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グラジオラス

 部活帰りで喉が渇いて、煮出してあったヤカンの麦茶を飲んだ。シンクにあった綺麗な茗荷で「トトロの耳」とふざけて、母に行儀が悪いと叱られた。

「今朝コガさんちからお野菜沢山いただいたんやわ。着替える前にお返しにいってきてくれん?」

 袋の中には老舗の水羊羹がご家族分。

「あ、これ、美味しいお店のやん」

「今さっき叔母さんから届いたんよ」

 うちの分は冷蔵庫に冷やしてあるからと背中を押されたので、すぐに御使いをする事にした。飛行機の音が濃くて、アブラゼミの音が激しかった。夕方の残暑はまだまだ厳しく、制服のセーラー衿は熱気で蒸した。


 コガ タカト君のおうちとは幼稚園からの付き合いだ。高校も同じ、だけど入学してからは同じクラスになってはいない。

 そのせいだろうか、前みたいに話をする機会はグンと減った。用事がないからSNSでも絡まない。それにタカト君は部活が恐しく忙しい。

 その日もタカト君には会えなかった。おばさんに「サナちゃんは色が白いねえ」と言われて、「美術部だからです」と答えておいた。だけど間違ってはいない。何しろタカト君はボート部のAクルーの二番漕手。おばさんの基準はタカト君なので、今なら誰もが色白だ。

 ボート部の練習場は、学校から二キロ離れた川岸にあった。競技の性質上、全身の筋肉が綺麗に育つ。直射日光と川の水面での照り返しは、身体の裏と表を綺麗に焼く。そのせいでボート部員は、別の星のヒトに見える。


「今年はAクルーとダブルスがインターハイ決めたやん。その後すぐ国体と新人戦やん。もう俺らに『夏休み』は無いって、ケイがゆってた」

 画用液臭い美術室、十五号キャンバスに地塗りを施しながら、仲良しのアズサが語った。ケイ君はAクルーのコックスで、アズサの現彼氏だ。

「うちらも地味に忙しいけどね」

「文化祭の後に秋季展もあるもんね」

 茶色の地塗りに溜息が出る。高校で始めた油絵は楽しい。だけど楽しいままに過ごしてしまい、主力学年なのに初心者レベルだ。絵の具代も高いし、美術室は西日が酷くてクーラーが効かない。一応進学校なので夏休み中も補講がある。文化部だって楽しみがないと、正直辛い。

「そこでさ!」

 アズサはキラキラの二重瞼をぱちぱち光らせた。

「来週に全休部日あるやん。コガっちも誘って水族館行かん? 私らとダブルデートせん?」

 なんでも福引で四名御招待のファミリーチケットを当てたとか。彼女はくじ運が滅法良い。

「いいの?」

「ケイ曰く、コガっちは誰よりもタイミング悪く彼女を作り損ねて一年半、って」

「でも私、タカト君のコトは何とも思ってないよ」

「え、そうなの、なんで?」

「なんでって、そんなん」

 何せ長い付き合いだ。その一年半前の元カノの事も私は十二分に知っている。母親同士も仲良しなので、お互いのあーんなことやこーんなことも全て筒抜け。田舎のご近所はとても怖い。

