ひかり回覧
トシキが休みの日はどうしても怠惰になる。今朝もそうだった。いつもの早い時間にトシキが飛び起きて私も焦って、だけど二人で休日だと思い出すと、トシキは「ラッキー」と言いながら私の横に舞い戻った。
早起きの得意なトシキは起きぬけに必ず私の隣でゴソゴソと動く。だけど最近までの悪阻の名残りを考慮するのか、もう以前の様な無茶はしない。必ず宝物みたいに扱ってくれる。頭のてっぺんから爪先までを、モソモソと優しく撫でる。
仲良しなスキンシップで身体の力がぐんと抜けて、また一段と眠くなる。特に休日で気が緩むと、お腹の都合の体調不良を取り返すように溶ける。どこかに流れて潜り込んで染み込んで、もう出られなくなるかもしれない。
今朝も気が済んだトシキはその後ランニングに出掛け、私は一人で二度寝をした。国防最前線に携わる彼は、非番でもいつも身体を鍛える。私は後ろめたさを感じながらもシーツの海に沈み込む。
気付くと十時を過ぎていた。居間からのトシキの気配に意識だけ飛ばす。小鳥達が木陰に隠れる街路樹の葉音。目を閉じていても瞼の向こう側が眩しい外光。影の濃い、空と海の青い島に異動になって一年。珈琲の香り。オイルを使った気配もする。何を焼いたんだろう。卵とベーコンだろうか。
(パンは焼いてないかな……)
きっと好きなものだけを並べている。冷蔵庫にはサラダの準備があったのに。ちゃんと起きて綺麗に用意出来ればよかった。
怠惰すぎる。起きるキッカケが掴めなくてお腹に気をかけながら寝返りをうつ。すると中でもムニュムニュと動いているのがわかる。この子もきっと私に似て怠惰。
「ねえ、動いてるよ」
居間に向かって声を掛けたら、トシキは素早く傍らにやって来た。
「どう?」
「ほら」
お腹に手の平を当てさせたらまたよく動いてくれて、トシキが嬉しそうに笑うので、いい休日になりそうで良かったなと思った。
私達は同じ地域出身で同い年なのに、校区はずっと違ったせいで、お互いをまるで知らずに過ごした。
出会ったのは故郷から随分離れた西の街。私の入学した学生誰もが底辺国立と自虐する大学と、トシキが訓練生として入隊した基地があった海沿いの土地。曇り空が多く思いがけず雪も積もる、端っこ風情の小さなモールのフードコート。アイス屋のバイトとお客さん。
吸い付く磁石みたいに仲良くなって、でもトシキは二年後に次の教育過程施設に異動で。
正直、それで終わると思っていた。こんな私にも何故か言い寄るひとは居たし、バランスのいい思考と体躯を持つトシキにも誘惑はそれなりにあった筈。だのに何故か続いた。それどころか、離れたらもっと親密になった。熱に浮かされて私の卒業を待って入籍して、それから私は光の中にいる夢を、何故かよく見る様になった。
夢の中では私がお姉さんで、トシキが弟だった事があった。トシキがお父さんで、私が娘の時も。反対に私がお母さんな事も。男女が入れ替わっているパターンもあった。ただいつも光の中で、私達は手を繋いでいた。
この地に赴任になって揺れるフェリーのタラップを降りた時、島の日差しの強さに懐かしさすら感じた。何しろ夢の中とそっくりだったから。ここに二人で来るのは運命だったのかとか、お伽話の様な勘違いもしそうになった。
光は明るくて明るくて同時に影は濃くて、表裏一体、そんな言葉を急に思い出したりもした。同時に気をつけようとも思い直した。何に対してかはわからないけれど、常に気持ちが急いだ。緩んだり締めたり。でもきっと生活って、そういうものなんだろう。
だけど夢はいつも私達の世界の隣にあるようだ。隣の世界でのトシキはきっと私のお父さんなんだろう。夢は数珠つなぎで、その隣では私達は姉弟で、その隣では私がお母さんなんだろう。男女だって入れ替わっているだろう。
だって家庭を作ると二人の役割がくるくると変わるから。恋人時代とまた違って、私が勝手をしたりトシキが我儘になったり、傲慢や狡さを垣間見て怒ったり、許したり。どんどん違うカードを見せ合って出し合って、何かを築いている様だから。
今朝も夢を見た。光の中で、トシキが私を背に歩いていた。声が背中から響いた。二人の役割はどんなだったのだろう。どこの道を歩いていたんだろう。
外が眩しくて仕方が無い。
「今日はどうしたい?」
お腹を撫でて耳を済ましていたトシキに聞かれた。
「まだ眠い。このまま寝ていたい」
「天気いいぞ。少しは動け。起きろ、ほら」
ガーゼ蒲団を奪われる。
「昼飯は外にしよう」
「そういえば掃除機のフィルター、なかった」
「それはネットの方があるかも。品番ナニ?」
見なきゃわかんないと呟く。起きて見て来いと促される。ヨイショと言って叱られる。いよいよ休日が始まってしまった。
「あーもううー」
「なんで怒るんだよ」
休日が始まってしまったからだよ。始まると終わって、また日常に戻るからだよ。
最前線基地でそういう仕事だと覚悟はしていたけれど、見ると聞くとではやはり違う。空を飛ぶ爆音。毎朝イッテキマスと出掛けたトシキが、ひょっとしたら帰ってこないかもしれない、毎日の小さな硬い緊張感。帰宅した時のタダイマの声と、例えば汗とか、職場の機械に纏う匂いとか、そういう、生きた気配。
光の眩しさと影の濃さ。それは誰にでも等しく当て嵌まる話なのだけれど、私だけが抱えている不安ではないだろうけれど。
だけど休日だとそういう事実が少し緩むから。少なくともその瞬間は側に居るから。ずっと休日の朝ならいいのに。
宿してからのあまりの感受性の強さに思春期を思い出す。そういえば実母は私を妊娠中、第六感が鋭くなって困ったとか。大姑さんの葬儀で残像が見えて見えてウンザリしたとか。怖がらなかった所が実母らしいと笑って聞いた。かくありたいと最近は思う。
「今日はアイス食いたいな」
「私はお腹が冷えるから食べないよ」
「いいよ、オレが二つ食うから」
光の中だけには居られないのが現実で、実物には何にでも影が出来て。紫外線がキツいからちゃんと肌対策もしないといけなくて、そういえば私は先日サングラスを無くしていて。
そうやってくだらない現実の雑多で、ぐだぐだと溺れられるといい。何かを憂いても仕方ない。光は強くて熱いものだ。
何度も夢を見る。きっと何かの役割を変えた後の二人の夢。またはこれからの予定の図。それが答えで宿題で、今の課題がこの世界で。気付かないで終わると誰かに叱られるだろうか。誰に叱られるんだろうか。そのやり直しは出来るかしら。それは今かしら。感受性の波がわさわさ動く。
トシキの要らないシャツを出してもらおう。子供服にリメイクしよう。毎日トシキがちゃんと帰ってくるようにどこかに祈ろう。光の中でいつも一緒にいられますように。夢が数珠つなぎで続いていますように。
気づくと祈ってばかりだ。もうすぐ三人になるからだと思う。夏の様に外が眩しい。影が濃くて、もう小さい。ぐーとお腹が鳴って、トシキにちゃんと三食摂る様にと厳しく叱られた。
おしまい