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オニノコフラワー

 昨夜のメッセージで一気に肩の荷が降りた。高校生だって独りの方が気楽な時がある。

『ごめんね。シンジより好きなひとができたの』

『こちらこそ。ご希望に添えなくて』

 雑なやり取りだった。新しい朝が来た。空気の入れ替えにと部屋の窓を開ける。階下を見下ろすと歩道で立ちすくむ女性が見える。毎朝この時間に駅に向かうお姉さんだ。

「どうかしましたかー」

 声を掛けたら「ヒールをダメにしてしまって」と返ってきた。時間もあったので、接着剤を持って降りてみた。


「線路沿いの立地ではありますが、ここを通る電車はかなり減速しておりますので」

 昨年の夏休み、不動産屋の営業さんが汗を拭いながら話したのを覚えている。父が見つけた中古物件は私鉄始発駅まで歩いて五分。だが角部屋の四階が災いし、採光の間取りが間近の踏切の音をも全て受け入れてしまっていた。

「窓を開けなければ音も煩くありませんし」

「この窓は閉め切るのね。風が通らないのでは」

「実はその点も考慮致しまして、このお値段なのでございます。立地重視でお探しならば最適かと」

 母が苦い顔をしたが、自分の都合しか一切考えない父は買う気満々だった。

 その窓からは見事な雑木林が見えた。踏切を渡った向こう側に、乙亥きのとい古墳公園があるからだ。

 そして生活スタイルが変わった。そこが住まいになる間際に母の長年の堪忍袋の尾がブチリときれた。全ての原因は不貞を繰り返す父に有るので、情状酌量の余地は無い。

「進学費捻出の為にシンジはお父さんにつきなさい」

「なんで」

「お父さんは身勝手でしょ。私が貴方を引き取ったら養育費も滞ると思うの」

 とても見当がついた。

「でも貴方がここで同居して有名大学にでも受かれば、途端に自慢の息子に早変わりだろうな、って」

 手に取るように理解が出来た。

「将来の選択肢を増やすにはそれがいいと思うの。母さん独りじゃ奨学金を借りないといけなくなるし、でもあれは結局借金だし」

 だけど生活に困ったらいつでも母さんを頼るのよ。貴方の独り立ちまで我慢出来なくてゴメンね。晴れて社会人になれたら両親なんか遠慮なく捨てなさい。より良く巧く生きるのよ。

 そう詫びる母の独居は、自分の通う高校の近隣物件だ。登下校途中に合鍵を使って入ると、いつもその日の弁当や軽食が用意してあった。


 部屋の窓を見下ろすと踏切を渡る人々が見える。朝は通勤通学、夜は帰途を急ぐ人の波は興味深く、途切れぬ往来は見飽きない。

 しばらくして素敵な人を知った。話しかけたいと思っていた。その彼女が今朝、靴のヒールをいためて踏切手前で途方にくれていた訳だ。速攻で声を掛けたのは愚父の遺伝子だろうか。オノレの軽薄ぶりを祝したい。

