しろのせんせい
かなりの山奥です。いくつも谷を越えました。大きな滝も三つ見ました。霧が何度も流れ去りました。
先生は見事な銀の髪をしていました。だけど背が高く姿勢も良く肌も張りがあって美しく、お年を召していらっしゃる様にはとても見えませんでした。
「シロさんの事は、以前から和尚から聞いていました」
歩きながら聞くお話は、低く綺麗なお声で響きます。この方は男性なのかしら、女性かしら、私にはどうにも区別がつきません。
「私はタカと言います。この山奥でずっと独りで住んでいます」
最初にそう名乗られた時からずっと、私は挨拶をするのも忘れています。こんなに惚けてしまったのは、先生が今まで出会ったことのない方だったからです。
「シロさん?」
名を何度も呼ばれて、私はやっと我にかえりました。
仕方が無いじゃないか、私はいつもそう思っていました。だけど何故そうなってしまうのか、それは誰にも解りませんでした。
ただ、矢谷集落には時々そういう女の子が出るのだと、それだけは古くから伝わる文書にも綴られているのだとだけ、和尚さんから教わりました。
私はひとの心が視えてしまいます。そしてひとの心は恐ろしいものです。どんなに綺麗に繕っていても、心の中は別の者がいます。
ひとの思いと行動は連動しない。正義はひとの数だけ有り、自分の為なら嘘を吐きひとを騙し、強き流れに合わせる。そんな仕組みがこの世にはあるのでした。
その仕組みに気付く以前の幼いうちに、私は視える事実を周りに知られました。そして誰もが、本当を視て知ってしまう私を疎みました。
常平生、ひとの内側の何もかもが透けて視えます。だのに外側の世界では、違う景色がいつも作られます。私は毎日その狭間で苦しみました。普通ならきっと何でもない出来事が、私の目の前では歪み撓み、気付くといつも息切れがするのです。
最初は庇ってくれた母の中にも私を疎む気持ちが育ちました。勿論、友達も出来ませんでした。
「お前の様な力を持つ者は里では幸せになれないだろう。一緒に来なさい」
和尚さんは私を山奥に連れて行き、大きな杉の木の前で一日居る様にと言いました。
「お前を導く先生が迎えに来るから」
和尚さんは(まさか自分の代で彼の方にお世話になるとは)と、思っていました。妙な興奮も視えました。そして私から離れると申し訳なさそうに、でも「役目終了」と、糸を断ち切る様に考えていました。
成る程、私は捨てられたのだと悟りました。
その後とてつもなく大きな鷹が空に見えたかと思ったら、目の前にタカと名乗る、白い髪の先生が現れたのでした。
先生は不思議な方でした。先生の心が私からはまるで視えないのです。それは先生が『仙人』だからなのだそうです。
「修行をしたんですよ」
「修行?」
「シロさんと同じだったからですよ」
「同じ? 心が視えるの?」
では私と同じ、矢谷集落の出なのでしょうか。ならば先生は女の方なのでしょうか。
「いいえ、私は矢谷の出ではありません。別の地で生まれ育ちました」
(あれっ?)
私はまだ集落の話はしていません。
(あ!そうか!)
そうです。先生は私と同じなので、私の心が読めるのです。全てがお見通しだったのでした。
先生はこの後も私の疑問を読み取ると、私の言葉を待たずに全てを言い当て答えました。
私は段々恥ずかしくなりました。私は自分の心を読まれる経験は、当たり前ですがありません。
「先生やめてよ!」
私は叫びました。
「先生ばっかり狡い!」
とても腹が立って、わざとわんわんと泣きました。隠したい心の奥を勝手に覗くなんて狡いと、先生を許せませんでした。
だけどその言葉と思いは実は、私が今までに沢山のひとから浴びせられ投げつけられた思念でした。その衝撃で私はまた自分で自分の古傷を傷つけました。思い出して辛くなって、余計また苦しくなりました。
だけど狡い。私の心は丸見えなのに、先生のは視えないなんて。
しかし先生の感応はまた、これまでの私です。その衝撃もまた大きな痛手となって、私はもっと苦しく悲しくなって、息が出来なくなりました。
「実はどこの地にでも、そういうひとは居ます。ただ皆、他人に気付かれない様にしているだけです。シロさんは、たまたま気付かれてしまっただけなのです」
しゃがみ込む私の背中に掌を当てながら、先生は冷たいお水を飲ませてくれました。そして静かに言いました。
「だからシロさんに、私の知る術を教えます」
私は何もかもが嫌になっていましたが、しかし他に選ぶ道はありませんでした。
先生の家は東向きの洞穴の出入口に丈夫な木材で扉をつけた、とても居心地のよい場所でした。奥に貯蔵庫も作ってあります。囲炉裏や煙突、小ぶりな窓も備えられ、家の中での煮炊きが充分出来るようになっています。桧の高床も手入れがなされ、お布団やお座布の代わりは熊や猪の毛皮でした。可愛らしい飾り棚もありました。
先生は黄金色の狐の襟巻きを私に貸してくれました。
「寒い時に首に巻きなさい」
しかしそれは、街で売れば高価な値が付く毛皮です。
「いいの?」
「まだ山の天気に慣れないでしょう。朝晩は冷えますよ」
確かに夜半は真冬並みに凍えました。そしてお昼時は真夏のように暑いのでした。近くの湧き水の音だけは変わらず、絶えずさらさらと聞こえてきました。
幾日か過ぎて、私は変わらず先生の心は読めませんでした。でも先生の表情は、時々判るようになりました。先生は飄々としているけれど、よく見ると細やかなことで笑ったり、困ったりしていました。そして先生は私の心が全て読めるのに、いつも私の言葉を待ってくれました。
「先生、わかるんでしょ。察してよ」
「どうして欲しいのか自分でちゃんと言いなさい」
「面倒くさいよ!」
「おや、しかし私にはシロさんが何をどうしたいのか、さっぱりわかりませんねえ」
「先生ってうざったいよね」
「自分より目上の方とは本来皆そういうものですよ」
先生はいつも私をからかうのでした。そんな何事でもない言葉のやり取りを、延々としているだけでした。
(これって修行なの?)
