生駒つじ町―1
今日もバスの中は混雑している。
席は埋まっているし、一人席の多い前半部分は人でギューギュー詰めだ。
そんな状況の後部座席。木花は読書をしていて、紺珠は木花のことを見ている。いつも通りのことは変わらない。
バスはつじ町を過ぎて、東生駒駅へと向かおうとしている。つじ町で乗る人は少ないし、今日は誰も乗ってこなかった。そこで図書館前からとバスのメンバーが変わらないまま、バスは東生駒駅へと向かう。
東生駒駅では、たくさんの人がバスから降りる。
そこでバスの中はさっきよりも人がうーんと減る。今日は運のいいことに、全員が座ることができるくらいに、バスの中から人が減る。
そんな中164センチの黒ロリファッションの女性がバスへと乗り込んできた。東生駒駅から生駒駅までは、徒歩か電車でも行くことができるため、バスに乗る人は少ない。そこで東生駒駅から生駒駅まで、バスに乗ろうとする人は珍しい。
そして黒ロリファッションの女性は、空いていた席に座って読書を始める。女性が持っているのは文庫本、そのうえ木花が好きそうな日本の文学作品だ。
この読書をしている人の名前は、春日更妙で、名前の読み方が漢字とあっていないところがある、訳ありそうな人だ。更妙は大阪で占い師として働いている29歳で、かわいらしいけど名前同様うさんくさいところがある。
少なくともどれだけ更妙がかわいくても、信用されそうにはない。そんな雰囲気が、更妙にはある。
そんな更妙のことに、木花と紺珠は気づいた。ただし更妙のことをあまり気にしないで、木花と紺珠はそれぞれしたいことに戻った。
生駒駅にバスがつく。人々がどっとバスから出ていく。まるで早く出ないと死んでしまう、そんな雰囲気の漂いそうなほどだ。
気が付けば、バスの中には3人が残っていた。更妙、木花、紺珠。
その3人のうち更妙は持っていた文庫本を座席に置くと、慌ててバスから降りようとする。
「すみません。文庫本忘れていますよ」
更妙に向かって話しながら、木花もバスの出入り口へと向かう。
でも更妙は木花のことに気づかないまま、バスから降りてしまう。そこで木花もバスから降りて、人にぶつからないようにしながら小走りで更妙を追いかける。
紺珠がふとバスの外を見ると、木花と更妙が話していた。
紺珠は木花のことを、最近はよく見ている。そこで木花が更妙を追ってバスから出ていったことも、紺珠は知っている。
知っているからこそ、バスの外で楽しそうに木花が更妙と話しているのを見て、つい固まってしまう。
紺珠は木花に話しかけることが気軽にはできない。バスの中で紺珠が木花と話すことができるのは、今のところほとんどない。
そこで更妙が木花と話している。それは紺珠ができないことだ。
だから紺珠はゆっくりとバスを降りていく。そしてバスの出入り口で、木花が更妙と楽し気に話しているのを聞いて、つい止まってしまう。
「2024年だから『檸檬』が書かれてから、100年目なんです」
「そうですね。100年前の小説をすらすら読むことができるなんて、すごいなと思います」
バスから降りて少しだけ離れた場所。地下にあるお店や2階にある駅へ行くことができる階段の近くで、更妙と木花が話している。
そしてその様子を、紺珠は無言でじっくり見ている。
「でも最近聞かない『神経衰弱』や『びいどろ』という言葉を見るたびに、昔の作品だなと思います」
「そうですね。だから僕は『檸檬』を読むたびに、ガラスのおはじきを見たくなります。透明でつやつやしたガラスに、絵の具が閉じ込められているのがきれいです」
「そうですね。私もおはじきを見るのが好きです」
木花は笑顔で、更妙も笑顔。
移動をしている人たちが多い中、木花と更妙は立ち止まって会話をしている。それもあってか、2人はかなり目立っている。
そしてそんな2人を見ながら紺珠は、バスから降りた。そして紺珠は2人を見ないまま、バスから離れていく。
「つじ町ってしんにょうの点が2つバージョンと1つバージョンがありますよね。あの2つがあることを知ったとき、僕は驚きました」
「そうですね。しんにょうの点の数が違っても、意味が同じってことがびっくりします。特にしんにょうは2つよりも1つのほうが書きやすいですし」
紺珠がバスから立ち去っても、2人の会話は終わらない。
時間がどんどん経っていき、今まで2人が乗っていたバスが別の目的地へ向かっても、それは変わらない。
「すみません、もうそろそろ時間なので、失礼します」
「そうですね。今日はありがとうございました」
時間が少し経った後で、木花と更妙は別れた。
これ以降も2人は会うたびに話すようになる。そんな2人の様子を、紺珠がじっとりとした目で見ることが増えた。
これからこの3人の関係がどうなるのかわからない。とはいえもう3人の関係は、元の無関係には戻れないことだけは確かだ。