スタッキング
安物の器がひとつずつセンスのいい食器に交換されてゆく様が、私の充実の証だと思う。
大学進学を機に地元を離れ、そのまま街で就職した。仕事への慣れに比例してストレスも増えたので、プライベートにも心をくだいてみることにした。
日常の空間を整えるのは存外楽しく、シックな陶器に触れる度にこれも自己投資だと気付く毎日。貯蓄は低迷しても、オノレの稼ぎで生活を創る幸せは何物にも変え難い。
「ただの白い皿にしか見えないんだけど。百均とどこが違うんだろ」
探して入手した製造中止のイッタラの無地プレートを前に、コウキはおよそ設計の仕事に携わるとは思えない台詞を吐いた。
「いつもそんな無骨なセンスで仕事してるの?」
「流行りの気配だけで判断するのもイカンでしょうよ」
フォルムが全然違うんですと促したけれど聞いてはいない。
「わかった!高い買い物をしてその度に自分が高級になった幻想に浸るんだな、エリコは」
「そんなコウキにはパン祭りのお皿で配膳してあげましょう」
私の言葉の棘に気が付くがいい。キャベツと鳥肉オンリーの塩焼きそばを雑に盛って出してやる。斜めに置かれた半熟の目玉焼きが所在無げに揺れる。
「いつも焼きそばだなあ」
「土曜のお昼は全国的にそうと決まっているのです。青海苔と紅生姜は自分で用意するがいいわ」
コウキは冷蔵庫から大小の琺瑯の容器を出した。
「オレのどっち?」
「そっち」
「こんなに食えねえ。昨日飲み会だったんだ」
コウキは男子用に心持ち多めに盛ったパン祭り皿をこちらに戻し、結局イッタラに盛った私用のに紅生姜やらをごっそり乗せた。結局いざ使い始めてみれば、いつも気に入ってしまうのだった。
ひとつ目のイッタラは友達からのプレゼントで、紺色のマグカップだった。以前からの北欧流行りで商品自体は知ってはいたけれど、シンプルさと値段が釣り合わない気がして、その時まで手に取ろうとした事はなかった。だけど使ってみたらとても感じが良く、私の欲しかったモノはこれだと開眼したのだった。
そうだ、私は気にいるとそれを延々と使い込むタイプだ。若い女性にあるまじき装飾品の少なさもそこに原因があるのかもしれない。
そのマグカップも今は色違いでグレーもある。いつも何故かコウキが使うけど。
「兄貴が向こうで結婚するってさ」
「ふうん」
「多分、もう地元には戻らないな。相手はひとり娘だそうだから」
「帰りたかったら採用試験も受け直さないといけないんだっけ」
コウキのお兄ちゃんは他県の教育学部に進学して、そのままその地で教員になった。在学中から大学の先輩と同棲していたと聞いてはいたから、その人なんだろう、多分。
「じゃあおじさん達、ガッカリしてるでしょ」
「親父はアレだけどオフクロが結構キテる。長男ラヴだったから、あの人」
その様子はすぐ目に浮かんだ。ご家族にとっては自慢のお兄ちゃんだったから。
「美味かった。コーヒーも貰っていい?」
「セルフでどうぞ」
コウキは空いたお皿をシンクに下げると、勝手知ったる様子で支度を始めた。
「一緒に飲む?」
「うん」
二人分の豆をミルに掛けた。騒がしい粉砕音と香ばしい香り。私はコウキの背中をぼんやり眺める。
「あのさ、コウキ」
コウキは振り向かない。ミルの音が煩くて届かなかっただろうか。私の声も小さいだろうか。
「いい機会だから、もう来ないで欲しいんだ」
聞こえていないだろうか。湯を沸かしながらフィルターをセットする白のティーシャツの背中。細く湯を落とす腕。
「エリコは自分の気に入ったものしか周りに置きたくないんだな」
なんだ、聞こえてた。
「コウキ、夕べもモテたんでしょう?」
「好みじゃない人にモテても仕方ない」
「もう私に執着する必要もないでしょう?」
お兄ちゃんはもうこの土俵には居ないでしょう?
