婚約破棄された妹の代わりに、最強の姉が王太子をぶっ飛ばしました〜この国では私がルールです!〜
「エミリア・フォン・ローゼンベルク! 貴様との婚約を破棄する!」
王太子の声が、夜会の広間に響き渡った。
音楽が止まる。
貴族たちの視線が、一斉にエミリアへと集まった。
「……理由を、お伺いしてもよろしいでしょうか」
エミリアの目に涙が浮かぶ。
「決まっている! 貴様が聖女セシリアをいじめたからだ!」
王太子の隣では、金髪の少女が怯えたように身を寄せていた。
「わ、私のせいで……申し訳ありません、エミリア様……」
「セシリア、謝る必要はない! この悪女め!」
「そ、そんな。なんでそんな……」
エミリアの目から、大粒の涙がこぼれた。
広間の隅で、銀髪の青年が拳を握りしめた。
そのときだった。
「……泣かせたわね?」
静かな声が響いた。
人々が振り返る。
そこには、一人の女性が立っていた。
「誰だ、貴様!」
「エミリアの姉、アルセーヌよ!」
「姉だと? ふん! 姉妹そろって余に逆らうつもりか!」
アルセーヌは答えなかった。
ただ、ゆっくりと拳を握った。
「お、お姉様……?」
エミリアが顔を上げる。
アルセーヌは妹に優しく微笑んだ。
「大丈夫よ、エミリア。お姉ちゃんに任せなさい」
そして、王太子へ向き直る。
「さて、殿下」
「な、なんだ?」
「歯ぁ食いしばれやぁぁぁぁぁぁ!!」
「……は?」
ドゴォォォン!!
王太子が吹っ飛んだ。
広間の壁に、大きな穴が開いた。
誰もが呆然とする中、アルセーヌは拳を振った。
「私は弟や妹には優しくするけれど……」
壁に埋まった王太子を睨みつける。
「殿下、あんたはダメだ!」
轟音を聞いて、国王が駆け込んできた。
「何事だ!?」
そして、アルセーヌを見るなり青ざめた。
「げっ、《暴虐の聖女》! なぜお前がここに!?」
「陛下。その呼び方はやめてください」
「お、おお。すまん」
「それより陛下。お宅の息子さんが妹を泣かせました」
「この馬鹿息子がぁ!!」
「ち、父上! この女を処刑してください!」
壁にめり込んだままの王太子が喚き散らす。
「処刑されるのはお前だ!」
「えっ、なんで!?」
「我がシュラード王国の掟を忘れたのか!?」
シュラード王国。
この国には、建国以来すべての国民が守るべき不文律があった。
――強い者が正義。
話し合いや裁判で納得できない場合、拳で語り合う。そういう文化なのだ。
王様だろうが王子だろうが、負けたら文句は言えない。
実に分かりやすい国である。
「父上! 余は王太子です!」
「だからなんだ!」
「王太子が殴られたのですよ!」
「ならば殴り返せ!」
「無理です!!」
「ならば黙っておれ!!」
実に分かりやすい親子であった。
ちなみに、アルセーヌは元近衛騎士団長。
国王との試合にも勝った、王国最強の女である。
彼女は、弱い者を守るためなら相手が貴族だろうが王族だろうが容赦しなかった。
あるときは、平民から金を巻き上げていた貴族を殴り飛ばした。
またあるときは、孤児をいじめていた騎士を地面に埋めた。
そして、助けた者には優しく微笑み、こう言うのだ。
『もう大丈夫よ』
その姿を見た民衆が、いつしか彼女をこう呼ぶようになった。
――《暴虐の聖女》。
ちなみに、本人はこの異名をたいそう嫌っている。
『暴虐と聖女って、矛盾しているでしょう!?』
まったくもって、そのとおりである。
だが、彼女に助けられた民衆にとっては、間違いなく聖女だった。
殴られた側にとっては、間違いなく暴虐だった。
実に分かりやすい異名である。
当然、王様にならないかと誘われた。
だが、断った。
『弟も妹も可愛い盛りなのに、王様なんてやっていられません!』
そう言って引退したのだ。
ちなみに、アルセーヌには聖女としての力などない。
あるのは、王国最強の拳だけである。
「アルセーヌよ」
「はい、陛下」
「王位が欲しいのか?」
「いりません」
「金か? 宝石か?」
「いりません」
「では、何が欲しい?」
「妹を泣かせた馬鹿を殴りたかっただけです」
「……もう殴ったではないか」
「はい。スッキリしました」
国王は深いため息をついた。
「ならば、もう帰ってくれ。頼む」
「承知しました」
アルセーヌは妹のもとへ歩み寄った。
「エミリア。もう大丈夫よ」
「お姉様……」
「怖かったでしょう? でも、もうあんな男と結婚しなくていいのよ」
「はい……!」
エミリアの目から、また涙がこぼれた。
アルセーヌは優しく妹を抱きしめる。
「よしよし。もう泣かないで」
「お姉様……実は私……」
「なあに?」
「嬉しくて泣いていたんです……」
「…………え?」
「だって、あんな人と結婚しなくて済むんですよ!?」
アルセーヌは固まった。
「……嫌いだったの?」
「はい! 最初のお茶会からずっと!」
「……何をされたの?」
エミリアは涙を拭った。
「殿下ったら……」
「うん?」
「目玉焼きに、砂糖をかけるんです!」
「…………は?」
「しかも、私にもかけろって!」
「…………」
「私、目玉焼きには塩をかけたいんです!」
「…………」
「セシリア様にも、目玉焼きには塩が合いますよってお話ししただけなんです。それを殿下が、いじめだって……」
「……いじめたって、それのこと?」
アルセーヌは、壁に埋まった王太子を見た。
国王も、壁に埋まった息子を見た。
聖女セシリアは、いつの間にか逃げていた。
「……エミリア」
「はい、お姉様!」
「それだけ?」
「それだけです!」
アルセーヌは、自分の拳を見つめた。
次に、壁の大穴を見た。
最後に、国王を見た。
「あの、陛下……」
「なんだ、アルセーヌ」
「なんか、その……ゴメンナサイ」
《暴虐の聖女》が、深々と頭を下げた。
国王は、しばらく彼女を見つめていた。
「……お前にも、反省する心があったのだな」
「陛下。もう一発いきますか?」
「すまん。余が悪かった」
実に分かりやすい国王であった。
そのとき。
広間の隅から、銀髪の青年が進み出た。
第二王子、ルーカスである。
「アルセーヌ殿、兄上は自業自得です。貴女が謝る必要はありません」
そして、エミリアの前に立った。
「エミリア嬢」
「は、はい」
「私は、目玉焼きには塩派です」
「……!」
エミリアの頬が赤く染まった。
「ずっと、あなたが好きでした。兄上の婚約者だったので、言えませんでしたが」
すっと、アルセーヌが二人の間に立った。
「この国の掟は知っているわね? 妹が欲しければ――」
「お姉様!」
エミリアが姉の袖を引いた。
「私、この方が好きです!」
「…………え?」
「目玉焼きに塩をかける方なんですよ!?」
「……そこなの?」
「そこしかありません!」
アルセーヌは、しばらく妹を見つめた。
そして、第二王子へ向き直る。
「妹を泣かせたら……分かっているわね?」
「はい。覚悟は出来ております」
「よろしい」
エミリアは、今日一番の笑顔で泣いた。
今度こそ、本当に嬉し泣きだった。
ちなみに、王太子はまだ壁に埋まっていた。
誰も助けなかった。
なぜなら、この国では――
弱い者が悪いからである。