「あ、接着剤じゃダメだ。ヒールにヒビがきてる」

「お気遣いありがとうございます。あの、でも、大丈夫ですよ。コンビニで何か探しますから」

「ご迷惑じゃなかったら、うちに要らない靴が」

「そんな申し訳ない」

「ちょっと待ってて。すぐだから」

 引っ越しに紛れていた母の品が役に立った。ワニのマークの黒パンプスはセールのタグ付きだ。サイズもなんとかなりそう。

「使用後は遠慮なく捨ててください」

「ありがとうございます、本当に!」

 その人はペコペコしながら駅に走っていった。仕事を頑張る人に見える。母みたいだと思った。


 夕方、我が家に評判の点心詰め合わせがやってきた。

「今朝は本当にありがとうございました。些少ですがこれを」

「うっわ旨そう!」

「今朝は遅刻出来なかったので本当に助かりました。お家の方にもよろしくお伝えください」

「とんでもない、こちらこそお気遣いをありがとうございます!」

 瞬間、彼女が自分の後ろに視線を泳がせるのがわかった。

「うち、散らかってるでしょ。母は別住みなんで」

「あ、ジロジロとごめんなさい、あの……小鳥がいた様な気がして」

「小鳥?」

「小さな青いものが、その、飛んでいたような」

「残念ながら可愛くはないんです。ツノもあるし、顔も怖いし」

 自分にとっては嬉しい展開だ。声を掛けてよかった。

「こいつなんです。アオリ!」

 そいつはバンバンと身体のバネをを効かせながら飛び跳ねると、自分の左肩にタシンと着地した。

「青いんでそのままアオリって呼んでます。どうも鬼の仔みたいで」

 絵本で見るような風貌だ。青い肌にモジャモジャの黒髪頭に小さな黄色いツノ、虎柄パンツ。手足が短く頭が大き目の可愛い体型で、高さは三〜四センチ程だろうか。顔はクシャっとした、パグみたいなブサカワだった。

 そいつは「仔」という表現に地団駄を踏んだ。もう大きいのだと言いたげに「きしゃー」と叫んだ。自分が「イテエ、こらヤメロ」と反応するのを、お姉さんは目を丸くして見ていた。

「ええと、アオリって名は、ひょっとしてアニメのキャラから?」

「そう、知ってます?」

「こどもの頃見てたわ」

 話が早い。ありがたい。

「それで、それも含めて、お姉さんに話しかけたいなあって思ってました」

「どうして」

「お姉さんも肩に鬼の仔連れてるよね」

 お姉さんが慌てて右肩を押さえた。でも隠せてはいなかった。

「うちの赤バージョンだ」

 お姉さんが困った顔をした。赤鬼が何かをお姉さんに言ったようで、お姉さんがピシャッと「静かに」と遮った。それから諦めた様に「この仔の事はアカリと呼んでいます」と、告白した。

 アオリと同じくアカリも、某アニメ番組の鬼のキャラクターそのままの名前なのだった。


 お姉さんの名前はマツリさん。昨年就職した四つ歳上で、ここから西南に位置する己亥つちのとい古墳の近所住みだそうだ。

「どうやらこの仔はその古墳山に住んでいたそうなの」

 マツリさんがアカリから聞いた話を要約すると、昨年の秋頃、己亥古墳の小山に西方から小さな天狗が侵略してきたのだそうだ。直後に先住の仔赤鬼、アカリとの間で陣地取りが勃発、昨年の節分でとうとう追い出されてしまったそうだ。

