八咫烏にお願い
コインパーキングを出る時にふと我に帰った。自分の使う営業車の中が乱雑過ぎるのだった。コンビニ袋に溜めた屑モノに後部座席で雪崩を起こしている紙媒体、前回の販促グッズを入れっぱなしの段ボールから未使用の祝・不祝儀袋まで溢れるその様子は
(女子の使う車じゃない!)
総ての運を取り逃がす元凶に違いない。午後から少し時間が空いたので、急いで会社に片付けに戻った。
社員駐車場で車内を開け放っていると、頭上でカラスの声がした。最近この辺りでよく見かける、多分コドモらしい小さな個体だ。ぎょろろーぎょろろーと甘えた声で、仲間でも呼んでいるかのようだ。
ごはんを探しているのかな、と思った。
だがこの界隈でもカラスには色々悩まされ、ゴミ収集場には簡易フェンスを設けてある。私がシュレッダー不要の紙モノや段ボールやらをフェンスの中に入れるのを、そいつは少し離れた所からずっと見ている。見つめ返したら、白々しく横を向いて知らん顔をするので笑ってしまった。
「ココは何もないけど北公園はドングリが落ちてたよ。行ってみたら?」
聞いちゃいないだろうなと思いながら声を掛けてみた。小振りのカラスはキョトキョトと私を見た。そしてバタバタと飛び立って行った。
その次の日の朝、件のカラスが冷たくなってビル街の道端に落ちていた。口から泡が出ていたので、ネズミ駆除の毒餌にやられたかもしれなかった。
少し気味が悪かったけれど、昨日のやり取りを思い出したら気の毒で放っておけなかった。
コンビニで安い新聞と小さいお菓子を購入し、段ボールをひとつ分けて貰った。その中にカラスとお菓子を新聞紙で包んで納め、市役所に収集を頼んだ。
お供え代わりのお菓子の封は開けて、すぐに食べられるようにしておいた。
「その節は誠にありがとうございました」
「御礼なんかいらないからさっさと成仏しようよ!」
そして件のカラスは化けて私の枕元に立っている。
「ヤングドーナツ、大変美味しゅうございました」
「それはよかった! さあもう旅立とうよ!」
黒い個体は半透明で、なんとなくスケルトンな仕上がりにもなっていた。
「僕は八咫烏です!」
蹴球日本代表マークの様なエッヘンポーズをするその個体の足の間には、確かに小さな尻尾のような足もどきがあった。
「ナニソレ◯んこ?」
「ち○こじゃないです! まだ成長途中なだけで!」
ヤタ坊主はジタバタと怒った。しかし怒る度にそれはブラブラした。
「軟体じゃん」
「大きくなれば硬くなるんです」
実弟の幼い頃のソレを思い出させる形状だった。状態も表現もアレだなあとナマ温かい気持ちになった。
それに三本足の三本目が後生えだなんて聞いた事が無い。伝承にあるのだろうか。
「それでその足は伸びる訳?」
「そうです。何度か脱皮をしながら立派な足になるのです」
そうか剥けるのかと呟いたら、ヤタ坊主は「包茎とは違います!」と、また怒った。
「そんな思考ではお里がしれますよ」などと恩人に向かって生意気にも意見をしやがったので、「早く出ていけ」と、冷たく言い放っておいた。
その後も色々話しかけられたけれど、明日の朝はまた早いので、全無視してがっつり寝た。
翌朝もそいつはまだいやがった。
「とっとと成仏しなよ!」
「昨夜も何度もお話ししましたが、八咫烏として何かひとつ、アナタ様のお役に立ちたいと思うのです」
そんな戯言はぐっすり眠ってやったので、一言も聞いてはいなかった。
「それはご丁寧にどうも。でも私、別に困っている事はないのでお引き取りください」
「しかしそれでは私の気がすみません。何かおひとつ」
「本当に結構。お構いなく」
冷蔵庫にあったトマトジュースを飲んで、ザクザクと身支度を整えた。
「朝食は召し上がらないのですか」
「飲み物だけでいいの」
玄関のドアをいつもより大きく開けた。
「さあ、もう出掛けますからアナタも退出なさってくださいまし」
言いながら脳内は今日の段取りを思い巡らせていた。お昼間に溜まったデスクワークを終わらせたいので、出社前に昼食を買わなければと思った。
「サンドイッチがお好きなんですか」
「人前では話しかけないで」
コンビニの中でもヤタ坊主はずっと私の肩に停まっている。とはいえ私には相変わらず透けて見えたし、他の人には視えないらしいが。
「それとサラダだけでは栄養も偏りませんか」
「日中は満腹感を感じると眠くなるのよ。本当に話しかけないで」
仕事への緊張感を上げながら支払いを済ませた時、初めて一番手前の棚に気付いた。そこにはなんと、国民的ゆるキャラ・ニラックマの一番クジが設置されていたからなのだった。
(うきゃああああーニラックマの新しい一番クジー!)
