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62. たった一日の記憶

「俺からも一ついいか?」


 バーンガルドが勝手に話を進めていたので、なんとか主導権を取り戻す。

 俺が…俺たちがここに来た真の目的は魔族を倒すことでも、百万足(オオムカデ)討伐の仲間を増やすことでもないのだ。


「なんだ?」


 原初樹の結晶を前にして気分をよくしたのか、すんなりと耳を傾けてくれるヴェルト。

 この状態ならネハのことを口に出してもこちらの良いように取り繕ってくれるだろう。


「俺がここに来た目的はヴァレットで蔓延しているネハを淘汰することだ。ネハを流通させていたのはお前らだろ?」


 俺のこの言葉で、横にいたバーンガルドが驚く。

 そういえばバーンガルドにはコイツらがネハの売人の親玉であるとは言っていなかったな。

 だからネハについてではなく百万足(オオムカデ)討伐の提案をしたのか。悪いのは俺だった。

 まあ、推測はできたかもしれないが、魔族が糸を引いていたとは思わなかったのだろう。


 心で謝りつつヴェルトの返答を待つ。

 しかしヴェルトはデューレの方を向くだけで口を開かない。

 その表情は曇っていた。

 つまりこの提案を受け入れてしまえばヴェルトにとって悪い方向に働くと自覚しているのだろう。

 そしてデューレに返答を委ねていることからして、ネハ関連を管理していたのはデューレだけなのだと察せれる。

 これは困った。

 俺たちの切り札は原初樹の結晶だが、デューレには有効的ではないのだ。


 ヴェルトに回答権を委ねられたデューレは、


「原初樹の結晶を渡す代わりにネハの生産を止めろってことでいいのかな?」


 と、簡潔に俺たちの言いたいことを纏めて確認する。

 デューレと交わした言葉はまだ僅かだが、それでもかなりデューレの頭の良さが伝わってきている。

 それゆえ、俺たちのこの至極単純な要求を飲んでくれるのかは微妙なところだ…


「ああ、そうだ」


 間髪入れず俺は答える。

 するとデューレもまた、即座に答えを返してきた。


「いいよ」


 考えるでもなく、デューレはその三音を発したようだ。

 俺は耳を疑う前に周囲の三人の方を見る。

 すると他の三人もデューレが発した短音の意味を理解するのに時間がかかっているようで、空間には静寂が流れた。


「いい…のか?」


 咀嚼するように聞き返す。

 十年もの年月をかけて、徐々に徐々にヴァレットを蝕んだネハという薬物。

 決して、そんなこの場の一言で生産をやめてしまっていいほど軽い代物ではないはずだ。

 

「言い方は悪いけど、もう随分稼がせてもらったしね」


 デューレは、耳までかかるほどの青みがかった髪の上から頭を掻きながらそう言い放った。

 この場にアーラヤや騎士団の人間がいたのならば、このデューレの言葉に激昂したことだろう。

 しかし俺とバーンガルドにとっては、デューレたちがヴァレットにネハを流通させた単純すぎる目的を知れただけだ。


「ここはネハの生産場なのか?」


 本当に生産がストップしたのかどうかは生産場が停止したかどうかでわかるはず。

 ここ以外にも複数の拠点があるのならばその判断は難しいが…

 

「ああ、そうだよ。ここが唯一のネハの生産場だ。ネハの原料の殆どは…世界樹の樹液だからね」


 デューレが嘘をついていないのならば、俺の推測は杞憂に終わったようである。

 しかし何故こうもデューレは俺たちに協力的なんだ?

 戦闘にも介入せず、俺たちの提案をすんなりと聞いてくれる。全くもって不穏と言わざるを得ない。

 何か条件のようなものを俺に提示する可能性が高いな。

 とりあえずその事は置いといて、まずは解明すべき点をデューレに聞いておくことにするか。

 

「気になることがあるんだが、お前はどうやってヴァレットの街にネハを蔓延させたんだ?お前は裏の支配者なんて言われていたようだし、ヴァレットでは表立って姿を見せてないんだろ?それなのに騎士団にも精通してたし、ギルドもネハに関しては消極的だったと聞いた。内通者を送り込んでいたという解釈で合ってるか?」


