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白い花ふる

 落葉掃きが私の秋祭りだった。箒は華やかに奏で踊り、焚き火にくべる山栗は爆ぜ、音で穢れを豪快に祓う。つるべ落としの暗闇に慌て、箒を走らせ息が弾む。胸の鼓動がドンドン騒ぐ。

「何故ナツノにあんなことをさせるのだ。使用人はどうした」

 陰気に見えたのか、お父様がきつく問うのを聞いたが、

「あれは自ら好んで掃いているのです。庭掃除が楽しいらしいですよ」

 お母様の静かな返しを前に黙ってしまわれた。兄弟姉妹中で私だけが、祖母に育てられていたからだろうか。

「ですから後は私どもがやりますから、お嬢様はお部屋でお利口になさっていてくださいまし」

 乳母には小声で諭される。

「お嬢様はこの家に入られてからずっと、お気遣いなさっておいでですものね。お身体を動かす時間が気兼ね無いのもお察し致しますけれども」

 だけど私は落ち葉が好きだ。どの形でもカラリと薄く、いかな状況も「はいよ」とこなす。履かれても焼かれても「あ、そう、じゃあね」と冬に向かう。受け止め熟すそのかるさが、私は羨ましかったのだ。


 羨ましかった。目を開けた途端、うつつの位置がわからない。外が明るい。近くの畦道をこども達が駆ける音がする。お昼過ぎだろうか。

 最近はとみに空白の時間が増えて、目を閉じると直ぐ昔に戻る。今は落ち葉掃きをしていた。床に就く今の私が眺める庭の若い木蓮。か細い枝の先を見て、夢が思い出と繋げたようだ。春先、その木は細い枝なりに幾つか花を付けた。蕾は白い鳥が停まるようで、開くと羽ばたく動作に見えた。

 横になる。怠け者の証。咳込むと仰向けの状態が辛く、俯せの姿勢から少しずつ半身起こす。髪がザラリと乱れて落ちる。仕事の出来ない強張った腕。乾いた爪。張りのない肌。震えて箸も取りこぼす指。

 夏に産んだ娘は大きくなっているかしら。今日はユキジさんから文が届いた。お養父さまからは滋養のあるスープを。私は恵まれている。


 私は恵まれている。お父様は立派な将校だ。祖母に預けられた理由は存ぜぬけれど、恥じない生活をいただけた。当時五高に在学中のユキジさんとの縁談も、私の為だったと思う。

「軍の同期の優秀なご子息だよ。十七と十四では若すぎるが」

 誰にも異論がなかったのが答えだったと思う。

 お母様は私を疎んじる。下校時に男子学生に付き纏われ付け文を渡された時、

「こども風情が変に色気づいて。みっともない」

「そうですよ。お嬢様がどこのお家の方なのか、身の程知らずもいいとこです」

 乳母が誤魔化そうとも、ほこ先は私だったから。

 誰もが円満になる為にお父様に計らいをいただいた私は、とても恵まれているのだ。


 また意識が飛んでいた。硝子窓を通る緩い日差しから、今度は婚礼の日のさざめく時間だ。

 新調した畳、日の当たる部屋、真新しい箪笥と華奢な鏡台。木蓮の花びらの手触りの淑やかな花嫁衣装。ひと回り以上歳の離れたお義姉様達のくださる、晴れの日に相応しい空気。

「まあ綺麗な花嫁さん。ナツノさんのお目ってなんて大きいの? ピカピカ光るのね。まるでランプみたい」

「お背も高いからきっと夜道も明るいわよ。ユキジ、綺麗に照らして貰えてよかったわね」

 明るく私に軽口を言い、うら若い花婿のユキジさんを冷やかした。だけどユキジさんの真のお気持ちはわからない。私達はこの日初めて会った。

 初めて授かる御役目だ。良い妻になりたい。ユキジさんは大学に進む。きっと渡航もされる。婚礼の後はまた五高の寮に戻られるので、一緒に住むのはずっと先。それまでに私はご義両親から跡取りの嫁としてのお教えをいただく。上の女学校への進学は、私が何処に出ても恥ずかしくないようにと、ユキジさんがお気遣いくださったと聞いた。

