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45. 迷宮の異変

 夕食に舌鼓を打ち、温泉に入ってぐっすり寝るという──まるで温泉宿で泊まったかのような一夜を過ごした後。

 朝になって…今日は第七迷宮に挑む日。


 第七迷宮…ララー大迷宮の入り口は竜の里の奥地にあるという。

 ネルタとチェフェンが帰ってこなかった以降、今はほとんど誰も近づかないようで…里の中でもその入り口の場所を知っている人物は限られているのだそうだ。


 昨夜と変わらない豪勢な朝食まで頂いたところで、ヴァロメによってその入り口まで案内される。

 レジェードは足手まといになるからと迷宮内までは付いてこないらしい。

 他の竜がついてくるということもないようで、結局俺一人で迷宮に挑むことになった。

 まあ、竜がこの迷宮に入る際は原竜山(げんりゅうざん)を通って体を大きくしてからじゃなければならないとか妙な風習があるらしくて、それは面倒だからと俺から同行を断った節もあるが。


 ヴァロメの話によると、ララー大迷宮の最下層は五十階層程度ではないかということだった。

 一人で入る割に五十階層は中々に酷だが、戦闘スキルのレベルアップのためだと思えばそれもしょうがないと割り切れる。一人だったら自分のペースで行けるのも楽だしね。


「着いたぞ」


 そうこうしているうちに迷宮の入り口まで到着する。

 入り口は深い緑に苔むした石レンガによって補強されていて──ポッカリとその巨大な口を開けていた。

 殆ど挑戦者がいなかった為か、寂しそうなその入り口はまるで俺を待っていたかのようにヒューと風を吸い込む音を響かせている。

 竜でも通れるサイズなのだからその入り口はかなり大きいが、人間である俺が前にしても違和感は無い。


 人には知られていない、未知の魔物で溢れた未知の迷宮。今から俺はそこに単独で挑む。なんだかワクワクしてきた。


「じゃあ、行ってくる。五日経っても返ってこないようなら…レジェードはレイトの元まで帰って状況を説明してやってくれ」


 メルクリア大迷宮の時は、五十階層を攻略するのにそんなに時間がかからなかった。

 ララー大迷宮にどんな魔物が住んでいるのかわからない以上、メルクリア大迷宮よりは時間がかかるかもしれないが…多く見積もっても五日で行って帰ってこれるだろう。


「わかりました。検討を祈りますね」


「ああ」


 こうしてレジェードとヴァロメに見送られながら、俺は第七迷宮…ララー大迷宮へと乗り込んだ。

 迷宮内は例によって謎鉱石のおかげで仄かに明るく、松明なんかがなくても難なく進めそうである。

 とりあえず一層目は難なく進んでいきたいものだが…


「意外とすんなりあったな」


 次層へと続く階段。

 それは、ほぼ道を一直線に進んだ先にあった。

 魔物の影一つもなく、逆に不気味。

 本当にこの迷宮で数々の竜たちが命を落としていったというのか?

 まあまだ一階層だ。

 一階層に強力な魔物がいたら里に流れ込んできてしまうだろうし、とりあえずはここからだな。

 拍子抜けだったが、もう一度気を引き締めて二階層へ。


「・・・なんで魔物がいないんだ?」


 第二階層でも呆気なく階段を発見してしまい、これでいいのかと思いつつも第三階層へと進入する。


 ヴァロメはこの迷宮には強力な魔物が存在していると言っていた。

 そして何体もの竜たちがこの迷宮で命を落としているとも。その割には…って感じだ。

 挑戦者がいなかった期間に生態系が変化した?いや、下層に行かないと魔物はいないのか?