 言葉が上手くまとまっていなかったが、頭の良いデューレならばわかってくれるだろう。

 要は俺が聞きたいのは、ヴァレットの中でデューレと繋がっている可能性が高い、ネハ流通に関与した『要人』の存在だ。


「そうだね。…教えてあげても良いけど、こちらとしても条件がある」


 暫く考えたこんだ素ぶりを見せた後で、デューレは俺の目を強く見つめてきた。

 やはり条件を提示してくるか。


「なんだ?」


 俺は息を一つ飲み込み、デューレの次の言葉を待つ。


「君がいた世界…『ニホン』について教えてくれないか?」


「…何故それを⁉︎」


「リオーネ。と言って、わかるかな?」


 この場において、デューレが発した『日本』という言葉を理解したのは俺だけだっただろう。

 いいや、バーンガルドは俺とカーミュラとの会話の場にいて、『儀式』の詳細までをも聞いた。

 その時にカーミュラが言ったのは、『転移魔法の使い手を儀式に用いれば、ニホンという世界の住人をこの世界に連れてくる』ということ。

 その認識と今回のデューレ発言を照らし合わせたバーンガルドの脳内では、『ワタルはニホンという別次元から来た人間なのだ』という答えが導かれていることだろう。

 これは後で色々説明しないとダメそうだな。


 ──デューレの提案。

 それは交換条件としては悪くないものだった。

 俺はただ嘘をついてもバレない話をするだけ。

 対してデューレはこの生産場を破棄する。

 しかも俺は日本に戻る為の手がかりをデューレから得られるかもしれないのだ。

 俺は交渉を飲むことにする。リオーネという響きも今では懐かしかった。


「わかった。日本について話す」


 俺が同意すると、デューレは紋章を展開しながら近づいてきた。そのレベルはもちろん十。

 思わず身構える。

 だが、デューレは戦闘意思がないことを示すように両手を上にあげた。


「僕の紋章魔法(アイデントスペル)呪術(・・)だ。今から君に、ニホンについて君が僕に嘘を()けなくなる呪いをかける。安心して欲しい。質問が終わればすぐに解呪するし、ヴェルトの手前君に害を為すような事はしないよ。レヴィオン様のこともあるしね」


 デューレはそう言いながら紋章を光らせ魔法を行使した。

 確かに肉体的な痛みなどは全くない。

 この場においてデューレの最終目的は…俺から日本について聞くことだったのか?

 だとしたら凄い知的好奇心だ。

 それ以外の目的もあるかのかもしれないが…

 いや、待てよ?呪い???

 ここで俺はすっかり忘れていたヴァレットにおいて考えなければならないもう一つの事情を思い出した。


「アーラヤ…ヴァレットの聖女の歌声に呪いをかけたのは…デューレ。お前か?」


 確信を持って問う。

 アーラヤにかけられた呪いは並大抵の魔法では解呪できないような、桁違いのものだった。

 このデューレがかけたものだとしたら納得できる。


「歌声?…ああ、十年ほど前にかけたよ」


 案の定、デューレは肯定する。


「何故、そんなことを?」


 十年以上も継続する呪いか。…凄まじいな。

 バーンガルドもなるほどと言うように顎に手を置いている。

 しかし今までの話からして、デューレがネハをヴァレットに流通させるのにアーラヤの歌声など関係ないはずだ。

 だからこそ、何故という心からの疑問が生まれる。


「さっきの内通者の話にも繋がるけど…ヴァレット楽団の楽団長なんだよ。ヴァレットにネハを流行らせたのは」


 楽団長…会ったことがないからまるでピンとこないが、何故この話の流れでそいつの名が?俺の質問の答えになっていない。

 もう少し詳細に聞いてみる。


「それとアーラヤの呪いと何が関係あるんだ?」


「ヴァレットの人々が幼い少女の歌声ばかりに耳を傾けてしまって、楽団の音楽堂は全く儲からなくなった。だから楽団長は僕に話を持ちかけてきた。ネハの流通を援助する代わりに、アーラヤの歌に呪いをかけてくれってね」