 私は頑張ろうと思っていた。足を引っ張らぬ様、十二分に尽くしたいと。


 だのにまるで尽くせていない。頑張ろうと思っていたのに。

 今日に届いた分厚い文は新婚当時のものと似ている。五高の寮から婚家に何度も届いた書面。あの頃と同じく私を労わる挨拶から始まり、最近のご自分のお話や、私が出した文への返信がある。至らぬ私にも解るように、全て優しく書いてある。

『具合が良くないばかりでは心が退屈でしょう。貴女の文章は面白いから、随筆をお書きになると好いでしょう。添削しますから送ってください』

 ここに来てすぐの頃に促され、早速幾つか同封した駄作。直してお知り合いの同人誌に掲載してくださった。私の分身が軽やかな木の葉になれた気がした素敵なお見舞い。

 そう思えば、新婚当時のやり取りはもっと幼稚で稚拙だった。きっと可愛らしかった。私はたわいのない、女学校や普段の自分の話。慣れてきたら小さな思い出達の話。ユキジさんからも学校のご様子、自室に鎮座する顕微鏡の事、幼い頃からお義父様について彼方此方に引っ越された話。

 それから、昔むかし祖母から聞いて夜眠れなくなった山姥の話を私が書き送った時、返信には『この地方にも類似の言い伝えがあります』と、またそれが懇切丁寧に書かれていて、その夜私は怖くて眠れなくなって。苦情を書いたら『ならば言い伝えの話題は止しましょう。それはそうと、学校の裏山には幽霊が出るのですが……』としたためてあったので、この文も夜は開けなくなって。

 郵便が届くのが何よりの楽しみで。落ち葉の時期を待つように、その時間をそわそわと過ごして。下宿先から投函された手紙が私の元に届くのに、汽車と船、その後また汽車に揺られてくる時間差が、何かを醸しているようで。

 やり取りに慣れた頃、思い切って『私のどこを気に入ってくださったのですか』と聞いてみたけれど、返信は『友人が女学生時代の貴女の事を知っていましたよ』と、全くちぐはぐで。いつもどんな話題でも上手に表現なさるのに。あの時は何を醸していたのだろう。


 結婚してから二年も過ぎて、ユキジさんの人となりがようやく見えた共住み。先の秋に大学入学で上京し、学生生活にも慣れた葉桜の時期。下宿先が狭くて汚いので別の借家に移りたかったのに、次の斡旋先も日当たりも殆ど無い長屋。仲介人に苦情を言えども、体よく丸め込まれて。

 雨が多い年。酷い居心地。只でさえ慣れない都で生活が上手く回せないのも災いし、二人とも順ぐりに風邪を引いた。特に私の咳がしつこく残った。

 酷い喧嘩をしたのもこの時期。

「貴女は感情の強いひとだね」

「私の育ちが悪いと仰るの?」

「そうは言ってない」

「仰ってるじゃありませんか!」

 くって掛かって泣いてしまった。祖母育ちで躾が足りないから、女学校にも行かせたのでしょう?

「そういう話では一切無い!」

 ユキジさんは怒って出てしまわれた。私はまた泣く。泣き腫らした顔で夕餉の支度をしていたら、ユキジさんは金鍔を懐に入れて帰ってきた。金鍔はもう冷えていた。

 一緒に暮らしてわかること。あの方は育ちが良すぎて浮世離れしている事、賢すぎて時々私に呆れている事、勉強はとても忙しいのか、帰ってこない夜も多々有ること。

 良くないけれど、私は拗ねる。他に頼れる人がいないから。それから、寂しいのが嫌だから。だけど家の仕事はちゃんとした。お義母さまから丁寧に教わったから。「きちんと尽くすのですよ」と、御役目を頂いていたから。

 ようやく探し直した借家は学校にも通いやすく、待望の小さな庭もあった。前後して授かったので、桂庵からお手伝いもお願いし、落ち着いた頃、庭先に小菊を植えた。

 咳がどうにもしつこくて、喉が切れて血が出た日。悪いモノではないか、お腹に障るのではと怖くて仕方なかった日。ユキジさんがお医者で大丈夫だと聞いてきてくださり、冷やさない様にとお義母さまから温かい羽織が届いた日。秋口に庭の小菊が咲いた日。

