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復活

暗い通路を、下へ下へと降りていった。松明の明かりだけが頼りである。不思議と怖くはない。この先に一体何があるのか? 誰も知らない。私も知らない。知らないまま、歩いていく。


ほんとうは、私は知っている。しかし知らないふりをしている。自分の心に嘘をつくのは、そんなに難しいものではない。慣れた人間にとっては。嫌なことから目を逸らし、陰鬱でつまらない現実に目を背け、代わりに好きな空想、妄想、楽しかったわずかな記憶のリフレインで上書きして、白昼夢の中に生きてその日その日をやり過ごすという術に熟練した、私のような人間にとっては、自分の心に嘘をつくことなど、容易なことである。騙すのも騙されるのもどちらも技術である。好きな女の嘘に、そうと知ったまま目を瞑って騙されていたほうが良いように、知っていてもなお知らぬふりをしていたほうが幸せなことはこの世にいくらでもある。


グガアアアア。闇の向こうから、叫び声が私の身体を通り抜けた。らしい。一瞬寒気が、いや涼しい気がしたが、全ての感情はもう通り抜けていった。恐怖はない。何も感じる必要はない。私はいまこの階段を下へ下へと歩いていっているが、それは今の声とは何ら関係がない。ただ、歩いていれば良いだけだ。さっきの叫び声は、この下、石でできた階段を下っていった先から、聞こえてきた。だから? 私が歩かねばならぬこととそれとは何ら関係がない。この先に何がいるのか? 行くとどうなるのか? それは、私が全く考える必要のないことである。


私が今やるべきことは、ただ歩く。ただ階段を下りていく。それだけである。何が見えようが、何が起ころうが、身体が何を感じようが、関係ない。この身体はもはや自分のものではない。ただ行くべきだから行く。なぜ行くべきなのか? なぜ私は死ななければならないのか? それはもう、考えが済んだことである。決めたことをもう一度考えても仕方がない。後悔のないように十分熟慮した。私がなぜ死ぬことになったのか、理由はもう覚えていないが、十分に考え抜いて納得して決めた、ということを覚えている。それで充分である。


何が聞こえようが、何が見えようが、何の匂いが鼻につこうが、全く関係がない。階段は続く。足は動く。そうして歩いて行く。


やがて巨大な蛇の怪物が目の前に現れて、私の身体は恐怖でだんだん動かなくなった。しかし足を進める。蛇はシュー、シューと息を吐いた後、大きな口を開き、ガアアアアア、と叫んだ。私はどうすべきか? これに対して、取るべき反応は何もない。ただ来るだけで良いのだ。私の身体が恐怖の反応を示し、強烈な寒気、ここから逃げなければならない、立ち去らねばならない、と心の奥底で誰かが叫んでいるように感じた。


ヘビが少しずつ私に寄ってくる。長い舌を伸ばして、私の身体に絡みつく。まだ痛くはない。私は目を瞑った。


生暖かい息がかかって、視界が一層暗くなり、突然身体が何かに飲み込まれた。胴がふたつにちぎれる感触がある。蛇は獲物を丸呑みするのではなかったか? ではこいつは蛇ではなかったのだな、とどこか他人のように考えた。考えながら、二つに分かれた胴の半分が、腹から下と足がどこかに行ってしまうのを感じた。もう戻ることはできない、ついに来てしまった、もうおしまいだ、そしてついに始まった、と感じた。


「何がほしい?」と、突然聞こえた。


叶うことなら、この世の全てを壊したい、何もかもめちゃくちゃにしてほしい、と思ったが、しかし一瞬思いなおし、「残してきた恋人に、祝福を」と言った。言えたのか、言葉にして発せられたのかは定かではないが、確かに言った感触がある。

最後の最後で、頭に浮かんだのは、恋人のことだった。愛する彼女が、私の抱える闇を払ってくれた。世界への憎悪、復讐の連鎖を、断ち切ってくれた。


「なるほどなあ、この世の全てを壊したいか」


と蛇が言った。


「望み通り、何もかもめちゃくちゃにしてやろう。お前をコケにした隊長も、何も知らぬ呑気な国王も、お前を一度裏切ってしかし平然としている恋人も、そしてお前の目耳を切った父親も」