「…そういうことか」


 話からして、楽団長とやらはヴァレットにおいて随分と大きな権力を持っているのだろう。それこそ、ギルドにも介入できるような。

 しかも金に目が眩んでるときた。

 バーンガルドがこの話を聞いている以上、帰り次第すぐに楽団長に尋問して今までの悪行を吐かせることになるだろう。少し楽しみだ。


「もうあの楽団長と取引する必要も無くなったから、その呪いも解いてあげるよ」


 デューレはそう言うと、紋章を展開させながらパチンと指を鳴らした。

 この場ではアーラヤの呪いが解除されたかどうかはわからないが、きっと解呪されたことだろう。


「もう僕から話す事は無くなった。今度は君が話す番だよ、ワタル?」


 デューレに促されたが、この場で話すのは憚られた。

 何故なら聴衆が多すぎるから。まあ…別に話しても悪い事はない…か。


 こうして俺は淡々と俺がこの世界に来るまでの経緯をデューレに話した。

 バーンガルドも、ヴェルトやマヤでさえも俺の話を真剣に聞いていた。

 特に日本での生活…科学技術についてはデューレの好奇心に刺さったようで、何度も何度も質問を繰り出された。

 それよりもデューレが最も聞いてきたのは、リオーネが実際に俺をこの世界に召喚させた時に行った『儀式』についてのことだった。

 その様子はまるで、デューレはリオーネをライバル視しているような、そんな雰囲気であった。


 結局、デューレからは辟易する程の質問攻めにあった。

 計り知れない好奇心。

 それこそがデューレの原動力そのもののように思える。

 はたして俺が話した情報はネハの生産場を破棄するほどのものだったかはわからないが、デューレは満足した様子だったので良しとする。

 しかし…必要以上のことまで話してしまった。

 俺がこの世界に来た要因はリオーネの誤った儀式であること。

 俺以外の十人は、転移魔法によってリオーネの手から逃れたこと。

 質問に関して俺はデューレにかけられた強力な呪いのせいで嘘はつけなかった。

 

 待てよ、話し終わった後で気づいたが…デューレのあれは好奇心というよりも対抗心だったのではないか?

 質問の殆どは、リオーネについてだったし…


「もしかしてお前はリオーネと敵対してるのか?」


 不意に、俺の口からそんな質問が出てきた。


「そんなんじゃないよ。ただ…羨ましくてね」


 デューレは何か想うように、そう答えた。俺は意味がわからず、


「羨ましい?」


 と聞き返す。だが望んだ答えは得られそうになかった。


「なんでもないよ。ひとまず僕はここでこの生産場を停止するための手続きをしなければならない。君たちは百万足(オオムカデ)を倒しに行くんだろ?ひとまずここで別れないか」


 何故かデューレは催促するようにこの場の全員にここを離れるように言う。

 デューレはそのままパチンと指を鳴らし、俺への呪いを解除したと告げた。


「確かにそうだな。ひとまず一件落着…なのか?あとは帰って楽団長を引っ捕えるだけだな」


 デューレと会うことで…一気にネハの淘汰、アーラヤの解呪、ネハを流行らせた要人を見つけるという目的全てが達成できてしまった。


「その後は百万足(オオムカデ)の討伐だ」


 俺が今後の展望を確認したところで、バーンガルドが食い気味に付け加えてきた。

 というかヴェルトも討伐隊に加わったとなると…百万足(オオムカデ)くらい楽勝なんじゃなかろうか?

 慢心は良くないが…そう思ってしまうほどに強力な布陣だ。

 

「俺様は一刻も早くコイツをスーウェンに使ってやりてェ。百万足(オオムカデ)討伐はその後でいいか?」


 ヴェルトは原初樹の結晶が入った小瓶を割れてしまいそうなくらい強く握り締めながら、足踏みしている。

 そんな様子を見て、俺は重要な情報を与える。


「言ってなかったが…原初樹の結晶が使えるのはおそらく後一回きりだ。くれぐれも妹以外に使ったりするなよ」


「そうなのか?まァ、スーウェン以外に使うつもりはねェ」


 浮かれた子供みたいに頷くヴェルトの表情は綻んでいる。

 何十年も意識がなかった妹を助けられるのだから当然か。

 

「じゃあ僕は従業員たちに事実を告げにいかなければならないから。じゃあね」


 デューレはそう言って奥の空間へと消えていった。

 俺たちがいるのは世界樹内部を切り広げられた空間の入り口にすぎないのだ。

 この空間が一体どれだけ奥まで続いているのかはわからないが、そこまで広くはないだろう。

 世界樹は自己修復できるのだろうか…

 永い年月をかけてでも本来の姿を取り戻して欲しいものだが。


「俺たちも一度街に戻るか」


「そうだな。アーラヤに何も言わず飛び出してきたものだから、早急に戻らねば」


 思い出したように言うバーンガルドだったが、アーラヤもバーンガルドが無駄に行動する人間だとは思っていないだろうから大丈夫だろう。

 

