太右衛門の受難(一)
三津の一件以来、将軍が夜の相手として美代を指名することは、以前に比べると少なくなった。将軍のお渡りが減ると、美代はしばしば、例の「鶯」を相手に性欲を満たした。
ある時、美代は座興に、あの旭が鶯を寝床でいたぶる様を見物することにした。
もちろん、華奢な体の鶯では、どうあがいても大柄な旭に制圧されるのは時間の問題だった。鶯は必死にもがくが、旭に後背位で長時間責められ、子宮に「牛の角」と呼ばれる大人のおもちゃをねじ込まれる。そして、ついには力尽き、布団に崩れ落ちるように伏して、ぐったりとなった。
女ながらに柔術の経験もある旭は、鶯を仰向けにひっくり返すと、自分の足と相手の足を絡ませ、しっかりと固定する。鶯はしばし暴れたが、やがてヒキガエルのように硬直し、そのまま気絶した。
次に目を覚ました時、鶯は縄でぐるぐる巻きにされ、逆さ吊りにされていた。目の前には美代が立っている。
「さあ、今日という今日こそは、例のことを吐いてもらおうか!」
「できませぬ。それだけはご容赦を!」
すると美代が縄を引っ張り、鶯の股間に強く食い込ませた。鶯は耐えられず、苦痛のうめきをあげる。
「本当は気持ちいいんだろう。お前の魂はもう私に支配されたんだよ。逃れられないのだから、本当のことを言うんだね」
やがて鶯は、何事かを美代の耳元でそっと囁いた。
ようやく冬の気配が漂う頃、江戸城御広敷につとめている太右衛門は、久々の休暇の日を迎えていた。上芝口にある脇坂家の上屋敷へ赴き、脇坂安董と何事かを語り合った。
その後は、品川にある岡場所に馴染みの女を訪ねる予定だった。ところがその途上、誰の指図であるのか刺客の襲撃を受ける。
「故あってそなたの命を頂戴する!」
「何故、わしの命を狙う!」
刺客はまず、太右衛門の持っていた提灯を真っ二つにした。これにより周囲はまったくの闇となる。しかし、江戸城の御広敷につとめる役人は、その大半が伊賀者である。太右衛門もまた武術に秀で、暗闇の中でも的確に刺客の気配を察し、間一髪のところでその刃をかわし、一人、また一人と、神業のような刀の技で倒していく。
しかし、四人ほど刺客を倒したところで、ついに右肩を傷つけられ、鮮血が勢いよく噴き出した。
「これまでか!」
さしもの太右衛門も半ば観念しかけたが、この時、脇坂家の侍たちがどこで急を察したのか、十数名ほど助太刀に入り、傷を負った太右衛門を守った。数的不利を悟った刺客たちは姿をくらまし、太右衛門は九死に一生を得た。
太右衛門の傷は命に関わるものではなかったが、大事をとる。しばらくは御広敷での勤務を休みとして、自らの屋敷で療養することとなった。傷も癒える頃になると、改めて品川にある馴染みの女のいる岡場所に赴こうとする。
夕闇が品川の宿場を包む頃、街道沿いの旅籠や茶屋の灯が、黄ばんだ紙越しに揺らめく。裏通りに一歩入れば、道は狭く曲がりくねり、湿った土の匂いと、炊き出しの鍋から立ち上る油の香りが混ざり合う。そこかしこで三味線の弦がかすれた音を響かせ、笛や太鼓の音が遠くからかすかに聞こえてくる。
小さな座敷の障子から漏れる灯は、淡い赤色の影を路地に落とす。呼び込みの女たちは髪を乱し、肩に掛けた着物の端を揺らしながら、通りかかる旅人にかすれ声で誘いをかける。
「ちょいと一息、どうでござんすか……」
その声には、ためらいも諦めも入り混じり、聞く者の胸をざわつかせた。
座敷に入れば、畳に座るだけの簡素な空間。香炉から立ち上る煙が、湿った部屋の空気に絡みつき、肌にじんわりまとわりつく。女の手が酒の盃を差し出すたびに、指先の温もりが旅人の疲れを撫でるようだった。笑い声、嘆き声、叱咤の声が入り混じり、窓の外の波音や馬の蹄の響きと重なり合う。
吉原の華やかさはない。けれどここには、人の欲望と哀しみが生のまま漂い、香りと音と温もりが混ざり合う、官能と荒々しさの渾然とした世界があった。夜が更けるほどに灯は静かに揺れ、路地は眠らぬ生の気配で満ちていく。
