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曇り空の家

  海沿いの荒野にたった一軒、ポツンと建っているのがそうだと聞いた。灰色の屋根の低い平屋は柱の古材は太く、土台の石細工が凝っていた。窓枠が海風で所々錆びていたけれど、今まで何度も塗り直している気配があった。

  人住みには適さないであろう場所に生活の厚み。周囲は波と風が絶え間無くざわめいて、生える植物も風に押さえつけられた灌木や固く低い草。晴れの日より曇りが多い、冬には流氷も届く寒くて厳しい土地。どうしてあっちゃんは此処を選んだのだろう。

「まさかサトル君が訪ねてくるなんて」

 燃料屋のトラックに便乗して訪問した僕に、心底驚かれた。

「あっちゃん、なんで歳とってないの?」

「シミも皺も白髪もちゃんとあるわよ。隠してるだけ」

 だけど昔とちっとも変わっていない。いや、増して綺麗になっていると誰もが思う。


 燃料屋は外のタンクを満たした後、慣れた様子でポリタンクをいくつも倉庫に運んだ。

「一ヶ月分?」

「二週間、もっと保つかな、定期的に来てくれるから」

 作業を終えてあっちゃんに丁寧に挨拶をして、そのトラックは去った。僕の帰りは少し後に来る予定の農家のトラックに頼んである。何日か分の野菜を届けるとか。

「街であっちゃんの名前を出したら何もかもが見事にスケジューリングされたよ。あっちゃん何者?」

「ここは不便でバスもタクシーもないもの。それに私も住みだしてそこそこ経つから。サトル君こそ今日はお仕事?」」

 僕が琥珀色の小瓶を渡すとあっちゃんは目を見張った。

「あら、これって」

「そう、口説けたよ」

 この地でしか採れない希少シロップは知る人ぞ知る商品で、バイヤー間で争奪戦になっている。

「やっとうちでも扱わせていただける事になって。でもお渡し出来るのは上得意様だけだな」

「サトル君こそナニ屋さん?」

 某社の名刺を両手で渡す。成る程といった笑顔を返される。

「じゃあ、此処には何度も来てたんだ」

「うん」

 本当はあっちゃんに会える機会を待っていた。先月の都内某所、華やかな空間での評判も聞いた。

「女優さんが居る、誰だろうと思ったら、あっちゃんだったって、古沢が」

「そうだったの。話しかけてくれればよかったのに」

「輝き過ぎてて気後れしたってさ、古沢もその日は仕事のお供で」

「嫌だ、でも残念。宜しくお伝えしてね」

 隣に立派な紳士が居た事も聞いた。難しい立場の人だとも。


 居間には薪ストーブがあるのに使っていなかった。遠出を促すラグジュアリーブランドのトランクも隅にあった。

「ごめんね、散らかっていて。私、始末が下手で」

「こちらこそ急にお邪魔して。出掛ける所だった?」

「実は片付けなの。だからごゆるりどうぞ」

 舶来の陶器のカップのコーヒーは焙煎が巧くてソーサーのショコラは上質で。ここでこれだけ揃える工程。ここで暮らす意味。

「なあに?」

「……あっちゃん、ずっと何してたの」

 もう帰ってこないの、本当はそう聞きたかったけれど、それは堪えた。部屋にはテレビも無い。あるのはクラシカルなオーディオとラジオ。厚い絨毯。上等な家具。窓からは海。荒野。波と風。

「曇りの景色は綺麗よ」

「実は北のスパイやってるとか」

「ええ?」

「嘘。内緒の物書きとか」

「ふうん?」

「そんな感じでいいかな」

「お好きにどうぞ」

「ネット環境は?」

「ちゃんとありますよ、隔離じゃないから」

 笑われて、農家のトラックの後ろを黒塗りの車が続いているのが窓から見えて、潮時だった。


「急にお邪魔して失礼しました。ご主人に名刺をお渡しください」

 全て筒抜けなので、余計な事もしない。黒塗りの車は坂の上で止まっている。あのひとのお世話になっていると噂になっていたのは随分前。

 あっちゃんは続いていた。逃げられなかったのかな。どっちだろう。何も出来ないし、どうしようもないけれど。


 自然の灰色の変化を毎日眺めているようだ。出来るだけ楽しいといい。帰りがけに毛皮を聞かれたから、いつでもお届け致しますと返した。何なりどうぞとスラスラ言った。

 プロレタリアートが帰る。トラックの助手席では行きと同じく「奥様とは同郷なんです」と、正直に話した。




 おしまい

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