の執着も無い。誰かの後をついて行く位が丁度いい。
駅に戻りそのレア車両に目指し、今度はダム湖沿いの単線をコトコト行く。廃線の噂強い短い盲腸線だ。終点まで往復するだけが目的なので、私は途中で眠くなってしまった。でも先輩は心底満足だったらしい。今日の中で一番嬉しかったのかもしれない。
乗り鉄デートから戻った私達の学生街の駅前広場は、地方都市なりに待ち合わせの人で溢れていた。
「はー。呑み会メンばっかだな」
「土曜の夜だし、どこもきっと新歓ですね」
大学のコも沢山いそうだねと喋っていたら、後ろから私を呼ぶ声がした。
「ようマリ、ホッペが日焼けじゃん。今日はサークルだった?」
がっつりとコウヨウに会ってしまった。背が高いコウヨウは人波からもニョッキリ頭が飛び出ている。医学部の陸上競技部のジャージ着用という事は、彼等もこれから新歓だろう。駅前ですらピカピカ目立つ。タカノ先輩の顔が引き攣った。
私とコウヨウとのやり取りはアッサリとしたものだ。
(マリのカレシ?)(サークルの先輩)(ん、わかった)(何がわかったの?)
くだけた物言いの同郷挨拶。土曜日らしく近くの居酒屋の呼び込みの声は騒がしく、焼き鳥の匂いは流れ、ネットで評判のラーメン屋には人が溢れている。
コウヨウは「じゃあな」と片手を上げると、ジャージ仲間と人混みの向こうに去っていった。
タカノ先輩の表情は強固だった。いつもと違う強張った空気。
(どうしたんだろう。何が気に入らなかったの?)
このご機嫌の悪さはナニ? こういうシチュエーションって初めてだ。どうにも焦る。焦り過ぎて、逆に普段なら緊張して言えない台詞も飛び出した。
「よかったらこのまま晩御飯も行きましょうか」
自分の言葉に自分が驚く。先輩も慌てて我に返った。それから急いで「そうだね」と言った。再起動という感じがピッタリだ。二人でギクシャクと次の行動に移る。
予算が無いので駅ビルのオジサマ御用達ぽい安い居酒屋を選んだ。ここなら同じ学校のコにも会わないだろう。カウンターの隅に並んで座る。お通しの枝豆が少し乾いていた。
梅サワーとカルピスをそれぞれと、空揚げだのポテトだのを摘まみながら、たわいもない話を交わす。お城の石垣は綺麗だったねとか、ダム湖の増水は怖かったねとか。だけど何処かぎこちなくて、義務的に交互にカードを出し合う感じがする。本当に知りたい話題は奥底で有るみたいな。
メニューに肉味噌握りがあった。
「あっ、食べてみたい」
「マリにはお馴染みなんじゃない?」
「地元のとどう違うのかと思って。半分コしませんか」
自分なりに気も配る。
「そういえば今朝のお弁当に使った肉味噌はさっき会ったコの仕送りに入って届いたんです。私達は同郷で、母親同士が仲良しなんですよ」
「さっき会ったコ?」
「ジャージの、医学部陸部の」
「ふうん、」
ふうん、だって。
「そうなんだ」
そうなんだ、だって。でもタカノ先輩、気付いてますか。コウヨウと会ってからずっと怖い顔ですよ。
(まさか先輩、コウヨウ関係で何かあったとか)
嫌な予感しかしない。ものすごーく、嫌な予感しかしないのだった。
お察しなのだった。先輩の元カノは何かの折にコウヨウに心奪われたらしい。それがキッカケで二人は別れ、現在は元カノも別の男子と交際中だとか。
「アイツ、オレの事全然覚えてなかったな。去年あんなに揉めたのに」
コウヨウを『アイツ』呼ばわりなのは剣呑だ。
「でも先輩達のお別れにコウヨウは直接関係なかったんじゃ」
「確かに直接関係無くてもさ、あの時は三人でかなりイレギュラーなやり取りをしたぜ。馬鹿にしてんよな」
怒りが蒸し返されたのか、かなり口調が尖っていた。
「だけど元カノはコウヨウにフラれたんだし、もう全部終わった話なんでしょう?」
私だって幼馴染として弁護してしまう。そもそもそんな話題を振られても困る。何故楽しいデートの終わりにこんなネタ。
だが先輩こそ、こちらの事などまるでお構い無しだった。延々と愚痴が出る。
「アイツっていつもこんなに失礼なの?」
