83. 魔神の復活
「離せ。邪魔だ」
冷酷に、冷徹に、冷淡に、ヤルダの肉体を奪ったベルフェリオはレヴィオンに言い放った。
レヴィオンの腕の中からするりと抜け、自由を獲得し、掌を開いたり閉じたりすることでその肉体の感覚を確かめている。
そんなベルフェリオの様子を見てレヴィオンはワナワナと震えていた。
虚空が現れたとて自分ならばなんとかできる。そんな自信過剰で傲慢な精神が生み出した結果。
「ヤルダの魂を返して…お願い…」
もはや、レヴィオンはそう神に懇願する他ないのだろう。
消え入りそうに掠れた声でベルフェリオに跪くレヴィオンは見ていられなかった。全く、『魔王』らしくない。
ベルフェリオは相変わらずその肉体を確認している。
引き締まった顔、藍の短髪、少年のような体躯に反して筋肉質な体。
その透き通った藍の瞳で見つめられたらそれこそ魂が抜き取られそうな神秘的な雰囲気を身に纏っている。
その姿は…どこかリオーネに似ているような気がした。
「どけ、邪魔だ」
レヴィオンの懇願を一蹴して突き進むベルフェリオをこのままのさばらせておけばどうなってしまうのか。
リレイティアは世界が崩壊すると言っていた。
世界の崩壊とは一体何を意味するのか。
強大な魔法による人類の殲滅?
それともこの星自体が無くなってしまうのか?
わからない。想像ができない。
ベルフェリオは堂々たる歩みを止めることなく儀式の部屋の出口へと向かっている。
まるで俺たちには興味がない様子だ。
唯一リレイティアを睨みつけたかと思えば、すぐに出ていってしまった。
部屋の外ではトモヒサたちが待機しているはず。
ベルフェリオを見て変な行動を移さなければいいのだが。
すぐに俺はベルフェリオの後を追って部屋を出る。
部屋には呆然自失状態のレヴィオンとリレイティア、それとまだ意識を失っている六人の加護持ちが残されているが、気にしない。
「あの人…凄い剣幕で歩いて行ったけど、誰?」
俺が部屋から出るなり、ショウが困惑げに尋ねてきた。
困惑しているのはショウたちクラスメイトだけではない。
クラスメイトたちを見張っていたレストアと獅子顔の魔族も頭に疑問符を浮かべていた。
というのもこの二人は儀式の部屋にあらかじめいた加護持ちの顔を把握していたからだろう。
先程まで部屋にいなかった人物が急に出てきたのだから驚くのも無理はない。
「あれは…ベルフェリオだ」
俺の答えにこの場にいた全員が驚いた様子だった。
レヴィオンの目的を知らないクラスメイトたちといえど神の名前くらいは聞いたことがあったのだろう。
だが、一際驚愕を隠さなかったのは魔族の二人だった。
レヴィオンが長い間追い求めていた存在、ベルフェリオ。
果たしてこの二人が、レヴィオンが真に欲していたのが神のベルフェリオではなく人間のヤルダだったことを知っていたのかは定かではない。
だが、復活したその存在がレヴィオンに連れられるでもなく一人でどこかに向かって行ってしまったのだから、その光景を見て二人が次に取る行動は容易に想像できる。
「レヴィオン様──!」
レヴィオンの安否確認だ。
この状況だけ見れば、ベルフェリオがレヴィオンと決別し、レヴィオンに何かしら危害を加えて部屋を後にしたのではないかと考えるのが妥当だ。
二人は儀式の部屋へと入って行った。
二人の焦燥を含んだ声が、扉が開けっぱなしになった儀式の部屋から反響してこの廊下まで聞こえてくる。
俺たちは聞き耳を立てている。
「レヴィオン様、あの方がベルフェリオ様なのですか⁉︎」
「ええ…軽率だった。私の力があればなんとかなると思ってしまっていた…」
「レヴィオン様はベルフェリオ様を復活させて…いったい何をしようとしていたのですか??」
「私が復活させようとしていたのは…実はベルフェリオじゃないの。本当は…私の婚約者であるヤルダという人間を蘇らせるつもりだった。途中までは良かった。だけど…神ベルフェリオにヤルダの肉体を奪われてしまった」
簡潔に二人に説明するレヴィオンの声にはまるで覇気が無い。
その普段とは全然違う様子のレヴィオンを見て二人も狼狽を隠しきれない様子だ。
「では…あの体から神ベルフェリオの精神だけ取り除くことができれば…というわけですね?」
「そんなことが出来れば、の話なのだけど…」