「だからアカリとの付き合いはまだ少しかな」

「節分って、やっぱ豆で追い払われたとか」

「昔は豆と鰯で攻撃されたそうだけど、最近は黒いこん棒状のモノで殴られるんですって」

 まさか恵方巻きだろうか。あの食文化は昭和時代に関西の寿司屋が仕掛けたイベントだそうだけど。

 とはいえ鬼といえばマイノリティの総称だ。古今東西勝てば官軍、小市民である社会的弱者としては、同情を禁じ得ない。

「じゃあ、アオリは何処の仔なんだろう」

「アカリが己亥古墳棲みだったなら、アオリちゃんはそこの乙亥古墳と関係があるかもしれないね。アカリ、仔鬼族のメッカは応塚おうつか古墳だって言ってたし」

「応塚古墳?」

 応塚古墳は文化庁の史跡名勝ナントカだ。大きくて立派な前方後円墳で、ここから向かって北西部の市街地にある。この地域の小学校では必ず高学年の遠足で行く。

「その話を聞いてから、何処かにアカリ以外にも仔鬼が居るのかなとは空想していたの。でもまさかこんな近くで会うなんて」

 マツリさんは感慨深げだった。

「シンジ君はいつからアオリちゃんと一緒に?」

「実はコイツ、オレが引っ越してくる前からここに居たみたいで」

 つまり、自分とアオリとは昨年末からの付き合いだ。

「共住みの父には視えないらしい。でもアオリを初めて見た時、この物件は鬼が出るから売却されかもとは思った」

「ああ、成る程」

 マツリさんも頷いた。アカリもアオリも今ではブサカワに思えるけれど、見慣れるまでには多少の時間が必要だからだ。

 さてここで改めて分かる事もある。アオリはアカリと比べて圧倒的に粗野で幼い。

「マツリさんは最初からアカリと話せたの?」

「うん、それにこの仔はこう見えて徳川時代の生まれなんだって。後ね、うちの家族もアカリが視えないらしいの」

 自分達は玄関先で話しているのに、仔鬼達は乱雑に室内を走り回って遊んでいる。仲間に会えて嬉しいのかもしれない。

「アオリはなんで話せないのかなあ」

「まだ小さくてヒトの言葉が理解出来ないのかしらね。だってほら、二人の間では問題なさそうだし」

 マツリさんも首をひねった。

「気になるでしょうから、折を見てアカリに聞いてみるね。アカリ、もう行くよ」

 アカリはすぐにマツリさんの元に戻った。また会いましょうと連絡先を交換し合ったのが、本日の大収穫だ。アオリも自分の肩に乗り、一緒に彼女達を見送ったのだった。


 乙亥古墳は実はとても小さい。直径二十メートル、高さは二〜四メートル程の円墳で、小山には数本の桜が立っている。そしてその桜の小山を囲むように、市民公園の緑が整備されている。登校前にマツリさんの話を参考にアオリを連れて来てみたのだが

「この古墳がオマエの故郷なんだってさ。憶えてるか?」

「しゃー」

 真冬の枯れ山風情の前でアオリは(寒い)と震えて訴えた。怒って飛び跳ねながら、独りで自宅マンションへ戻ってしまった。換気扇の隙間からでも侵入するのだろう。

 マツリさんに肩乗りするアカリと違い、アオリの行動範囲は著しく狭い。付いてくるのはマンション近くのコンビニまでか。まるで外を怖がる家猫だ。

 だが有難い事に、謎は一つずつ解けていく。マツリさんからのメッセージが届いたのは、登校途中に寄った母のアパートでの朝食中。

『おはよう。昨夜アカリに聞いたのだけど、アオリちゃんはやっぱり乙亥古墳の一族の出で、しかもまだ小さい仔なんだって』

(やっぱそうか。アカンボっぽいもんな)

 画面を操作しながら、母の用意してくれた野菜スープを飲んだ。母宅の東向きの窓からは、隣の寺の借景が美しく、梅の開花が待ち遠しい。

『言葉の理解が遅いのも、タマゴの時にはぐれたからかもしれないって。でも仔鬼のタマゴは苦いから、外敵に捕獲される事は無いそうだけど』

「タマゴ!」

 野菜スープと一緒に用意されていた卵トーストをじっと見る。知らなかった。仔鬼は卵胎生なのか。それから苦いのか。

『出身は肌の色でわかるんだって。昨日話した応塚古墳を中心として、応塚は黄色、東の方角にある乙亥古墳周辺のアオリちゃんが青、南になる己亥のアカリは赤、西は白、北が黒……』

「はー、方位学そのまんまなんだ」

 昔ゲームで覚えた雑学を思い出した。玄武や青龍、朱雀、白虎らが脳内で踊った。

 時間が無くて、簡単なお礼だけを打った。少し考えた後、もう一報入れた。

「今度の日曜に応塚古墳に行ってみるよ」

 行動に移した方がいいと思ったからだ。でもアオリは行くのを嫌がるだろう。考えあぐねていたら、マツリさんから返信があった。

『私達も一緒に行くよ。アオリちゃんはどうする?』

「行かせたいけど、アイツ、外は怖がるんだ」

『落ち着かせるのにいいモノがあるよ。試してみようか』

 マツリさん達は頼もしかった。


 日曜の朝のマンション前、マツリさんはアオリを見るなり、バッグから麻布のポーチを出してみせた。

「アカリはいつもリネンのハンカチに包まって寝るんだよ。リラックス効果が有るみたい」

 ポーチの口を開けると直ぐに、案の定アオリはダイブして、そのままスウスウと眠り出してしまった。

「本当だ」「ね」

 ポーチを優しくコートのポケットにしまう。アカリは今日も、マツリさんの肩の上に座っていた。



 バスで郊外に向かう。応塚古墳までは北西方面に三十分程で着く。航空写真で見ると二重壕跡もある立派な史跡で、小さい公園や管理センター、駐車場も完備されている。

 管理センターの資料室には、古墳時代初期らしい円筒埴輪がオブジェ代わりに並んで置いてあった。他にも勾玉やら什器やらが並んでいたけれど、仔鬼のヒントになる様な展示物は、当然ながら無かった。散策コースも回ってみる事にした。