「失礼も何も……先輩とコウヨウは今は関わりは無いですし、もう気にしない方がいいですよ。第一コウヨウは昔から恐ろしくモテるんです。いつ何処で誰にモテたかなんていちいち覚えてないと思います」
先輩にとって私の言葉は全てが刃だが、事実は残酷でしかない。先輩はコウヨウに負けた自分を未だ受け入れられていないのだ。打ちのめされる先輩のオーラは悲哀の色しか出ない。
私はコウヨウに惚れる女の子をゴマンと見てきた。同時に屍と化してのたうち回るダンシも山程見てきた。コウヨウ観察者の私と先輩と間には既に、お友達コースしか、道は無い。
「オレ達はちゃんと仲良くしよう」
やり取りを帳消しさせたい先輩は、帰り際に私の手を握ろうとした。恋の鎮魂を紛らわす姑息さが臭う。
「あ、いけない、バスが来ちゃう。じゃあおやすみなさい」
コウヨウは関係なくてもいずれ先輩は振られたかも。私はバリアーを貼るかの如く手を振ると、静かにバスに乗り込んだ。駅の繁華街から大学近くの下宿街への道のりは侘しく空しく暗い。オマケに蒸し暑いのに車内の冷房が入っていない。気付けばデッカい蛾まで同乗している。鱗粉は勘弁してほしい。
後日コウヨウからまた林檎のジャムをお裾分けされた訳だが、私の下宿には前回の分が未開封のまま残っている。
コウヨウに先輩の一件を聞いてみたところ、やはり彼は覚えていなかった。
「どっかで見たことあるヒトだとは思ったけど」
「……だよねー」
それ以外の言葉は出なかった。
「それよりコウヨウ、もうこうやって私に気を遣わなくてもいいよ」
「え?」
「ジャム。コドモじゃないんだからさ」
「なんで? もう甘い物好きじゃなくなった?」
(そうじゃないけど、散々貰いすぎてるから)
我が人生の糖分の殆どが林檎ジャムで賄われているといっても過言ではない。コウヨウは何かある毎に私にジャムを寄越す。じゃなかった、コウヨウからジャムを貰う度に、私の身に何かが起こる。大概がコウヨウがらみの面倒だ。ジャムは慰問品と化している。
月末、私の下宿に宅配が届いた。今度は私の母からの仕送り荷物。私用の荷物と共に、コウヨウ宛のも詰まっている。中にはまた件のジャム。コウヨウのお母様はこの特産物が全て私に流れている事を承知しているのだろうか。
大学進学がコウヨウと離れるチャンスだった。でもコウヨウに罪は無い。彼は少しでも親の負担を減らす為、地元から一番近い公立医学部に見事合格した孝行息子だ。私といえば成績がギリギリまで低迷し志望学部も二転三転、滑り込みでやっと一番偏差値の低い学部に潜り込んだ親不孝女子。入学式で母親が狂気乱舞したのはそのせいだ。全て自分の至らなさ故。
さて今度はこの荷物をコウヨウに渡さねばならない。明日学校で会えるだろうか。先にこの林檎ジャムを私が貰っておくのはどうだろう。今後一切、全て先に納入させていただいた方が、色々合理的でいいのでは。
コウヨウの日々増す光は、私の現実を煌々と照らす。
「その方が無駄に悪い虫もつかなくていいわ。コウヨウ君の様子から貴女の状況も見えるもの」
コウヨウをなんだと思ってるんだ。母の認識はかなりずれている。
「何よりアナタは早く事実を受け入れてちゃんと自分を磨きなさいよ。ただでさえ怠け者なんだから」
現実はいつも残酷なのだった。
「あー二人が同じ大学で本当に良かったわあー」
母の本音は辛辣なのだった。
しかし置かれた場所で咲こうとすると、日が当たりすぎて芽が枯れる。譲られた林檎ジャムの瓶詰は、青春の負債となって私の前にうず高く積まれる。美味しく消費出来ていなくて非常に申し訳ない限りだ。
大量の林檎ジャムを冷凍パイシートによって半円形に包み、可愛い林檎パイにした。それをコウヨウファンの級友達に売り飛ばす算段だ。中高時代にも何度かこなし、毎回完売だったのは私のささやかな成功体験。だけどそれは全てコウヨウのブランド故で、まるで大木に絡みつく蔓草だ。
「ちゃんと自分を磨きなさい」
母の言葉が胸をつく。干からびるしか道はなく、寄生するのも情けない。ジャムはいつでも優しく甘いけれど、私の進む道は果てしなく畝っているのだった。
おしまい




