65. 百万足討伐戦 後編
なぜ、バーンガルドはあれ程の攻撃をくらっても傷が少ないのか?
眼前に広がる絶望的な状況を見てまず思ったのはそれだった。
そしてすぐにその疑問の答えは、変化しつつあるバーンガルドの肉体を見て俺の脳内に舞い降りてくる。
──バーンガルドは女であり…百万足にとっては食糧。
だからこそ生かされたのだ。
あの魔法でそんな微調整ができることは意外だが。
まだバーンガルドは一部しかゲル状に変化していない。
だから俺は間に合うと信じて──全力でバーンガルドの元へと駆け寄った。
百万足は先の魔法で俺が完全に死んだと思っていたのか、駆け寄る俺の姿を見て驚いたようにギシギシと音を立てた。
そのまま紋章を展開したようだったが…見えた紋章は死人の紋章に近いレベルで薄い紅。
魔力切れ。
やはり…俺の希望的観測は希望などではなく、今までの戦闘経験による確信と言って違いないようだった。
俺はそんな百万足に目もくれず──侵食の進んでいたバーンガルドの右腕を切り落とす。
それで緩やかに茜色のゲル状に変化してしていたバーンガルドの肉体は、変化を止めたようだった。
ひとまず安堵する。
肉体の損傷度がそれほど大きくないことから、ここでちゃんと止血をしておけばじきに目が覚めるだろう。
利き腕を失ったことにより冒険者業に支障が出ることは否めないと思うが…仕方ない。
服をちぎり、切り口の少し上でキツく縛ることで軽い応急処置を終える。
あと考えるべきはこの百万足だ。
明らかに焦っている。
数多の魔法を使えるというふざけた魔法を持っているものの、その根源たる魔力をほぼ全て使い切った状態なのだから当然だろう。
じりじりと俺が近寄るにつれ、後退していく百万足。
先程まで圧倒的に百万足側が有利であったというのに、なんだこの怯えようは。
拍子抜けもいいところだ。
…待てよ、あんだけ装甲が硬くて俺たち三人でも傷が付けれなかったというのに、何故逃げる?
…やっぱりあの硬さも魔法によるものだったんだな?
俺は残りの魔力を全て使う勢いで神々封殺杖剣に神光支配を纏わせた。
キシキシと震える百万足の肉体。
武者震いかそれともこれからの運命を予期した恐怖によるものか。
そんなこと、もはやどうだってよかった。
俺は、神々封殺杖剣をその何を考えているかわからない赤い頭部に突きつける。
くたばれ、蟲野郎──。
過剰な出力。
さっきまでギリギリの戦いをしていたとは思えないほどに溢れ出てくる神光支配。
まるで、俺の怒りが、心の機敏が全て溢れ出てくるかのような、そんな状態。
ごめん、バーンガルド。
お前がトドメを…刺したかったはずだろ?
俺は巨体目指して全力の跳躍をした。
俺は別に復讐や名誉のためにコイツと対峙している訳ではない。
だが、何故だろう。
こんなにも…こんなにも全力で殺したい気持ちが昂っているのは。
百万足は感情も何も持たないただの魔物と一緒である。
銀鏡の蜘蛛や竜王は言葉を発することが出来たのに。
理由はわからない。
が、それこそが何の躊躇もなくコイツに剣を向けられる理由。
そして俺は──もはや不可視にできないほどに溢れ出て止まらない神光支配を纏わせた神々封殺杖剣を…巨体めがけて突き刺した。
全く刃が通らなかった装甲も、魔法が解けたことで案の定豆腐に箸を入れるかのように突き破れる。
が──しかし。
予想通りの展開は俺の視界へと伝わってこなかった。
代わりに広がったのは…生物的な血も出さず、魔石を残すことも無く、ただ黒灰と化して宙に散った百万足の姿。
脳がその現状を理解できないまま、ぶつける対象のいなくなった神光支配は収縮していく。
倒した…のか?
あれで?あの感触で?
この世界から百万足は消え去ったのか?
全く実感が湧かないまま数秒の時が流れる。
──絶対に、まだ百万足は死んでない。
そう頭を切り替え、今度は思考の海へと沈んでいく。
百万足がボレフ神殿を根城にする理由。
俺が持つ情報のみで考えられるのは、五大古代秘宝の一つ、祝福の外套を守護しているということ。
しかし、百万足は暴食期に人里へと出るのだという。
その間にボレフ神殿を狙われたら百万足はどうするのだ?
