居る場所
私鉄駅の南口付近で古い流行歌を時々聞く。音源はカラオケ屋の自動ドアの開閉時だ。今日聞こえたのは高校の学祭で盛り上がった楽曲で、当時喧騒の中心に居たのはサッカー部のナツキだった。懐かしくてサビの部分を小さく口ずさみながら家路を急いだ。
遠方就職で同級生との関わりが少ない私でも、ナツキの事は折に触れ思い出していた。母校は毎年十数人を国公立大に進学させる県立の農業高校で、同世代の筆頭が彼だった。専攻は森林環境学、だのに在学中は何故か海を満喫したオトコ。北側の山脈を越えると日本海に出られたらしく、先輩後輩と共に波と戯れた日々だったとか。
「それ、全然森じゃないじゃん」
『グループワークが基本の学科なんだよ。という訳で海釣り面白いぞ。サワコ遊びに来る?』
「私は修行三昧です」
食品化学科から大手ホテルの製菓部門に就職した私は目の回る忙しさで、たまに交わすメッセージには羨望を通り越して大抵呆れた。でもナツキらしかった。高校時代は強豪部で散々絞られた後に片道十キロをチャリ通学。体力の有り余る彼にはぴったりの遊びだろう。
森林には私も縁があった。先月までの職場が避暑地に佇む某ホテルだったのだ。ナツキを連想したのも退社後の心の余裕だ。先週は留学中の友人にも会いに行き、そして年明けからは憧れの製菓店へ再就職。自由のきく独身の内に修行を重ねるライフプラン。
『いま暇だと聞いて』
だからナツキから連絡が来た時は何の予感かと慌てた。
「何で知ってるの」
『サトミちゃんから聞いたんだ。オレ、最近彼女とよく会うんで』
サトミとは夏に結婚した同級生の二次会で再会している。新婦から頼まれた御礼用のクッキーから話が弾み、その時に今後の予定も話していた。彼女の嫁ぎ先は県境の料理旅館。山奥の旧街道沿いの、風光明媚な観光地。
「サトミとよく会うって、ナツキは今何屋さんなの?」
『オレは県の森林組合。今はサトミちゃんの市に赴任中』
ナツキは森に戻っていた。
『実はサワコに相談があって。近所のケーキ屋のダンナが利き腕を骨折したんだよ』
「わ、大変!」
『完治まで少し掛かるらしくて。でもシュトーレンだっけ、白いデカイ焼菓子。あれ、急ぎで沢山焼かないといけないんだと』
シュトーレン。毎日少しずつ切って食べながらクリスマスを待ちわびる、美味しいドイツの伝統菓子。
『それで、もしよかったら手伝えないかな。かなり大変そうなんだけど』
店名を聞いて心が躍った。フランスで長年修行された有名な方の店舗なのだ。生み出す菓子はどれも素晴らしく濃厚で風味があって、口に入れた瞬間に良質な全材料がほろほろ分解する、風貌と食感が結びつかない、遠方からのお客様も多い、地方発送も順番待ちの。動悸息切れ目眩がおこる。
『なんでも二ヶ月以上前からナッツとか下準備してあったとかで。どうしても世に出したいんだと』
「それはそうだよ。是非焼かなくちゃ!」
アワアワと叫ぶ。
『じゃあ来れるか? 住み込みになっちゃうけど』
「はい、喜んで!」
某居酒屋の如く元気な返事をして、一番大きい鞄を出した。
「私、ワクイの家内です。この度は急なお願いをありがとうございます」
田舎の森の駅に迎えに来てくれたのは奥様だった。四輪駆動の自家用車はこの地域の冬の厳しさを物語る。
「あのホテルの製菓部にいらっしゃったそうですね。秋口にサトミさんが友人作だと言って、アイシングクッキーを分けてくれたんです。繊細で可愛くて、美味しかったです」
友人の結婚式に頼まれた品だ。サトミはこのお店の常連さんになっていた。
「ナツキ君もうちによく珈琲を飲みに来てくれるんですよ。それで主人の怪我を知って、サワコさんの事を」
それぞれが、私の話をしていたそうだ。
負傷中の職人ワクイさんは縦にも横にも大きなひとだ。雨といの掃除中に梯子の上でバランスを崩し、着地の際にうっかり手首を突いてしまったそうだ。奥様も同業者なので、今後暫くは奥様がご主人のご指示に従いメインを、他の間に合わない部分を私が補助すれば良いらしい。
「ただ、御存知でしょうがクリスマス商品が」
「なんなりと仰ってください!」
実は私にはクリスマス時期に休んでしまう後ろめたさがあったのだ。なんて立派な職業病。それに年明けの再就職に向けてのリハビリにもなるし、それ以上に勉強になる。願ったり叶ったりだ。
「居心地はどうよ?」
夜、閉店間際にナツキが訪ねてきた。
「お役に立てるかはわからないけれど、精一杯お勤めさせていただくよ」
「そっか。ここは街の大事なスイーツスポットだから頼むな」
