ラ・フランス・ダンス
ヒカリは陰気なネコみたいだった。いつも重そうな前髪をピンで留め、その下の奥二重で周りをヒタと見ていた。でもどこが魅力なのか私にはさっぱり理解出来なかった。協調性もなくはないけど、物静かで極めて地味に見えた。むしろ派手な身なりのコ達からは底辺扱いだったはずだ。
だけど一見無難なモノこそ厄介なんだろう。トモは背が高くてスポーツ万能で、小学校の時からバスに乗ると必ず後ろの席の中央にどっかり座って周りを睥睨するタイプ。そんな武丈夫が骨抜きにされてゆくのは「事実は小説よりも奇なり」の実例そのものだったから。
初めてヒカリを見た時、トモは無性に苛めたくなったそうだ。目が合う機会が増えてどうにも我慢が出来なくなったと言った。とにかく絡もうと昼休みの教室の片隅にわざと追い込んだ時、その瞬間、ヒカリはオドオドするどころか真っ直ぐな視線をトモに投げかけてきたとか。その風情に気圧されている間に胸元まで接近され
「綺麗な喉仏」
指で顎から下を撫でられ
「あ、コリって感じがする。やっぱ骨なんだ」
笑われて、トモはあっさりと籠絡されたとか。中二の夏休み前。その様子を目の当たりにした取り巻きの男子が驚愕の表情でふれまわって、その後クラス中が大騒ぎになったから私も覚えている。
アンバランスなカップル誕生は初手から圧倒的にトモの負けだった。最初から無意識の中で性的に魅了されていたのだと敗者の弁を聞かされ、ウンザリした当時の私。
「ばかじゃん」
「指が色っぽくてさ、いちいち囁かれてさ」
「トモがあほじゃん!」
あんな陰気臭い眼つきに落とされるなんて、底が浅いにも程がある。トモはもっと雄々しい筈だった。自分で自分の価値を落とした事に何故気付かなかったんだろう。その後ヒカリのポジションが嫌われるどころか飛躍的に上がったのも、自分的には「ヤられた」としか感じられなかった。
そのヒカリが違うオトコと結婚してしまったのがどうしても乗り越えられない大馬鹿野郎がこちらにおります。
「今度その話を蒸し返したら千円払ってね」
「なんでオレ、今まで何度もフラれたんだと思う?」
「縁が無いからに相違ありませんはい二万えん」
「なんで値段あがるんだよ!」
「ウザイからハイパーインフレにした」
だいたい今トモはどこに居るんですか。私の部屋ですよね。
「だって中二だろ、高校に入っても二回付き合って、その後社会人になる前にちょっとだぜ、普通こんなに何度も無くね?」
「ホーント、言いように弄ばれてたよねーご苦労様。はい三万」
「そんなんじゃねーよ!」
「そうなんだよもう認めなよ女々しいな! てかゼニ払えよ耳揃えて!」
ヒカリがオトコ切れしてた時のツナギにされ続けていた事実をもう受け入れろよ小麦粉野郎。
ああ、昔は格好よかったのに。いや、今でもトモのルックスは落ちてはいない。でも精神が泥臭く肥ってしまった。無駄な執着という脂肪をタップリ付けた老年になってしまった。昔の甘美に怠惰に溺れる無様さが許せない。とんでもない下種になってしまったコイツを切り刻んで作り直せないものだろうか。
その結婚式の二次会に呼ばれてしまった今宵のお人好しな私達、そして同級生達。
誰もが目が虚ろだった。何故ならトモ以外の私達全員はヒカリのトモに対する悪行を把握していたからだ。
当のヒカリはサラリとしたものだ。難関公務員男子を速攻で陥落、その後の見事な勝ち逃げ。魔性のオンナ上級編に、トモが敵う筈がない。
「オレだって公務員なのに」
「そうだねモテる筈だね内容はアレだけどね」
「国家一種ってなんだよ何するんだよ。警官の方が市井の味方じゃねえか。制服格好いいじゃねえか」
「はいはいどっちも難関です。だから早く気持ちを切り替えろ」
最初はトモの味方をしていた同級生達も目に余る引き摺りブリに呆れ、毅然と出来ないトモの自業自得という結論に達してしまった。トモとヒカリに関する社交からは一切手を引く事にした。
だからこそ、私も毅然とするべきだ。今夜でお終いにするべきだ。今までに何度慰めただろう。最近ボーナスで買い替えたフカフカの高級羽毛布団はシングルサイズ。トモに来られると足が背中が出て寒い。こんなオトコに優しくするんじゃなかった。神社の野良猫を保護した方が私の日常は潤うに違いない。
「もう、今夜はちゃんと帰りなよ」
脱ぎ捨てたポールスミスのスーツは皺くちゃだけど知らない。さっさと次に向かうべきだ。トモも私も。
「こんな時間に?」
「そうだよ」
どんな時間でもどんな空模様でも仕切り直すべきだ。
「コーヒーいれるから、飲んだら帰って。それからもう来ないで」
トモだって狡い事に気付くべきだ。
「トモは確かにヒカリに利用され続けていたけど、でもその度にトモは私の事を気楽に使ったよね。こういう連鎖は酷いよね」
気付いている筈だ。 トモは暫く黙って突っ立った後、「ごめん」と言って静かに部屋から出て行った。
静寂にまた打ちのめされて、少し泣いた後、二次会の景品で貰ったワイングラスを割って捨てた。引っ越しもしないといけない。何度も来たトモの形跡を消したい。
高校の時にヒカリに食って掛かったことがある。堂々巡りが辛くて、トモに酷い事をするなと青臭い意見をぶつけたことがある。
だけどヒカリはあっさりと論破した。
「トモの気持ちも貴女の気持ちも、それは私の責任には出来ない。お互い強くなって欲しい」
正論が悔しかった。勝手に盛り上がったり落ちたりするのは自分のせい。
だけど、その通りだけれど、私はそんな合理的なヒカリが嫌いで仕方がない。結婚式二次会も断ればよかった。だけどトモが心配で出かけてしまった。ううん、トモがちゃんと諦めるのを見届けたかった。私こそ余分な執着でズブズブと肥っている。駄目なモノ同志で何かある度に戯れた代替品同士。
トモからズレたメールが届く。
『迷惑かけたから、今度何かあったら手伝う』
これが無駄な時間を過ごしてしまった自分の戦績。返信は勿論しない。ベッドに潜る。布団の買い換えも、あと少し待てばよかったとまた泣いた。
泣きながら、ズレた私の道を早急に組み直さねばと冷静に分析した。手放すと決めたら楽な筈だ。無駄が多かった自分も赦そう。煩い端末の着信を無視して、クッションの中に突っ込んで眠った。朝方は静かだ。起きてみると頭が重い。
一番グズグズで馬鹿だったのは私になります。大いなる変化を求めたいと思います。
おしまい