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あなたと話した日

 金魚なのだそうだ。私の事である。美しいだけで煮ても焼いても食えない、そんな役立たずという意味だそうだ。

 しかし私の外見は金魚には程遠く、中身は悲しいほど当てはまる。不器量で地黒で身体も弱く、何をするにも手が掛かる。纏う運気の禍々しさで、小さな虫すら寄り付かない。

 そんな娘が隣国の祭祀の主に嫁ぐのが、領土奪回への布石だそうだ。

 因果は数十年前の負け戦だ。肥沃な土地を全て奪われ、此処は食足らざる集落に溢れた。代々の首長は巫女の神託にすがり、六百年に一度巡る『滅亡を呼ぶ星回り』に運を託す。其の夜その時刻に産まれた女児を、神殿預かりとしたという。


 私が出生を知ったのは七つを数えた春だったか。

「そんな事は出来ません、巫女さま、私には出来ません!」

「いいえ、大丈夫」

「何故そう仰るのですか」

「そういう星を持っているからです。厄はお役目だからです」

 老いた巫女さまは私を指差し言い放つ。

「貴女はこの地の業をその身に溜める事が出来る。あの地にそれを放つ事が出来る」

 それが私の命を活かす最良の道なのだと。

 本当に何もしなくてもいいそうだ。嫁いでそこに住む。さすればそれだけで、あのクニの中枢から根が腐る。

「それが証拠に貴女の住まう神殿、御簾の周りには、負を漏らさぬ結界が張ってある」

 結界。暗い御簾の間。私自身が猛毒と言う。私は人柱だと。

 足りない頭ながらも納得する様、その日まで常々言い聞かされた。それしか選べなかった。


 十六を数える二十三夜明けの早春、似非金魚として着飾られ、由緒正しい産まれと偽られ、栗色の馬の背に乗せられた。

 裾の鈴がシャラシャラ鳴る。クニの祝いなので、今宵は全ての民に酒と祝い餅が振るまわれる。これから先、私が去った先、誰もがひもじくないといい。痩せた黄色い台地を見ながら私は泣いた。禍々しい日射しだって、私が居ねばきっと治まる。早く行けと言うかの如く、乾いた砂がゴオゴオと舞う。


 隣国の祭祀の主は豪族直系の、柔和な笑顔の色白く細い方だった。涼しげな目元に整った鼻梁、上品な口元は見目麗しく、どちらが嫁だかわからない。

 懸念もあった。婿さまは強い神通力を持つ。ならば企ても御見通しだろう。きっと私は処分される。焼かれるか埋められるか。でもそれも良かろうとも、腹の奥で浅慮によぎる。

 だが婿さまは私を見ても顔色ひとつ変えず、小さく「難儀だったな」と仰った。

 難儀。誰が。私が? 何故。言われた事の無い言葉。何かが溶けそうになって、慌てて弾く。

(いいえ!)

 心中で強く跳ね返す。違う。これは違う。難儀とは私への労りではない。私自身がこのクニにとって難儀なのだ。慈愛の言葉は甘いけれど、でもこれが彼の術だ。私の使命を蹴散らせる罠。

(そうよ、これは罠よ、きっと)

 悪い存在の自分。けれど使命は有る筈だ。封印された御簾の間で堪えて生きた。クニの栄華に繋げる為に、誰もがひもじくない為に。それが一番正しい筈だから。

 だから私の存在はともかく、私自身は、決して難儀じゃない筈だ。


 婿さまの執り行う祭祀は多く、日常の殆どを潔斎に費やす。

「私は何をお手伝いすれば」

「まだ嫁いで日が浅い。まずは此処に慣れてください」

 自身が穢れている故なのに、婿さまは決して厭わない。

 食事も婿さまと共に朝夕いただく。豊かな地ならばさぞかしと思っていれば、漆の器には少しの葉物や木の実や雑穀、質素極まりない。けれども食材の拵えは細やかで、同じ品、例えば雑穀の餅ひとつでも、我がクニで食したモノとはまるで違う。

 女官に問うと、拵えに少しのコツがあるという。

 その拵えを私のクニに伝えたら。心潤う技術を下々までにも行き渡らせば。でもこれが余力の違い、両のクニの差だろうか。それともこれは誰もが周知で、御簾の中で育った私だけが、知らなかった事なのか。

「どうかしましたか」

 婿さまに話しかけられ、畏れ多くて下を向く。膳を挟んで向き合う事すらも、申し訳なくて仕方ない。

「今日の餅は殊の外美味しいですね」

「はい」

「これを干したのも良いです。日持ちがして味も落ちない」

「乾餅、もあるのですか」

「婚礼百か日の祝いには、両国全ての民に振る舞う予定です」

 皆にこんなに良いものが。やれ嬉しや、私が小さく息を呟くと、婿さまは優しくお笑いになった。婿さまはいつも美しく涼やかで、私は未だ不慣れだった。


 甘味が途切れる十日毎に、心尽しで何度か甘葛の揚げ団子を拵えた。

「馳走ですね。大層美味だ」

 婿さまに褒められ眩しくて、再びみたび下を向く。

 床入りも未だ先である。余所者の嫁は十月十日の月浴びをせねば、真の嫁にはなれぬという。

 それで構わなかった。寧ろ有り難かった。婿さまの存在は眩しくて苦しくて、私は辛くて仕方ない。あんなに美しい方を穢せない。私の負では汚せない。

(だって婿さまは美しいもの)