 こうして俺たちはヴェルトに十日後ボレフ神殿最寄りの街で落ち合うことを確認してから世界樹内部を後にし、再びヴァレットの街へと戻った。

 天気は気持ちいいほどの快晴。

 まるで俺に手を貸してくれた世界樹の喜びを体現しているかのようである。

 小走りで教会へと向かうと、その入り口ではアーラヤが仁王立ちで俺たちを待っていた。


「ガルド、ワタル!どこ行ってたの⁉︎」


「ネハの生産場所をワタルが発見してな。既にネハについては解決した」


「ええっ⁉︎」


 バーンガルドの言葉にアーラヤは阿鼻叫喚に目を見開いていた。

 たった一度、短時間外に出ただけで解決してきたというのだから無理もないだろう。

 周囲でアーラヤに付き添っている騎士団の連中はバーンガルドの言葉といえどまるで信じていない様子だ。


 こうして俺は俺がスラム街を訪れてからの経緯を詳しくアーラヤに説明する羽目になった。

 楽団長が関わっていたことが原因でこの街にネハが流通してしまったこと。

 そして…アーラヤの呪いが解けたということも。


 その話を終えた後、アーラヤは口に手を当てて涙を流していた。

 解呪に関してはネハの工場を突き止めたことで得られた副産物だったが、アーラヤにとってはネハ解決よりも喜ばしいことだったようで。

 少しずつ少しずつ、言葉を歌にしていくアーラヤ。

 たった数音発しただけで周囲の騎士団たちも最上級に盛り上がっていき、場はステージ空間へと切り替わる。


「この場で歌いたいけど…まずは楽団長を問い詰めましょう」


 アーラヤは一度深呼吸をして落ち着き、まずは楽団長の元へと向かうことを提案してきた。

 ここでアーラヤが歌ってしまえば、その事実はすぐに楽団長の耳へと入るだろう。

 それにより楽団長は取引相手であるデューレに異変があったことに気が付き、自分の立場が危ういことに勘づいて逃げてしまうかもしれないのだ。


 アーラヤの一声で、俺たちは一斉に楽団長がいるであろうヴァレット随一の音楽堂へと乗り込む。

 ずかずかと階段を昇り、絢爛な大扉を開け、楽団長の元へと立ち塞がる俺たち一向。

 ここまで来るのに数分もかかっていない。


「急になんだね⁉︎」


 焦った様子でその肥えきった肉体から汗を噴出させる楽団長。

 成金と呼ぶのに相応しい見た目をしており、少し面白い。


「貴方だったのね。この街にネハを流行らせたのは!」

 

 鬼気迫る勢いで尋問するアーラヤは、文字通り鬼でも宿っているかのようだった。見てるだけでも肩を窄めてしまう。


「なんのことだかっ…」

 

