天狗熱奇譚
我が家には大きな掛軸があった。それには昔から北の裏山に棲むと謂れのあるカラス天狗が描かれていた。
なんでも曽祖母は若い頃に遭遇した事があるのだとか。幼い頃はその話を何度も聞いたものだ。
「とても立派な天狗様だったわ。大きさは栄昇さんくらいかしら」
栄昇さんというのはうちの隣にあるお寺のご住職で、縦にも横にも大きなお方だ。
だけど肝心のその裏山はブロッコリーみたいに小さくて、頂上らしき小さな空き地には可愛い祠があるだけだった。周囲も建売住宅がズラリと並び、とても大きな天狗の棲むスペースはなさそうだ。
小学校に上がる頃の私は、可愛いげの無い口答えをして、曽祖母をしょんぼりさせるようになっていた。
「あんな狭い山に天狗なんて棲めないよ」
「ううん、いたのよ。だって大ばあちゃんは会っているんだもの」
「ええー嘘だあ。きっと夢でも見たんだよ」
だがその都度、祖母の追い風が入ったのもよく覚えている。
「でも確かに昔は居たわ。おばあちゃんが会った時はカラスくらいの大きさだったけど」
「え? なんで縮んでんの?」
「きっとこの辺が街になってしまったからじゃないかしらね」
母も面白い事を付け足した。
「私が小さい頃に見た時はスズメサイズだったな」
「スズメ!?」
「さて、ミツルは無事に見られるかな?」
母達曰く、代々この家に産まれた女の子やお嫁さんは、必ず天狗に会っているというのだ。そしてこの事は誰にも言ってはいけない、一族の秘密だとも。
最初は半信半疑だったオカルトな話も、二度三度と聞かされる内に真実だと思わされるモノだ。
(じゃあ私が会う時のカラス天狗はもう虫サイズの大きさかもしれない!)
女三代に渡る伝統も私の代で途絶えてしまったら。慌ててタモと虫籠を持って裏山に探しに出かけたのも、今となってはいい思い出だ。
それから出来るだけ身の回りを飛ぶ虫にも気をつけるようになった。翌年に曽祖母は大往生し、裏山には湧き水が発見された。環境保護を兼ねた遊歩道公園も出来、ますます天狗は棲みにくそうになった。
気付くと私は高校生になっていた。不本意ながら虫ヲタクとも呼ばれるようになってしまった。
昨今は虫が媒体になって感染する病気が国内のあちこちで流行り、この地域でも駆除が盛んに行われている。会える前に天狗も間違って駆除されていないだろうかと、裏山を見る度に不安がよぎった。
その裏山を共有して立つ隣のお寺には、同じ高校に通う同級生のケンゴがいる。栄昇さんに似た立派な体躯の持ち主で、率いた柔道部は今年度の県代表にもなった。
「ミツル、檀家さんから連絡来たぞ。今年度分の竹籠、学校に届けたって」
「わ、間に合った! ありがとう」
「またご苦労だなあ。あちこち行くんだろ」
私の所属する環境生物部は、毎年鈴虫を繁殖させている。それを地元の竹細工保存会ご厚意の竹籠に入れ、近隣の施設や保育園にお分けして回るのが、毎年初秋の部内イベントだった。
「楽しみにしてくれてるからやり甲斐あるよ。ケンゴも欲しいなら何匹か分けてあげる」
「いらね。庭でも裏山でも鳴いてるから」
「あはは、そうだね。外の方が生育環境いいかも」
「去年貰った籠もまだ持ってるぞ。それより大丈夫か、その、」
ケンゴが言い淀んだ続きの台詞はすぐわかった。最近私は『悪い人ではないけれど面倒くさい』タナカ先輩に言い寄られているからだ。
「うーん、何度もちゃんと断ったのに判ってないんだよね」
「保健室相談に届け出しとけば? 言質は大事だぞ」
「もう行った。そしたら先生、もう状況は知ってた」
「は?」
「次はキミかー、何かあったら来てーって言われて終わりだった」
「はあ?」
ケンゴは何かあってからじゃ遅いだろとボヤいた。
でもタナカ先輩はルックスも悪くなくストーカーという程悪質でもなく、ただ自分の都合で全てを解釈してしまう生徒なのだ。学校的には出来るだけ小さめに、いい方向で終わって欲しいらしい。それで先生方も「困っちゃうなー」と、生暖かく見守るだけのニオイが満載なのだった。