一気に別のテンションが上がってしまった。
実は私は、学生時代からニラックマをこよなく愛している。年に一度発売されるこの一番クジは、マニアには堪らないお楽しみイベントなのだ。
(ああああああ、今回の特賞は……きたっトースター!)
ベージュの機体に色んなポーズの二ラックマが沢山プリントされた、可愛い可愛い電化製品である。
ありえないキュートさで、欲し過ぎて喉から手を百本出しまくってしまった。そのせいで眩暈までしてしまう。血圧がヤバい。
ニラックマ一番くじの特賞は毎回ラブリー家電なのだが、前回はワッフルメーカー、前々回は電気ポットだった。しかし社会人の私はいつもくじの発売に出遅れてしまい、特賞とは縁がなかった。ネット上では転売もされているけれど、こういう品は正攻法で手に入れてこそである。だけど仕事帰りまで待ったらきっと特賞は残っていないだろう。
(よし、時間も無いし、取り敢えず今のうちに二回だけ引こう!)
二球入魂である。さくさくと会計を済ませ、念を込めてクジを引こうとした。すると肩から余計な声がした。
「勝ちたいのですか? お手伝いします!」
ヤタ坊主にカアアーと鳴かれてしまった。
「あ、またクジ引いたんだ。今回のシリーズも可愛いね」
昼休み、職場の同僚に見つけられエヘヘと笑った。勿論苦笑いである。サンドイッチの下には参加賞の二ラックマのタオルハンカチ、デスクには同賞のボールペンが有るのを確認されたのだ。
あのヤタ坊主の鳴き声はなんのご利益ももたらさなかった。勿論一番くじの景品はどれも可愛いので格下の賞でも文句は無い。しかし無駄に期待させられた分、がっかり感が半端無いのだった。
「ご、ごめんなさい……」
ヤタ坊主は私にションボリと謝った。こうべを垂れたら真ん中の足もどきがユラユラ揺れた。
「つ、次に引く時には必ず!」
「いいよ、もう」
それよりも取引先で小さめのトラブルが発生しそうだった。今はそちらに集中したい。
「それより私、これから外だから」
「あ、お伴します!」
「いいえ邪魔しないでここにいて。それから私は今日は戻らないからもう成仏もして。はい、お昼」
卵サンドを半分千切ってヤタ坊主の手前に置いた。外出用の靴に履き替え、ホワイトボードにある自分のネームプレートを、内勤から直帰に張り替えた。
小さめの筈だったトラブルは中くらいの面倒になっていた。なんとかカタがつき営業車を会社に戻し、上司に報告メールを入れた時には夜の九時を過ぎていた。
夕方に感じた空腹もタイミングを外し過ぎて感覚を無くしている。どこかで美味しいモノをビールで流し込んで帰りたい。最近お気に入りの立飲み屋に寄ることにする。
そこは駅近くでおひとり様が多く回転も早いので、女性客もそこそこ見かける店だ。
だけど今日はタイミングが悪かった。隣に入ったオヤジがうざかったのだった。
「お姉さんひとり? 一緒に呑もうよ」
「時間が無いのでごめんなさい」
ひと言だけ返し、無視して呑む。だがネトーッとした視線が不気味で、途端に落ち着かなくなった。余裕のある時なら平気なのだが、今夜は苛々して仕方がなかった。
(ちっ、お通しとビールで辞めとくか)
嫌な視線を洗い流したくてお風呂が恋しくなった。他に頼んでいた串焼きセットと焼きおにぎりを包んで貰い、さっさと切り上げる事にした。
ガッカリして帰宅し、玄関のドアを開ける。すると
「おかえりなさいまし!」
スケルトンなカラスに迎えられてしまい、ガックリと肩を落とした。
「どうして君はお空の向こうに行かないの!?」
