18.嫉妬?
夕食時。広い食事処には、この旅館の宿泊客が顔を揃えていた。どこかの老人会の慰安旅行がいくつか重なっているらしく、ノブの言葉通り、宿泊客の平均年齢は驚くほど高い。
念のためにルルが、客や従業員の中に剣や魔法の腕に覚えがある者はいないかと募ってみたが、名乗りを上げたのは竜を倒したことがあると豪語する、剣豪ただ一人だけだった。ちなみにその武勇伝は七十年前の話で、現在の彼は立っているだけで両膝が生まれたての子鹿のようにプルプルと震えていた。
「あのお年寄りたちじゃ、雪道を歩くのもままならないだろうね」
食事を終えて部屋に戻ったエヴァンは、すっかり暗くなった窓の外に視線を投げた。雪はようやく止んだものの、隙間から入り込む空気はひどく冷たい。
「外の人たちが異変に気付いて動いてくれていたらいいけど、悠長なことも言ってられないかもね」
「食料が尽きたら地獄よね……」
この旅館に取り残されているのは、宿泊客が約五十名と従業員が二十五名。ひとまず水は確保できるものの、食料の備蓄はもって三日だと女将から説明があったばかりだ。
「ここはルルの言う通り、ティア様に頑張ってもらって雪の原因を突き止めよう。それで……」
エヴァンは言葉を切り、部屋の真ん中で放心しているレティシアを見た。
「肝心のティア様は、どうしちゃったの?」
変身は解除しているものの、レティシアは夕食の時からずっと心ここに在らずといった様子で、火照った顔でぼーっとしている。
ルルは、ノアとの一連のやり取りを小声でエヴァンに耳打ちした。
「へぇ……」
エヴァンは、窓際の椅子で淡々と本を読んでいるノアを横目で盗み見る。
「それは、益々面白くなってきたね」
「まぁ……今までにない変化ではあるわよね」
二人がしみじみと頷き合っていたその時。遠慮のないノックが部屋に響いた。
「邪魔をするよ!」
こちらの返事を待たずして入ってきたのは、勇者ノブ。
「……また来た。何か用ですか?」
辟易としたため息をつくルルに、ノブはキラッと歯を輝かせて笑みを向けた。
「可憐な姫たちが不安な夜に怯えているのではないかと思ってね! その細い肩を震わせているのなら、勇者の抱擁で安らぎを与えてあげようと参上したのさ」
ルルは呆れた顔で言い放つ。
「私たちは大丈夫なので、他のお年寄りたちの部屋を回ってあげてください。……需要があるかは知りませんけど」
「レティシア。あのヴィランに、また心無い言葉を投げかけられてはいないかい?」
繰り返しになるが、この勇者は都合の悪い言葉を遮断するスキルを持っているらしい。ノブはルルの言葉を華麗にスルーして、放心状態のレティシアの両肩に手を乗せた。
「……え? あ、えぇと……ノブ様。どうかいたしましたか?」
ようやく我に返ったレティシアを、ノブは眩しいほどのキラキラとした目で見つめる。
「エデンから聞いたよ。変身魔法の特訓に励んだそうだね」
「……はい。エデン様もルル様も、熱心にご指導くださったのですが、私の力が未熟なばかりに……」
先ほどまでとは一転、レティシアは顔を曇らせた。
「言っただろう、レティシア。君に似合うのは笑顔だ。努力は諦めない限り必ず実を結ぶ。『自信があれば何でもできる』だよ」
そう言って、ノブの手が優しくレティシアの髪に触れた、その瞬間――またしてもノアから、どろりとした黒い瘴気が溢れ出した。しかし当のノアは、涼しい顔をして目線は手元の本に落としたままである。
「なんなのよ、ノア! まだ不眠二日目なのに、やたら機嫌が悪い……」
そう言いかけて、ルルはノアとノブ、そしてレティシアを順番に見遣る。最後に目線をエヴァンに向けると、彼も同じことを考えていたようで、小さく頷いてみせた。
(あのノアが、まさか嫉妬してる……!?)