オトナに頼れない私は独りにはならない様にしていた。ただ、いつもそうする訳にもいかなかった。
「ミツルちゃん、今年もお疲れ様。大変そうだから手伝おうか?」
鈴虫を各施設に配り終えたとある放課後、案の定、理科フロアの廊下にタナカ先輩は現れてしまったのだ。
「もう殆ど片付いたので大丈夫です」
「でも段ボールだらけじゃん。畳まないと」
「私、こういう作業が得意なんです。おかまいなく」
「だって女の子がこんなに沢山大変だよ。持っていくよ」
「いえ結構です!」
自分なりにキツく拒否したのに、人の話を聞かないタナカ先輩はどんどんと手を出してきた。手伝う自分に酔っている気配も見える。なまじっかルックスが悪くない分、それが災いして大層イタい。きっと残念なイケメンというヤツだろう。
だが私のこの中途半端な同情が、相手に付け入るスキを与えているのだ。緩んだビニール紐に気を取られた瞬間、タナカ先輩は「遠慮しないで」と言いながら私の手を握ってきやがったのだった。
(うぎゃああああああ)
とっさに振り払ってしまった私に非など、当然無いと思う。
その直後、素晴らしいタイミングでケンゴが環境生物部を訪ねてきたのもきっと、天の思召しだと信じたい。
「おーミツル。居た居た」
声を掛けてくれたのは助け舟だと信じたい。
「私! ケンゴと今! 付き合ってるんです!」
すかさずケンゴの腕を取って叫んでしまった私を許して欲しい。
「えっ」
「えっ」
タナカ先輩とケンゴ、二人同時に叫んだのが聞こえたけれど、ここは自分の意見を貫きたい。
三すくみの空気は重かったが、私の意志はダイヤよりも硬く、決してケンゴの腕を放さなかった。
更に大変有難い事に、タナカ先輩よりケンゴの方が読みが鋭かった。流石の柔道部主将だった。
「じ、つ、は、そ、う、なんです。オレ達これから一緒に帰るんで。今後はご配慮願います」
私の肩に腕を回すゴツいケンゴに刃向かう男子は、この高校にはいない。タナカ先輩はウルウルした表情を見せると、素晴らしいターンを見せて去って行った。とても気弱で悲しそうだったので、本当に悪い人ではないのだろう。彼が早く現実を見直せますようにと、強く希望する私なのだった。
その後、私がケンゴに米搗きバッタの様に謝り倒したのは言うまでもない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」
「まあ、オレ、今、彼女いないからいいよ……」
「明日ドカーンと振ってください申し訳ありません!」
「いや、それだとまたタナカ先輩が来るだろ……暫くこのままにしないと……」
ケンゴの目が死んでいたのがつくづく申し訳なかった。こう見えてケンゴは一部女子には「カピバラみたいで可愛い」と、斜め上に評判がいいのだ。
「でもその様子だとケンゴ、いい雰囲気の誰かがいたんだよね?」
「いやー……今はー……別にー……」
いたに違いない。
「んー、でも、まあいいや」
諦めさせてしまった。
「てか今日はガチで用があるんだよ。おまえ虫キングじゃん。帰りにうちに寄ってくれよ」
「虫キングじゃないけど何でもお申し付けください!」
「メールじゃ伝えにくかったからな。でも怪我の功名で訪ねてよかった」
「本日は誠にありがとうございました! お世話になりました!」
私は従順な下女となってケンゴの後に付いて帰った。その様子からは、私達が付き合っているようにはとても見えなかっただろう。
ケンゴの部屋は境内東の住居地の端っこの和室で、窓を開けるとすぐ裏山に面していた。
「これはミツルに見せるべきだと思ってさ」
去年私が分けた竹籠の中には、笹の葉と林檎の切れ端が入っていた。
「昨日裏山の駆除活動があったんだ。境内にいろんな虫が逃げてきたんだけど、こいつはちょっと変なんだ」
覗いてみると黒い小さなハエ科らしき虫が、一匹潜んでいるようだ。
「何だろ。ユスリカ、じゃないね」
「妙なヤツだろ? 最初は藪蚊かと思って潰そうとしたんだけど、一番変なのは」
