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霧雨としっぽちゃん

 葉桜の美しい出会いの季節に、社内に大きな変化があった。

 三十路のキタノさんは細身で浮いた所も見当たらない、真面目で律儀な独身社員だった。その彼の初めての無断欠勤はとても不自然だったので、心配した同僚が朝礼後に自宅まで出向き、そこで意識を失って倒れている彼を見つけたのだった。

 搬入先の病院で「もう少し発見が早ければ」と診断され、誰もが悔やんだ。発見当時、キタノさんの飼い猫のしっぽちゃんがずっと、倒れた彼の耳元に寄り添って離れなかったそうだ。


 キタノさんの御両親は既に他界され、お身内も他家に嫁がれた実妹さんしかいないという。しかもその実妹さんには動物アレルギーがあるそうで、猫好きの上司はしっぽちゃんの行く末を案じていた。

 しっぽちゃんは白い、でも尾だけが茶色の縞模様が入ったメス猫だ。愛情たっぷりに育てられていたらしく、毛並みはツヤツヤで顔付きも優しかった。だけど事情を全て理解しているのか、ケージの中ではずっと蹲っていた。

「うちで飼えたらいいんだけど……だれか里親になれないかい?」

 しかし上司の家も当時お嬢さんの出産里帰り中で大わらわで、しっぽちゃんの行先は煮詰まった。結局一人暮らしを始めたばかりの私が手を挙げたのだが、その日はキタノさんの初七日だったと思う。


 名乗りを上げた理由はふたつあった。ひとつはペット可物件に入居した事、もうひとつはキタノさんに頼まれたからだ。

 とはいえ私はキタノさんと生前何かあった訳では無く、実は死後によく接触する様になった変則社交だ。私は幼少時から所謂視える体質で、こちらから声を掛けてしまったのだった。

「タケダさんが僕を判ってくれて助かったよ」

「お亡くなりになってまで出社しておいでなんだもの」

「しっぽの事が心配で」

 魂だけになったキタノさんは自分の葬儀後、実妹さんと同僚がしっぽちゃんを部屋から連れ出すのを天井から浮遊しながら見ていたそうだ。それで居ても立っても居られずしっぽちゃんを追いかけ、不本意ながら会社に常駐する羽目になったらしい。しっぽちゃんはしばらく会社の会議室で飼われていたからだ。


 私も普段は視えてしまっても全て無視する事にしているのだが、今回はキタノさん達がどうにも不憫で仕方が無かった。キタノさんはオロオロし、しっぽちゃんはキタノさんの魂に向かっていつも悲しげに鳴いていた。それで一人暮らしの予定を前倒しにしたところもある。




「じゃあ私は出掛けますので、後はおふたりでごゆるりどうぞ」

「いってらっしゃい、お気をつけて」

「にゃー」

 毎朝私は、幽霊のキタノさんと元気を取り戻したしっぽちゃんに見送られて出社する。キタノさんは私が出勤する時間になると、何処からか入れ替わりにやって来た。一応オンナの一人暮らしなので、彼なりにこちらのプライバシーは尊重しているらしい。その後は私が帰宅する間際までしっぽちゃんの側で過ごし、私が戻ると「では失礼しました」と丁寧な挨拶をして、再び何処かに出かけていった。

「それにしてもタケダさんって鉄壁だね。生前から思っていたけど」

「鉄壁?」

「うん。この部屋結界が凄いから。僕みたいな浮遊なヤツ、勝手に入りにくい感じ」

「結界なんて大げさな。だけど確かに無意識に壁は作ってるかもですね」

 幼い頃から身近だった超常現象は私をスピリチュアル的に逞しくさせた。気味の悪い体験に苦しんだ事もあったけれど、今では自分の身だけはガード出来るようになっている。

「それでタケダさん、生きてる男性にも隙を作らないんだね」

「それは関係ないです」

 そういう見えない立場の方とも、軽口を叩ける立場になっている。


「でもキタノさん、お分かりだとは思いますけど」

「はい、勿論承知しています」

 私は霊能者の類とはちょっと違うので、例えば除霊だとか魂を上にあげる作業は一切しない。だからキタノさんには自力で成仏していただかなければならない。常識的にはやはり四十九日が妥当だろうか。

「ちゃんとそのつもりだから心配しないで。しっぽも落ち着いてきて僕も安心したから」

 キタノさんはベッドで寛ぐしっぽちゃんを撫でながら穏やかに言った。


 でも私も大丈夫だと思っている。というのも、キタノさんのお迎えであろう、そして多分キタノさんの御両親であろう方々が最初からチラチラ視えていたし、あちらへの案内係の使者も節目毎に確認出来ていたからだ。