私たちはご近所同士の幼馴染で、私はお兄ちゃんがずっと好きで、コウキは私をずっと好きだと言った。
でもコウキの私への執着は、お兄ちゃんへの敵対心だとすぐにわかった。
コウキは背がお兄ちゃんより十センチ低くて、成績もスポーツもお兄ちゃんよりワンランク下がせいぜいだった。だのに顔つき身体つきはソックリで周りからはミニチュア扱いされて、心の中ではいつも拗ねているのも私には見えていた。
うっかりお互いを慰めあってしまった事もあったけれど、それでもあの時は仕方がなかったと思っている。そういう時期だった。それが、ちょっと多かった。そういう事もあると思う。
「だからもう辞めよう。いい時期だよ」
お兄ちゃん、もう結婚だよ。もう他の土地で生活するよ。
「ごちそうさまでした」
コウキはいつもの通り、ゾウの形の貯金箱に三百円を入れて帰った。一食につき三百円払うのが、コウキがうちに遊びに来るルールだった。
本当にもう、ここに来たらいけないよ。コウキはお兄ちゃんから解放された方がいいよ。
「エリコだって兄貴以外のヤツはダメだったじゃないか」
「それよりこの荷物はなんなの!?」
次の日の日曜日、ゴロゴロ煩いデカい箱鞄を連れたコウキが乗り込んで来た理由がわからない。
「昨日万札入れたからいいだろうよ。暫く宜しく」
指差す先にはゾウの形の貯金箱。確認すると諭吉が三人。三人!?
「もう来るなって言ったのに!」
「ここまできたら突き詰めないといけないと思ったんだよ!」
キツい目付きで噛み付かれた。
「色々思い返したけどな、終わる為にはそれぞれがコテンパンにならないと一生燻るんじゃないか?」
「脅さないでよ!」
私が一番執着だらけじゃないかって言わないでよ。気付いてないと思ってたかなんて、変な勝ち誇り方しないでよ。
「これが終わってから次に行けばいい。エリコはオレを踏み台にすればいい。今のままじゃまたお互い上手く行かない」
コウキに私の弱い所を見せるんじゃなかったよ。
「見た目は似てるからいいじゃないか。兄貴よりグレードは落ちるけどな」
「車みたいな説明しないでよ!」
了承する前に荷物を解かないでよ。てかそこでパソコン繋ぐな。
「でもこのグレードがエリコの今の実力なんだ。残念だったな」
「その自虐も良くないよ!」
コウキはコウキだよ。
「気付いてないみたいだけど、コウキとお兄ちゃんは全然違うひとだよ」
コウキだってちゃんとハイグレードなんだよ。コウキ自身の理想とは、少し違っただけなんだよ。
イッタラを揃え始めていた食器コーナーに、パン祭りのお皿を重ねる。
「それ使うからまだ捨てるなよ」
「収納が決まらないじゃないよ」
本当はそろそろ伊万里も欲しかった。
「多少バランスが悪い方が暮らしやすいもんだよ」
「すっきりしない!」
時々コウキの首根っこをひょいと掴んで運びたくなる。
「自分の気に要らないモノも少しは側に置いとけ」
それが許容になるんだと諭されたけれど、都合のいい様に騙されている気がしてならなくて、やっぱりコウキを放り出したくなった。
「じゃあお皿の仕舞い方は自分で考えて」
「おお」
シンクの前、コウキとザブザブ洗い物をする。使い込んでコテンパンにこなれたのなら、お互い何かが見えるらしい。
「パン祭りの皿の丈夫さ、スゲエな。傷も付いてない」
あやかりたいなと笑いあった。お湯を使って洗ったので、二人とも汗だくになった。
地元から遠く離れた場所で、幼馴染同士が、好きと執着の区別がつかない合宿をする。贅沢な遊びだと思う。
また泣かなきゃいけないかもしれないと怖がったら、上手くいくかもしれないだろうとまた諭された。その日は蒸し暑かった。汗だくついでに二人でベランダの掃除もした。
おしまい