22.大きなおっぱいと小さなおっぱい
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一方、その頃の旅館では。
「ノブ……大丈夫かなぁ……?」
屋根に登り、大きなスコップで分厚い雪を下ろしながらエデンがため息混じりに呟いた。視線の先には、真っ白な深雪を割って四人が進んで行った跡が続いている。彼はその道の先を、不安げな瞳で見つめた。
「本物の勇者たちの足を引っ張っていなければいいけど……あの人、信じられないくらい空気が読めないからなぁ……」
ぶつぶつと独り言をこぼしながら、雪を掻き出す手だけは動かし続ける。そんな彼のぼやきを頭上に聞きながら、軒下にいたルルは呆れたように息を吐いた。
「本当にエデンさんて、気が小さいっていうか心配性っていうか……舞台の上と全然違うわよね」
舞台上で『魔法使いエデン』を演じている時の彼は、背筋を伸ばし、その瞳には力強い光を宿していた。モデルとなったエヴァンに引けを取らないほどの、堂々たるイケメンだったのだ。
「ま、そこが可愛いんだけどね」
ララが微笑みながら、牛乳瓶に差したストローをそっと咥える。
そんなララの否応なく存在を主張する豊かな胸元に、ルルの視線はさっきから釘付けとなっていた。一応、『聖女ララ』のモデルはルルである。それなのに、この雲泥の差はどういうことか。
「……ねぇ。何を食べたらそんなことになるの?」
「ふふっ。『愛』かな」
「うげ……」
ルルが露骨に舌を出してみせると、ララは楽しそうに声を出して笑った。
「あなた、まだ誰かを本気で好きになったことがないんだ?」
「そんなこと……っ! ………………いや、ないわ」
反射的に否定しようとしたが、該当しそうな過去の記憶が無かった。
高校生の時に、密かに思いを寄せていた先輩に勇気を振り絞って告白した際、『君の両サイドの人たちが怖すぎて無理』とフラれたのが最初で最後。それに『本気で』と言われると、なんだか違うような気もする。
「可愛いのに勿体無いわね。あの二人のどっちかと、そういう関係にならないの?」
「その質問、今まで何十回もされてきたけど……生まれた時からずっと一緒にいたのよ。今更そんな目で見れるわけないじゃない」
心底うんざりしたように、肩をすくめてみせる。それよりも、とルルはララに体を寄せた。
「うちのエヴァンをお気に召したようだけど、あいつ……二ヶ月で五人の女の子を泣かせた前科があるらしいわよ」
ララはきょとんとした顔で目を瞬かせたかと思うと、次の瞬間お腹を抱えて笑い出した。
「あははっ! やるわね、エヴァン君! やだ、面白い!」
「笑い事なの……?」
笑いのツボがエヴァンと似ている気がする。それならばお似合いなのかもしれないと、ルルは苦笑いを浮かべた。
「エヴァン君はあたしの『協力者』なの。もしかしたら、『共犯者』なのかもしれないけどね」
「はい? それってどういう――」
「あ……あぁっ!」
首を傾げたルルの頭上で、エデンが足を滑らせて盛大に尻餅をつく音がした。
「エデンさん、大丈夫?」
「ま、まま魔物が、こっちに来ます……っ!」
青ざめたエデンの声に、ルルは傍の梯子を一気に駆け上る。