信じられないと、ルルは呟く。
一方、卓球での敗北を根に持っているノブは、禍々しい魔力を纏うノアを鋭い目で睨みつけた。
「その気色の悪い瘴気を収めるんだ。よもやこの異常気象、君が引き起こしているのではあるまいな?」
ノアは気だるげな瞼をゆっくりと上げ、ノブを睨む。
「うるさい……人の部屋で喚くな」
「ふっ……やはり一度、痛い目を見ないとわからないらしいな」
ノブの視線が、部屋の隅に置かれた将棋盤に止まった。
「卓球では君の卑怯な策に遅れをとったが……盤上で再戦願おうか」
「……いいだろう」
背後に獰猛な虎と龍を背負い、静かに、しかし激しく火花を散らす両者。こうしてノアとノブの将棋対決が幕を切って落とされた――
将棋対決は、特筆すべき見せ場も山場も何もなく、拍子抜けするほどあっさりとノアの完全勝利で幕を閉じた。
だが、それで諦めるノブではない。
老人会から借りてきたチェス、囲碁、リバーシ、トランプ、果ては知恵の輪まで持ち出し、狂ったように再戦を挑んだ。しかし、そのことごとくをノアが打ち破っていったのだった。
「ノア様、とてもお強いですね……!」
「そう言えばあいつ、エヴァンとゲームにハマってた時期があったわね」
「あったね。それでノア、意味がわからないくらいボードゲームに強くなったんだよね」
感激で目を輝かせるレティシアの隣で、ルルとエヴァンが遠い目で懐かしむ。
「なぜだ……っ! こんなはずでは……!」
床に突っ伏し、拳で畳を叩くノブ。対照的にノアは勝利の余韻に浸り、すっかり上機嫌である。
「最後はけん玉勝負といくか」
「次こそは……っ!」
もはや何がしたいのかわからないが、両者けん玉を構えた。
「見応えのない試合だわ……」
段々と勝負に飽きてきたルルは、知恵の輪をいじりながら暇を持て余す。
「あ、そうだ」
同じく興味を失っていたエヴァンが、ふと思いついたようにレティシアの隣へ腰を下ろした。
「ティア様。変身魔法が上手くいかないのは、自信がないからだって?」
「あ……はい……」
唯一二人の勝負を食い入るように見つめていたレティシアが、力無く頷く。
エヴァンもその推論は正しいと感じていた。馬車でノアが指摘したのも、自分よりも他人を優先する彼女の献身が、皮肉にも自分自身への不信に繋がっていると見抜いたからだろう。
「『バルドレインの王女様』っていう、ある意味最強の肩書きを持っているのに、なんで自信が持てないんだろうね」
「それは……私が自分の力で手に入れたものではありませんから」
レティシアは自嘲気味に小さく笑った。秀でた才能など何もない――特に、優秀すぎる姉と自分を無意識に比べては、いつの間にか自信を失ってしまっていた。
「私から見れば、これだけ美人で性格も良くて、勉強だって出来るんだから、文句のつけどころなんてないと思うけどね」
「そんな、私なんて……」
ルルの言葉を否定しようとしたレティシアの耳元に、エヴァンはそっと顔を寄せて囁く。
「あのノアに、可愛いって言わせたのに?」
「っ!?」
瞬間、レティシアの顔がまたしても沸騰したように真っ赤に染まった。
「あの……っ、そ、それは、わわ私の聞き間違いかもしれませんし……っ!」
「私もこの耳で聞いたわよ」
逃げ道を塞ぐルルの追撃に、エヴァンは楽しげに肩をすくめる。
「ノアが『可愛い』なんて口にするの、羽化途中のセミを見た時くらいしか聞いたことないよ」
「あいつの感性どうなってるのよ……」
喉まで出かかったツッコミを、ルルはなんとか小声で呟くにとどめた。
「ありのままのティア様を、ノアは『可愛い』って思ったんだよ。それって、自信に繋がると思わない?」
「……自信……」
レティシアその言葉を静かに反芻し、膝の上で両手を強く握りしめた。
「――やってみます!」
ゆっくりと瞼を閉じる。胸の奥にじんわりと広がる熱を感じながら、複雑な魔法式を編み上げていく。脳裏に浮かべるのは、変身のイメージ――そして、『可愛い』と言ったノアの声。
次の瞬間――
「ティア様! やったじゃない!」
ルルの弾んだ声に目を開けると、レティシアの視線は目を閉じる前よりも低い位置にあった。試しに手を動かしてみると、羽毛が見えた。それは、鮮やかなピンク色の羽毛に包まれたハヤブサだった。
「キィーッ!」
ハヤブサに変じたレティシアが、力強く羽ばたく。その甲高い鳴き声に、真剣にけん玉勝負に取り組んでいたノアとノブも動きを止めて振り返った。
「レティシア! 見事な変身じゃないか!」
ノブが笑顔を浮かべ、ウインクを送る。ノアも何か言おうと口を開きかけた――その時。
「さっすがノブさん! 『自信があれば何でもできる』って言葉の通りだね! いやぁ、全部ノブさんのお陰だなぁ!」
エヴァンがわざとらしく、大声で遮った。
……ぽろっ。
ノアの握ったけん玉の玉が、無情にも皿から滑り落ちた。
「はっはっはっ! 俺の勝ちのようだな!」
ノブはまるで鬼の首を取ったかの如く指をさして笑う。
「……っ! 今のは……!」
「なんだ、言い訳かい? 俺は心の広い勇者だからね。誠心誠意頭を下げるなら、再戦してやってもいいぞ!」
ノアは悔しそうに拳を震わせた後、がくりとその場に膝を着いた。
「エヴァン……あんた、わざとでしょ」
呆れた目で睨むルルに、エヴァンはただ涼しい笑顔を浮かべてみせた。