 そうだ。共住みはわずか数か月だった。嫌な予感があたってしまい、あの小さな庭の梅が咲く前に、私だけ此処に来たのだ。跡取りに大事があってはならぬと、海の見えるこの小さな家に私だけが。

 あれからまだ一年もたってはいない。産後も悪かったから仕方ない。だけど随分前から此処にいる気がする。


 ……あの頃は楽しかったですね。それから、お返事に困る事を、何度もぶつけてしまってごめんなさいね。ユキジさんに「大丈夫だ」と言ってもらえれば、万事平気になれたのです。

 最初に血を吐いた時、それを見た貴方のお顔が真っ青になって、「絶望」という表情を、私は知る事となりました。同時に私も今まで色んな節目にそんな顔を、色んな方に見せてきたとも、気が付くことが出来ました。お育てくださったお祖母様とか、心配してくださったお父様だとか。それから、沢山貴方にも。

 でも私は運が良くて、いつも助けていただけて、本当は大変じゃないと思うのです。今だって、皆さまに病がうつらぬ様、空気のよい島のお家にいられて、お食事にもお着替えにも困りません。私は恵まれておりますね。

 娘は元気でしょうか。殆ど抱く事も出来ぬままでしたが、おちちが張って苦しかったですが、離れてよかったと思っています。ユキジさんともあまり一緒に住めてはいませんが、移さず済めてよかったのです。

 今度この近くの浜を御舟で渡るのは何時になりましょう。なかなか会えぬのが切のうございますが、貴方のお身体が何より大切です。次を楽しみにしています。

 春先には白いハンケチを振って合図をしました。本当はあの時は、庭の木蓮の花びらを試したかった。でも花びらは振ると破れてしまう。秋口に庭に咲く小菊はどうかしら。でもお花を振るなんて乱暴でしょうか。綺麗に見えそうだわと、一寸思ってみたのです……


 先日からしたためていた書面は文机の上にある。それを仕上げる前に先に文が届いてしまったので、もう一度最初から書き直そうかしら。

 投函の時間差で話題が少しずつずれる。でもそれも趣深いと、以前ユキジさんは笑っていらした。大学で研究されている学問の法則と似通う何かが有りそうだと説明されたけれど、私にはさっぱりわからなかった。

 分厚い封筒の中には綺麗な千代紙も同封してあった。

『以前住んでいた庭の枝に紙花をつけて遊んでいましたね。これから寒くなって、そちらの庭の木が寂しくないよう、これでまた飾ってください』

 そうでしたね。あの小さな家を出る少し前、紙の花を幾つか拵えて、庭の梅の木に張り付けていました。春を楽しみにしていたのにそれが叶わず、戯れをしたのでした。

 けれどこの庭の木は木蓮ですよ。梅の木ではありませんよと以前お伝えしたけれど。お忘れなのでしょう。あんなに賢い方なのに。それとも庭木に興味がないのかしら。

 呼吸をする時、器官の様子に注意をしないと上手く息が通らないので、もう一度向きを変えて起き上がる。咳込まないように、ゆっくりと空気を、肺の奥とお腹の下に送り込む。

 ふと共住みしていた時に出かけた冬の植物園を、一緒に歩いた時の事を思い出す。硝子が遠くからでもピカピカ光る温室があった。歩道沿いには様々な木が。小さい子供遊園の前も通った。団栗が落ちていて、それ以上に、落ち葉がずっと落ちていた。それを踏んだ感触。共鳴する私達の足音。

 やっぱり楽しかったですね。あの時はとても楽しかった。また一緒に住みましょうね。植物園にもお出かけしましょうね。春と夏と、秋にもきっと参りましょう。今度は娘も連れて、三人で行きましょうね。

 そうだ。今度ユキジさんの乗るお舟に手を振る時は、紙の花を振ってみよう。また枝に綺麗な紙の花を沢山つけよう。ぶんぶん振るとカサカサ鳴って、さらさら軽やかで、花祭りの代わりになります。

 あの日一緒に歩いた植物園の落ち葉をお掃除するのには、一体どれ位掛かるだろう。ユキジさんに聞いたら、難しい算術で説明してくださるかもしれない。


 やっぱりお手紙を書き直そうと思う。明日はちゃんと起きようと思う。私は落ち葉がとても好きだけれども、本当は綺麗な花びらも、とてもとても好きなのです。




 おしまい

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