妹尾太右衛門は、灯の柔らかな揺らめきに迎えられた。障子の向こうから、いつもの馴染みの女が姿を現す。女の名は瑞希といった。髪を少し乱し、肩に掛けた着物の端を揺らしながら、笑みを浮かべて盃を差し出す。
「おや、太右衛門様。今宵はお勤め帰りでござんすか。顔色が少しお疲れのようで……」
女の声は、懐かしい響きを持っていた。太右衛門は肩の力を抜き、盃を受け取る。
「御広敷の務めは、日々細かいことが多くてな。こうしてお前の顔を見ると、心が和むわ」
「まあ、そんなことを言ってくださるなんて。わたしも、こうしてお会いできるのが楽しみでござんす」
香炉から立ち上る煙が二人の間を漂い、酒の香りと混じり合う。太右衛門は盃を傾けながら、女の指先が自分の手に触れる温もりに、ほんのひととき心を委ねた。外のざわめきも、波音も、遠い世界のことのように思えた。
「そういえば風の便りで聞いたところによると、刺客の襲撃を受けたとか?」
「何さしたるものではない。傷も負ったが、あの程度はかすり傷だ」
女は柔らかく笑い、灯の影が頬を赤く染める。その笑みは、確かに馴染みの女のものに見えた。太右衛門は疑うことなく、心を許した。
その夜、太右衛門はいつにもなく深酒をした。夜も更けるまで飲み、やがて、
「瑞希、こっちに来い!」
泥酔しながらも、愛しい女の名を呼んだ。
太右衛門はまるで赤ん坊でも抱くように、華奢な体格をした瑞希を抱きかかえる。
「いい匂いだ」
と言って、太右衛門はそのまま瑞希を布団に押し倒した。そして乱暴に着ていたものをはぎ取ると、胸が露わになる。
その時、異変が起こった。生ぬるかったはずの感触が消え、不意に冷たい、木のようなごつごつした感覚に変わったのである。いつのまにか「女」は、木でできた「でくの坊」に代わっていた。そして太右衛門自身も、いつの間にか縄で木にがんじがらめにされているではないか。
身動きがとれなくなった太右衛門の前に、瑞希が立っていた。
「これは一体! さてはお前は瑞希ではないな! 刺客か」
「故あって命を頂戴する!」
瑞希に化けた刺客は、それだけ言うと、太右衛門めがけて刃を振り下ろす。ところがである。仕留めたと思ったその刹那、太右衛門の姿が消えた。
「己! どこに消えた!」
その時、刺客は自らの背後で、布団がごそごそと動く気配を察した。
「そこか!」
刃を勢いよく振り下ろすと、血しぶきが刺客の顔面を真っ赤に染めた。しかし布団をはぎ取ってみると、そこにあったのは先ほどの「でくの坊」で、太右衛門の姿はなかった。
「……惜しいな。刃が届く寸前だったぞ」
振り返った刺客の目に映ったのは、灯に照らされる太右衛門の姿だった。乱れた着物の胸元から覗く肌が、酒の熱と汗で艶やかに光っている。
刺客は刃を構え直すが、太右衛門はゆるりと近づく。畳を踏む足音は静かで、まるで舞うようだった。
「俺の馴染みの女に化けるとは……人の心を弄ぶ所業よ」
低く囁く声は、怒りよりも艶を帯びていた。
刹那、太右衛門は懐から細い鎖を取り出し、刺客の手首に絡める。鎖が肌に食い込み、刃が畳に落ちた。太右衛門はそのまま体を寄せ、耳元に息を吹きかけるように囁いた。
「命を奪うなら、せめて温もりを偽るな……」
次の瞬間には、灯の揺らめきの中、太右衛門の刃が刺客の脇腹を深くえぐっていた。
「……人を信じる心が、最も危うい刃となるのかもしれぬ」
そう呟き、倒れた刺客を見下ろす太右衛門の瞳には、怒りと哀しみ、そして消えぬ艶やかさが混じり合っていた。
「言え! 誰に命じられて俺の命を狙った!」
しかしその時には、刺客はすでに舌を噛み切って己の命を絶っていた。
本物の瑞希は、店の近くの木に縛りつけられて気絶した姿で発見された。
一体、何者が己の命を奪わんとしているのか。半ば人間不信になりながらも、太右衛門は一月ほどすると江戸城御広敷での勤務に戻った。
しかし太右衛門の受難は、これで終わりではなかった。




