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東生駒駅―1

「つい最近武者小路実篤の『愛と死』を読みました。うまくいくと思ったのに、そうじゃない恋が切なかったです」


「運動が得意で元気そうなメインヒロインが最後ああなるとは、想像もしていなかったから、驚きです」


 人が少なくなった、東生駒駅から生駒駅へと向かうバスの中。


 木花の隣に更妙が座り、2人は楽しそうにおしゃべりをしている。


「なんかハッピーエンドになるかなと思ったんです。でもそうじゃなくてあっさりバッドエンドだったのが、驚きでもありました」


「そうですね。武者小路実篤はほかにも『友情』という話を書いていて、こっちは主人公が失恋した上に友達を失っています。でも『友情』では女性がメインになって恋愛をしていこうとしているところが、当時としては斬新かもしれません」


 木花と更妙の話のメインは、文学作品についてだ。


 ライトノベルや漫画、つい最近出た本の話はまったくない。インターネットに投稿されている小説の話よりも、著作権がとっくの昔に切れてしまったいるような本について語っている。


「私は個人的に『お目出たき人』が自己中っぽかったです。努力しなければ失恋するのは当たり前なのに、そうじゃない感じが気になりました」


「そうですよね。好きな人じゃなくて、家族にアプローチしても仕方ないです。でも『こころ』でも好きな人じゃなくて、好きな人の親に告白していましたし、昔は本人よりも親とかの意見が大事だったかもしれません」


 今日は武者小路実篤の小説について、2人は語っている。


 周りではスマートフォンをいじっている人、ようやく確保した席で休んでいる人。事情や気持ちが様々な人たちが、思い思いにふけっている。


 基本的明日バスの中で話している人は少ない。大半の人は誰ともつるまず、通勤や通学をしている。100%楽しいだけじゃないバスに行くという、わくわくとした雰囲気のない場所でにぎやかにできる人なんていないかもしれない。


 そんな2人の様子を、紺珠は黙って見ている。


 稲倉であいさつ。それだけが今紺珠が木花とすることを許されている会話だ。当然のように紺珠は更妙ほど、木花と会話することができていない。


「おはようございます」


「おはようございます」


 毎日この繰り返し、何日も何日もそうなっている。紺珠は木花とあいさつをする。そして更妙が親し気に、木花と話しているところを見る。


 太陽がやわらかく支配するバスの中。職場でも家の中でもない、公共の場所。


 そこで紺珠はぼんやりと、木花を見ている。見ながら紺珠は、黒と緑が特徴的なモンスターエナジーの缶を開ける。


 紺珠の目はぼんやりとしていて、くっきりとしたくまがある。時々眠そうに目が閉じられることから、紺珠はとても眠そうだ。


 今飲んでいるようなカフェインがたっぷり入っている炭酸飲料だって、紺珠はここ最近毎朝飲んでいる。


 仕事が忙しいからか行きに乗るバスの時間は変わらないものの、帰りは夜遅くなりがち。そして土日でも力なく、バスに乗って会社へと向かう。そんな生活をしている紺珠。


 そういうわけだから紺珠は仕事をしっかりしていても、生活を保つエネルギーはない。そこでバスの中でいる紺珠は、いつも疲れているようにしか見えない。


 それでも紺珠は、木花から目をそらさない。


 本当は何よりも、自分の仕事と生活について考えたほうが紺珠にとってはいい。


 でもそうじゃなくて、紺珠は楽しそうに更妙と話している木花が気になってたまらない。


 更妙と木花は紺珠のことを気にしていない。ただ2人は楽しくおしゃべりをしているだけ。


「最近はトマト鍋を作りました。トマト鍋のもとに、ゴーヤとなすび、それから鶏むね肉のミンチを煮込んだだけですが」


「トマト鍋にゴーヤなんて意外です」


 気が付けば、バスは生駒駅近くの坂道を走っている。


 いつの間にか文学作品の話じゃなくて、2人は料理の話をしていた。


「ゴーヤは苦かったですが、おいしかったですよ」


「そうですか。僕もトマト鍋にゴーヤをいれてみます」


 2人の会話を静かに聞く、紺珠。


 そこには何もない。眠そうな顔をして静かに、紺珠が木花のことを見ているだけ。


「あとクラムチャウダーを食べたいです」


「僕もです。クリームシチューじゃなくて、クラムチャウダーがたまに食べたくなります」


 2人は食べ物の話をしている。その状況で木花は、自分が紺珠に見られていることに気づかない。


 会話をする人、見ている人。これは東生駒駅から生駒駅。すなわちほんのちょっとの時間だけ続いた。


 そこでバスが生駒駅に着いた途端、紺珠はため息をついた。


「また明日会いましょう」


「そうですね」


 2人の会話を聞き流し、紺珠は仕事のためにバスから降りるのであった。


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