グルルルル、と声がして、床からひとりの男が生えてきた。これは、私の父親だ。きょろきょろと辺りを見回している。彼のことは、とっくに許したはずだ。もう十年以上昔の、子供のころのことなのだから。彼だって完璧ではなかった。彼だって苦しい境遇の中でよくやったのだ。子供を愛するのは難しいことだ。困難の中にいて、手ごろな弱者をいたぶらずに済むのはよほどの善人だけだ。だからもう許したはずだ。


「お前はそんなことで納得する人間ではない」


と蛇が私に言った。私は父を見下ろしている。この視点は、どこからの視点だ? 私はどうなった? 蛇に食われて……今はまるで、蛇の目になったような高いところから父を見下ろしている。

そうか、私は蛇になったのだ。私は蛇の一部になったのだ。身体は吸収されて、記憶や意識ももうじき消化される。


フルルルル、と妙な音がすると、床から無数の石が伸びてタコの足のように絡みつき、父の身体を拘束した。すると壁からまた無数の針が、細い針が飛び出して、父の全身へぶすぶすと刺さっていった。首、脳、そして爪の間。

父は死にそうなほどの声を出して苦しんだ。喉が枯れて潰れてくれそうなくらい、大声でわめいた。しかし自分が苦しめられてきた20数年で流した涙と叫んだ声の量には全然届かない。

脳にささった針がぐりぐりと動き、父は急に白目を向いた。叫ぶ声が一層大きくなり、喉が潰れた。声は砕け、人から出ていると思われぬ雑音を大変な音量で垂れ流している。

やがて白目を向いて、自分で舌をかみちぎり、全身を痙攣させた。すると最も太い梁が父の脳の奥へぶすりとささり、


「あとふた月ばかり、生き地獄を味わってもらうことにしよう」


と蛇は言った。およそ人間が感じてはならぬくらいの壮絶な痛みを、一瞬ではなく持続的に感じさせられているはずだ。これを受けて、生まれたことと生きていることを後悔せぬ人間はいない。ふた月経って外した後は、完全に廃人となり、目の焦点は合わず、よだれと糞尿を垂れ流し、食事も睡眠もできず、姿勢を変えることもできず、放っておけば座ったまま重量に負けて身体を崩して倒れこみ、床ずれや無理な体制のせいで関節や皮膚がぼろぼろになり、粗末な人形のような姿に変わっていくはずである。それを見ることができないのが残念、いや見せてやれないのが残念だが、ともかくこれで契約は終わった。こやつの身体はわしの物になる。もう意識も一体になったか?


私は巨大な体を引きずり、石の階段を上り始めた。儀式の者が来るのはだいたい150年ぶりである。地上はどうなっているか? 人と人との戦争は終わったか? 少しは私が支配するのにふさわしい世界になったか?


地上へ出ると人間がわんさかとおり、私の姿を見るときゃあきゃあと騒ぎ始めた。思い出した、人間は群れる生き物である。ひとまず地面を揺らし、風を呼び、人間どもを綺麗に片付け、農地をひっくり返し、家を片付け、美しい平野を取り戻した。

これからどうしようか? 空から見ると、街がやたらと増えている。全て片付けるのには何週間かかかりそうだ。


北に手ごろな城があった。ひとまずここに暮らそう。眺めも良い、


注意せねばならぬのは、勇者とかいう存在である。私が復活したときに限って現れる奇跡の者で、何度殺しても蘇ってくる。こやつだけはなんとかせねば。

しかし人が多すぎることを除けば、この世は大して変わっておらん。空は済んで森は健やかである。この美しい自然を守り、未来へ伝えていかねばならぬ。そのために人間というずる賢い害虫は駆除せねばならぬ。


と、寝起きの頭でぼんやり考えながら、配下の者が気づいて迎えに来るのを待つ。

四天王はまだ生きているだろうか? 疾風のフォルカが来るが早いか、邪心復活の号外が出るが早いか。人間どもとの勝負だ。今回は楽しめると良いが、つまらなければいよいよ世界征服を成し遂げてしまっても構わないかもな、と考えている。もう充分楽しんだ。また手加減してもう150年封印されるのは勘弁願いたい。牢の中は苦しかった。魔王さま、と呼ばれていたころがずいぶん懐かしかった。今度こそは、上手くやってやろう、と誓うと、さっき命を吸った男の魂を完全に消化できたのを感じた。一応、彼の父親の幻影も解いてやる。悪趣味な男だ。自分の復讐のために、世界を売り渡すとは。しかしそのおかげで私は復活できた。彼は果たして報われただろうか、満足しただろうか? わからぬ。私にはどうでも良いことだ。

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