 在所の御簾内では季節の草花だけが私の癒しだった。散った花弁さえ机に並べ、色褪せるまで大事に愛でた。婿さまは花だ。毎早朝、婿さまと共に日の神に祈る。夜は侍女に付き添われ、白装束に身を包み、月の光を浴びる。


 日の光は心の奥に灯をともし、月の光はおのれの身体を祓うという。

 私の身体の芯が日増しに伸びる。地黒の肌も地黒なりに、きめ細やかさで覆われる。何より毛先や指先の負が消える。私は禍を纏っているのに。

(ならば、負は外に溢れている?)

 周囲が不幸になった気配は無い。ここには結界も無いのに。

(私はちゃんと人柱になっている?)

 チラチラ聞こえる政も良い話ばかり。故郷の為に私は役に立っているのだろうか。

「何か心配事が?」

 婿さまに聞かれ慌ててかぶりを振った。でも婿さまは御存知だろう。私の事も全て見越して、全てを察しているだろう。

 クニの様子がわからない。私の存在がわからない。

「御祝いです! 御祝いです!」

 女官達の声が響いたのがその二日後だ。婿さまが戸を開けて空を眺め、クニの気を見通す。何の御祝いなのだろう。


「今さっき、両のクニが統合になりました」

 両のクニ。婿さまの話す言葉が心を貫いた。

「何処と、何処がですか」

「貴女の故郷と、我がクニが」

 このクニと私のクニが。このクニが私のクニを。私のクニは取られたのか。全てを奪われたのか。

「極めて平和的な統合です。今首長達がこれからの政について話し合っています」

「うそ」

「嘘じゃありませんよ」

 私は青ざめているだろう。日はいつも以上に明るく空は高く、木々は美しくそよいでいる。小鳥の囀りは華やかで愛らしい。婿さまは私の顔を覗き込むと「本当に大丈夫ですか」と問うた。そして私の手をとると、斎場の西にある塔に連れていった。


 婿さまに手を取られたのは、この時が初めてだった。斎場に入ったのも、塔に登ったのも初めてだった。玉砂利を踏む、回廊に響く足音が、場の清らかさを知らしめた。

「御覧なさい」

 婿さまと同じ空気が斎場全てを覆っている。圧倒されていたら、婿さまは私のクニの方向を指差した。

「気が重なりあってゆく。今までよりも尚一層、美しくなってゆくでしょう」

 その気は美しかった。美しかった。蒼と青である。それは同じ様で、しかしどこか異なる気だ。

「大元はひとつだったのです」

 婿さまの声が低く響いた。

「だからこれでいいのです。元に戻るのです」

 私の力も何処かから抜ける。立っていられず座り込む。

「早急に全ての集落に手配が行きます。もう誰もひもじくありません。種植えの季節が来ます。その次は雨季です。今年はいつも以上に巡りも美しい。全てが潤うでしょう」

 婿さまの声が段々と遠くなり、代わりにザザザ、ザザザと何かが聞こえた。これは自分の芯の音だろうか。

 いつだったか話に聞いた、大河のさざ波というものは、きっとこんな風に胸に響くのだ。


 気を失っていたそうだ。気付いたら寝所にいた。「お目覚めになりました」と女官が声を掛けると、婿さまが扉を開けた。慌てて起きて髪を整えた。

「今何時ですか」

「日が一番上。まず気付けの水を」

 促され、漆の椀を口元に寄せる。冷たさが身体の芯を通り抜けると、ようやく此処に戻った気持ちになった。夢を見ていたのだろうか。何処から何処までが夢だろうか。胸の奥に、さざ波の音がまだ響く。

(そうか、クニがひとつになったんだ)

 まず私は、人柱として、何の役にも立たなかったのだ。

(でも何処かが不幸にはならなかったんだ)

 そう、災いは無かった。

(私のクニも、婿さまの鎮める此処も)

 私は災いをもたらさなかった。だから、誰もが幸せになった。無駄な血も流れず、無駄な罪も無かったのだ。よかった。それは良い事だ。素晴らしい事だ。誰かに災いが無くて、本当によかった。

(だけど、私の役割は?)

 巫女様に聞かされた私の意味。業の星の下に産まれた訳は。土地の咎を溜めた日々は。全部無意味だった? 私は無用で無能だった? そもそも私は何故此処に?

