AI論争という名の縄張り争い ~「文化を守れ」と叫ぶ者と、「その城壁を壊せ」と叫ぶ者~
WEB小説の世界には、もはや作品が多すぎる。
十万、二十万と作品が並ぶ中で、無名の新人が傑作を書いたところで、そもそも読者の目に入らない。
これが現実である。
文章力があれば勝てる。
面白ければ自然に評価される。
そんな美しい話で済むなら、誰も苦労しない。
実際には、知名度、固定読者、宣伝力、ランキング実績。
すでに持っている者が圧倒的に有利だ。
そこでAIが出てきた。
構成を考え、文章を直し、大量に試作できる。
今まで一作しか撃てなかった無名作家が、十発、百発と撃てるようになる。
これは持たざる者にとって、かなり強力な武器である。
……では、すでに読者を持っている側から見ればどうか。
当然、面白くない。
何年もかけて築いたブランドや文章技術の価値が、突然安くなるかもしれないからだ。
そこで始まる。
「魂がない」
「努力していない」
「創作ではない」
「文化を壊す」
なるほど、どれも立派な言葉である。
だが、その主張をしている人間が、AIによって得をする側なのか、損をする側なのかは、一度見た方がいい。
産業革命の時代にも、機械は仕事を奪うと言われた。
写真が出れば画家が怒り、電子書籍が出れば紙の本を守れと言われ、動画配信が伸びれば既存メディアが警戒した。
技術革新とは、だいたい既存の序列を壊す。
そして序列の上にいる者は、たいてい変化を嫌う。
一方で読者は、もっと身勝手だ。
誰が苦労したかなど知らない。
人間が半年かけて書こうが、AIを使って一週間で書こうが、面白ければ読む。つまらなければ読まない。
残酷だが、市場とはそういうものである。
結局、AI創作論争の正体は案外単純なのかもしれない。
持っている者は城壁を守りたい。
持っていない者は、その城壁を大砲で吹き飛ばしたい。
そしてお互い、自分の都合を「文化」や「倫理」という美しい包装紙で包む。
つまりこれは、芸術論争というより、資本主義社会では昔から何度も繰り返されてきた、ただの利権争いかもしれない (。´・ω・)?