 よく俺が日本で読んでいたラノベなんかでは迷宮が魔物を生み出すなんて設定のものも多かったが、この世界の迷宮の魔物はそんなことはない。迷宮で生まれ、成長する。

 もしかしたら上層の魔物は、数週間前に挑戦したネルタやチェフェンによって狩り尽くされてしまったのかもしれない。

 だけどいないっていうのはおかしい。

 何故なら下層にいる弱い魔物が生き残るために上層に上がってくるなんてことはざらだからだ。まあ考えてもしょうがない、とりあえず進むか。


 その後も下層へと続く階段を探すのに多少苦労したものの、魔物と一切遭遇することなく順調に四階層、五階層と進んでいった。

 そして十階階へと足を踏み入れた所で、迷宮の風貌は一変した。

 一階層から九階層までは、いかにも『迷宮』といった岩壁で囲まれた空間を移動するだけだった。

 ──今は違う。


 これこそだ。

 これこそが神々が作り出したと言われる不思議な空間と言われる由縁だ。


 目の前に広がるのは、まるで不思議と言わざるを得ない空間。

 辺りはまるで鍾乳洞のように天井から突き出した白い石で神秘的な光を放っており、そこから滴る澱みのない純水がピチャンピチャンと音を立てて地面に水溜りを作っていて──そこでは親子と思われる三匹の狼型の魔物が一心不乱に喉を潤している。


 ん?

 なんだよ、あれ!


 それは異常な光景と言わざるを得なかった。

 異常すぎて、目を疑った。

 

 水を飲んでいた三匹の狼型の魔物。

 その魔物たちは、あり得ないほどに痩せほそっていた(・・・・・・・・)

 まるで何日間も何も食べていないかの様子である。


 やはりか。

 やはり何かしらの理由があって、この迷宮に住む魔物が激減したんだ。それにより食べる餌も減ったってことか。

 食物連鎖。

 魔物は魔物を食べる。食べる魔物がいなければ、生態系は一瞬にして崩れる。

 パッと見た感じ、あの狼は上層に住んでいた魔物。餌を求めて下層にやってきて、水を見つけたってことか。


 そして。

 狼たちは様子を眺める俺に気づいて、まるで何年も追い求めた食料を見つけたかのような顔をして涎を滴らせてきた。

 すまんな、同情の余地はあるかもしれないがこちらも先を急いでいるんだ──。


 まず向かってきたのは親と思われる大きめな二匹。

 紋章を展開していることから、何かしらの魔法…おそらく自身の何かを強化させる系統のものを使っていることが分かる。レベルは意外にも高く六。

 狼たちにとって戦闘自体が久々なのか、それとも完璧に体力が衰えているのか、その動きにキレはなく攻撃は難なく見切ることができる。

 牙が俺の首筋へと向けられたのを見計らって、神光支配(ハロドミニオ)を纏わせた軽い一撃をぶつける。

 

