虹は出るかい
買ってよかったと思っている。後悔はしていない。
好きなブランド、春夏コレクションにあったオパールネックレスだ。グレーのビーズにも見えるそれは、細やかな石の間に小さな金の粒を挟んでつなげた、大人の為の装飾だ。
「お姉ちゃん、それ、なんかオバサンぽい」
歳の離れた高校生の妹は正直な感想を述べた。
「あ、でもよく見たらいいかも。今度貸して」
断りたくて冷蔵庫にサーティワンがあるよと促した。妹は速攻でキッチンに向かった。
オパールの、虹色に輝くイメージに憧れがあった。生産地が現実とファンタジーの谷間で、冷たく美しい水の中で採掘を静かに待つ魔法の石。だけど現実は大きな石は立派なマダムが、小粒で可憐な品は色白華奢なひとが身につける。私には縁がないと思っていた。
このネックレスを見つけた時は、大袈裟でなく痺れた。ひとつひとつの石は発色が違い、淡いピンクに白、茶色も三毛も、勿論薄い虹もある。昔小学校の課外授業で採取した、数珠玉という草の実。あの植物とはきっと姉妹だ。
肌にもぴったり合った。自身が嬉しくなる為に着ける装飾品。この上半期も頑張った自分へのご褒美。
「一生ものなんて商品は本当は無いの。どんなに魅力的でも、見合うひとが見合う年齢で持たなければ。旬なんて一時よ」
会社のお洒落師匠が仰ったお言葉が、この買い物の座右の銘。何よりオパールが私の手元にやって来たのだ。それで充分な気持ちにもなった。
着けて出掛けたけれど、ダイスケは気付かなかった。今日も私を見るなり「行こう」と歩き出し、私も蒸し暑さの残る夕暮れの中を黙ってついて歩いた。
ダイスケと高校在学中に付き合い始めて最初に出掛けたのが、駅の南にある神社の夏祭りだ。通学路から寄り道しやすく、何より町内中が赤い提灯を灯すので、それだけで私達は雰囲気に酔えたものだ。
今年の開始が土曜の夕方だと知り、ダイスケは久し振りに行きたいと言った。小さな非日常に浸りたいそうだ。
あの頃と違って、今の私達は馴れきってしまっている。長年の歳月はダイスケには女性への心使いの省略を、私には細々した何かを受け流す術を習得させている。それでもさして大きなトラブルもなく、淡々と過ごしてきた。後から付き合い始めた友人カップルに次々先を越され、その度にそれぞれの歩き方を刮目した。皆は私達とは違うと思った。他人と比べても仕方が無い。
南口からほんの少しの場所に、その神社はある。それから高校時代に出向いた夏祭りと、大人になった今では受け取る何かも微妙に違う。
(こういう風だったかなあ?)
駅からの商店街に出た小綺麗な屋台通りを抜け、提灯の吊るされた町内を通る。私鉄の踏切をひとつ渡る。すると神社に隣接した公園に出る。そこにはまた、公園の小さい広場をぐるりと取り囲んだ別の屋台が毎年並ぶ。綿飴だとか焼き鳥だとか金魚釣りだとか、扱う品は似ているけれど、雰囲気がまるで違う。
商店街の屋台が自治会の出し物で、公園前はテキヤさんだと今ならわかる。成る程、だけどテキヤさんの屋台の方が、祭りらしい不健全さを醸し出す。公園の夜間によく似合う。浴衣の女の子達も薄暗闇に綺麗に溶ける。
今日私が着たリネンのシャツもオパールネックレスも、この空間にはそぐわなかった。楽しい非日常には、街でナチュラルを気取る服より、雑多でざっくばらんな方がいい。セールで買ったティシャツとか、何度か着慣れた浴衣とか。
「なんか食う?」とダイスケに聞かれ、「どうする?」と返す。惰性そのもの。だけど醤油が焼ける匂いは良い。
「お参りしたらひと通り見ようか」
定期的に響く小太鼓の音と篝火が身体の芯に響く。そういえばここの神社の神様はなんだろう。
「そのネックレス買ったの?」
電灯でひときわ明るくなっている本殿の前で、始めてダイスケに聞かれた。
「気づいてた?」
「うん、今」