「ですからまだお礼が」
「だからもういいから!」
見るとまた三本目の足が伸びていた。もう「足の形」らしくなり、後はちゃんと爪が生え揃えば機能的にも問題がなさそうだった。
「アナタ、足が伸びるのが早いんだね」
「はい! 明日には一人前だと思います!」
一瞬、(この仔にさっきの酔っ払いを追い返させればよかったのか)と思ったのだけれど、(そういやこの仔はクジ引きすら外したじゃないか)とも考え直した。所詮まだ半人前なのだ。諦めてテイクアウトご飯を分けて、一緒に食した。
お風呂が長いですねと言われたけれど、「君も早く寝なさい」と叱って電気を消した。
しかしヤツのお腹の鳴る音が聞こえて煩かった。
「アナタ大喰らいなの?」
「スミマセン、育ち盛りで……」
恐縮しながらもお腹はグウグウと煩かった。仕方無く、冷凍のミニグラタンを解凍して出してあげた。
爽やかな大声で「ありがとうございます! もう少し食べたかったんです!」と言われたら眠気が吹っ飛び、睡眠のタイミングを逃してしまった。
翌朝のヤタ坊主の三本足は見事に揃い、見た目だけは随分立派になっていた。
「ちゃんと爪も生えてきましたー!」
「あーらよかったねー」
「皮もちゃんと剥けて硬くなりましたー!」
「そうかーもう何でも出来そうだねー」
棒読みになってしまったが、珍しい生物の生長過程を確認出来たのはちょっとお得感があった。でもそれを気取られると調子に乗られそうなので、朝の忙しいフリをした。
そして出勤途中の駅前広場で、事件は起きた。
スケルトンなヤタ坊主は肩から降りようとしなかった。面倒なのでそのまま歩いていたら、私の後ろで突然、尋常では無い数の羽音と、空気を切り裂くような悲鳴が聞こえたのだった。
「えっ」
「何だ?」
通勤通学の皆さんが一斉にその声の主を見た。
するとそこには、何羽ものカラスに襲われるおっさんがいたのだった。
「うわー大変だ!」
「ちょっとやばいよ! あの人助けないと!」
「でもカラスは危ないよ! あいつら怖いんだぞ!」
「おい、警察呼べ警察!」
遠巻きに見る人や電話をかける人、物陰に隠れる人などで、一時騒然となった。
勿論私もガクブルした。
「ちょっとヤタ君! キミがなんとかしなさいよ!」
肩に留まるスケルトンに声を掛けると、そいつは「は、はいっ!」と返事をし、つんのめって飛び立って行った。ちょっとポケ◯ンみたいな気分だった。
スケルトンはその集団にカアーと声を掛けた。するとその中の一番デカイ個体が「クゥアー」と返事をし、あっという間に終息した。
そしてあろうことかそのデカいのは、私に向かって大きな翼全開で飛んできたのだった。
「ぎゃああああああ」
私がうっかり叫んでしまうのは当然なのだった。慌てて逃げるのも必須なのだった。周りの皆さんもちりぢりと逃げていったのだった。その後はそこは阿鼻叫喚のるつぼとなったのだった。
その後襲われたおっさんは軽傷と診断されたものの、大事は無いらしいとの話が聞こえた。しかし警察と救急車までが来て更に騒然となり、駅には人がいつも以上に溢れた。
私はスケルトンヤタ坊主を間に、そのデカいカラスから話を聴く羽目になった。
デカいカラスはこの辺りの主で、何故か日本語に堪能なのだった。しかし人目についたら私が社会人的にアウトになるので、場所は駅ビル上の、まだ閑散とした屋上駐車場である。
「アナタ様が危なかったのでございます」
デカいカラスは恭しく私に報告をした。曰く、夕べ私に絡んできたおっさんが、今朝は駅周辺で私を出待ちしていたのだという。カラスの集団に襲われたのはそのおっさんなのだった。
