33.エピローグ
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「よぉ、ノア。それ、イケてるじゃん」
アスティリア大学構内。
花壇の一角で虫取り網を振るっていたノアは、同じ学部の同期の男に声を掛けられた。もっともノアはその男の名前は知らないし、興味も無いのだが。
ノアは半分瞼の落ちた眠たそうな顔で振り返り、眉間に皺を寄せる。
「欲しければ交換してやる」
男が『イケてる』と称した虫取り網を、ノアは無造作に前に差し出す。
その網は、光り輝いていた。
それもそのはず。シャフトとフレームは純金製の特注品で、グリップにはバルドレイン王家の紋章が刻まれた立派なストラップまでぶら下がっている。
あの日、バルドレイン王に欲しいものを尋ねられたノアが答えたのは、地位や財宝ではなく『虫取り網』だった。自分で折って壊してしまったからだ。
そして後日ノアの元に届けられたのが、これ。
「重くて使い勝手が悪いんだ。普通の虫取り網と交換してやる」
「遠慮しておく。そんな趣味の悪いもん、お前にしか似合わねぇよ」
それがまさか純金製だとは夢にも思っていない男は、ゲラゲラと笑いながら立ち去って行った。
ノアはこの大学内でも、魔法学部なのに虫ばかり追いかけている変わった男として有名である。
「ノア。次の講義、そろそろ始まるよ」
横手からエヴァンの声がして、ノアは虫カゴに捕らえていたシオカラトンボやハナムグリを解放した。彼の虫取りは基本的に、キャッチアンドリリースである。
「夏休みが明けて、大学でも『勇者フィーバー』が起きていたらどうしようかと思っていたけど、全然バレていなかったわね」
ルルも同じ講義に出るらしく、ノアとエヴァンに並んで歩きながら言った。
あの黒胡麻プリンをご馳走になった後――ルルたちは何食わぬ顔で城を出て、その足で逃げるように王都を脱出した。
あのまま王都に滞在すれば、王によって誇張された勇者の英雄譚が蔓延し、またしても身動きが取れなくなってしまうと判断したからである。
お陰で王都脱出以降は、これまで通りスムーズな七彩角オオクワガタ探しの旅を続けることが出来た。
唯一気がかりだったのが、彼らがアスティリア大学に在籍している事を王に知られていることだったのだが、構内は夏休み前と変わらず平和で、安穏としている。
「ノアの虫取り網が、学生寮に届いただけだったもんね。リュミエール様あたりが配慮してくださったんじゃないかな」
そう言ってからエヴァンは、憂いを含んだ溜め息をついた。
「僕もリュミエール様のハイヒールで踏まれたかったなぁ……」
「やめてよ、気持ち悪いわね……」
幼馴染の意外な性癖にドン引きしつつ、ルルはその言葉でフェリクスのことを思い出した。
「そう言えばあの王子って、結局どうなったの?」
「表向きには公表せず、国に帰したらしいよ。王女様誘拐の犯人は、これまで通り魔王の仕業で押し通すんだってさ」
エヴァンは軽く肩をすくめる。
「監禁していたとは言えそれなりに丁寧な対応はしていたし、ティア様の恩赦もあってニンジャも死罪は免れた――って、虫取り網に同封されていた手紙に書いてあったよ」
その後、バルドレインはスピナ国に対して圧倒的に有利な交易権を手に入れたという。リュミエールの思惑通りに事は運んだのだろう。
「結果的にティア様はルッキズム至上主義の馬鹿王子との縁談も無くなったし、めでたしめでたしってわけね」
そう言ってルルは、ぼんやりと歩くノアを見た。
「結婚はともかく、話を聞いてくれるティア様に会えなくなったのは寂しいでしょ?」
「そうだな……俺の安眠の為に、3日に1度レンタル出来るように交渉すれば良かったかもしれない」
「あんた、王女様を何だと思って――」
「3日に1度と言わず、毎日でも構いませんよ?」
例によってノアの不敬にツッコミを入れようとしたルルの背後から、聞き慣れた声がした。
3人は同時に振り返る。
「ティア様!?」
そこに居たのは、『他人が不快に感じる姿』に変身したレティシアだった。ただし、服だけは質素で小綺麗に整えられている。
「ノア様、ルル様、エヴァン様。お変わりなくお過ごしでしたか?」
「ティア様……どうしてこんな所に?」
エヴァンはそう尋ねながら、レティシアの背後数箇所から鋭い気配を察知した。恐らくこれらは、レティシアの護衛のものだ。
「皆様と出会ってから、考えたのです」
レティシアは小さく微笑む。
「今まで私は、自分自身にあまりにも鈍感でした。特別好きな事も無ければ、夢や向上心も無い。それはきっと、私が恵まれた環境にいたからなのですが……自分の幸せについてすら、考えたことも無かったのです」
顔を上げ、王女はまっすぐにノアの目を見つめる。
「だから考えて――ここに来ました」
「へぇ」
興味が無さそうな相槌を打つノア。
ルルはエヴァンの腕を引き、レティシアから少し距離を取って耳打ちした。
「ねぇ、薄っすらそんな気はしてたけど、やっぱりティア様ってノアのこと……?」
「好きなんだろうね」
奇人、変人と呼ばれてきたノアに、初めて訪れたロマンス。ルルとエヴァンは興味津々に2人を見守る。
「お父様とミエールお姉様にお願いして、この大学に通わせて貰えることになりました。あ、ちゃんと編入試験を受けて合格を頂きましたよ。今後、少しでも政の手助けが出来るようにと、学部は法学部なのですが……」
「ふーん」
やはり気のない返事をしつつ、ノアは唐突にレティシアの手を取った。そして前腕――『チャッピー』を撫でる。
「っ……!」
一瞬でレティシアの頬が熱を帯びたが、ノアはそんなことには気付かずルルとエヴァンを振り返る。
「次の講義、休む」
「はいよ」
「どうぞ、ごゆっくり」
軽い返事を背に、ノアはレティシアの手を引いて歩き出した。
「あ、あの? ノア様……?」
「座って」
「はい」
近くのベンチにレティシアを座らせると、ノアはそのまま彼女の膝に頭を預けてベンチに横たわった。
日差しは穏やかで、風が2人の髪をそっと揺らす。
「……毎日でもいいと、さっき言っていただろ」
「はい」
レティシアは嬉しそうに微笑み、ノアの髪を撫でた。その手の温もりが心地良くて、ノアは静かに瞼を閉じる。
「あれから七彩角オオクワガタは見つかりましたか?」
「いや……7年前から毎年探しているが、今年もダメだった」
「来年の夏休みも、クワガタ探しの旅をされるのですか?」
「……ああ」
レティシアの優しい声が、まるで子守唄のように耳をくすぐった。
少しだけ間を置いて、王女は小さな声で言う。
「では来年は、私もご一緒させてくださいませ」
ノアが頷いたのと、意識が夢の中へと沈んでいったのは、ほとんど同時だった。
レティシアは膝の上で眠るノアを見下ろし、そっと微笑む。
この奇妙で穏やかな時間が、少しでも長く続きますようにと願いながら――
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