 ただの軽い一撃。

 それだけで直前まで研いでいたかのような切れ味で二匹の狼の首は切断され宙を舞い、ゴトリと音を立てて地面に落ちた。

 そこから溢れ出る血はどこか色黒で栄養が取れていなかったことが伝わってくる。さあ、後は子狼だが………って、おい…マジかよ。


 親の仇といわんばかりに突進してくると思っていたのだが、小狼がヨロヨロと向かったのは親狼の亡骸の方だった。

 小狼は骨と筋…そして硬い獣毛ばかりの親狼の肉に脇目も振らずに噛み付く。

 俺はその光景を見てこの世界の過酷さの一面を垣間見たような気がして、何も言わずにこの場を去り次の階層へと急いだ。



 その後もララー大迷宮の攻略は順調に進み、俺は半日程度で第三十階層まで来ていた。

 あまりに早いペース。

 というのも、ほとんど魔物と遭遇することがなかったからだ。

 やはりこの迷宮には何かがある。いや、逆に何も無さすぎたのかもしれない。


 本来、ゼレス大迷宮などの迷宮の魔物は…人間、ギルドによって管理されている。

 迷宮に住む魔物の素材はやはり枯渇してしまうと困るものだから、ギルドによる管理の手が及んでいるってわけだ。

 例えば、ゼレス大迷宮の上層にはダブルホーンブルという魔物が生息しているとする。

 そのダブルホーンブルの目撃情報が少なくなれば、ギルドでの素材買取価格を無料(タダ)同然にしてその魔物が冒険者によって狩られることを防ぐ、といった感じにだ。


 この迷宮は竜たち以外には知られていないという。

 つまり、種の保存といった管理もクソも無いということだ。

 年齢の高い竜たちは竜の里からあまり出ないという割にはレベルが高かったりする。きっと昔この迷宮でレベル上げをしていたはずだ。

 ってことはこれだけこの迷宮に魔物がいないのは、既に竜たちによって狩り尽くされてしまったからと推測できる。


 ヴァロメは最近ではこの迷宮に挑戦する竜はほとんどいないと言っていたし、魔物の数が減っているということもその要因となっていたのかもしれない。

 そして、この迷宮はゼレス大迷宮みたいに横に広いわけでもない。割とすぐに階段は見つかるし、攻略はしやすい方なのだと思われる。


 だが、引っかかる点がある。

 この迷宮を攻略することは、まだクリアされてない…竜ですら命を落とすほどに危険とされる竜王の試練を攻略することと同義。

 俺はてっきりこの迷宮には強力な魔物が多数存在していて、竜たちはそれらを相手する中で命を落としたものだと思っていた。

 だがそれは見当違いで、もしかして──ここで竜たちは『強力な一体の魔物』によって殺されたのではないか?

 だとしたら…俺はそいつを倒さなければならないということになる。


 そう考える根拠は他にもある。

 それは、確かな『気配』を感じること。

 何かに怯えているような、まるで何かから逃げ隠れているような──そんな魔物の気配を少なからず感じる。

 そんなことをするのは弱い魔物だ。

 つまり、『強大な何か』によってここらに住む魔物の殆どが隅に追いやられてしまっているのだ。

 そもそも少ない魔物が、更に隅に追いやられている。…見つからないわけだ。

 

 そこから色々考えながら暫く進んで。


 そういうことか…


 四十二階層まで辿り着いた時、俺は真実に気づく。魔物たちが一体何に怯え、逃げ隠れていたのか。

 それは…


「これか」


 俺は右腕に嵌めていた、美しく紅に輝く宝玉が埋め込まれたリングを撫でながら呟いた。

 魔物たちはこの竜王のリングの気配を感じ取っていたのだ。


 竜王ヴァルムは竜王の試練と称し、この迷宮の最下層に眠るという宝の存在を示唆したという。

 それはつまり、ヴァルムは既にこの迷宮を攻略したのだということの証明。

 迷宮を攻略したということは、その迷宮においての絶対的強者になるということだ。

 よって、竜王のリングを手にしている俺に手出しをしてはいけないとここの魔物たちは理解しているのだ。

 すなわちそれだけここに住む魔物たちは頭が良いということ。


 凶暴な魔物たちにそれだけの脳がついていると考えると…竜たちがてこずるのも頷けるってわけだ。

 ヴァルムがこの迷宮を攻略したのはおよそ四百年前。四百年が経った今でも効力があるような呪いを、この迷宮にヴァルムは施したのだ。

 竜王のリングを持っていたら役に立つって、こういうことか?


 しかしそれはおかしな話だな。

 竜王のリングを持った俺が来たのは今回が初めてだし、魔物がここまで激減した理由にはならない。

 つまり、竜王のリングは俺の前に魔物が全然現れない理由の一つに過ぎないということだ。


 もっと明確な理由がある。

 ここまで魔物が怯えて、数が減ってしまう要因となるような何かが。


 にしても……


「つまらないな」


 思わず口にでる本音。

 本来は長時間かかるはずの迷宮攻略が、こんなにも呆気なく、簡単に終わっていいのかという脱力感。

 楽でいいと言ってしまえば確かに良いものだが……なあ?


 その辺で身を潜めているであろう魔物の元へこっちからいくってのもありだが…別に今回の迷宮攻略はレベル上げとか、魔物の討伐とかを目的としていない。

 無益な殺生はやめとくか。

 しかし、魔物が襲いかかって来ないからといって警戒を怠っているわけではない。その警戒も殆ど無駄だが。


 ただ淡々と下層へと続く階段を見つけては最奥地へと進んでいく。

 このまま、何もないまま最下層まで辿り着いてしまうのか。

 