分体を作る魔法を解除しなければ、バーンガルドの村を襲ったあの姿にはなれないことから、分体に守護させている可能性はない。
──違う。
人を襲いに行く…さっき俺が倒した個体も分体なのではないか?
そうだとしたら辻褄が合う。
剣を突き刺した時の違和感、魔石がないこと、ボレフ神殿という場所の存在。
確信を持って俺は足を神殿の方へと向け、近づきつつある一つの気配を感じながら息を吸う。
──本体は間違いなくあの神殿内部にいる。
百万足はそれほどまでに臆病。
あるいは神殿から出られない明確な理由が存在するのか。
数刻待ち、やがてこの戦いを遠目で見ていたであろう一つの気配…マヤが到着した。
手には処置道具のようなものを持っており、黒焦げのヴェルトを見て目に涙を溜めながら駆け寄っている。
道具はあらかじめ用意していたのだろう。
「ヴェルトは…任せた」
尚も困惑と焦燥に支配されたマヤを横目に、俺は神殿へと歩みを進める。
この広大な砂地の中央に位置しているボレフ神殿内部への入り口は、奇妙な程ポッカリとその口を開けていた。
神殿の大きさは一辺150メートルほどの正方形。造ったのは古代人なのだろうか。
…まあ今はそんなことどうでもいい。
この神殿内部で待ち構えているでろう百万足を…俺は何としてでも葬り去らなければならないのだ。
ゆっくりと、門番も何もいない巨大な入り口から内部に入る。
内部は発光する不思議な鉱石によって照らされており、まるで大迷宮と同じような構造になっていた。
だが迷宮のように道が入り組んでいるということはない。
一本道で誘い込むように続く道は何十年もの間誰も訪れることがなかったのか、砂埃と暗い雰囲気で満ちている。
ふと、続く道の先から言いようも得ない不気味な風を感じとった。と、同時に響く何かが這いずり回るかのような音。
神光支配の無駄遣いはもう出来ないため、索敵に割いていなかったのだが…やはりこの先には何かがいる。と言っても既に視界には入っているが。
慎重に歩いていたつもりだったが、そこには存外早く辿り着く。
神殿はそこまで大きくない建造物だったため、それは当然のことなのだがそれでもまだ心の準備が足りていない。
「は…?」
薄ぼんやりとしか見えなかったその姿が完全に明かされた状態。
そこに広がっていた光景。
それに思わず俺は警戒心など何もない腑抜けた声を漏らしてしまう。
高すぎる天井。
所々の隙間から漏れ出ている陽光。
それを反射して艶かしく黒光りする巨体の装甲。
百万足真の本体は…中央の台座を守りながら…龍のようにとぐろを巻いて存在していた。
百万足は俺の存在に気づいたろうが、紋章を展開するくらいでまるで動こうとはしない。
いや、動けない様子だ。
百万足は…全ての足がもがれていた。
自分でやったのではないだろう。
明らかに、何者かによって襲撃された跡。
だがその傷跡は最近ではなく何年も前に付けられたものだとわかるようなものだ。
何百もの魔法を使えるとしても流石に欠損箇所を回復させる原初樹の結晶のような魔法は使えないのだろう。
それにしてもいったい誰がこんなことを。
だが分かったこともある。
百万足が何をするにも分体を向かわせていた理由。
それは、ここにいる本体が全く動けない状態だったからだ。
百万足は立ち尽くす俺に対して未だ色の薄い紋章を展開し続けている。
威嚇のためだろうが、魔力のないその紋章からは全く驚異が感じられない。
俺はそんな百万足がとぐろの中心部で守る台座の方へと目を向ける。
この光景を見て容易に想像できることだが…台座の上には何も無かった。
おそらくそこには祝福の外套があったのだろうが、百万足をここまで蹂躙した何者かが持ち去ったとみて間違いないだろう。
しかしなぜ百万足を完全に殺さなかった?
殺せなかった理由があるのか?
わからない。
問いただそうにも、百万足は銀鏡の蜘蛛や女王蜂のように喋れる訳ではない。
ここは魔力を取り戻してしまう前にとどめを刺してしまうのが正解だろう。
俺は魔力をギリギリまで使う勢いで神光支配を練り上げ、神々封殺杖剣を掲げた。
今度こそ終結の一撃。
流石にこれも分体だったとか言わないでくれよ?
