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すみっこ・はしっこ

 長らく憧れていた職場関係の方が御結婚だそうな。お相手の猛プッシュに陥落したそうな。

 なのでこっそりシクシク泣いてみた。しかし私はヒキなので、アプローチなどはしなかった。

 何よりキョドったオナゴに告られた所で、相手も辛いだけだろう。店員にすらプゲラな対応をされがちな、女子力皆無の私である。

 重い足を引きずって帰る。甘味が苦手な私は特売の竹輪を肴に安い発泡酒をコクコクと呑む。冷蔵庫内のカニカマも出す。魚ニソもあった。この練り物三昧は何だろう。

「みっともないなあ。せめて切って皿に並べろよ」

 同居中の大学院生の弟は激おこだが気になどしない。

「丸齧りウマー」

「普段からそんなだからお里が知れるんだぞ。何処で誰が見ているかわかんねえだろ?」

「いいえ大丈夫ー。誰もが慌てて私から目を反らすワー」

「お年頃って言葉知ってるか?」

「ウっサイなあ。添削してあげるんだから! 早く! 履歴書書き上げな!」

 弟はむくれた。母にも彼の就活を気に掛けるよう頼まれてはいる。がしかし、私の気遣いは全て職場で消える。弟よこれが社会人だ。色々わきまえてほしいと切に願う。

 煩いバラエティを死んだ魚の様な目で見つめ、テーブルの上の濡れた空き缶の薄っぺらさに唐突に気付く。

(こんな私に優しくしてくれる誰かなんて、居る訳がないよねえ……)

 オノレの不出来さを知らしめる食品の空容器達。安売り食材はお値段通りのクオリティ。ちゃんとした栄養が取れていない事実に、乙女の残骸が心の奥底で寝込む。私はなんて往生際が悪いんだろう。


 なので有給を取ってみた。もう一度行きたいと切望していた、曽祖母の家を訪ねる事とした。曽祖母亡き後は無人の、しかし幼い頃は毎年お邪魔した山奥にある古民家だ。

 こんな時はオノレのルーツでも見直そうではないか。幼い時の私ならまだ可能性の欠片はあった筈。成長の度に枯れていった希望の息吹が、あの懐かしい田舎の何処かに、僅かでも残ってはいないだろうか。

 目指す家は県境の集落だ。現在地から検索すると、数年前に開通した新幹線を使えば日帰り可能になっている。

 幼い頃の私達姉弟は、単線列車に揺られて出掛けた。大好きだった運転主の真後ろ、先の線路が見える席。街と集落を飛ばし、深い川が流れる谷間をすり抜け、トンネルを幾つも幾つも通った。時間の粒子を身体で感じ、だけど時は永遠なのだと、疑いもしていなかった。


 しかし永遠なんて此処には無い。曽祖母の家はとうに眠りの中だ。

(当たり前だよね、あるじが居ないんだから)

 動揺を抑えつつ、隣の敷地にある一族の本家にご挨拶に伺う。小さい菓子折りを用意してよかった。

「家って誰も住まないと傷んでしまうでしょう、それで今度取り壊す事になって。でもその前に来ていただけて良かった。どうぞ見ていってくださいね」

 濃くて美味しい緑茶を前に、在宅中だった大奥様が説明してくださった。あの家は元々は本家の所有だったとか。以前からあった「隠居部屋」を、曽祖母が間借りしていたのだとか。

「中も埃だらけで。もう土足で上がってくださいね。床の底も所々たわんでいますから」

 その古い玄関を開けていただくと、懐かしい家の匂いがした。

「伯母様はとても丁寧に住んでいたので、そこにあった欄間や襖も充分綺麗でね。それで外して、欲しがっていたご近所の皆さんにお譲りしたんです」

 畳も払われ、閑散とした室内。それでも台所には昔のバスの時刻表や町内標語がまだあった。窓のレトロな飾りガラスが、埃と光でユラユラ揺れた。

 本家のお仏壇の御参りをさせていただいた後においとまをし、早急にバス停まで戻った。バスの本数が少ないので、乗り遅れだけは避けたかった。


(そうだよなあ)