「だけどコガっちってイイ感じやん」

「んー、でも私はいいよ」

「サナもサボらんで、彼氏作ればいいやん」

「いいですメンドイです」

 今はタカト君と以前の様に話せたらと、私はそれだけを願っている。願いは小さめの方が、すぐ叶いそうで素敵だと思う。


 しかしボート部には本当に夏休みが無いのだった。

「休部日はコーチの意向で遠出禁止なんだって。『折角だから二人で行ってきて』だって。チケットは四枚綴りやのに」

 ケイ君からの侘びメールは私達を落胆させた。特にアズサは崩落した。

「この間の七夕祭りはインターハイで行けんかったし、花火も先輩達に邪魔されたし……」

 その愚痴は私も聞いていたので、ただただ気の毒でしかなかった。

「ああ、もう!」

 アズサの声が震える。蓄積された怒りだろう。

「仏の顔も三度ってこの事やわ! 私はこれからボート部を見学に行く!」

「え、でも今日、真夏日……」

 この時間は辞めよう、熱中症になるよ。と言いたかったけれど、

「だってうちら今がラブラブ真っ盛りやもん! めっちゃ楽しみにしてたんやもん! 彼氏の雄姿くらい見させてもらわんと割に合わんって!」

 ああ、そうだよな、確かに見たいだろうなと、つい同情してしまった。

 実はボート部は郊外活動故に校内での存在感は薄く、戦績の良さが学校生活に全く反映されていないのだ。

 県大会二回戦敗退の野球部の方が目立つのは、職員室での力関係もあるらしいけれど、その辺も個人的には気の毒かも。

「そういえば私もボート部ってちゃんと見た事無いや」

「そうやろ? 在学中に一度は見るべきやと思うんよ」

 アズサの熱情に引き摺られ、本日の活動は急遽、校外スケッチになった。


 そこは両端を雑木林の崖に覆われた、吸い込まれそうな深緑の川だ。練習場の真上を国道の大きな橋が掛かっているので、その橋の上に立つだけでボート部の俯瞰図が手に入る。

 用でも無ければ来る事もない、ボート部の本拠地。岸辺のコンクリートと浮き板の桟橋。艇庫のプレハブ。その横に銀色に並んだ部員の自転車。それから水上を行く、いくつもの種類のボート。部員の皆さんには学校よりも馴染みが深いであろう場所。

 それにしても橋の上はじりじり暑い。半端なく焼ける。

「首の後ろがやばい!」

「その前に倒れる! しぬ!」

 早々に橋の上から艇庫のある岸辺に向かった。だけど上から見たクルーとその周りの水面を揺らす動きは、それこそ水族館にいそうな生物に見えた。頭のどこかに残った。

「せっかくのチケット、ゴメンなあ」

 アイドル顔のケイ君は私達に向かって、赤いキャップを被ったままの頭をコテンと下げた。

「ええよそんなん。それより今日はここで見学させて。美術部の写生やから、ってコーチにも言ってね」

 アリバイ道具のスケッチブックを見せると、ケイ君はすぐさま「お」と呟くと「コガっちー!」と叫んだ。

「なんやー」

「ここでブタ使ってええかー!」

「おー、足りるかあ?」

「足りんー」

(ブタ? 足りん?)

 首を傾げていると謎が解けた。ケイ君が持ってきたのはブタさん型の蚊取り線香入れだった。艇庫の代々の備品だとか。

「ここ藪蚊や虻がスゴイんで、これ足元に置いといて」

 確かに川べりは草木と小動物の生息地だ。ボウフラの群れが彼方此方に見える。

 タカト君も何かを持ってきた。至近距離で彼を久しぶりに見た。昔よりも肩とか胸とか腕とかが、全然ガッチリとしていた。背も少し伸びていた。その手元には野外用の缶入り蚊取り線香。

「これも近くに置いてな。制服に臭いがつくけど、虫は辛いやろ」

 日焼けした顔でくしゃっと笑うタカト君は、歯だけが白かった。それから、

「ご無沙汰やったな」

 と言われた。久しぶりに喋った。内容は夏の虫除けなのはアレだったけれど、声もなんだか大人っぽくなっていた。

 アズサに「くふふ」と笑われたけれど、含みがあったのでスルーした。


 ケイ君の掛け声で、いつも艇が進んでいた。オールが揃って動いていた。

 ロウ、ザサッ。ロウ、ザサッ。

 水面を真っ直ぐ進む度にほんの少し波が立つ。それはさっき橋の上からも確認出来たけれど、横から見ると印象がまた全然違う。今度は艇が水の上を走っていた。


 練習の最後まで見ていたら、蚊取り線香の渦巻きが終わってしまった。

 アズサはケイ君に送って貰える事になった。私に向かってまた「くふふ」と笑うと、「明日、美術室でねー」と叫んで帰っていった。

 私はタカト君と、になった。家の方向が同じなので、どうしてもそうなった。

 タカト君は私に合わせてだろう、ゆっくり自転車を漕いだ。着替えたカッターシャツが真っ白だった。袖から見える筋肉のついた腕も大人のようだったけれど、これも全部日焼けのせいだと思う。