 それにしても今日の仔鬼達は静かなものだ。アオリはずっとポーチの中で眠っているし、アカリもここに着いてからずっと、マツリさんのバッグの中から出て来ない。

「ここ、仔鬼達には敷居が高い場所なのかな。メッカだって言ってたけど」

「何処かに沢山居るんだろうね。オレ達も見張られてたりして」

 会話も思わず小声になる。それに今日は、マツリさんの印象が違って見える。

「……肩にアカリが乗っていないからかな?」

「えっ、ナニ?」

「マツリさんが毎朝見かけるヒトと違うヒトみたいで」

 マツリさんは驚いて、その後まじまじと自分を見た。それから「それは髪型と服のせいだよ」と言った。

 仕事の日は髪を纏めているけれど今日はダウンスタイルだとか、服もオフィス用ではなくてカジュアルだとか、そんな違いだそうだ。

「散策コースは墳墓を囲む柵を一周するんだね。寒いかな」

 足元の茶色いモコモコブーツが、街で見かける同級生みたいなんだ。


 冬木立の遊歩道は誰もいなかった。枯葉を踏み締める足音が響き、風に揺れる木々の音も混じる。空気は凛と澄んでいて、仔鬼が居てもおかしくない。

 歩く先に神社の様な門構えが見えてきた。前が鉄柵で閉じてある。応塚古墳は、前方部と後円部が接続する部分の左右に、造り出しと呼ばれる壇状の張り出しが発掘されているそうだ。その東側が現在の拝所で、横には教育委員会が建てた説明の看板が有る。

 だがそこだけ迫力が違った。生半可な気持ちで対峙したらいけないような気がする。背筋を伸ばした。

「空気がピリピリする」

 マツリさんが呟いた瞬間、耳元でキイキイとした声が聞こえた。

「あら珍しい、ヒトだわ、ヒトだわ!」

 同時に聞こえたので、二人同時にビクッとした。反射的に顔を見合わせた。すると自分の肩に、いつの間にか、黄色い仔鬼が立っていたのだった。


 その黄鬼はアカリ達と同じ位の大きさだ。しかしプックリと横にも大きく、テニスボールにも何処か似ていた。ついでに言うと、ウクレレがとても似合いそうだ。電器屋のキャラクターみたいな。

 黄鬼は小さな小さな糸閉じの和紙帳面を持っていた。

「まあまあアンタ達! 被災の仔を連れてきてくれたのかしら! 良い子ね! で、連れてきたのは何処の子? 最近だと南かしらね!」

 その声を聞いた途端、アカリが外に飛び出した。それを見るなり黄鬼は叫んだ。

「アンタが己亥の仔ね! 小天狗の襲来の件、聞いたわよ! 大変だったわね!」

 和紙帳面を捲りながら喚いた。

「でも無事に此処に来られてよかったわね! 入所希望でしょ!? 抽選が始まるから急いで!」

「入所希望?」

「あら、団地リノベーションの告知は見てないの!?」

 黄鬼は右手で耳元を触ると、目元で何かが反射した。よく見ると黄鬼は小さな小さな眼鏡も掛けていたのだ。

「管理室にモデルルームがあったでしょ! 人気なのよ! 円筒埴輪の再利用! ほらここ、国指定文化財で内部構造は殆ど未発掘でしょ! そこを利用して今回は西の張り出し六棟募集よ! 西棟なんでどうしても白鬼族が増えちゃうけどね!」