レストアの確認は出来るかどうかもわからない、希望的観測でしかなかった。
レヴィオンも諦めきったように消沈している。
そしてリレティアがその希望を打ち砕くような発言をする。
「もはやヤルダの意思はベルフェリオ様のものと融合してしまっています。もはやベルフェリオ様に完全に取り込まれてしまったと見ていいでしょう。私たちに残された道はヤルダの肉体ごとベルフェリオ様を殺す他ありません」
そんな言葉を聞いてレヴィオンは、
「何故そこまでしてベルフェリオを殺さなければならないの?彼は何をやろうとしているの?」
俺が考えたのと同じ質問をリレイティアに投げかける。
そしてリレイティアは、その質問を待っていたかのように、間髪入れず堪える。
「この世界から魔族…延いては人間全てを消そうとしているのでしょう」
──明かされた、単純明快すぎるベルフェリオの目的。
聞き耳を立てていた俺たち全員が息を呑むほど、簡潔で、突拍子がない。
「なぜそんなことを?」
レヴィオンはリレイティアが脅しの為の嘘を言っているとでも思っているような口調だ。
「ベルフェリオ様はかつての自分の過ちを清算したいと思っているはずです。古代人たちに捕らえられる寸前、魔族を生み出してしまったのが全ての罪の始まりだと私たち神は結論付けた過去があり──少なくとも、魔族は皆殺しにするでしょう」
リレイティアは断言した。
そして、それが嘘だとは微塵も思えなかった。
ここで嘘をつくメリットなど何もない。
魔族、延いては人間を皆殺し、か。
例え神といえど、そんなことは容易にできないと思う。
レヴィオンを含め俺たちが一斉にあの少年の姿をしたベルフェリオに襲い掛かれば、簡単に殺せそうなものだが。
その時、横で俺の名前が呼ばれていることに気づく。
「…タル!…ワタル!」
トモヒサだった。
「…悪い、考え事してた」
トモヒサの相変わらずデカい図体と整った顔が俺を覗き込んでいる。そして俺の体を揺らす。
「なあ、今の話本当なのか?さっきのベルフェリオってやつは人間を消そうとしてるっていう…」
「ああ。本当だろうな」
「はあ?…冗談…だよな?」
トモヒサは本当に俺の言ったことが冗談だと思っている。
こんな状況で冗談を言えるほど俺はふざけた奴じゃないのをトモヒサは知っているはずなのだが。
「残念ながら──、」
「ワタル。ごめんなさい。私の勝手で、こんなことになるなんて…」
俺の言葉を遮って、いつの間にか儀式の部屋を出て俺の背後に回っていたレヴィオンが、俺の肩に手を置きながらそう言ってきた。
弱々しい表情と儚い声音。
やはり魔王レヴィオンらしくない。
「覚悟は…あるのか?」
俺は問う。
今回起こしてしまったレヴィオンの『罪』を償うには、ヤルダの姿をしたベルフェリオを殺さなければならない。
それをする覚悟がレヴィオンにあるのか、と。
「ええ。私は魔王よ。魔族の王なの。──私の勝手で魔族が滅びるなんてこと、あってはならないの。早くベルフェリオを殺しに行くわよ。ワタル?」
レヴィオンは俺の背中を軽く押して、そのまま颯爽とベルフェリオが向かった先へと歩いていった。
レヴィオンは無理にいつもの凛々しい表情を作っていた。
本当は、心がこんがらがって仕方ないのだろう。
追い求めたヤルダを取り戻したくて、仕方ないのだろう。
俺はそんなレヴィオンの背中に、ただ一心に少年を愛する少女の面影を見出しながら──レヴィオンの後を追った。
そして俺の後をクラスメイトたちと魔王護六将校の二人もついてきた。
総勢十三人という大人数。
これだけの戦力でベルフェリオに戦いを挑む。
呆気なく勝負が決まってしまいそうなものだが…はたして。
会話はなく、ただ緊迫感と気まずい雰囲気が辺りを漂う中、魔王城内部を歩き続ける。
レヴィオンは魔力感知魔法でベルフェリオを追っているはずだから、このままレヴィオンを追えばベルフェリオの元へ辿り着くはず。
レヴィオンの歩き方からして、ベルフェリオはそこまで遠くまで行っていない。
おそらくはまだこの城の近くにいる。
そこで何かをするつもりなのか、それとも俺たちを待っているのかはわからない。
いずれにせよ、手の届かない神々の次元などに逃げていないのは幸いだ。
長い廊下を抜け、城の巨大な出入り口から外に出るとすぐにそこへは辿り着いた。
