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31.覚醒の魔王


⭐︎


「婚姻のお話、本当に白紙に戻してしまってもよろしかったのでしょうか……?」


 衛兵に別室へと引っ立てられるフェリクスを見送った後、レティシアはどこか後ろめたい気持ちになって呟いた。


「ああいう上っ面だけ優しい男は、結婚したらすぐに化けの皮が剥がれるわよ。釣った魚に餌はやらないタイプ。モラハラ臭がプンプンするわ」


 まるで女の敵であるかのように、ルルは吐き捨てる。しかしレティシアの表情は晴れない。


「お父様が望んでいらした、海の貿易ルートが得られなくなってしまいますが……」


「何を言っているの?」


 リュミエールの手が、優しくレティシアの頭に触れた。


「これだけのことをしておいて、ただの破談で済ませるわけがないでしょう。当然スピナ国には、交易権は無条件で差し出してもらいます」


 淡々と、しかし有無を言わせぬ口調で言い切る。


「向こうの出方次第では、もっと条件を付けるつもりよ」


 それに、とリュミエールは言葉を続けた。


「さっきも言ったけれど、あの縁談は貴女の幸せを願って用意したものです。たかが新鮮な魚が食べたいだけのお父様の我儘に、大切な貴女を差し出すはずがありません」


「……あの王様、実はポンコツなんじゃ――」


「ルル。僕も同感だけど、それは口にしない方がいいと思うよ」


 つい正直すぎる感想が口から滑り出そうになったルルを、エヴァンが苦笑いを浮かべながら止めた。


「それに私は外交が得意なの。水産物の貿易なんて、他にいくらでも交渉相手はいます」


「さすがはミエールお姉様ですわ」


 ようやくレティシアに笑顔が戻る。

 すると今度は、末の妹の表情が曇った。


「ミエールお姉様。本来ならば私が真犯人を捕まえなければならなかったのに、結局お姉様の手を煩わせてしまいました……ごめんなさい」


「ルチア」


 リュミエールは、ルチアのまだ幼さの残る手を握る。


「きちんと犯人を見つけ、動機を暴いたではないですか。私は証拠を掴むお手伝いをしたまでです」


 どうやってあの契約書を、フェリクスの荷物の中から手に入れたのか――ルルは尋ねようかと思ったが、やめておいた。変身魔法に長けたこの王女ならば、いくらでも方法はあるだろう。


「ミエールお姉様……それに、ティアお姉様。この度は本当に、申し訳ございませんでした!」


 深く深く頭を下げるルチアに、リュミエールとレティシアは顔を見合わせ、ふっと笑った。

 そんな三姉妹たちを、エヴァンは眩しいものを見るような目で眺めている。


「いやぁ、美しい光景だね」


「ティア様の膝にいるノアさえいなければね」


 ルルは呆れた顔で、未だ気持ち良さそうに眠っているノアを見た。


「それで――」


 思い出したように、リュミエールはルルとエヴァンに向き直る。


「ノア様が『魔王の息子』だというのは、一体どういう事でしょうか?」


 あの時、周りを飛んでいた鴉の中にはリュミエールもいた。会話を耳にしていたのだ。


「は? 魔王の息子? どういう意味ですの?」


「まぁ、素敵ですわ。威厳のあるお父様なのですね」


 ルチアとレティシア。同じ姉妹でも、ルチアの反応の方がマトモだな――と思いつつ、エヴァンは口を開く。


「『覚醒の魔王』をご存知ですか?」

「覚醒の……魔王……!」


 リュミエールはゴクリと喉を鳴らした。眉間に皺を寄せ、目線を落とす。


「ミエールお姉様? 覚醒の魔王とは一体……?」


 姉のただならぬ雰囲気を感じ取り、ルチアが不安気に見上げた。

 リュミエールは静かにかぶりを振る。


「全く聞いたこともありません」

「なんでそんな思わせぶりな事を……」


 思わずルルが呟くと、リュミエールは茶目っけのある笑みを浮かべてみせた。


「ご存知なくて当然です。本人曰く、大昔に魔王は引退したそうなので」


「魔王に引退なんてあるんですの?」


「今は田舎で野菜を育てていますよ。彼の作るトマトは甘くて美味しいと評判なんです」


 半信半疑なルチアに、エヴァンはニコリと笑う。


「その名の通り、睡眠を必要としない魔族らしいのですが――ある日覚醒の魔王は、人間の女性と恋に落ちた。その愛の結果がノアです」


「彼の力を目の当たりにしたので、その話は信じますが――」


 リュミエールは顎に手を当て、眠ったままのノアを見下ろした。


「覚醒の魔王とノア様が、今後人類の脅威になる事は?」


『あり得ません』


 エヴァンとルルは間髪入れず即答する。


「ノアのお父さんて、本当にどこにでもいるおじさんなんです。頭に大きな角が生えているだけで、お酒が入ると繰り返し昔の武勇伝を語るような、ちょっとウザいだけのおじさんです」


「ノアの力だって殺傷能力はありませんし、魔物や魔族によくある『人間に対する敵意』なんて面倒臭い感情もありません」


 ハッキリと断言する2人に、リュミエールは黙考する。

 国を治める者として、これを看過して良いものだろうか――


「ミエールお姉様。ノア様は、無意味に人を傷付けるような方ではありませんよ」


「レティシア……」

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