と、その時だった。背後から大きな声が響いた。
「ワタル!待ってくれ…!」
振り向くと、バーンガルドがいた。
右腕を失い、体はボロボロで満身創痍だというのにどこからそんな声を。
「大丈夫なのか…?」
駆け寄り、体を支えてやる。
その瞬間バーンガルドの全体重が俺の両腕を包んだ。
いったいどうやってこの場所まで来れたのかわからない程にバーンガルドの意識は未だ朦朧としている。
バーンガルドが俺に言いかけたことが何なのかは考えずともわかる。
俺は別に百万足にとどめを刺すことに固執してない。
だからその意思を汲み取って、俺はゆっくりと歩みを進めるバーンガルドに肩を貸してやった。
バーンガルドが冒険者として進み続けた意味。
復讐を誓い、幾年も仲間を集めるため奔走した宿敵。
それが今目の前にいる。
バーンガルドはなんとか保ち続けているであろう意識を覚醒させ、支え続けている俺から離れ立ち上がった。
百万足はそんな敵意を剥き出しにしたバーンガルドを前にしても、紋章を展開することはない。
完全に負けを認め無駄に抗うことを諦めた、そんな様子だ。
常人ならば両腕でも持ち上げるのが困難なはずの大剣を、バーンガルドは残された左手のみで持ち上げ、死を受け入れた百万足へと突きつける。
弱点はわからないが、全て足が切り落とされている以上刃が通らないほど装甲が硬い訳ではないだろう。
先ほど使用された硬質化の魔法を使われれば魔力が尽きるまで待たなければならないが、無様に生へ縋り付くような、そんな様子もない。
──バーンガルドは大きく息を吸って、吐いた。
まるで疲れを、痛みを、創痍を感じさせない洗練されたバーンガルドの動きは、全盛期のバーンガルド程の動きをしていたと思う。
その剣技は、間違いなく俺が今までこの世界で見てきたものの中で最も美しく、息を呑まざるを得なかった。
果てしなく純粋で、それでいて暴力的な力強さまでも孕んでいて──俺は終始見惚れている他、無かった。
完全に事切れた百万足を確認して、バーンガルドは息を切らしながら地面へ倒れ込む。
やり遂げた達成感、そして数年追い求めた対象がこの世からいなくなった事による喪失感からか、バーンガルドは完全に意識を失ったようだった。
そんなバーンガルドを担ぎ上げ、ボレフ神殿を出る。
外には俺と同じようにヴェルトを担いだマヤが立っていた。
「私はヴェルトを連れて魔族領まで戻る」
マヤはただそれだけ言って、早々に去ってしまった。
その顔には多少の怒りが滲んでいた。
仲間であるヴェルトを死地まで追い込んだ俺たちのことが許せないのだろう。
だか、原初樹の結晶のことやヴェルト自身の意志のこともあり咎めに咎めきれない、そんな様子だった。
俺たちも街へ戻らないと。
そう考えた矢先だった。
最寄りの街、チェアリスがある方角の雨林から、聞き覚えのある羽音と共に見覚えのある姿が顔を出した。
「ナニレじゃないか」
俺の前方でホバリングし、一瞥してきた人間大の蜂の魔物は女王蜂…エルートの息子、ナニレだった。
ナニレが俺の元へとやって来たということは…
『古代の代理人本部…第一支部の場所を突き止めました。今から向かわれますか?』
まったく次から次へと…休む暇もない。
バーンガルドは宿敵である百万足を倒した。
次は俺の番。
俺は絶対にミルをあんな目に合わせた奴らを根絶やしにしなければならない。
俺はナニレの問いに即座に返答を返す。
「ああ。案内してくれ」
『承知しました』
まずはバーンガルドを街へ届け、意識を取り戻すのを待とう。
そこからだ。
魔王レヴィオンと対峙する時は近い。
古代の代理人の壊滅はいわば魔王と戦う前の調整のようなものだ。
俺はレベル制約が撤廃された自分の実力の底を確かめなければならない。
今の俺にはそんな考えがいかに馬鹿で愚かなことなのかなど、そして──まさかの再会を果たすことになるなど、知る由も無かったのだが。
「一旦この人を街へ送り届ける。その後に案内してくれ」
『承知しました。ワタル様が街を出次第、また姿を現します』
「サンキュー」