 と、その時だった。


 下層で何かが蠢くような音が聞こえてきた。

 デジャヴのようなものを感じる。

 それはまるで王都魔剣術学校の校長室で聞いた、地下で竜が蠢く音のようだったからだ。つまりこの下層には…


「竜がいんのか…?」


 竜の里にある迷宮の最下層で、竜が待っている。

 想像できそうなことだが、まさかまた竜と戦うことになるかもしれないなんてな。

 竜というのはこの世界では結構希少種なはず。

 にしてもヴァルムといいレジェードといい竜種に会いすぎて感覚が狂ってしまっている。 

 まあ、まだ竜がいるってことも、戦うことになるってことも、確定しているわけではないのだが。


 そして次層へと続く階段を見つけ、先へ進む。

 一歩、一歩と階段を降りる度に、蠢く何か(・・)の気配は強くなってくる。

 この感覚からして…次の四十五階層が最終層か。


 ゆっくりとだが確実に階段を見つけ、先へ進む。

 最下層へと続くにつれ、明らかに周囲に潜む魔物たちの気配も強くなっている。だが、その気配は妙なものだ。

 なんだかまるで、『今にも襲いかかりたいのに、何かによって制限されている』かのようだ。

 その制限というのは、この竜王のリングによるものなのだろうか。しかしそれもまた違う気がしてきた。

 ではいったいなんなのだろう。その答えは最下層に行けばわかる。そんな気がして俺はまた一つ層を下った。

 

 最下層は、ただの巨大な闘技場のような空間だった。

 まるでゲームに出てくるボス部屋。

 薄暗くて、中心に何がいるのかはハッキリとは見えない。


 中心部で確かに放たれる、この場を支配する言いようもえない不穏な空気を感じながら、そのオーラを放つ主の元までゆっくりと歩みを進める。

 この空間の主は、まるで動こうとせず俺を待っているようだ。

 

 その感覚は、こんな状況下では嫌でも思い出してしまう懐かしいものだった。

 そう、俺がこの世界に来てすぐのこと。メルクリア大迷宮でのヴァルムとの邂逅、その時に似ている。

 あの時はビビって動けなくなったもんだ。


 でも、今は違う。

 俺は目の前の得体の知れない何者かとの遭遇を心待ちにしている。──別に戦闘狂的な思考に陥っているわけではない。

 その者に会えば俺の知らない新たな何か…この世界についてを知れるような気がしたからだ。

 そんな曖昧な好奇心という感情を原動力にして俺は一歩、また一歩と歩みを進める。

 

 やがてその者の全貌が明らかになり、小さく息を呑む。


「やっぱり竜か…」


 そこには、鮮烈な赤鱗に身を包んだヴァルムとは対照的な、まるで海のように深い藍の鱗に身を包んだ竜がいた。

 まずヴァルムのように意思疎通ができるかどうかを試してみる。


「お前がこの迷宮の主か?」


「………」


 反応なし。

 妥当だな。

 意思疎通ができる…言わば意識があるのなら、ヴァルムのように特別な事情がない限りはこんな場所に一人でいるとは思えないから。

 すなわち、この竜は石板を守るために配置されたただの意思無きモンスターだということ。

 とりあえずは戦闘準備を……


 と、ここで閉じていた瞼をゆっくりと開けていく目の前の竜。

 その瞳には光がなく、顔はこちらを向いているが視線が俺を捉えているようには思えなかった。

 そして。

 俺が神々封殺杖剣(エクスケイオン)の紋章を展開させると同時にあちらも紋章を展開してきた。

 まるでゲームに出てくるプログラムされた敵のような動きだ。


 そのレベルは九。

 ヴァロメの話によると、竜種がレベル十になるためには今俺が見に着けている竜王のリングが必要だということだから、目の前の竜は現存する竜種の中でも最大レベルであると見て良い。

 対して俺のレベルも九だが、油断してはならない相手だ。

 俺は素早く全身に神光支配(ハロドミニオ)を纏わせていく──刹那。


「──かっ⁉︎」


 俺が神光支配(ハロドミニオ)を肉体に纏わせた直後、不可視レベルで閃いた竜の一撃による痛みが、俺の脇腹を突き抜けた。

 それにより俺の体は宙に投げ出され、全身を鈍い痛みが支配する。


 大丈夫、状況判断ができるくらいにはダメージを受けていない。

 警戒心を怠らないようゆっくりと身を起こし、次の攻撃を見切ろうと藍竜を凝視する。


 神光支配(ハロドミニオ)は、目に集中させることで動体視力を大幅に上昇させることができる。だが、その分肉体の防御が疎かになる。

 それを考慮して、俺は神光支配(ハロドミニオ)を肉体に三、目に七といった配分で集中させた。


 薄暗い空間内で少しだけ明瞭になる視界。

 …何故?

