揺れたり響いたり
プレハブ建築の安普請さを知らなかったので、隣から壁をドンドンされたのにはとても驚いた。
「チカが騒ぐからだよ」
カズキに叱られて、でも納得がいかなかった。騒がせられたのはカズキのせいなのに。それから集中できなくなった。
「じゃあこそばゆいコトしないでよ」
「わかったわかった」
わかってないと思う。遠距離二年目の定期的なお泊まりは順調なんだと思う。近くのスイミングスクールが騒がしい。こども達の送迎バスの乗り降りの声。
窓を開けると、はす向かいの高層マンションから部屋の中が見えてしまいそうで、それはそれで気を使った。天高く美しき良き季節。だのにカーテンが風で揺れる度にひやひやした。
「もっと死角を作ろうよ。それか窓閉めようよ」
「やだよせっかくのいい風」
却下されて、仕方なく私はカズキを壁際に引っ張る。出来るだけ姿を隠す。でもカズキはどうにも無頓着だった。だけどいろんな相性はいいと思う。
カズキの此処での赴任は残り二年。穏やかな地方都市。近くにはそこそこの品揃えのスーパー。私の街から往復切符で五千四百円のここは、実家住み歯科衛生士の私にもなんとかなる金額だ。
「でもこの辺、いいパン屋がない」
カズキの不満解消に、誕生日にはパン焼き機をプレゼントした。「作ってくれないのか」と溢されたので「機械が上手に焼いてくれるよ。良かったね」と返しておいた。私の手作りスコーンをカズキは食べなかったから。小麦のモソモソが苦手だと弁解したけれど。
コトがすむとカズキがゴソゴソと動き出す。焼いて冷凍しておいた食パンをシナモントーストにして、カフェオレも拵えてくれたので、後発の私はオレンジを剥いた。
「最近チカの盾皺スゲえ」
二杯目は薄めのコーヒー。カズキはおでこの真ん中を伸ばしてくれる。思い当たるコトが多すぎて、私は甘んじて受ける。
勤め先の歯科医院では、先輩が日増しにヒステリックになっていた。今年の新人がドクターの好みど真ん中だったらしく、何かあったのか、奥さんがバッサリとクビにした。ドクターからの退職金が個別で別途に出たらしい噂は愛人疑惑の渦を巻き、現在の職場の雰囲気は最悪。就職二年目の私には皺寄せの八つ当たりがざんざとやってくる。
そのせいもあったんだろう、さっきは途中で諌められた。
「なんでそんなに散漫なんだよ」
確かに集中力は途切れ気味かも。でもそう言われてもこちらも困る。
「オレ、尽くしてるよね?」
だから今日はまた容赦が無かったのか。しかし私だってオトメだもの。恥じらいとかツツシミとかそれなりに。
「だってここ、集中すると響く」
「ナニしなくても存分に揺れるんだよ」
カズキはトンと床を叩いた。
「もうバレバレなんだから仕方ねえよ。ここ、欠陥住宅じゃねえかな」
「でも自分で選んだ借り上げ社宅でしょ」
「つくづく新築宣伝に騙された。次は古くても鉄筋にする」
カズキは次の物件の予定をさらりと言う。でもちょっと待って。
「異動、まだじゃ」
「この物件の更新が来月だから、それで」
カズキは窓から西を指す。
「あそこのグレーのマンション、聞いたら一部屋多いのにココと値段変わんないんだよね。日当たりもいいし」
共棲みしようと言った。
「あそこに?」「あそこに」
「どういう意味?」「そういう意味」
風向きが変わって、スイミングから塩素の匂い。
でもどうしよう。私達は若くないかな。早くないかな。それからくだらない意地なんだけど、私は逃げることにはならないかな。
医療学校を卒業する時に、担当教官に言われた言葉がある。
「出来たら最初の職場で二年は頑張ってみてください。仕事の流れがつかめますから今後にも役立ちます」
経験なんてまるで無い。先立つモノもまるで無い。
「そんなに上手く行くかな」
私の拘りをカズキはあっさり笑った。
「今から準備すれば職歴は大体二年になるよ」
正式ルートは面倒だと新婚の先輩から散々聞いたらしい。挨拶だとか仕度だとかお披露目だとか、時間と手間がかかるらしい。でもちゃんとした方が、上司のウケは圧倒的にいいらしい。
「それより退職までまたお局様にイビられないか心配だ」
「変な予言しないで!」
ちょっと、かなり面倒かもしれない。想像しただけで目眩がする。それから、私は退職金は貰えるかしら。ドクターの対応が毎回変わるのは困る。
「またひと波乱あるかも」
「そういう話が出るって事は、こっちは進めていいんだな。じゃあこれから不動産行こう。あそこのマンション、一緒に見たいんだ」
取り敢えず今月末に実家に挨拶に行きたいと早口で行われた。ムードは一切ない。
授業がひとつ終わったらしく、スイミングの前がまた賑やかになった。こども達の声が響いた。
おしまい