瞬間、とんでもない音が聞こえたのだった。
『キターキター! ムスメキター!』
「ひゃ!」
思わず後ずさりした。
「そう、こいつ変な音出すんだよ。隣の娘を呼べって叫んでるように聞こえるんだ。それに大きさ的には竹籠の大きい隙間から逃げられる筈なのに、全然逃げようとしないし」
『ムスメームスメー』
その虫は確かに叫んでいた。か細い音だけど、羽音ではなく、身体から音を発していた。
鞄からルーペを出す手が震えた。ひょっとしたら、ひょっとするのではないか。
「ねえ、キミ、ちゃんと姿を見せて」
震える右手を左手で抑えながら、籠の中のその虫の本当の姿を確認する。
ルーペ越しだったけれど、確かに見えた。
小さいながらも山伏の姿、黒い羽毛、立派なクチバシ。羽に見えたのは翼だ。足の一本に見えたのは錫杖だ。
ああやっぱり。カラス天狗だ。聞いていた通りの割合で縮小してしまっているけれど、掛軸と同じ姿だ。
やっと会えた。胸が震えるって、こういう事なんだとわかった。
それはブンブン飛んだ。だけど気をつけていないと、やはり黒いユスリカにしか見えなかった。
でも、この時の為に私は虫ヲタクになったのだ。幼い頃から虫に気をつけ始め、環境生物部に入ったのもこの瞬間の為なのだ。
だけどこんなに小さかっただなんて、今までにも散々見逃していたかもしれない。
「やっと姿を見せてくれたんだね……」
そう呟いたら、その黒い虫は竹籠の大きな隙間をスルリと抜けて、私の鼻先までやって来た。
「ソナタガカノイエノムスメカー」
「そうよ、はじめまして」
今度はケンゴが、私の横で固まって見ていた。
「ワシハソノニアッター。マユミニモアッター」
「私のお祖母ちゃんとお母さんね」
「オマエニモアッター」
「うん、待ち侘びてました」
「ナハナントイウー」
「私はミツルと言います」
「ミツルーミツルー」
小さなカラス天狗はグルグルと飛んだ。
「ソチノナハナンジャー」
ケンゴの事を聞いているようだった。
「彼はケンゴと言います」
「ケンゴーケンゴー」
カラス天狗はまたまたグルグルと飛んだ。
「コレデオヤクメハスンダー」
「お役目?」
「ワシハヤマノヌシジャー」
「はい、存じております。いつもありがとう」
「ソチニモソレヲツタエニキタノジャー」
「はい、確かに私の代でも承りました」
「シカシソレモオワリジャー」
「え、おわ、」
「ワシラハアズマニウツルノジャー」
「……なんて言った? 東? 移る?」
「ツギハカッパガウツリタマフーサラバジャー」
「え、ウツリタマフ? 河童?」
次は河童が来るってこと? 山の主が代替わりってこと?
「待って! 色々聞かせて! すごく会いたかったんだよ!」
待った時間を埋めるように、根掘り葉掘り聞こうとした。だけどイマイチ要領を得なかった。何よりカラス天狗の声は小さ過ぎて聞き取りにくかったし、天狗自身ももう話したくなさそうだった。かなりマイペースな奴だった。
その後その小さなカラス天狗は「ダセーダセーソトニダセー」と煩かったので、出した。自分からケンゴの部屋に居直っていたくせに、「ブレイモノー」と、とても威張っていた。「メシガマズイー」とも言った。そしてすごい勢いで去ってしまった。
東の方向に飛んだ様だった。
帰宅後、カラス天狗に会えた事を母達に報告したくて、ケンゴにも同席してもらうことにした。
「カラス天狗がそんなに小さくなってしまっただなんて!」
「そんなに幼稚になってしまっただなんて!」
祖母達の反応はちょっとずれていた。
「幼稚って……酷いよ。身体が小さくなってただけだよ」
「だっておばあちゃんの時は世論解説してくれたのよ。次期首相と株価の動向を教えてくれたわ」
カラスサイズの時はそうだったのか。
「お母さんの時は台風の予知をくれたわ。それで早めに屋根とベランダを補強しておいたのよ」
スズメサイズの時はそんな風だったのか。
ミニサイズの評価は気の毒だった。環境生物部員として、
「きっと進化の過程だよ」