 相変わらず目の前の竜の視線は俺を捉えることなく、虚空を見ている。

 言葉に出来ない違和感。

 その光景を見てまず感じたのはそれだった。

 なぜあの竜はこちらを見ずとも攻撃できた?ノールックで油断させて、ってことか?だったらそれが効くのは最初の一撃だけだ。

 もしかして『俺じゃない何か』を見ている?

 いや、それだったら普通俺じゃなくその何かに攻撃を仕掛けるはず。

 だったら……ってあぶねぇ!


 竜は俺が悠長に考察に耽っている隙を見逃さずに攻撃してくる。

 だが、俺の中には一つの確信に近い感情渦巻いていた。

 何故なら、あの虚げな目を俺はかつて見たことがあるから。


 それを見たのは初めてミルと会った日だ。アラッカ村近くの洞窟でログリアによって洗脳されていたミルを見た、あの時。

 そう、その洗脳されているミルや同じように操られていた獣人たちと同じ目をしているのだ。この竜は。


 だったら。


「お前を操ってる奴を探さないとな」


 神々封殺杖剣(エクスケイオン)を構えながら、呟く。


 ログリアの魔法の性質から鑑みて、操っている者はそう遠くにはいないはずだ。

 もしも遠隔で操作できる系統の魔法なら対処の仕様がないが…まあ、それだったらただ目の前の竜を屠ればいい。


 神光支配(ハロドミニオ)によって底上げされた動体視力で、不可避に思えた尻尾による高速な攻撃を難なく捌いていく。

 躱し、弾き、時には反撃。

 竜は尻尾による攻撃では埒があかないと判断したのか、今度は空間に巨大な水滴を幾つか浮かび上がらせていった。

 その水滴はみるみるうちに凍っていき、先端が鋭利な氷柱状に変化する。

 紋章を展開させてからすぐに使わなかったのは不自然だったが、これがこの竜の紋章魔法(アイデントスペル)か。


 氷柱が──放たれる。


 ヒュンという音を立てながら、視界360度から跳んでくる弾丸の如き氷柱。

 流石に躱すので精一杯だが、躱しきれないものは神々封殺杖剣(エクスケイオン)で受け切るしかない。


「なっ!」


 何個目かもわからない氷柱の一つを眼前で剣先で捌こうとした瞬間。狙っていたのか氷柱は融解して水に変わり、俺の目に飛び込んできた。

 完全に予想外の一撃。まさか氷と水の状態を自由に切り替えることができるなんて思わなかった。

 目に水が入り──咄嗟に目を瞑ってしまう。


 衝撃、衝撃、衝撃。


 腹、太もも、左腕。至るところに氷柱が突き刺さる感覚が俺を襲う。

 咄嗟に目に集中させていたオーラを全身に分散させたが、間に合わなかった。


 あぁ──痛い。

 この感覚も久しぶりだ。

 完全に油断──いや、慢心していた。


 倒れ込む俺が不意に目を開けると、今にも両の目を潰さんとする不可避の二本の氷柱が見えた。

 ちょっとは良い気になっていた。

 レベルが九になったこと、そして神々封殺杖剣(エクスケイオン)を使いこなせるようになってきたこと。

 たったそれだけのことで俺は竜にだってなんだって勝てる。そう、思って、慢心してしまったんだ。


 俺は咄嗟に顔をずらし、両目めがけて跳んできた氷柱が致命傷にならないように避けた。

 ………つもりだった。


 予期していた衝撃が俺を襲うことはなかった。

 鋭利な氷柱の代わりに降ってきたのは、先ほど俺の視界を奪った冷水と同様の水。

 俺の目を潰さんとしていた二本の凶器は、俺に直撃する前に溶けて水と化したのだ。

 一体、何が。

 事態を飲み込めないまま、全身に広がる痛みを我慢してゆっくりと立ち上がる。

 

 そこには先ほどまで俺に攻撃を仕掛けていた、虚な目をした藍竜はいなかった。

 代わりにいたのは瞳にわずかながら光を取り戻し、その顎からダラダラと涎を垂らしながら苦悶の表情に顔を歪ませる藍竜。


 ──自我を取り戻している?