作業着に日焼けした顔のナツキは精悍だった。高校時代も体育会系でゴツかったけれど、今はそこに社会人の腹強さが加わったような。そういえばナツキとリアルで会うのは随分久し振りだ。
高校時代に化学の授業で聞いた雑談を、ずっと忘れないでいる。
『大小などといった量的な事は誰でも見ればわかるけれど、目に見えない、質的な事は専門家でも解らない時がある。異論があっても、真の正解がまだ見つかっていなければ、権威の説に従わないといけなくなる……』
表現はアヤフヤだけれど、確かそんな内容だった。昔の有名な科学者の随筆集にあったクダリだそうだ。
私は就職後にその通りだと痛感した。例えば原材料だとか味のセンスだとか大事な原価とか。そういう見えない部分のカラクリと計算、戦略の困難を、とても考えさせられた。それから分かり易い肩書きの便利さ。勿論食していただければ全ての答えは出るけれど、そのゴールですらも様々な好みがあり、正解が無限にある。
このお店でもまた違う刺激を沢山受ける。現ボスの意向に合わせ、個性を消して職人になる。仕事をする時は美術の修復師の気持ちになるといいかもね。もっと若い頃、自分を抑えきれなくなる度に、同僚と話した事を思い出す。
閉店後、奥様はシュトーレンを入れる可愛い布帛の袋を縫っていた。私もラッピングに使う柊のコサージュや毛糸のブーケ制作で夜なべする。
「こんばんはーどうですかー」
仕事帰りらしいナツキが時々顔を出した。冷えた空気で鼻が赤い。
「ああ、良い人を連れてきてもらえたから助かってるよ」
「ワクイさん、本当ですかあ?」
「あらナツキ君、本当よ。やっぱり厳しいホテルで修行された方は違うわね。出来たらハイシーズン毎にお願いしたいくらい」
訝しむナツキを放って、お世辞に有頂天になる私。お役に立てれば嬉しいし、職人独自のアプローチを間近で見られるこの機会は、私にとっても幸運だ。
「ナツキ、ここを紹介してくれてありがとうね」
奥様に言われたモカエクレアとアップルパイを一つずつ袋に入れながら、私はナツキに言った。
「なんだ改まって」
「このお店、本当に勉強になるんだよ。はい、これは奥様から。お夜食にどうぞって」
包みを受け取るとナツキは少し黙った後に「それはよかった。ごちそうさま」と笑って、奥にも挨拶して帰った。
針仕事の途中、ご夫妻とナツキからの差し入れの蕎麦茶を煎れて楽しんだ。香ばしさが身に沁みる。
「えーと、サワコさんはナツキ君とは大学時代のお友達だったかな」
「いいえ、高校です」
「あ、そうなの?」
ワクイさんと奥様は私をしげしげと眺めて「大学の同級生なのかと思った」と言った。
「だって、サトミも同窓生ですよ」
「ああ、そうだった、ウッカリしてた」
そういえば自分が在学中によく「サワコは農高生らしくない」と指摘されていたのも思い出した。仲良しはちゃんといたのに、私は「雰囲気がこの学校と違う」らしかった。
煎れる前の蕎麦茶の実もイケると聞いてポリポリ齧る。この地域は蕎麦が名産だ。ご主人の腕の様子を見て、年末ギリギリまで居る事にした。
慌ただしく大量のシュトーレンを焼き、ギフト用の焼き菓子と、ジンジャーマンやリースのクッキーも沢山並べた。お渡しの始まるクリスマスケーキの準備に入り、作業は益々膨大になった。勝手が違うお店なので失敗もしてしまったが、ご主人や奥様の機転に助けられ、それもまた私の学びになった。
年末は誰もが慌ただしく、ナツキにも会えなかった。でもサトミには一度、ケーキを取りに来てくれた時に接客で会えた。サトミはもう地元の若奥様と化し、高校時代の賑やかさは内に秘め、旅館の若女将としての根付きが見えた。
だのにクチを開くとすぐに十代に戻る。
「サワコすごーいカッコいいー」
「えーナニが」
「だってプロみたいだよー」
カウンター越しに冷やかされ「サトミだって若女将みたいだよ」と返す遊び。同級生同士だとリアルの社会シーンと昔の姿がリンクするので、お互いがこそばゆい。
怒涛のクリスマスケーキ販売のケリがついた二十六日の夜、またナツキがやってきた。一番小さいケーキを予約していたのだ。直径十二センチのショートケーキ。
「ひとりで食べるの?」
「悪いか。朝飯代わりだ」
「嘘だ」と訝しんだら「今は堅実ですよ」と拗ねた。だけど本当だろうか。高校時代のナツキは女の子を取っ替え引っ替えしていた。私は何もなかったが、個人的に物珍しく眺めていた。例えばナツキは三年間クラス替えが無かった所にその組の女子の半分以上と縁が出来てしまい、同窓会に行き辛い所とか。何をやってもナツキだ。思い出すと笑える。ともあれケーキに罪は無いので、美味しくいただけますようにとおまじないをかけながら包装する。
