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ウミネコビーチの記録 2000円

僕は玄関に入った瞬間、全てを諦めてしまおうかと思った。きちんと揃えられたスニーカー。ユミネの趣味ではないが、サイズは同じくらい。今日はどうやらユミネ家のパートタイム家政婦さんがいる日らしい。

 僕は目を薄めにして、ゆっくりと部屋に上がった。いつものリビングに入り見渡すと、とちょうど作り置きを冷蔵庫にいれる後ろ姿が見えた。僕はしっかりと目をつぶって言う。

「すみません、掃除機貸してもらえますか?ユミネと海に行ったら車が砂で大変なことになっちゃって」

「はい?」

 軽やかで、特有の高さをもつ声。僕は背中のゾワゾワと胃から込み上がる液体を無視して、頬を友好的に持ち上げて頷く。どうか、僕の誠意と切実さが伝わりますように。

「ここ置いときますね」

 ややしばらくすると、重くて硬いものが僕の足元に置かれた。僕は安心して下を向いた。コードレス掃除機は、内蔵するバッテリーのせいか細い見た目のわりに重たかった。僕は玄関に向かいながらお礼をする。

「ありがとうございます。しまう場所はわかっているので、戻しておきましょうか?」

「そうですね、掃除は終わったのでお願いします」

 久しぶりに会話のキャッチボールが成立した気がした。ユミネは豪速球をデッドボール狙って投げるだけだし、社長もピッチングマシーンのスイッチだけ入れて隣で笑っているタイプだ。

 車の中は悲惨だった。僕がこの仕事を担当しなければ、何処かの海に沈むことになりそうだった。後部座席全面に広がる砂、砂、砂。僕は慎重に、掃除機とは別に持ってきた箒で砂を書き出す。十分に、別料金をもらっても良いような仕事に思えた。ただ、不幸中の幸いだ。僕は今この作業のために、部屋に入ることはない。そうしている間に彼女の仕事のほうが終わるかも知れない。




僕の読み通り、無心で作業していると玄関のほうから人の物音がした。僕はすぐに車を止めている近くにある茂みに隠れた。綺麗に剪定してある良い生け垣だ。

 ガラリと引き戸をあげて出てきた女性は、玄関の扉をきちんと締めた。しかしいっこうにその場を離れない。僕の頭は疑問でいっぱいだった。車を挟んでいるとは言え、女性がこんなにも近くにいるのは苦痛だ。胸を抑えて観察すると、誰かをまっているようだった。

 タクシーでも呼んであげようか。とにかく帰ってほしい。僕が耐えきれず立ち上がろうとした瞬間、女性は喜色に満ちた声をあげた。

「トモヒサ!」

 車が家の前の道に止まった。何処かで見たことのある車。それより重要なのは女性が帰りそうだということだった。僕は心拍が安定してくのを感じながらようやく立ち上がった。呼吸を整え、額の汗を拭う。車の清掃の続きをしなければいけない。

「あれ、ツグじゃん」

 女性は車から出てきた男に夢中だった。だから、僕に改めて注目が向くなんてことは無いと油断していた。その男が誰なのか確認せずに。茶髪の男が楽しそうに僕を呼んだ。僕がそうされたくないことを知りながら。

「わートモくん、久しぶり! ごめんね、僕はユミネの仕事があるから! じゃあ、またね!」

 一息に言うと、僕は車を置いて家の中へ入った。そのまま震える手で鍵を締めると、大笑いする声が扉越しに聞こえた。

「アッハッハハ! ミヨ、次この家でアイツにあったら声かけてみろよ。アイツ、すげー女苦手だから。マジ面白い」

 その声に女性の声が続かないうちに僕はリビングへ転がり込むように逃げた。




 リビングを開けると、ユミネがそこに立っていた。無言で机を指さす。前回、僕が座った席だった。そこには見慣れた紙と色鉛筆が置かれている。

 僕はさっきの動揺のせいで手が震えていたし、頭はズキズキと傷んだ。だから一瞬ユミネが何を求めているのか、わからなくなって、その場でへたり込んだ。

 するとユミネは床を壊すつもりとしか思えない勢いで、足を踏みしめながら僕に向かってきた。座る僕の首元を掴むと、信じられない勢いで引っ張る。僕が立ち上がると、ユミネにしては珍しく、平手が飛んできた。左の頬がじんわりと痛む。

「しっかりして」

 もしかすると、平手はユミネの優しさなのかもしれない。僕が頷くのと同時に、右の頬に張り手が飛んだ。言葉より行動だ。僕はまだ足はおぼつかなかったが、それでも机に座った。

 机には、色鉛筆とルーズリーフ、そして2000円が置いてあった。いくら動揺していたからって僕がお金を見落とすとは。ポケットに2000円をいれると、僕は色鉛筆を掴んだ。手はもう震えていなかった。


『ウミネコビーチ』。いつも通りにその題を書いた後、僕は考えてみた。この報告書、と呼べるのかも定かでないものをどうしてユミネは求めるのだろう。いつも、どこでも人は絶えず死んでいる。ユミネがそういった一人ひとりの人間に興味を持つとは思えなかった。もしかすると、ユミネはあの情景を欲してるのではないだろうか。僕の落書きからスタートしたことだ。そう思って僕はなるべく出会った者たちを、その情景を含めて鮮明に思い出そうとした。

 一番インパクトが有るのは、やっぱりユミネが掴み掛かっていた最後の男か。陽気なアロハシャツと短パン。頭は欠けていたが、まだ知性が残っていた。だから、自分がどこへいくべきなのか理解できた男。

 次は、海藻の塊と小さな肉塊。塊同士なにか繋がりがあったんだろうか。僕に浮き輪のゴミを押し付けて満足したのだろうか。死者の考えはわからない。でもあの浮き輪が大切なものでなかったのは確かだ。

 次を思い出すのは苦痛を伴う。ああでも、思い出す必要はないかも知れない。あれがもっていった下着のデザインはわかっている。それを描けば良いのだ。所詮はただの布。

 思い出すのが最後になった、最初の男。たしかサーフボードをもっていたな。服はラッシュガードというやつだろうか。頭に残る光景を紙に移すと、意外となんてことのない平凡なものになる。『まだ見つからない』。そうだ。そんなことを言っていた。僕は気が進まないが、携帯を取り出した。

 こんなことに意味があるとは思えないが、僕は探すと約束した。だから、約束を守ろうと思う。ああ、またお金がなくなる。従業員割引とかはないんだろうか。社長の冷たい笑顔を思い出して、僕は首をふった。そんなものが通用する人なら、僕はここにいなかっただろう。

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