この城…デルスフィアは山の上を切り開くように作られている。
この城があるこの地域は魔族領の王都と言っても差し支えないくらいの賑わいを持っており、山の周囲はそこそこ発展した町…いわば城下町となっている。
ベルフェリオはそんな城下町を、突出した岩の上で腕を組み仁王立ちしながら睥睨していた。
やはり俺たちを待っていたように思う。
何故ならば俺たちがベルフェリオに近づくなり、ベルフェリオはその機械的で何も考えていないような顔をこちらに向け、口を開いたから。
「手始めに、今からこの町を蹂躙する。魔族という存在はそもそもこの世界に存在してはいけないのだ」
そう言うなりベルフェリオは紋章を展開した。その紋章は俺と同じ、レベルという概念がない無地でシンプルなもの。
その洗練された紋様から、何かしら特別な魔法を使えるだろうことが窺える。
俺は身構えた。
何をするかはまだわからない。
──直後、ベルフェリオの紋章が煌めいた。
魔法の発動を示す眩い閃光が一瞬視界を奪う。そして──、
「なんだよあれ…!」
目の前で魔法を行使したベルフェリオという『神』。
彼の魔法はまさしく、神と言わざるを得ない歪なものだった。
紋章から、ウネウネと規則性の無い奇妙な動きをする夥しい数の化け物が生み出されている。
「あれはヤルダの魔法…どうして?あの魔法は魔族…人の形の生命しか生み出せなくなったはず…!」
レヴィオンが言う通り、ベルフェリオが生み出した生命は人の形をしていなかった。
まるで形を持たないスライムのような外見をした悍ましい見た目。
色は黄褐色で触れてはいけない禁忌のような疎ましさを感じる。
それはこの世に存在する生物のどれとも似つかない外見をしていた。
だが、生命と呼ぶ他ない。
呼吸し、胸の中心部で鼓動する臓器を持ち、その血走った目からは涙のような水を流しているのだから。
悉く矛盾している。
この世界に存在していけないと豪語する魔族を消すために、存在すらしていなかった生物を生み出すなんて。
「行け」
ベルフェリオのその一言で、魔物とも名状し難いその生物群は魔族の城下町めがけて一斉に山を駆け降りた。
この街で慎ましく暮らす魔族の殆どは、戦闘などとは程遠い生活をしているはず。
ただの人間と同じように家族がいて、仕事をして、普通に暮らしているはず。
それがこんな形で破壊されるなど、そんなことがあっていいのか。
破壊と混沌の侵攻。その言葉が脳裏を過ぎる──。
絶望、というよりはどうして、という感情が勝る。
神が、人々がこれまで創り上げてきたこの世界を、こんな形で終わりにしていいのか。
その時だった。
「今すぐ食い止めに行くぞ!!」
そんな正義感に満ちた言葉で皆を先導したのはショウだった。
トモヒサやレストア、レヴィオンまでもその言葉で目が覚めたように顔を引き締める。
ベルフェリオの口ぶりとリレイティアの話からしてこの魔物による侵攻はおそらくこの大陸全土を覆い尽くし、世界を壊滅まで追いやるのだろう。
それをさせないためには…街を侵食する魔物を地道に倒すよりもベルフェリオを葬る他ない。
そう考えたのはレヴィオンも同じようだった。
レヴィオンはその自慢の魔法を使うべく、紋章を展開した。──展開したのだが、
「これは…」
レヴィオンの紋章を見たこの場にいる全員が同時に言葉を失った。
何故なら…レヴィオンの紋章は紋章特有の真紅の輝きを失った──死人の紋章だったからだ。
考えてみれば、ベルフェリオは魔力を司る神である。
虚空だった時は魔力を奪うことで恐れられていた。
もはや肉体を手に入れたベルフェリオが虚空だった時と同じ魔法を使えないなんて、そんなことはあり得ない。
しかしベルフェリオがレヴィオンに対して魔法を使った瞬間があったか?
待てよ。まさかとは思うが……
「マジかよ…!」
そのまさかだった。
確認するように紋章を展開したクラスメイトたち全員の紋章も、死人の紋章だった。
ベルフェリオはこの世界に降臨した直後、世界の認識を書き換えたのだ。
この世界から人間が持つ魔力を消し去った。神の権能による、神にしかできない芸当。
しかし…神が世界の常識を変えるような真似をすればベルフェリオは魔法を使えなくなるんじゃないのか?