「雪霊が三体と、氷狼が一頭……」
視界に映ったのは、雪を被った木々の間からこちらの様子を伺う飢えた瞳たち。幸い魔物の中でも『死せる者』に属する雪霊は、攻撃魔法使いよりも回復魔法使いの方が対処しやすい相手だ。
「エデンさんは攻撃魔法は使えるの?」
「む、む、無理無理無理! い、一応初歩的なものなら……あ、いや、やっぱり無理です……っ!」
ルルは色を失った顔を必死に振るエデンから、地上のララへと視線を落とす。しかし既に、そこに彼女の姿はなかった。代わりに旅館の中から声が漏れ聞こえてくる。
「魔物が襲ってくるらしいわよぉ! ララ、こわぁい!」
「なにぃ!? ララちゃん、こっちに隠れていなさい!」
「わしらがララちゃんの盾となって守ってやるからな!」
「ジジィども! 絶対に魔物なんぞにララちゃんのおっぱいを触らせるんじゃないぞ!」
甘ったるい声音のララに、一瞬で色めき立つ老人会のメンズたち。宿泊客の男性陣は、もはやララの色香によって心を掌握されていた。
「……いい性格してるわ、本当に」
呆れ果てた声で呟いてから、ルルは屋根の上から魔物を見据える。
雪霊は確かな実体を持たない、薄暗い靄のような魔物である。ぼんやり光る二つの赤い目と、人間ならば心臓のある位置で淡く青白い炎が揺れている。
「姿を変えたり知り合いの声音を使って、登山者を遭難させる陰湿な魔物だったっけ」
「ルルさん……ま、魔物に詳しい、ですね……」
「一応、魔法学部の学生なんで」
魔物の知識は必須科目なのである。
ルルは笑いながら、瞬時に脳裏へ魔法陣を描き出した。彼女が得意とするのは、魔法の詠唱も手描きの魔法陣も必要としない――『無詠唱』。
「【浄化の槍】」
白く輝く光の槍が空を裂き、雪霊に向かって迸る。槍に貫かれた雪霊は、断末魔の悲鳴を上げることもなく霞となって消滅した。
更に二体、三体と射貫き、残ったのは氷狼が一頭のみ。
「さて……どうしようかな」
物理的な破壊を伴う攻撃魔法は、ルルの専門外である。ちらりと隣のエデンを見てみたが、未だにガタガタと震えていて頼りにできそうにはない。
「エデンさんは、引き続きそこで見張りよろしく」
梯子を滑り降りたルルは、一旦旅館の中へ入っていく。旅館に常設されていた非常用の古びた剣を手に取ると、それを握り締めて氷狼の方へと歩き出した。
「え……!? ちょ、ちょっと、ルルさん……!?」
驚愕するエデンを無視して、魔物との距離を詰めていく。
そして。
「【捕縛】」
光の縄が蛇のように伸び、氷狼を雁字搦めにして捕らえた。大きな口までも縛り上げた為、氷狼はなす術もなく雪の上に転がる。
「あー、嫌だなぁ……来世は無害なワンちゃんに生まれてきてね……っ!」
ルルは盛大に顔を顰めながら、抜き身の剣で魔物の急所を刺し貫いた。
「うぅ……気持ち悪いよぉ……!」
動かなくなった魔物から剣を抜き、足早にその場から離れる。その背後に新たな殺気を感じたのと、エデンの声が飛んできたのは同時だった。
「ルルさん! 後ろ!」
「……っ!?」
咄嗟に振り返ったルルの視界に入ったのは、隠れていたもう一頭の氷狼だった。研ぎ澄まされた爪を掲げ、裂けんばかりに開いた顎がルルに迫る。
(あ、やらかした……!)
