島田-1
小明寺垣内でたくさんの人が乗ってきたこともあり、立っている人がちらほらいる。そんな混んだバスの中。
鶴居紺珠は窓と壁にもたれて、眠りについている。仕事で疲れているのか、紺珠は全く起きる気配がない。
その紺珠の前で座っているのは、宵宮木花である。木花は紺珠と違って寝てはいなくて、読書をしている。
どうやら木花は読書が好きならしい。そこでこのバスの中ではいつも読書をしている。しかも木花はつい最近書かれた小説ではなくて、昔出された小説を読むのが好きならしい。例えば太宰治の『人間失格』や森鴎外の『舞姫』など、今よりも少し前の時代に書かれた小説である。
そこで人で混み混みのバスの中で、紺珠は寝ていて、木花は読書をしている。この光景は終点である生駒駅まで変わらないし変えられない。そういった雰囲気が漂っていた。
年は木花のほうが紺珠よりも、10歳年上だ。でも疲れ切っているのか紺珠は若さが足りなくて、ゆとりがありそうな木花は若く見える。そこで二人は同年代に見えるかもしれない。
そう年が離れていることもあって、二人には接点が全くない。あすかの団地口でバスに乗り込んだ紺珠の後に、稲倉で木花が乗ってきた。木花はバスに乗ってから紺珠に話しかけることもなかったし、紺珠も木花に話しかけようとすることもなかった。
すなわち宵宮木花と鶴居紺珠は全くの無関係、赤の他人である。同じなのは性別だけ。身長は紺珠のほうが8センチも上で、木花のほうがほっそりとしている。学年だって木花と紺珠は同じではなかった。
こんな状況で、二人は永遠にかかわらない。たくさんの人がいるバスにたまたま一緒に乗った二人。そうどこにでもある関係で、何もなく終わっていくようなさびしい関係。
バスが出す音、それに混じって『島田です』というアナウンス。
島田では小明寺垣内ほどではないが、人が乗ってくる。小明寺垣内で乗り込んだ人たちが奥に移動して、島田で乗り込んだ人が入口付近に立つ。
このバスは乗るときに、料金を支払う。それもあってか、ICカードをタッチする音でバスの中は騒がしい。そんな中でも紺珠はひたすらバスの中で眠り続けている。紺珠は終点の生駒駅に着くまでずっと、寝ているかもしれない。
「すみません、もうそろそろ図書館前ですよ」
ずっと寝ているかと思われた紺珠。木花の話し声で目が覚めてしまう。
「ありがとうございます。降ります」
木花に話しかけられた相手は、紺珠同様に眠っていたらしい。
「よく図書館前で降りられますよね? そこで今日は寝過ごしそうだと思ったので、僭越ながら声をかけました。大丈夫でしたか?」
「大丈夫です。図書館前で降りる人は少ないですから、それで印象に残りやすいのだと思います」
目覚めた紺珠は、木花と話している相手を見る。
木花と話している相手は、女子大学生っぽい。木花よりは紺珠のほうが年は近いけど、読書が好きそうな落ち着いた雰囲気をしている。
そこで木花と彼女は、お似合いのカップルに見える。何よりも寝ている彼女を木花が起こすという行動があったので、それからよりいっそう関係が近くなる可能性がありそうだ。
紺珠は二人から目を離して、バスの外を見る。バスは島田の近くにあるトンネルを通り抜けようとしているからか、ほかの場所よりも薄暗い。
「たいていこの時間だと通勤で、駅に行く人が多いです。僕も通勤で生駒駅へ行くために、乗っています」
「平日の通勤時間ですから、たいていの人は駅行きですね」
二人は仲よさそうに話している。とはいえお互い遠慮しているのか、会話はややぎこちない。
その二人の会話が気になるのか、そっちを紺珠はちらほら見てしまう。バスの外を見ていたかと思えば、二人が話しているところをみる。そんな怪しい人に、紺珠はなっていた。
「去年大学を休んで、とある温泉町で暮らしていました。そこの温泉町にタロットカード占いを無料でしている女子高校生がいたんです」
「無料で占いをする人なんて、珍しいです」
「そうでしょう。パワーストーンやタロットカードなど売っているお店の宣伝のために占いをしていたから、無料だったそうです。でもその女子高校生、家出しちゃったんですよね。今も見つかっていないらしいですから、心配です」
「女子高校生が家出したまま見つかっていないのですか? それは心配です」
「そうなんですよ。その温泉町に住む通信制の高校に通っている子が、東京で家出した女子高校生を見たっぽいですが、まだ見つかっていないらしいです」
図書館前に近づくバスの中、二人は会話をしている。
このバスの中にいる人のほとんどはスマートフォンに夢中で、二人の会話を気にしていない。そしてスマートフォンをいじっていない人だって、赤の他人の会話なんてどうでもいいだろう。
そんな中一人だけ二人のところをちらほら見ている、その人が紺珠だ。
バスの外を見て、二人のほうを見て。それでいて耳や気持ちはずっと、二人に向いているようで。紺珠はそわそわしている。
「その通信制高校生、東京では『リュビ』ってケーキ屋に居候しているらしいです」
「そのお店、テレビで見たことがあります」
紺珠のことを全く気にせず、二人は会話を続けているのであった。