 そうだ、私は何をしているのだろう。何をしに来たのだろう。私は何の為にいるのだろうか。


 窓の外、番人達が良くない噂をしていた。私を育てた巫女さまの名を聞いた気がした。謀反だとか、反逆だとか。

「外の話は本当ですか」

 慌てて婿さまに聞いたのに、

「浅はかな振る舞いです。彼らはもうすぐ叱られる」

 眉をひそめる婿さまの返事はちぐはぐで、代わりに彼らを咎める誰かの声が聞こえた。その日の夜の始まりの藍は、殊の外美しいのだった。


 日々の空気は一層澄んで、日が落ちているのにも関わらず、空中に小さな金の粒子が浮かんで見える。小鳥達は眠らず、いつまでも騒ぎ鳴く。気が光り輝くからだ。空が大地が、くだらない垣根の消失を、心底喜んでいるからだ。

(婿さま)

 寝静まらない夜。御簾の向こうに女官は待機してはいるが、寝所の中で、私はまだ独りで居る。十月十日はまだこない。婿さまは遠くでお休みだ。

(婿さま)

 私は暗闇に向かい、言葉を放つ無礼も出来る。吐息が仔鬼になってしまいそう。

(私があのクニの業をすべて持ち寄ったから、あちらは綺麗になったのですね)

 だから私のクニは平和になったのですね。

(そして婿さまが、私の業を綺麗に祓ってくださっているのですね)

 だから私はここで、以前よりずっと平穏に暮らせているのですね。

 そんな気がする。私の業を、あのクニの業を、婿さまが清めてくださっていると思う。

(だって、幸せですもの)

 此処に来てからの私は、とてもとても幸せですもの。

 寝所は静かである。暗闇は穏やかである。私はまた目を閉じる。

 何の役にも立たない、妻として最悪の業を持つ私は、この後どうすればいいのか悟り、自分が消える為に祈る。


 私は日に日に小さくなる。生き物が徐々に色褪せ干涸びる様に、土に還る準備をする。だけど私は花ではないので、蟻でも黴でもやってきて、手早く処理して欲しいとも願う。

 負の象徴は人柱になり損ねた。婿さまが毎日お側に来てくださるが、どうかもう関わらないでほしい。

「そんなに急がずともいいのに。私と共に行けばいいのに」

 そんなに悲しい声で話しかけないでほしい。

「しかし私は要らぬのです。存じておいででしょう」

 お気になさらないでほしい。

「平穏なる和を感謝致します。この業も今後は無用、ここで消えるが何より重要」

「それはかの巫女の戯言です。貴女は言霊で呪をかけられています」

 心を尽くさないでほしい。

「いいえ、わかっておりますから」

 優しさが沁みて仕方無い。

「わかっておりますから」

 婿さまは黙ってしまわれる。

「居ても私は婿さまの足枷にしかなりません。しかし六百年に一度の業の星はまた巡ります。こんな目に遭うモノが二度と現れてはいけません。この星も消さなければ」

 婿さまは私の譫言を、黙って聞いておいでである。


 私はこと切れたら一度砂のように砕け、またひとつに固まる。星を散らし、小さな真緑の石となる。その後婿さまが、それを清める行をなす。

「一日くらい日が減っても、暦は時間を掛ければ揃います。何処にでも隙間は有るものだ」

 婿さまは私の手をとり、そう約束してくださった。

「その石を鎮めたら、私の胸に納めましょう」

 そうして今度は婿さまが不思議な語りをされる。

「長い時間でした。一度めは敵味方。二度目が隣人の友人、三度目が家族……しかしあまり仲良くはありませんでした」

 婿さまのお手は温かく、その体温を通じて何かが私に流れてくる。ひと粒ひと粒が細かく、しかしそれはそれぞれの風景を閉じ込めた粒子。遠い記録でもあるのだ。

「四度目からが夫婦です。楽しく充実した生、次は難しい出来事の連続の生、そして前回は周りを酷く汚した。それで今、その始末を」

 私は知らない出来事の記録の粒だ。

「しかしこれは私の業だ。貴女は降りていい」

 降りていい、その数多の粒子も見せてくれた。婿さまの為すべき事も。婿さまは婿さまとして、多くの何かを背負っておられる。

「重くないですか」

 それは重くはないですか。もう弱り切った私は声に乗せ損ねたが、婿さまには通じたようだ。

「今回はこういうもの、共に最後なので」

 だから大丈夫なのです、貴女はもう気にせず、その声に見送られ、私は終えられたのだった。


 石の箱に入り、民の積んだ石山に納められ、私は楽になった。そのずっと後に、終えた婿さまが私の横に入った。石山に草が生え樹々がそびえ、周囲の山々と溶け込んだ。その地はずっと安住であるようだ。人の数は増えたり減ったりしたけれど、日々は穏やかであるようだ。

 清められた真緑の石はずっと、婿さまの胸元にあった。決して誰も触れぬよう、小山はきつく閉じられた。

 私だった粒子の幾つは今、石の、土の狭間を抜け、空を存分に自在に踊る。婿さまだった粒子と混ざり、一緒になるのも幾つかある。物の道理は不思議なので、わからない原理に任せ、私達は進んでいる。藍色の空まで昇った粒は、また違ったモノになるらしい。

 私だったモノの幾つかはまだ婿さまを憶えていて、婿さまの話してくれた話を、時々掘り起こしては光る。幸せな反芻をする。それは新たな柔らかなモノを産み出す作業なので、私はそれが好きである。




 おしまい

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