そう言ってナニレとは一度別れ、全身ボロボロな状態で気を失っているバーンガルドを担ぎながら、なんとかチェアリスへと戻る。
とりあえず知り合い…ローウェイがいるであろう酒場に入った。
それにしても雨が止んでいて良かった。
もし降っていたならバーンガルドの体に追い討ちをかけることになっていただろう。
到着したチェアリスの酒場には相変わらずの連中が酒を飲みながら談笑していたが、俺の姿を見て心底驚いている。
「お前…まさか百万足を倒したのか?」
まるで死人が蘇ったかのような驚き具合を崩さず、真っ先にローウェイが立ち上がる。
周りの人々も俺の言葉を待っている様子だ。
「ああ」
ただ一言発した音は、理解されるのに数秒を要したようだ。
僅かの時間場を支配する沈黙。
周りを見まわし俺の言葉を咀嚼して理解した人々から徐々に歓声が湧き始める。
「本当か!?本当なのか!?嘘じゃねーよな!?」
俺の両肩に手を置き、ぶんぶんと鬱陶しいくらい揺らしてくるローウェイ。
俺は今瀕死のバーンガルドを背負ってるので控えてほしいものだが、そんなのお構いなしといった感じのテンションだ。
それだけ百万足討伐というニュースはこの街にとって一大事なのだろう。
俺はまるで英雄にでもなった気分だった。
なぜ酒場の人たちは俺の言葉を疑わないのか。
きっとそれは、百万足に挑んで生きて戻った人がいないからなのだろう。
このまま歓声の輪の中に身を投じ続けていたいものだがそうもいかない。
バーンガルドの治療を急がなければ手遅れになる。
「話は後だ。まずはバーンガルドの容態を見てくれるような人はいないか?」
「それも…そうだな。すまねえ、はしゃぎすぎちまった。すぐに薬師の元まで案内する」
冷静になってバーンガルドの姿を確認したのか、ローウェイは慌てて俺を酒場の外まで誘導した。
そして案内されるがまま街外れの小さな小屋の元まで辿り着く。
ノックして中に入ると、その小屋の中は薬の匂いが充満した空間だった。
出てきたのは若い男性。
バーンガルドの容態を見て察したように顔を顰めている。
「そちらの方は一体どうしたのですか?」
落ち着いた口調で事情を確認する若い薬師。
こんな容態の人間を見てこれほど落ち着いているということ、そしてわざわざローウェイが街外れまで連れてきて案内してくれたということから、よほどこの薬師は腕がいいのだろうと推測できる。
ローウェイにつつかれ、俺は説明を促されているのだと気づく。
ローウェイがコイツらは百万足と戦ったんだぜとでも囃し立てると思っていたのだが、確かに百万足にやられたこの傷の説明は俺にしかできないことだった。
「百万足が放った熱波を浴びたんだ」
傷の説明にはこれで十分だろう。
所々焦げた体毛と火傷のような傷、そして失った利き腕。
きっとこれから治療でバーンガルドは地獄を見ることになる。
「百万足と戦ったのですか⁉︎」
冷静だった薬師も、やはり詳細を聞いて取り乱したようだ。
この街にとって百万足はいわば禁忌のような存在。
それと戦ってここを受診した者など未だかつていないはずだ。
「まあな。結構強かったぞ」
「そうですか…百万足の攻撃ならば納得です。そちらの方はAランク冒険者なのでしょう?洗練された肉体の質からわかります」
俺の言葉に苦笑を隠さず、それでいて驚くべき分析力を見せる薬師。
やはりバーンガルドはこの人に任せて間違いなさそうだ。
「とりあえずここに乗せるぞ」
未だ呻きながら気を失い続けるバーンガルドを寝台に乗せ、バーンガルドの残った左手を握り心の中で俺の力が足りなかったことを謝る。
はたして俺がもっと強かったら誰も怪我を負わずに済んだのだろうか。
それはわからないが、決して俺は間違った判断をしたわけではないはずだ。
「それにしてもわかりませんね…あなたも百万足と戦ったのでしょう?何故そんなにも無傷なのですか?」
ふと投げかけられた薬師の言葉に、俺はハッとする。
この世界でも十数人しかいないAランク冒険者でも、これほどの傷を負う結果となった。
俺も同じ攻撃を真正面から受けたというのに、何故俺は耐えられたんだ?
神光支配の力?