 バスの中から緑の田畑や山々を眺め、駅前広場の古い蕎麦屋で遅いお昼を取りながら感じ入る。

(いつまでも変わらないものなんて無いんだよ)

 だが曽祖母の家はいい方だ。欄間や襖の殆どはご近所での次のお役目に向かい、あのユラユラな飾りガラスや階段部分も、古道具業者が近々買い取りに来るのだから。

 これは生き方にも通じている。曽祖母は亡くなる前日まで畑仕事をし、ご近所に採れたての茄子とアスパラガスをお裾分けしたという。そして次の日の朝に玄関先で倒れ、そのまま逝ってしまった。

 葬儀の時、私は悲しかった。皆も悲しかった。だけど大人は異口同音に「あの潔い生き方を見習いたい」と話していた。始末の美しい曽祖母に皆が憧れたのだ。

(それなのに私はどうだ?)

 そうだ。私にも曽祖母の血が少しは流れている筈なのに、潔さの欠片も無い。この喪女っぷりはどうしたことか。

(そうか。今日は曽祖母にオノレの駄目出しを出して貰いに来たのか)

『もうちょっとなんとかしようよ』

 きっと草葉の陰、じゃなかった、畑のアスパラガスの藪の中から、私を眺めていたに違いない。

(そうだ、このままでは申し訳ない!)

 妙に力が湧いてきた。その勢いで駅周辺の商店街を一周し、思い立って目についた陶器屋で、目についた湯呑を二つ買った。本家で頂いた濃い緑茶を自分でも煎れよう。曽祖母を思い出させるふくよかな緑の香り。

 陶器屋のおっちゃんには「これはいい瀬戸物なんですよ」と言われたが、二つで二千円がお買い得なのかどうか、残念ながら私にはさっぱりわからなかった。


「なんでお茶受けがスーパーの安売りカップケーキ」

「大ばあちゃんちの仏壇スイーツといえばコレでしょう」

 夏休み、お盆時期の曽祖母の仏壇にあったお菓子である。帰り道に駅前のスーパーで新茶を買う際に、たまたま見つけた懐かしい駄菓子だ。

「六つもあるけど、姉ちゃんは食わねえよな」

「キミは大好きでしょうよ」

「バサバサしてる」

「でも懐かしいでしょうよ」

 新茶はまだ上手く淹れられない。そもそも急須も無くて、無印の紅茶ポットで代用だ。今度お給料が出たら買わねばならぬ。

 モソモソと二つ目を貪る弟の横で、「さて」と私はアイロンを用意する。

「どうした! 何があった!?」

 今まででは無かった光景を前に弟は目を見開いた。

「宣言しよう! お姉ちゃんはこれからは面倒がらずにアイロンを掛けようと思います!」

 でも急に頑張ると長続きしないので、すみっことはしっこだけを綺麗に掛けるのが目標だ。曽祖母はいつも着物の襟や布団のシーツを糊かけしてパリッとさせていた。でも今の私に糊かけは難易度が高いので、手始めはアイロンからである。

「何があったかは知らないけど、やる気になってくれて嬉しいよ」

 弟はスーツのズボンを差し出しながら私を褒めた。

「ではオレは明日が面接なので、プレスをよろしくお願いします。あっ、直接掛けるなよ、当て布しろよ!」

 レクチャーを受けながら私は、弟のズボンのすみっこを、はしっこまでアイロン掛けするのだった。


 あの曽祖母の家が幼い頃から、ずっと、とても好きだった。あんな家に住みたくなった。あの家に似合う私になろうと思った。

 そういえば、あんなに気に入っていた職場関係のあの人の事が、まるで気にならなくなっていた。ご縁が無いものだから、心にも残らないのだと思った。




 おしまい

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