 資料室の円筒埴輪だ。あれはモデルルームだったのか。

「でも抽選に外れても大丈夫よ! 仮設住宅もあるからね! んん、そっちの仔は乙亥地区なのね! 今までどこに居たの!?」

 喋りながら黄鬼は今度は自分をジロジロ見た。なんでわかるんだろう。

「アンタ名は!?」

「シ、シンジです……」

「ヒトじゃなくて! その寝てる仔よ!」

 アオリの事だ。なんでもお見通しらしい。慌ててポーチを出すと、アオリがムニャムニャと言いながら這い出てきた。

「ああ、アンタはタマゴの仔でしょ! えっ、駅近マンションに居たの!? 独りだったの!? ああ! 大変だったわね!」

 黄鬼は涙を拭く仕草をした。

「あの辺でタマゴ産んじゃった青仔の届けは出てたのよ! ずっと隠れてたの!? でもあそこも昔は円墳だったのよ! ヒトが線路を作った時に潰しちゃって、青族も頑張って祟ったけど駄目だったの! でも貴方には縁のある土地だったのよ! 護られてたわね!」

 そう言って黄鬼はアオリを抱きしめた。

「ヒトの仔達! この仔達を連れて来てくれて偉かったわね! 感謝するわ! 加護を約束するわ! 気をつけて帰ってね!」

 自分達にも声高く言い放ち、糸綴じの和紙帳面を虎柄パンツに詰め込んだ。両手でアカリとアオリの手を繋ぎ、再び此方に

「じゃあね! 判ってるでしょうけどこの件は他言無用よ!」

 と叫ぶと、墳墓の森深くに走り出してしまった。

 一瞬アカリが此方を見た。アオリは黄鬼に引っ張られて前のめりになっていた。

「さあ、抽選会場に案内するわ! 二人でシェアしてもいいのよ! 最近は……!…鬼種も関係無……お若い方も……から……」

 独特の声がまた、うっすら聞こえた。けれどそれすらも、じきに遠くなっていった。


 乗客が自分達しかいない市営バスで、茫然としながらマツリさんと帰った。西の空が淡い朱に染まりつつある。日が長くなっている。寒いながらも春は近い。

「なんだか呆気ないね」

「なんだか寂しいね」

 まさか今日が仔鬼達とのお別れになるなんて、思ってもいなかった。

「でもマツリさん、ありがとう」

「え?」

「マツリさんのお陰でアオリは寂しくなくなった。あのままあの部屋に居る方が、ヤツは可哀想だったから」

「そんなこと……」

 言い掛けてマツリさんは黙った。暫くしてからやっと、

「私もアカリはこれで良かったと思う。だけど私達はやっぱり寂しいね。一緒に居たのはほんの少しだったけど」

 と、小さく呟いた。

 自分も正直堪えていた。両親が離婚してすぐの転居、その先に先住していたのがアオリなのだ。

「心の中に仔鬼型の穴が空いたみたいだ」

「本当だね」

 二人で小さく笑いあった。

 駅前のバス停で一緒に降りる。日曜日の夕方の駅前は人の流れも緩やかだ。明日の朝はアカリさんはまたあの踏切前の道を通って出勤する。自分は母親の家に寄った後、普通に学校に行く。そうだ。何も変わらない。変わらないけれど、寂しい。

「本当にありがとう」

「こちらこそ」

「マツリさんには今回デッカい借りが出来たから、困った時、オレに出来る事があったらなんでも言って」

「そんな、貸しだなんて、なんにも」

 でもそれから暫く顔を凝視されて、軽く焦った。

「えーと、どうかした?」

 どうにかなりそうだった。

「ひょっとしてシンジ君のお父様って、◯◯にお勤め?」

「そうだよ。え、なんで知ってるの?」

「マンションのネームプレートと……後、やっぱどこか似てるので……」

 その後しばしマツリさんは俯いて、意を決した様に一気に話し出したのだった。

「どうしよう……シンジ君に頼みたい事が、今見つかったの」


 聞けば愚父が、取引先に勤めるマツリさんを、何度も何度も食事に誘っていやがったのだった。困らせていたのだった。顔から火が出るとはこの事だ。

「も、申し訳ありません、本当に申し訳ありません!」

「いいえ、私こそ自意識過剰かもしれなくて、上手くかわせなくて……」

「いいえセクハラです! 何の申し開きも出来ません! 愚父には前科が有りますので!」

「いいえ、あの、お父様もシンジ君も、格好良いと思うよ。二人ともモテるでしょう」

 ただ私、二十以上も歳上の方はちょっと、と、苦しいフォローまで頂いてしまった。気を使わせてしまった。

(あのクソ親父……!)