…いや、それだけだったらレベル一時点での俺でもあの攻撃を耐えれたということになる。
やはり…リレイティアが神である自分たちへ肉薄しないために設定したレベルという制限が撤廃された今の俺は…明らかにこの世界では異常な存在になっているのだ。
「俺はほとんどサポートに徹していたからな」
この場であの戦闘の全てを語ることはできない。
そしてその語り手は俺しかいない。
俺の嘘を見抜ける者は今この場において瀕死のバーンガルドの他いないのだ。
しかし嘘と言い切れない点もある。
事実、百万足にトドメを刺したのはバーンガルドだ。
「そう…ですか。ひとまずこの方は私に任せて下さい。完治とまではいかないと思いますが…必ず命を繋いでみせます」
頼もしくそう言い切る薬師に、俺は「頼んだ」と返した。
料金は目を覚ましたバーンガルドに請求してくれという言葉も忘れずに。
「もうここを出るのか?」
「ああ、次の予定があるからな」
薬師の小屋を出て酒場では無く街の門の方向へ向かう俺を、ローウェイは引き止めたいようだ。
だが俺にはやらなければならないことがある。
これ以上ミルのように古代の代理人の犠牲となる子を出さないために…一刻も早く敵地に乗り込まなければならないのだ。
「そうか…忙しないんだな。じゃあ街の門まで行く間でいい。百万足とどんな戦いをしたか俺に聞かせてくれないか?」
「…わかった」
こうして俺はローウェイに百万足との戦いを詳細に話した。
神殿周囲に眠っていた万の軍隊と、それら全てが分体だったという驚愕の事実。
追い詰められた百万足が放った埒外の魔法。
そして本体は既に何者かと戦った後だったということも。
これらをローウェイに話してわかったことだが、百万足はどうやら外部から自身の戦闘を見せないための結界のような魔法も使っていたらしかった。
空を覆った万の分体たちや、それらが放った魔法の轟音はその結界によって掻き消されたと考えられ、百万足について情報が少なかった原因が判明した。
しかし百万足が最後に放った一撃の爆裂音だけは街まで聞こえたらしく、街は一瞬パニックになりかけたらしい。
「もう会わねえかもしれねえが、元気でな!」
話している内に門までつき、別れの時が来た。
バーンガルドに別れの言葉を告げられなかったのが少し心残りだが、いずれまた会えると信じて今は旅立とう。
「じゃあな」
こうして俺はチェアリスを離れ、ナニレの案内の元古代の代理人本部を目指し歩き始めた。
百万足を倒したという功績。
それがチェアリスで英雄譚として語り継がれるようになることなど──今の俺にはどうだっていいことだった。
◆◇◆◇◆◇
「サイディスぅ…『新星英雄』とかって呼ばれてる冒険者パーティのこと知ってるぅ?」
「知らないね」
この会話が広げられているのは古代の代理人本部。
古代人の遺物に囲まれた広大な研究施設の一角で、黒の獣耳が特徴的な魔族と、古代の代理人の長サイディスが会話をしている。
会話と言っても、サイディスは地面に転がった竜の首と、その首に纏わりつく寄生生物シグルズに興味を向けているため、魔族の話は聞き流しているようなものだが。
しかし、次の魔族の一言によってサイディスの興味は『新星英雄』の方に向けられることとなる。
「じゃあそいつらが別の次元から来た奴らだってことも知らないんだねぇ」
「別の次元?神々の次元のことかな?」
「にゃは~。それが違うんだよねぇ」
案の定話に食いついてきたサイディスの態度に笑みが溢れる魔族。
この魔族が『新星英雄』たちについて詳しいのには理由がある。
「違う?じゃあニホンって所からか?」
「それは知ってるんだぁ。そうだよ」
「それは誰から聞いたんだ?」
「リオーネだよん。あいつ、なんか転移魔法使える奴ら集めてたじゃん」
「リオーネか。会ってみたいものだけど。チェシャ、君は前回の魔王護六将校の会議に出席しなかったと言っていた割には詳しいんだね」
「にゃは?僕が会議サボったこと覚えてたんだぁ。僕の話、意外と聞いてくれてるんだねぇ」
そう、今サイディスと話している猫獣人と魔族のハーフであるチェシャ=フォルスティアドは魔王護六将校の一人である。
古代の代理人と魔王護六将校が繋がっているという事実。
古代の代理人第三支部が魔族領から魔族の子供たちを攫ってくることができたのは、このチェシャのおかげである。
「黙れ。出かけてくる」
チェシャの飄々とした態度にサイディスは苛立ちを隠さないまま、特徴的な白の外套を翻し立ち上がる。
「行動が早いんだから…」
チェシャはサイディスが向かう先をなんとなく想像しながら、サイディスの実力の底無しさに身震いしていた。