「夕べアナタ様の帰り道をストーキングをするのを我々は発見致しました」
「悪い方向に発展するといけませんので、早急に対応させていただきました」
「今後も暫く様子を見まして、容疑者を観察し、アナタ様も見守る所存でございます」
「ちょ、ちょっと待って」
それが事実ならとても心強いし有難い。だけど過剰防衛にはならないだろうか。
「問題ありません。ワタクシ達は人間社会と接点はございませんので」
しかし、そんな気遣いをいただくのは一体何故なのか。
「勿論、我が一族の眷属候補のお世話をしてくださっているからでございます」
「一族の眷属候補?」
まさかこの仔では。私は横目でスケルトンヤタ坊主を見た。
聞くと、一族では時々八咫烏になる素質を持つモノが現れるのだとか。特にその出世頭は、現在やんごとなきお方の眷属として、やんごとなき森にてお役目を果たしておられるのだとか。
「という訳で、この仔もこれから修行をするのでございます。アナタ様の元に向かいましたのもその第一歩で」
そしてヤタ坊主に聞こえない小さな声で私に呟いた。
(……しかしご覧の通り色々と心配がございまして。まずは無事に今回の課題を通過出来ます事を切に願っている所存でございまして)
その辺りの心痛は察するに余りあるのだった。
「しかし大層しっかり者のアナタ様の元に置いていただけている事で、ワタクシ共は大変安心しております!」
「ちょっと待って。このままこの仔はうちにいるわけではないでしょう?」
「勿論ずっと一緒です! アナタ様を幸せにすることがこの仔の最初の修行!」
「ちょっと待って! この仔、私には『何かひとつお礼』って言ってたよ?」
「ああ、ごめんなさい……あの仔わかってない……」
「わかってない?」
「ひとつって、命の事なんです。アナタ様の命をひとつ、つまりはアナタ様の一生なのでございます」
一生!? この仔は私のそばに一生いるってコト!?
「アナタ様を幸せにする事が彼の学びでございます」
「幸せ……」
幸せって何だっけ。確か昔そんな宣伝があったような。
「ではまだ暫く掛かりますが、なにとぞ宜しくお頼み申し上げ奉ります。では」
そう言ってデカいカラスはバサーっと去っていった。
「待って! この仔も連れて行ってあげて!」
幸せになる前に大層な手間がある。この仔を一人前に見守る仕事の方が、圧倒的な修行ではないか。
「人間の一生なんて儚いものですーどうぞよしなにー」
デカいカラスのふざけた台詞が駅前に木霊した。高層マンション群に響き渡るドップラー効果なのだった。
「待って! せめて食費くらい置いていって!」
こいつは大食漢である。私はあらん限りの声を振り絞って叫んだ。こんなに何かを誰かに一生懸命頼んだことは、つい最近ではなかった。
しかしそのデカいカラスの後を大量のカラスの群れが追い、私の魂の叫びを全て掻き消したのだった。
その後ヤタ坊主は「大変です! このままでは遅刻です!」と、私にバタバタと告げるのだった。いつも乗る電車の、発車の音がした。急がなければならない。バスの方が速いだろうか。
しかし見ると、ヒールの踵も脆くなっていたのだった。さっきのダッシュが敗因なんだろうと思い当たった。
(今日は……タクるしかないわ……)
懐も順調に磨り減りそうだった。
駐車場のフェンスの上には、可愛いスズメ達が連なって止まっていた。気の毒そうに私を見下ろす瞳が、あどけなく潤んだ漆黒なのだった。
おしまい