昼夜での気候の激変ぶりに狼狽え生い茂る自然に囲まれ、することと言えば、先生に薬草を習って一緒に摘んだり、葡萄の蔓で籠を編んだりするだけです。なめし皮の細工も教わりました。
先生とは本当に沢山、いろんなお喋りをしました。思いを言葉で表すのはとても難しく、だけど充実した作業でした。
そういえば私は物心ついてから今まで、誰かとちゃんとした交流をした事が無かった。いつも怖がられて疎まれていましたから。いつも隠れたり、いじけたりしていましたから。
ここに来て丁度百か日が過ぎた頃、先生が言いました。
「下に降りてみましょうか」
「何をしに行くのですか?」
「お商売です。拵えた品を売りに」
私は躊躇しました。例え一瞬でも、もう谷屋集落には戻りたくないのです。懐かしいけれど、辛い事の方が多い所だからです。しかし先生はさらりと言いました。
「来た方角と逆に降りると、賑やかな街道が続いているのです。きっと楽しいですよ」
先生は私の心ではなく、私の顔色を読んだのでした。それが判ったので素直に「はい」と言えました。私はひとの様子を読む作業を、先生を見て覚えたのでした。
街道沿いの街は、ひとの流れが賑やかで雑多で華やかでした。
(シロさん、疲れませんか?)
道中、先生は私をいつも労わってくださいました。だけど私は昔より思考の波に呑まれなくなっていました。
(先生、苦しくないです)
私は先生の心に直接話し掛けました。
(前と同じ様な衝撃が来ているみたいだけど、大したことないです)
(ほう、)
(それにここは矢谷よりもひと同士の心の距離がありますね。とても軽快で、浅い)
(それはここが街道だからですね。流通で何もかもが交ざりますから)
(後、近づかない方がいい気配も前より判りやすいです)
(それはよかった)
先生は私に「身体が出来たのですね」と言いました。過去に一通り経験した事が自分の中で消化された。無駄な恐怖心が無くなったから融通も効くようになった。細かい事が一々気にならなくなった。知らん顔も出来るようになった。
「シロさん、沢山修行が進みましたね。さあ、着きましたよ」
気が付くと、黒光りする瓦の美しい、商家の前に立ってました。いろんな商品が山積みの、丁稚さんが沢山いる、立派な建物でした。
先生はその店に薬草と籠、なめし皮の袋を卸しました。そこで私は五年間奉公する事になりました。先生とはずっとお付き合いのあるお店なのだそうです。
「大丈夫ですから、ここで暮らしてみなさい」
「先生はまた迎えに来てくれるのですか?」
「私はいつもシロさんの心に居ますよ」
狐の襟巻きはとってありますから、あれはシロさんの物ですからねと言ってくださいました。
山での生活は百か日だったと思っていたのに、山を降りたら百年が過ぎていました。もうこの世には私の昔を知るひとが、誰一人いないのでした。
(先生はやっぱり仙人だったんだ!)
そんなに時間が立っていたなんて知らなかった。母にはもう会えないと気付いた時は流石にほんの少し泣けたけれど、でもそれよりもずっと、心が楽になりました。初めて先生に会った時に見た、大空を行くあの大きな鷹を思い出しました。
(そうだ、私はやり直すんだ)
私はこれから新しく飛ぶのだ。先生には五年働くようにと言われたけれど。
(だけどこの時間は、先生の中では五日になるのかしら)
時々空を見上げると、その大きな鷹が飛んでいるような気がしました。その度に先生が、どこかで見守ってくれているといいなと思いました。
働いている間にはややこしい事も有りましたが、困った時は先生の仕草を思い出して動いていました。飄々と、淡々と、過ごしてきました。
奉公して四年目に、旦那様の知り合いの方に見初められ、縁談のお話をいただきました。
(先生、どうしよう?)
心に問うと、どこからか「自分で決めていいですよ」と聞こえました。呼ばれるように近くのお稲荷様に出向くと、祠の前のおきつねさんには、あの襟巻きが巻いてありました。
私は縁談を受けることにしました。
夫は優しく、五人のこどもと十二人の孫に恵まれました。十番目の孫が私と同じ視えるこどもだったので、先生に教わった術を自分なりに伝えました。困った時はいつも心の中で先生に聞きました。姿は視えなくても、いつも先生はいました。
孫は無事に世の中に出て行きました。それから間も無く、私のこの世での修行が終わる間際になってやっと、先生は来てくださいました。
「先生、遅いですよ」
「シロさん、五十日も頑張りましたね」
「もう戻ってもいいですか」
先生は初めて私を、あの鷹に乗せてくれました。大きな鳥は、私を大空に寄せてくれました。
おしまい