「タケダさんの好みもなんというか、しみじみと質実剛健だね」

 判を押した様な平日の暮らしと越してきたばかり故の土日の片付けぶりを見たキタノさんは、遠慮がちに私に言った。

「それって、オンナっぽくないって意味ですね?」

「イヤイヤそんな、えーっと」

 キタノさんは返答に困っていた。確かに私の好みは家具も手荷物も身につけるモノも、女子力から一番遠い地味な類ばかりだ。でもひとつひとつが老舗の品だったり、国産のベストセラーだったりするので、その品質の良さを逐一キタノさんに説明してみた。

「そしてそんな私のこだわりを一番理解しているのはしっぽちゃんなのです。ほら」

 この部屋にもすっかり慣れたしっぽちゃんは、私のオーガニック綿毛布を愛してやまないのだった。純ウールの膝掛けも高級リネンのタオルもすっかりお気に入りで、見るといつもスリスリしている。

「うーん、確かに本物を見抜いてるなあ」

「でしょう?」

「そうか、しっぽは金のかかるオンナだったんだ」

 キタノさんは

「家では廉価な布ものしか用意出来なかったからごめんな」

 と、しっぽちゃんにむかって謝っていた。

「僕の日常は全体を程々管理するだけだったから」

 でもそんなキタノさんこそきっと一番の質実剛健なんだと思う。社内でのムラのない仕事ぶりを思い出した。


「それなら私と違って無駄遣いもしてませんね。貯めていらしたのでは?」

「いや、そうでもないよ」

 キタノさんは淡々と言った。

「奨学金の返済やら実家の固定資産税やらで諭吉の行き先が決まっていただけ。だからタケダさんみたいなプライベートの充実も無縁で」

 本当に大した事してないや、生きてる間に何してたんだろうね、そう呟いて、しっぽちゃんに「なー」と怒られていた。

「ほら、しっぽちゃんが私に会う為でしょ、って言ってますよ」

「あはは、そうだね、会えて幸せだったな」

 キタノさんの言葉にしっぽちゃんは尾をパタパタと振って「そうよ」と答えた。




 五月の終わりに大陸からの高気圧で気温がぐっと上がった後、例年より前倒しで梅雨が来た。湿度が高いとそういう立場の方たちは活動しやすいので、キタノさんも忙しそうだった。期限が迫っていたので余計だったのかもしれない。


「ご挨拶したい方にはもう全員会っていらっしゃいました?」

「うん、でも誰も気付かなかったな」

 しっぽちゃんは今日もキタノさんに寄り添って寝ている。

「わかる人もたまーにいらっしゃるんですけどね」

「ありがとう。でもまあ僕ならこんなもんかなあって思うよ」

「きっと誰もがこんなもんなんですよ。特別なんてそうそう無いですもん」

 最近はキタノさんもこの空間に慣れてきていた。時々夕飯も一緒に囲む。とはいってもキタノさんにはどのメニューも陰膳かげぜんになるのだけれど。


「明日でとうとう四十九日ですね」

「ああそうだ、お世話になりました」

 キタノさんはペコリと頭を下げた。

「出立の手順もわかったし、お陰様でちゃんと出来そうです。本当にありがとう」

「何か食べたいものはありますか?リクエスト受け付けますよ」

「え、そんないいよ、申し訳ない」

「いいえ、せっかくですから何でも仰ってください」

 促すとキタノさんは暫く考えてから言った。

「じゃあ、崎陽軒のシュウマイお願いします」

 会社帰りに駅前で購入して、二人でビールで乾杯した。しっぽちゃんには蒸したキャベツとササミにした。

「今夜はちゃんとずっと居てくださいね。しっぽちゃんと一緒に寝ていってください」

 キタノさんはちょっと驚いた後、「はい」と真面目な顔をして言った。




 明けた早朝、キタノさんは白いヘルメットを被って黒いバイクに乗っていた。そのタイプの中型にずっと憧れていたのだそうだ。

「両親が持って来てくれたんだ」

 それで向こう岸まで行くのだという。

「お気をつけて。擬似同棲、楽しかったです」

 最後にそう伝えたらキタノさんが笑っていた。

「今更気付いたんだけど」

「はい?」

「今世でのご縁はこういうくだりだったんだね。薄いつながり」

 どう答えていいのか迷っていたら

「夕べ泊めてもらってやっと思い出した。昔、僕らはこうやって川の字で寝てた。あれは前世?」

「どういう間柄だったかも思い出しました?」

「いや、そこまでは」

 そんなアヤフヤ感が今世らしくていいと思った。向こうで答え合わせなさってくださいと言ったらまた律儀に「はい」と答え、しっぽを宜しくと改めて言われて、バイクのエンジン音が響いた。


 しっぽちゃんは暫く梅雨空を見上げていた。

「紫陽花が綺麗に咲いたね」

 窓の下、お隣の庭を見ながらしっぽちゃんに言った。ご縁は面白いなあと呟いたら、しっぽちゃんが茶色の縞の尾を私の腕に絡めてきた。細かい雨のカーテンは、薄い絹のレースに見えた。




 おしまい



挿絵(By みてみん)

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