そういえば高校時代、ナツキにも言われていた。「サワコってこの学校ぽくないよな」、それから「だから口説けねえなあ」とも。くだらない冗談だった。きっと生真面目過ぎて厄介という意味だっただろう。
年賀用の焼菓子詰め合わせを作り終えたら、ここの仕事もおしまい。きっとほの寂しくなるだろう。
店内のお正月用のディスプレーを終えてから、帰りの電車の時刻を調べた。「少ないけど」と渡された封筒には、それでも充分のお代があった。戸惑ったら、ワクイさんに「餞別も兼ねて」と言われた。
「またイチからなんだろ。とっときなさい」
ほんの僅かしかいなかったのに、もう私をいち後輩として言ってくださるのだ。胸がキュウとなって、ただ黙って頭を下げた。
駅まではナツキが職場の軽トラックで送ってくれる事になった。
「勉強になりました。お世話になりました」
「こちらこそ本当に助かりました。どうもありがとうね。こちらに来た時は是非また寄ってくださいね。それから独立する時は教えてね」
お二人に「次の店も頑張りなよ」と言っていただき、ジンワリしてしまう。業界の大変さを重々御存知なお二人の仕草は、いちいち胸に沁みる。
「早く独り立ち出来るよう、頑張ります」
「身体に気をつけてね。お元気で」
ナツキの運転する軽トラはグワングワンと加速した。私は窓を開けて、うんと身体を捻って手を振った。
「サワコ、すげえな」
「何が」
「ワクイさんって、なかなか人を褒めないぞ」
「お世辞が殆どだよ。ナツキやサトミとの御縁のお陰」と返したけれど、ナツキに聞こえただろうか。何しろ軽トラのエンジン音は煩いしナツキの運転はやや荒いし、そもそも軽トラは車体の前が無い分、加速がダイレクトでドキドキする。
「怖いなあ。ちょっとゆっくり走ってよ」
「サワコはいつも前を走るなあ」
同時に発した言葉は受け取りにくい。
「ナニが?」
「優秀なヤツは何しても光るってこと!」
ナツキがいつもと違う事を口走った。
「キモチわる。褒めても何も出ないよ」
「お前みたいなヤツこそ推薦枠使えばよかったのにな。オレなんかじゃなくて」
農高では、学年上位の成績優秀者と部活で健闘した生徒から順に、国立大の学校推薦枠の話があった。当時の私も部活等で活躍したナツキ達と同じ時期に、個別に話を貰っている。
「でも私、進路には満足してるよ」
就職希望を貫いたら、代わりに一番の大手枠を貰えた。あの不景気に上出来だった。勿論、世間で通用する「権威」について、考えなかった訳ではないけれど。
「うん、オレらより四年先にキャリア積んでんな。すげえな」
「ねえナツキ、ホントにいつもと違い過ぎてキモチ悪い」
「オレだって大人になってますからね」
駅に着いた。電車までには少し時間があった。降りるタイミングを少し逃した。
「サワコの新しい職場、どこで何時からだっけ」
「十日から県庁の北側の店で。有名だからググるとすぐ出てくるよ」
「じゃあ年明けに時間あるな。考えて欲しいんだけど」
将来出資させてくれと言われた。
「店舗兼住宅、建てるよ。檜をはじめとした資材は安く出来るし」
「お店だなんて……まだ考えられないよ!」
「目処だけでも立てとけよ」
ナツキってやっぱ変だ。
いやいや、ナツキは変わっていなかった。前からずっと変だった。私とは全然違う人間だとは思っていた。
だから私はいつも、ナツキを観ているだけで、充分楽しかった。
「だって、夢を見たいさ」
そんな博打みたいな台詞も楽しかった。
「せっかちは貧乏の元だよ。私の伸びしろも確認しなよ」
お商売がどれだけ難しいか、公人風情のナツキにはピンとこないだろう。勿論、日常は常に博打だけれど。
「あちらのお店にも喫茶スペースが有るから、珈琲飲みにおいで」
じゃあありがとう、やっと言えて、軽トラを降りた。その後ろでナツキが何かを言った。ふざけるのが好きなヤツなので、高校時代みたいだった。
「口説きに行くぞ」
高校時代と言われたことが違った。
返事に困って手だけを振った。駅周辺は静かだった。電車に乗る前に、お土産屋さんで新蕎麦を実家用にひとつ買った。乗車前に奥様にいただいた胚芽パンを食べたかったのに、ボンヤリしていて食べるキッカケを逃してしまった。
高校時代にもこんな気持ちになった事があった。大人になった自分達は、今度はどう動くだろう。それに次に会ったら、今度こそちゃんと説明してもらおう。私はどんな所が農高らしくなかったのか。
見えないものの中に、愉快な事が沢山隠れていそうだ。ナツキの御来店を想像して、勝手に口元が緩んだ。
おしまい