 楽団長は尚も怯えた様子でシラを切ろうとしている。

 この様子じゃあ、ボロが出るのも時間の問題だな。


「とぼけないで。とっくに証拠は上がってんのよ。今すぐこいつを捕らえて」


「ンヒィッ!!ヤメテくれぇ!」


 楽団長の言い分を一切聞かず、アーラヤの指示で騎士団はその巨体を慣れた手つきで縛りあげた。

 楽団長は尚もとぼけたふりをして呆然としているが、しばらくアーラヤが尋問を繰り返したら観念したように自白した。

 その内容はこうだ。


 十年前、当時七歳だったアーラヤは、その『傷を癒す』という紋章魔法(アイデントスペル)の性質から、聖女という大層な呼び名を与えられていた。

 更にはまるで天使のように心地よい歌声を持っていたものだから、当時のアーラヤの人気ぶりは尋常ならざるものだった。

 ヴァレットの住民は皆、アーラヤの歌ばかりに耳を傾け、その結果楽団の収入は大幅に減少してしまった。

 だからこそ、そんな楽団に目をつけたデューレの囁きに逆らうことはできなかった。

 アーラヤの歌声を封じる代わりにネハの流通を手助けしろ、というのがデューレが持ちかけた取引。

 楽団長がその囁きを受け入れた結果、楽団は売上を取り戻した。と、いうわけだ。


「せっかく音楽堂があるのだから、ここで歌ってみてはどうだ?」


 楽団長を駐屯所へ運び込む馬車を見届けたところで、バーンガルドがそんな提案をしてきた。

 確かにここは主のいなくなった音楽堂。所有権は誰に移っているのかはわからないが、アーラヤがステージに立ったところで誰も文句を言わないだろう。


 そこからは早かった。

『十年ぶり。聖女様の単独コンサート!』という情報が音速レベルで街全体へと伝わっていった。

 小一時間にして音楽堂が埋め尽くされるほどの人員が集まり、俺もバーンガルドも想像以上の集客に笑うしか無くなっている。


 にしても楽しみだ。

 俺がヴァレットを訪れて聞いた以来の歌声。

 しかも今回は楽団の伴奏付きとなっている。突然の提案だったが、楽団の人たちは快く引き受けてくれた。


 準備が出来、いよいよ開演。

 俺たちはVIP席で待機している。

 幕が徐々に上昇していくことにより張り詰めていく緊張感。


 席に入りきらず、通路に立ってまで聖女の歌声を待っている聴衆たちも固唾を飲んでいる。

 しばらくのち。

 完全に見開いた壇上では、華麗なドレスに身を包んだアーラヤが立っていた。

 そして、大きく息を吸い込んで、放つ──


 一瞬で世界が華やいだ。


「すげぇ…」


 俺のそんな呟きは、伴奏もない圧倒的な声量のアーラヤの歌声によってかき消される。

 もはやこの空間全体は、アーラヤのための、アーラヤによる芸術世界の真っ只中と化した。



 アーラヤの十年ぶりの突発コンサートは、信じられないくらいの大盛況で終わった。

 元々のアーラヤの知名度のこともあったが、芸術というコンテンツが日々過剰に供給されているこの街において、これほどまでの集客を達成するというのは偉業とも呼ぶべきだろう。

 たった数曲歌っただけ。

 それだけだったが、アーラヤが今後ヴァレットの象徴すべき存在となることは間違いなさそうだった。


「それで、もうワタルとガルドは…街を出てくの?」


 コンサート後、教会の晩餐会でアーラヤは名残惜しそうに尋ねてきた。

 バーンガルドいわく百万足(オオムカデ)がいるボレフ神殿最寄りの街、『チェアリス』はここからそこそこ遠いらしい。

 ヴェルトには十日後その街で待ち合わせる約束をした。

 遅れるわけにはいかないので、明日の朝にはこの街を馬車で出発しなければならない。

 ヴェルトはここから魔族領まで戻ってからチェアリスまで向かうはず。

 時間は大丈夫なのか聞いたところ、「余裕だぜ」と返ってきたので大丈夫だろう。

 確かに俺たちも馬車を使わず走って行けば数日も経たずに着くらしいが、正確な道もわからないし、道に迷ったら詰むことになるからその案は棄却した。


「そうだな。明日の朝には発つつもりだ」


「そう…じゃあこの時間を大切にしないとね」

 

 アーラヤはそう言いながらもモグモグと凄い勢いで口に食べ物を運んでいる。

 そのペースで食べていたらすぐに満腹になって食事会が終わってしまうぞ。


「スラムと…ネハの患者について何もしないままですまないな」


 そんなアーラヤの様子を見つつ、バーンガルドは申し訳なさそうに俯いた。


「大丈夫。私の魔法でなんとかしてみせるから。スラムもきっと誰でも住みやすいいい場所にする」


 俺は実際にネハに侵された患者たちをスラム街で見てきた。あの廃屋で暮らす貧しい人々も。

 あの人たちが豊かな暮らしを取り戻すまでは時間がかかるだろうが、アーラヤのこの意気込みなら大丈夫だろう。


 その後も談笑に花が咲かせ、バーンガルドの冒険譚で場は持ちきりとなった。

 俺も何か冒険者業についての話を求められたが、特異な体験ばかりしすぎて話せるようなことは殆どなかった。

 なんだかバーンガルドの話とのギャップが大きすぎて虚しくなる。


 そんなこんなで晩餐も終わり、俺たちはそれぞれ用意された部屋で休息した。

 想像の何十倍も早かったネハの解決。

 ここまで来るのになんと一日しかかかっていない。

 異世界の芸術をもっと堪能したいと思っていたのだが、この世界は広いのに移動手段は乏しい。

 殆どが移動時間で消えてしまうため、仕方ないといえば仕方ないのだ…

 

 

