小鳥公園の記録 2000円+食事
ユミネの家に行くと、社長は新聞を広げながらコーヒーを飲んでいた。僕は今、社長の顔を見るのは耐えられない気がして、気が付かなかったふりをして冷蔵をあけた。
「私は聞いたよ。その金額で合ってるのかって」
社長は紙面に目線を向けたまま言った。僕だって別に社長のせいにするつもりはない。ただ、手に入ると思っていたものが、たった一桁で全く変わってしまったショックがまだ癒えていないのだ。
「ところで、君はいつ鍵をもらったんだい?」
シャキシャキのサラダ。ユミネが食べるわけがない。僕はカビた食パンをトースターに入れると、社長の質問に答えようと、頭を捻る。いつだったろうか。
「あげてない。勝手に入ってくる」
窓を震わせる勢いで扉を開けたユミネが入ってきた。その言葉に社長は眉をピクリと動かした。コーヒーを一口飲んで、新聞から顔を上げて僕を見た。
先手必勝! 僕はすぐに白状した。
「そう!もらってはないんです。実は。―――でも社長、僕がいなかったら今ごろキッチンは腐泥ですよ!」
「難しい言葉を知っているんだね。はあ、どうしたものかな。ユミネも、そういうことは言ってくれないと」
「保護者ヅラしないで。あなたも同じようなものでしょ」
ユミネはズカズカといつもの席、社長の斜め前の椅子に座った。いつもと違うのは、紙と色鉛筆を持っていること。あのアルミケースを見ると僕は顔面が痛むような気がした。
ユミネは社長の広げた新聞をぐしゃりと押し返し、ものを広げる。社長は新聞を少し下げてユミネに言った。
「ユミネ、僕は君のおじさんで、これは仕事の道具だ。分別のつかない歳ではないだろう」
おじさん。僕はその言葉で公園にいた方のおじさんを思い出した。シャツがまだ汚れていたのに、十分だと言って行ってしまったおじさん。社長とは似ても似つかない。
「社長! まだおじさんって感じ全然しませんよ! 若々しいです」
「ありがとう。僕が行ったおじさんは叔父のほうだよ」
ああ、親戚のほうか。そういえばそうだったな。あまり僕に縁のある言葉では無いのでとっさに変換を間違えた。
ユミネは前の空席の椅子を蹴り飛ばしていった。
「座って」
僕はこんがりと加熱消毒されたパンを皿に移すと、言われた通り椅子に座った。無言で色鉛筆とルーズリーフが差し出される。
「2000円。あっ、まだ口はつけてないよ」
僕はユミネに見えるように皿を傾けて、食パンを見せる。もういいだろうか、と戻すと同時にオデコに硬いものがぶつかった。ユミネの財布だ。
僕は社長にアピールするようにゆっくり二千円を抜き取ってユミネに返した。
白髪交じりの黒髪。スーツはしわになっていた。青色のネクタイだけが大切だったおじさん。僕は3種類の青色を見ながら、どの青だったか思い出そうとする。選んだのは一番濃い青だ。僕の横目で社長を見ながら、やり残した仕事を隠蔽した。ネクタイに薄く残る赤も、シャツにべったりとつく赤も、こうしてなかったことになる。
しかしそうすると、ひどくつまらない絵になった。どこにでもいそうなおじさん。まあいいか。どんなおじさんでも2000円は2000円だ。
左半分は片付いた。次は右半分だ。ユミネをみると、意外なことに目があった。僕はとっさに頭を腕で覆う。正解だった。
パンを食べてからになった皿が僕の頭に振り下ろされたからだ。大きな音を立てて割れた。
「私はもう行くよ。きちんと片付けておくように」
社長は立ち上がると何故か僕の方を見てそう言う。ユミネは無言でこの部屋を出ていった。ユミネの親戚だけあって通じる物があるのかも知れない。僕は紙にかかったパンくずとガラス片を慎重に取り除くと、前のように右半分を文字で埋める作業に入った。
『小鳥公園』。前と同じように、パソコンで情報を探す。なかなか見つからなかったのは刺されたのがあの公園ではなかったからか。公園の名前を出さない記事もある。
僕は記事の見出しをそのまま書き写した。
『帰宅途中の男性、夜の路上で刺殺 公園内で再び襲われる』
今回はたっぷり改行を入れて、なるべくたくさん書いたようにみせよう。
『通り魔による殺人事件か』、『路上で腹部を1回さされる』、『約50メートル先の公園に逃げ込んだ』、『公園内で複数回』、『出血性ショック死』。
無心で書き写していると、辞め時がわからなくなる。あと何を書くべきだろうか。そもそもユミネが書いてほしいことがわからないからな。でも、もし何かユミネの想定と異なっていたら、すぐに拳が飛んでくるからわかるだろう。とりあえずこれで完了だ。
社長が使っていた側のキレイな机に紙を置いて、色鉛筆は箱に書いてある順番で並べる。やっぱり前払いでもらうに限るな、と思いながら僕は部屋の掃除を始めた。