と主張したのだが、祖母達には聞いてもらえなかった。逆に「出来が悪くなったから左遷になったんじゃないか」と、あらぬ疑いを深めてしまった。
こんな奇天烈な話題にも、ケンゴはずっと平静を保っていた。
「馬鹿馬鹿しくない?」
「現にオレも天狗を見たし。それに寺の跡取りだからな、こういう畏怖的なネタはまあ、許容範囲」
「そっか。そう言ってもらえると助かるよ」
寺の跡取りという部分で妙に納得出来た。
「ミニ天狗の話していた『河童の赴任』の意味ですが、人間の異動の感覚ならもう来ていると思うんです。またこの御宅の誰かには何かのサインがあるとは思いますが」
ケンゴの説明に
「そうね。でも今度は次の世代にご挨拶があるのかしら」
祖母と母が首をひねるので、
「天狗に会えるのは皆ひとり一回だったの?」
と聞いたら、そうだと答えられた。私の知らない事がまだまだ多すぎるのだった。
それから祖母達は、ケンゴに
「この話は我が家の伝承なのですよ。世間様に公表することでもない話なのでどうかご内密に」
と要望を伝えると、彼は「わかりました」とだけ言って、あっさりと帰っていった。その辺りも流石、寺の跡取りなのだった。
「気になるから河童を探そうと思って。明日の朝、ケンゴと湧き水の所を見に行こうって話してるの」
夕食後、祖母達にそう伝えたら、二人は意味ありげに私を見た。
「……ナニ?」
「ところでミツル、あなた、ケンゴ君と一緒に天狗に会ったのね」
「そうだよ。だって天狗はケンゴの所に居たし」
「もうひとつ、伝えていなかった事があるんだけど」
どうやら一族の伝聞には、女性がカラス天狗と遭遇するのは『伴侶、ないし伴侶になる人と一緒にいた時』がデフォルトなのだそうだ。
「おばあちゃんはここにお嫁に来てからおじいちゃんと見たわ」
「おかあさんはおとうさんと付き合ってる時に見たわ」
「待って、ケンゴは寺の跡取りだよ! うちに婿入りは出来ないんだよ!」
あわあわと歯向かう私に二人は畳み掛けるように言った。
「実はお嫁に行った大伯母さんも天狗に会ってるのよ」
「あら、たしかお義姉さんも会ってるんでしたよね」
「そうなの。直系はみんな会ってるのよねえ」
話がどんどん枝分かれしているのだった。
「でもミツルの代では河童と代替わりだそうだから、もうこの法則は発動しないかもしれないわね」
「そうね、おかあさん達も期待しないようにするわ」
「ケンゴ君なら大歓迎なんだけど、仕方ないね」
「ひょっとしたらケンゴ君、お寺を継がない事もあるかしれないしね」
そんな話は聞かせないでほしかったのだった。
その夜私は高熱を出した。ケンゴがカラス天狗のお面をつけて、私の傍にいる夢を見てしまったのだった。
(あの時のミニ天狗、私とケンゴの名前を確認してグルグル回ってた……)
どう思い出してもそこが怪しかった。
(だけどあのミニ天狗は神通力も弱まっているかもしれない!)
それに山の主的にも何がしら申し送りがあるかもしれない。河童に会って確認したくなった。
次の日の朝も熱は一向に下がらず、ケンゴからは『大丈夫か』とお見舞いメールが入った。
『湧き水の所、オレひとりで行ってくるよ』
そうだよ、観察に行くはずだったのに。フラフラと「ごめんね、よろしく」とだけ打って返して、また「うー」と唸って横になった。頭が痛くて仕方がなかった。
河童に会えるのは、次の世代のコなのかもしれないとも、なんとなく思った。
何せ一世に一回で伝わってきた話だ。そう思った方が怪奇としては順当なのかもしれない。
そうだとしたらそれは、私が直系から外れなければ私の娘か息子の伴侶という意味となるのだが、
(てか、そのコのおとうさんって………)
また思考がスタート地点に戻ってしまって、再び熱が上がった。
学校の友達から、私とケンゴが付き合っている噂が恐ろしく広がっているとメールが入った。
(ああ、そういえばそういう設定だった!)
熱は下がりそうになかった。あのミニサイズのカラス天狗は、とんでもない病原菌を持っていたのかもしれなかった。
おしまい