「フォームが揃ってないと進まないし、空気抵抗も小さくしたいし。後、風の強さと向きとか」

 途中、タカト君から競技の話をポツポツ聞いた。

「橋の上からと岸からとではやっぱ印象が全然違うね! 景色も対岸の雑木林の緑が水面ギリギリまで生えて、すぐ下が水の深緑で」

「おー、やっぱ美術部は見とるとこが違うな」

 対岸の崖は下から見上げると迫力があって怖いと教えてくれた。雨が降るとその崖から雑木林を抜けて水と土砂、流木までもがドカドカ落ちてくるとか、上流のダムの放流の具合で水の色も水量も変わるとか、その日によってオールの感触も全然違うとか。

「艇に乗るとすぐ気持ちも切り替える?」

「そりゃ、競技に入れば誰でもね」

 今のAクルーは体格に恵まれていない分、チームワークでカバーしているとか。

「ふうん」

 知らない事ばかりだった。ボート部自体の事も、タカト君が過ごしていた毎日の事も。私が覚えている中学の時とまるで違う。今の私とも全部違う。

 気づいたらあっという間にタカト君の家の前だった。夕方の薄闇の中、アブラゼミの時雨は治まって、今はヒグラシがシングルで鳴いている。


 何故か二人で、暫く黙って立ちすくんだ。夕日が全てを薄い朱に照らすので、どうしてだかわからないけれど、何と無く動けなくなってしまった。

 タカト君の家の庭に咲く薄桃色のグラジオラスが綺麗だった。そういえば先日、おばさんが育ち過ぎたと話していた。伸び過ぎて重さで横に広がってしまうとかで、根元を紐で括ってあった。

「欲しい?」

「え」

「切ろうか」

 タカト君はサッサと家に入ると、新聞紙と花切り鋏を持ってきた。

「ピンクの花がいいの?」

 五本を長く切って、くるくると新聞紙で巻いた。それから、「暗いから送れって、母さんが言ったから」と、私を家まで送ってくれた。

 本当の事を言うと、さっきからずっと、心の中でヤバイヤバイと呟いていた。

 ばばばばばばば。

 ナニその鼓動。変に疲れた。きっと外活動のせいだ。今日の日中の陽射しは、文化部には辛かった。

「グラジオラスって、別名は西洋菖蒲なんだと」

「へー菖蒲」

「だから花言葉が尚武だと」

「物知りだね!」

「ケイから聞いたんやけど」

「コックス物知りだね!」

 ヤバイヤバイ鼓動がどんどん早くなった。

 ふいにキャンパスに川の深緑と崖の緑と、夕日と西洋菖蒲の朱色を描きたいと思った。構図はどうしよう。地塗りを茶色にしてよかった。白を上手く使いたい。小さい波が立っている感じに、所々に入れたい。グルグルと明日からの作業を考えていたら、頭の中までも目まぐるしくなった。


 隣にタカト君が居て、沢山話も出来たので、今日は満願成就だ。

(成就。そう?)

 欲の膨れる予感に少し躊躇した瞬間、タカト君に何かを聞かれた。「何?」と聞き返したら、「なんにも」とかわされた。

 今度は私の家の前で、二人で立ちすくんだ。早く家に入らなければと思って焦っていたら、タカト君は別の花言葉を教えてくれた。グラジオラスには『白昼夢』という意味もあるそうだ。

 今は夕暮れだ。何夢と言うのだろう。また目まぐるしく考えた。空から藍色が落ちてきた。




 おしまい

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