 我が子と同世代をも誘うだなんて。しかも親子で好みが似ている事も発覚してしまったではないか。気恥ずかしさが倍増である。

「それで! オレは何したらいいでしょうか! オレから激しく叱責してもいいでしょうか!」

「いえ、それは私が言わなければ……あの、それで、その時に……実は私達は前からお友達なのだと……言ってもいいでしょうか……」

「それで断れるなら! オレの名前なぞ! 何時でもどうにでも使ってください!」

 喋り方があの黄鬼みたいになってきた。どうしてくれよう。


 後日、マツリさんからは「何事も無く済みました。ありがとう」と連絡があった。暫く愚父の自分に対する態度が恐ろしく挙動不審だったが、全力で無視してやった。

 朝、窓の下をアカリさんが颯爽と通勤して行くのを、何度も見かけた。マツリさんを見かけた後は、直ぐに視線を上げた。線路向こうの乙亥公園の緑を見て、不穏な心を落ち着かせた。

 ほの寂しいほろ苦さは、春の証拠なのだ。


 土曜日は学校で模試があったので、母の別宅に寄って朝食をとった。

 東側の窓から見える隣の寺の梅の木が、少しずつほころんでいた。一週間で随分開花が進んだ。雀達も沢山鳴いている。

 一輪だけ、紅い梅が咲いている。眺める為に窓を開け身を乗り出すと、

「きしゃー」

 すごい勢いで、何かが顔をに貼り付いた。

「うわ痛え! ヤメロ!」

 怒鳴ってそれを引っ剥がす。「きしゃー」って何だ。それにこの青いモノは何だ。なんて身に覚えのあるシチュエーションだろう。

「アオリ! なんで此処に!?」

 そう、貼り付いたのはアオリだ。紅い梅の花は、アカリの顔なのだった。そして自分はその時初めて、アカリから話しかけられた。か細く甲高く、大層な早口だ。

「団地の抽選、外れた」

「え、外れ」

「仮設住宅も、今は老鬼用と独身用しかなかった」

「老……」

「アオリもホームシックになったから、暫くコッチで一緒に住む事にした」

「コッチ?」

 それにしても二人、どうやって此処まで? そう思った瞬間、本堂の屋根にカラスが居るのが確認出来た。

「ひょっとしてあの鳥に乗せて貰ってきた?」

「うん」

「あれ、でも、ちょ、ま、アイツ、足が三本あ」

「うん!」

 まさかの八咫烏だ。真近で観たいじゃないか。窓から身を乗り出した。だのに、アホーと帰られてしまった。

(うわーじっくり観たかった!)

 ガッカリしていたら、本堂の方から誰かが近づいてきた。小声でアカリを探している。顔を向けたら、見た事のある女のひとが、目を丸くして自分を見ていた。

「そこもシンジ君のお家だったの?」

 この寺はマツリさんの家だったのか。梅の香りが涼やかだった。黄緑色や黒白の小鳥も飛んで来た。


 マツリさんの顔がほころんだので、自分も「あはは」と笑えた。アオリとアカリがぴょんぴょん跳ねた。

「また会っちゃったね」

「本当だね」

 でももう誰もが友達になっているので、皆で仲良く出来る。出来ると嬉しい。リネンのポーチも携帯すれば何処へでも行ける。行けると嬉しい。

「先日、お父様がシンジ君を自慢してたよ」

「あ、何て」

「オレと違って出来が良いんだ、だって」

 其れは嘘だと伝えたら、マツリさんが笑い飛ばしてくれた。でも本当なので吹き飛ばして欲しい。


 クシャッと笑うアカリとアオリの顔の大きさは、ちょうど梅の花と同じだった。ショボショボした顔立ちの仔鬼達は、鬼なのに福々しいのだった。





 おしまい

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