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30.悪夢から目覚めたら


⭐︎


 バルドレイン城の一室で、フェリクスは眠りから目覚めた。


 癇癪状態のノアが撒き散らす『睡魔』に当てられると、人は悪夢を見る。

 例に漏れず、フェリクスもとんでもない悪夢に魘されていた。全身は不快な汗で濡れ、ベッドのシーツが肌にまとわりついている。


「……なんなんだ、一体……」


 自分の置かれた状況を理解するより早く、ベッドの脇に人の気配を感じて首を動かした。

 そこにいたのは――ルチア。


「お目覚めですか?」


 変身魔法を既に解いた彼女は、腰に手を当ててフェリクスを見下ろしている。


「……あれ? 可愛い……」


 思わず漏らした自分自身の呟きに、フェリクスは安堵した。

 あの醜いルチアは夢だったのだ、と。


 ルチアの後ろにはリュミエールが見えた。更にルルとエヴァン。そしてソファには、深い眠りに落ちているノア。その頭を膝に乗せているのは、美しく可憐な金髪の女性だった。


 絵画の中から抜け出してきたようなその美女は、フェリクスと目が合うと、ふわりと花が咲くように微笑んだ。


「フェリクス様、ご気分はいかがですか?」

「ええ……あの……? 貴女様は……?」


 見覚えのない美しい女性に頬を赤らめるフェリクスに、彼女はくすりと笑った。


「レティシアですわ」

「レティ……レティシア王女!?」


 ベッドから飛び起き、フェリクスは見目麗しい三姉妹を前に目を瞬かせる。


「どういう……」


「目覚めたばかりで申し訳ありませんが、先に確認させていただきたい事がございます」


 リュミエールが一歩前に歩み出た。その声には微塵も謝意は含まれず、何の温度も感じない。

 フェリクスの背筋に冷たいものが走る。


「ジュリアン=バレンタインをご存知ですね?」

「ジュリアン……?」


 一瞬誰のことか分からなかった。だがすぐに、その名に似つかわしくない暗殺者の顔が脳裏に浮かぶ。


「……どなたでしょう?」


 フェリクスはシラを切った。


「それはおかしいですね。ここには貴方のお名前と、ジュリアンのサインが記されているのですが」


 そう言って、彼女一枚の紙をフェリクスの目の前に突き出した。


「は……? な、何ですかそれは?」


 冷静を装った声とは裏腹に、心臓が狂ったように鳴り始める。


(マズイ……マズイぞ……!? まさかその紙……いや、あり得ない! あれは逗留先に置いた僕の荷物の中に――)


「これは、フェリクス様のお荷物から拝借した『契約書』です」


「な……っ!?」


「この契約書には、レティシアの拉致監禁の任務が完了したことが記されていますね」


 フェリクスは奥歯を噛み締め、必死に逃げ道を探す。だが出口のない迷宮を彷徨い、思考は空回りするばかりだった。

 その胸中を見透かしたように、リュミエールは淡々と言葉を重ねる。


「これは貴方がルチアにおっしゃった『証拠』に成り得るのでは?」


 静かな声が、断頭台へ導く宣告の如く響いた。


「ジュリアン=バレンタインは既に捕らえました。彼が勇者一行の証言により、レティシアの誘拐に加担していたことは明らかです」


 ルルとエヴァンは大きく頷いてみせる。


「そしてジュリアン=バレンタインの筆跡と、この契約書の筆跡は一致しました」


「そんなもの……っ」


 声が震える。

 否定しなければ。何か言わなければ――

 しかし言葉は喉の奥で詰まり、それ以上は出てこない。


「彼は自供しましたよ。全て貴方の指示で行ったのだ、と」


 ノアとの戦いで暗殺者としての自尊心を完膚なきまでに叩き折られていたせいか、ジュリアンは情け無いほどに容易く全てを吐き出した。


 証拠もある。

 証言もある。

 逃げ場を失ったフェリクスは、力無く首を垂れた。


「ガッカリです」


 リュミエールは静かに瞼を閉じる。その声には怒りの色は無く、落胆だけが見えた。


「スピナ国は争いの無い、気候も穏やかで平和な国。第二王子である貴方も、優しい気性の方だと伺っていました。貴方との結婚ならば、レティシアは幸せになれると思っていたのですが……」


「待ってください! 僕の知るレティシア王女は、もっと醜い女でした! こちらが本当のレティシア王女なのでしたら、僕は生涯をかけて彼女を幸せにすると誓います!」


 必死に言葉を紡ぎながらベッドから這い出てきたフェリクスは、レティシアの前に跪いた。

 熱のこもった眼差しで、彼女を正面から見上げる。


「どうか……どうか、僕に貴女の御心を取り戻す機会を……!」


「こいつ……っ! 本当に女を見た目でしか判断していないのね!」


 眉を吊り上げて詰め寄ろうとするルチアを、リュミエールは片手を挙げて制止した。


「確かに、変身魔法を使ったあの姿のレティシアが婚約者だったとしたら、戸惑う気持ちは分からなくもありません」


「でしょう!? だったら――」


 一瞬だけ希望が見えたフェリクスは、縋り付くようにリュミエールを振り返る。

 リュミエールは微笑んだ。これまでに見せたどの笑顔よりも冷たく、軽蔑を含んだ眼差しで。


 たくし上げたドレスの裾から伸びた細いハイヒールが、フェリクスの背に触れた。


「レティシアもルチアも、私の可愛い妹なの」


 まるで汚れた物を踏み付けるように、躊躇いなく踵を擦り付ける。


「やり過ぎたのよ――ゲス野郎」

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