リレイティアがレベルを設けたことにより魔力を失ったように。何故、ベルフェリオは生命を生み出せている?
魔力を消し去ったというよりは奪ったに近いのか?
それならば説明がつく。この世界に住んでいた人々全員から魔力を回収し、その力で生命を生み出した。
正しい答えはベルフェリオに聞くまでわからないが、ひとまずそう結論づける。
にしても、状況が絶望的なまでに悪化した。
俺たちの勝利条件はベルフェリオを殺すこと。だというのに、この場で一番強い頼みの綱だったレヴィオンが魔法を使えなくなった。
それどころかこの場にいる全員が魔法を使えない。
魔力がなければ魔法どころか紋章武器すら使えないということだ。
魔法に頼りきっていた人間が無能と化す。
代表的なのはレヴィオン、ヒナコ、レイ、リョウト、チアキなど……
逆に剣を使える人間はどれくらいいる?
俺、ショウ、トモヒサ、サクラ…くらいか?
レストアとレオールドに関してはわからない。戦力に数えられるならありがたいのだが…
戦力を吟味していた俺の目に、ふと先程までいなかった見覚えのある二つの人影が映る。
一つは魔王護六将校の一人、デューレ。
ヴィライダルとその婚約者をレヴィオンの前に連れてくるなり姿を消したと思ったが、近くにいたらしい。
そしてデューレの横で無機質で整った顔を真っ直ぐ俺に向ける小さな人物。リオーネの従者だったミラは──
「久しぶりね、お兄ちゃん」
この状況にそぐわない、ふざけた言葉を俺に投げかけてきた。
この言葉が本当に俺に向けられたものなのか、一応周囲を見回して確かめてみる。
だがミラはその純粋な視線を俺のみに向けていた。
ミラは普通に可愛い。
こんな子が自ら俺の妹だと主張してくれるならば願ったりだが、今はそんな冗談に耳を傾けていられるような状況じゃない。
「おま、お兄ちゃんってどういうことだよ」
トモヒサが深刻な顔でツッコんできた。
「聞きたいのは俺の方だ」
今こんな無駄な問答を繰り広げいている間にも街への侵攻は続いている。本当にこんなことをしている場合じゃない!
「ミラは未来視の勇者…すなわち君の母親の子孫だからね」
俺の頭に浮かんだ疑問符を消し飛ばしたのは、デューレの説明だった。
なるほど、確かにミラはこの世界では珍しい日本人のような黒髪だし納得できる点もあるが、何故こんなタイミングでカミングアウトを⁉︎
「…ひとまずは協力してくれるってことだよな?」
これ以上会話の風呂敷が広がってしまう前にミラとデューレに協力を促す。
二人は俺の質問に頷くなり剣を抜いた。
「「もちろん」」
デューレがミラを見る目はまるで愛してやまない恋人を見るかのようなものだが、逆にミラがデューレを見る目は鬱陶しいストーカーを見るかのようだ。
だが言葉と行動が一致しているのが面白い。
俺は一度デューレと対峙しているからその強さは知っている。大幅に戦力が増強された。
相変わらず岩の上で魔物を生み出し続けているベルフェリオは俺たちのことなどまるで気にしていなかったが、一斉に剣を向けられたことにより興味を示したようだ。が。
「悪いがここらで終いだ」
紋章を閉じ、不敵に笑い、勝ち誇ったように目を細めながらベルフェリオは告げた。
終い。
その言葉が指す意味はわからない。
まだ魔物による街の蹂躙は続いている。
決して諦めるような酷い進行状況じゃない。
いったい何をもって終いだと言っている?
誰もがベルフェリオを睨みつける中、ベルフェリオは言葉を続けた。
「私が生み出したあの魔物は増殖し、いずれ世界を覆い尽くす。魔法が使えない貴様らにはどうしようもできないだろう」
吐き捨てるようなその言葉を最後に、ベルフェリオは淡い光に包まれて消えた。
──おそらくその行き先は神々の次元。
世界を壊すために自分の分身とも言える魔物を生成し、本体は安全圏で高みの見物。まったく合理的で隙がない。
ベルフェリオは俺たちを見縊っているし、自分が生み出した魔物を過信している。
俺たちに残された選択肢は二つ。
選択肢一つ目。世界に放たれたあの不気味な魔物全てを駆逐する。
二つ目。ベルフェリオを追って神の次元まで赴き、ベルフェリオを殺す。またはリレイティア同様、この世界にベルフェリオを引っ張り出す。加護持ちがまだ儀式の部屋にいる以上、可能なはずだ。