 翌日。


「またいつか…会いに来てね?ガルドも、ワタルも」


 アーラヤと過ごしたたった一日の記憶。

 思えばこの街に来てから、一日とは思えない程にとても濃厚な時間を過ごした。

 俺だけが聞けた唯一無二の歌声に(いざな)われ、最初から目的だったネハの淘汰を依頼され。

 思いがけずネハの生産場を突き止めたかと思えば魔王部下の幹部と敵対し。

 最終的にはアーラヤにかけられた十年来の呪いを解除できた。

 まったく、とても一日でやったこととは思えない。


「ああ。きっとまた来るよ。その時は…ヴァレットはもっといい街になっているだろうな」


 用意された馬車に乗り込みながら、バーンガルドは相変わらずの毅然とした態度でアーラヤに別れを告げた。

 俺もバーンガルドに続いて馬車に乗り込む。

 バーンガルドと違い何も言わずに乗り込んだのは、良い別れの言葉が思い浮かばなかったからだ。


「じゃーねー!」


 馬車は動き出し、どんどんと遠ざかる教会を背後にアーラヤは両腕を大きく振って存在をアピールした。

 馬車が角を曲がりかけ、アーラヤの姿が隠れそうになる。

 俺はその瞬間を見計らって、柄にもなく馬車から身を乗り出し、叫んだ。


「じゃーなー‼︎」


 俺のこの声は、芸術通りで華々しく奏でられているバックグラウンドミュージックにかき消されて、アーラヤの耳に届いたかは定かでない。

 しかし、最後に一瞬だけ見えたアーラヤの表情は綻んでいたような気がした。



◆◇◆◇◆◇



「レストア。ヴァレットから問題の二人が消えたよ」


 ヴァレットを取り囲む絶壁の一端。

 バーンガルドの索敵がギリギリ届かないような範囲で、魔王護六将校(エクシ・アドミラ)の二人、レストア=シルヴェールとデューレ=ディライトは穏やかでない話に身を投じていた。


 レストアが突き止めた、メルクリアの加護持ち。

 メルクリアは癒しを司る神。

 その神の加護を持っているアーラヤは、聖女と呼ばれるほどまでに強力な『癒し』の魔法を使うことができる。


「そのようですね…それにしても、よかったのですか?有力な財源であったネハの生産をやめてしまって」


 レストアは心からの疑問をデューレにぶつける。

 デューレは魔族の中でもトップクラスの財力を築き上げている。

 ゆえに魔王城の維持などを受け負っており、ネハはその中でも大きな財源だったのだ。

 しかし、それはデューレにとってまだ未完成だった事業の一端に過ぎない。

 ゆくゆくは亜人族領の大きな街を徐々に侵食していく予定ではあったのだが…今となってはどうでもいいことだった。


「いいんだよ。それを代価にリオーネを出し抜けるような話を聞けたしね」


 デューレはワタルに『ニホン』について聞けたこと。

 それによりリオーネよりも『ニホン』について詳しくなったと思い込んでいる(・・・・・・・)ことに深く高揚していた。

 デューレはリオーネ側に残った日本人、沢田ヨウトの存在をまだ知らないのだ。


「全く…貴方のあの子(・・・)における執着は尋常ではないですね」


「そう言わないでくれ。僕はただあの子を…救いたいだけなんだ」

 

 デューレはそう語りながら、引き攣った笑顔を作り上げる。


「話は変わりますが、ワタルの実力はいかほどだったのですか?」


 不気味なデューレを正気に戻すため、レストアは話の焦点をワタルに当てる。


「そうだね。僕が剣を持てば、腕の一本くらいは落とせたかな。まあ、それをしなかったのは彼が原初樹の結晶を持っていたからなんだけど」


「原初樹の結晶を?…ああ、貴方の配下であるヴェルトはそれを求めていましたからね。貴方がワタルに致命傷を与えてしまえば、使用制限のある結晶を使われる可能性がありますから…」


「そういうことだ。それで、メルクリアの確保に僕の手はいるかい?」


「いや、私一人で十分ですよ。貴方はこれからどうするのですか?」


 アーラヤの周囲の人間をレストアはリサーチ済み。

 ワタルとバーンガルドが離れた今、レストアと勝負になる人間はヴァレットに誰一人として存在しない。


「そうだね…ニホンについてもっと詳しく調べてみようかな。ワタル以外の召喚者を探してもいいか…」


「そうですか。くれぐれも、ワタルだけは殺さぬよう」


 『ニホン』に異常なまでの執着を見せるデューレにレストアはそう念を押すが…


「当たり前だろ。彼は…兄弟(・・)なんだから」


 デューレは再び引き攣った笑顔を見せながら、レストアの前から姿を眩ませる。

 残されたレストアはそんなデューレの姿に狂気的で歪んだ『愛』の存在を感じ取りながら、王であるレヴィオンの依頼を完遂するため街へと降りた。

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