今日はまた、いつもと違ううわの空だ。
「また地味なヤツだと思ってる」
「いつもそういう感じだな」
「華やかなの苦手だから」
「女性はいろんな装いがあるな」
何かを含んだような言い方に聞こえた。
「どうかしたの?」
「転職したいと思って」
青銅製の狛犬の下を歩きながら予想外の話を聞いた。
「でもこれから探すんだけど」
狛犬の足が太くて長かった。建立が昭和五十年代のせいか、景気のいい体躯に見える。
取り急ぎ、小さい声で「そう」と返した。ダイスケは新卒で入った今の会社で真面目に頑張っている。収入も高くはないけれど、そんなに悪い方でもないと思う。よっぽど何か有っただろうか。聞いてもいいだろうか。
「違う事したくなった?」
「うん」
細かく聞いてもいいのだろうか。だけどどう聞いていいのか皆目わからなくて、
「何か手伝える事ある?」
考えも無しに言ってしまった。
ダイスケが驚いた顔をした。それを見て、私も戸惑った。
「私、何か困った事言った?」
「いや、」
だけど困った顔をされた。
「嫌がられるかと思って」
何故嫌がる必要があるんだろう。
「ダイスケの大事な事じゃない。そう決めるまでに随分熟考してるでしょ」
今までも何かある度にそうだったよね。そう促したらやっと溢した。案の定、今年に入ってからずっと悩み、思案を繰り返してきたそうだ。
「思い切り飛べるといいね」
「うん」
ダイスケの背筋が少し伸びた。上を向くのは大切だ。
ゲン担ぎに御神籤を引いた。上に大きく小吉と書いてあった。へこむダイスケに待ったをかけて、丁寧に続きを読んだ。御神籤は吉凶よりも、書かれている内容が重要だと聞いている。
「思いがけない出来事があるのでそのチャンスを生かすこと、だって」
「うわ」
「後、つまらぬ迷いに惑わされるな、取引は早めに、だって」
「はは!」
ダイスケに血の気が戻ってきた。
「じゃあ頑張りますよ」
「ダイスケにだって今までの積み重ねもあるんだから、なんとかなると思うよ」
二人の間でのイレギュラーは初めてだ。世間の波は読みにくい。でも不思議とそんなに不安じゃない。なんだかんだ言って、ダイスケは根っ子が真面目で正直だ。さして嫌われるタイプでもないだろうし、上手く道を見つけると思う。
御神籤を納め所に結ぼうとしたら、ダイスケが持って帰ると言った。御守り代わりにするそうだ。
「そういえば愛情運、読んだ?」
うっかり読んでいなかった。
「女性がリードすると良い、って書いてあった」
「ん、女性、私?」
何がいいだろう。
「じゃあ、困ったら養ってあげる。薄給だけど」
これで暫く贅沢は出来なくなった。この間オパールを買っておいて本当に良かった。
思いがけずダイスケが慌てた。そんなに悪い事を言っただろうか。
「どうしたの。挙動不審」
「いや、じゃあ、そうなる前に親御さんに話を。ちゃんと説明を」
ダイスケが駅に向かって、早足で歩き出した。
「待って、どういう事?」
「周りに心配かけないようにしとかないとアレだろう」
そういう事になった。
「待って、でも屋台で何か買いたいよ」
「だけど時間が」
「じゃあ家に買って持って行こう。皆で食べよう」
テキヤさんでカステラ焼きを、自治会の屋台で焼き鳥を買った。母に飲み物は有るかをメールで聞いて、ダイスケとこれから行くと話したら妙に緊張させてしまったようだ。もう充分心配させていた。
勢いで牛串とお好み焼きも買ってしまう。
「これで電車に乗ると、匂いが」
「かなり恥ずかしいな」
「ひとりじゃなくてよかった」
本当だよと言いながらホームで荷物を整理した。ひとりじゃなくてよかった。
「これ、原価幾らかな」
「そこ考えちゃダメだよ」
「牛串、本当に国産かな」
「一番突っ込んじゃだめだよ」
久しぶりにくだらない話で弾んだ。電車が混んでいませんようにと全力で祈った。
おしまい