一頭倒した安堵で完全に油断していた。この距離では無詠唱すら間に合わない。
「ルルさんっ!」
エデンの悲痛な叫び。
ルルはせめてもの抵抗に両腕で頭を覆い、その場にうずくまる。衝撃に備え、固く目を閉じた。
――だが、いつまで待っても痛みも衝撃もやってこない。
「……?」
恐る恐る目を開いたルルは、絶句した。彼女に襲いかかった氷狼は、一刀両断にされ絶命していたのだ。そしてその魔物を斬ったのは――
「わしは――小さいおっぱいも、守る……!」
七十年前に竜を倒したというかつての剣豪、その人だった。
「誰が小さいのよ! 私は普通よ、普通!」
「……ぐふっ!」
全力でツッコむルルだったが、剣豪のプルプル震えた膝が突如地面に崩れ落ちた。
「どうやら、わしはここまでのようじゃ……今ので、腰を持っていかれた……!」
「……まぁ、助かったのは事実なので。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げ、彼を背中に背負って旅館まで運ぶルル。そんな二人を、エデンはじっと見つめていた。
「情けない顔ねぇ」
いつの間にか、ララがエデンの真下の窓から顔を出して見上げていた。
「……僕は……女の子やプルプルのおじいさんよりも、役に立たないんだ……」
「そうね」
あっさりと同意し、ララは視線を遠くへ向ける。
「ルルちゃーん! また魔物が来たわよー!」
遠目に雪男の姿がある。ルルは剣豪を旅館の中に下ろすと、再び剣を握って外へ飛び出した。
「もうヤだぁ! 早くノアとエヴァン、帰って来ないかなぁ!?」
毒づきながら雪男の方へ向かうルルを、エデンはオロオロと見守るしかない。
「あなたは、次も見ているだけなの?」
「だ、だって……僕は……」
微笑みながらララに問われ、エデンは固く唇を結んで俯く。
「あたし、実は座長の座右の銘、嫌いじゃないのよね」
『自信があれば何でもできる』
エデンは弾かれたように、顔を上げた。
「あっ、あああ、あの、ルルさん! 僕……ぼぼ僕も……!」
震える足で、必死に梯子を下りていく。
「そうこなくっちゃ」
その背中を、ララは笑顔で見送った。
「そんなに怖いなら、無理しなくてもいいわよ?」
「こ、ここ、こここ怖いです……けど……――」
先ほどの剣豪よりも膝を震わせるエデン。そんな彼を、突如として眩いスポットライトが照らし出した。
「『迫り来る魔物の群勢に取り囲まれ、絶体絶命の大ピンチ! しかし魔法使いエデンは、仲間を守るために勇敢に立ち上がるのであった!』」
拡声魔法で響き渡るナレーション。その声の主は、ララである。
「……何やってんの?」
「あたし、舞台女優なの。戦うことは出来ないけど、演出なら任せておいて」
半眼で見上げたルルに、ララはウインクを返す。さらに短く呪文を唱えると、エデンの足下に重々しいスモークを出現させた。
「――行くぞ、ルル」
凛とした声に振り返ると、さっきまでの丸くなって震えていたエデンはいなかった。そこにいたのは、スッと背筋を伸ばし、力強い光を瞳に宿した『魔法使いエデン』。
「今こそ魔王軍を撃ち破り、世界に平和をもたらす時だ!」
「……どっかで聞いたセリフだわぁ」
もちろん、アストリアムの舞台で聞いたのである。
ルルの呟きを掻き消すように、雪男が咆哮を上げた。丸太のような両腕で巨大な雪塊を掲げ、容赦なく二人へ投げつけてくる。
「【火球】!」
エデンが放った魔法が、迫り来るそれを粉砕した。その瞬間、ララの演出魔法によって、およそ初級魔法とは思えない過剰な爆発音が響き渡り、派手な火花が撒き散らされた。
「ルル! 援護を頼む!」
「……え? あ、はいはい! 了解!」
思わず舞台を観ている気分で傍観していたルルは、慌てて我に返る。
「【捕縛】!」
光の縄が雪男の巨体を絡め取り、その動きを封じ込めた。束縛から逃れようと体を捩らせる雪男の背後に、不穏な暗雲がたちこめゴロゴロと遠雷の音が響く。
エデンは深く息を吸い込み、右手を天高く掲げた。その指先には、バチバチと青白い火花が踊っている。
「【雷・天・落】!!」
それは雷系の初歩的な魔法に過ぎなかったが、ララが追加した凄まじいフラッシュと、鼓膜を震わせる落雷音の演出によって、伝説の必殺技のような迫力でその魔法は発動された。
雷撃は見事に雪男の急所を貫き、巨体は雪の上に沈んだ。
「『――こうして、伝説の魔法使いエデンの力によって、世界に再び平和が訪れたのだった』」
静かに、ララのナレーションが戦いの終わりを告げると同時。割れんばかりの拍手が渓谷に響き渡った。
「よっ! いい舞台だったよ!」
「いやぁ、感動しましたねぇ」
旅館の窓から覗いていた宿泊客や従業員たちである。ルルは歓声の中、乾いた笑顔を貼り付けて立ち尽くす。
「……何なのよ、この茶番劇は……」
そう言って視線を遠くへ投げ――そこに見えた影に、眉を寄せた。
「あれって……」