「首…首を……ッ!」


 まるで胃の中にあるものを無理やり吐き出そうとするが如く言葉を漏らす竜。

 首?この状況から考えるものは…首を切り落としてくれってことか?

 いや、殺して欲しいなら殺せというだろう。だとしたら…

 俺は苦しむ竜の背後に回り込み、その首すじを確認した。


「なんだあれ…」


 竜の頭部より少し下。突出した鱗に隠れるようにしてへばりついていたもの。

 …その悍ましい風貌に思わず両腕に鳥肌が迸るのを感じる。


 まるで触手のように、分岐させた白い器官を幾重にも四方に伸ばす、糸状生物。

 それがまるで寄生虫のように竜の首に纏わりついていた。

 それは昔何かのテレビ番組で見たことがある『ヒドラ』という生物に似ている気がした。よってあの生物を仮に『ヒドラ』と呼ぶことにする。


 ヒドラの体長は三十センチほど。

 小さな紋章を展開していることから、やはりこの竜を操っているのはこのヒドラであることは分かったが…どうにも腑に落ちない点がある。

 ──この迷宮の支配者がこんな小さな生物一体だったのか?

 これに関しては目の前の竜を助けてから聞くことにしよう。意思疎通もできるようだし。


 竜を操っていた者の正体もわかったところで、俺は力を振り絞って地面を蹴った。

 ヒドラは何本もの足のように見える器官を竜の首に巻きつけているが、ただ一本だけ不自然に首に巻きつけてない器官があった。その器官は巻きつけている足よりも幾分太いように見えるし、それが本体と見ていいのかもしれない。まあ、全て切るが。

 そんな判断で、竜の体を傷つけないようにヒドラを木っ端微塵に切り刻んだ。

 途端にどこから発声しているかもわからない奇声を発して干からびるヒドラ。

 寄生生物は『寄生する』という性質上本体は弱い。このヒドラも例に漏れずその類だったようで、竜はその支配から逃れたようだった。

 

 大きな音を立ててその場に崩れ落ちる竜。

 命に別状はないようで、少し荒くはなっているが呼吸はある。


「ありがとう……」


 強面な見た目とは反して意外と礼儀正しい。もしかしてこの竜は……


「お前、もしかしてネルタかチェフェンか?」


 ネルタにチェフェン。ヴァロメ曰くこの竜王の試練に挑んで帰ってこなくなったという竜。

 時期から考えて目の前の竜がこの二匹のどちらかである可能性は高い。


「…⁉︎俺はチェフェンだ。どうして名前を…」


「ヴァロメから聞いていたんだ」


「ヴァロメ様が…確かにあんたは人間とはいえ、この場所には竜の里を経由しないと入れないからな…いや、入れないはずなんだけどな…あいつはなんで…」


「それで、さっきの生物はなんなんだ?」


 チェフェンのよく分からない独り言はとりあえず置いておいて、俺は気になっていたさっきのヒドラのような寄生生物についてを問いただした。


「あ、ああ…!」


 突如、俺の質問を聞いて何か思い出したくないことでもあるかのようにチェフェンは呻き出した。

 レベル九の屈強な竜がここまで怯えているのを見るとなんだか怖くなってくる。


「嫌なら無理に話さなくてもいいんだが…」


「いや、話そう…あんたならあいつを倒せるかもしれない……」


「あいつ?」


 俺が相槌を打つと、チェフェンはゆっくりとここであったことを話し始めた。

 




「おいネルタ、竜王ヴァルムの秘宝を手に入れるのは絶対俺だからな!」


「いやいや秘宝を手に入れるのはこの俺だね。チェフェンは黙って俺の後ろをついて来てればいいんだよ」


「言っとくけどここらの魔物も倒した数ならネルタより俺の方が多いんだからな!」


「お前が見てないところで俺が倒してるだけだよ」

 

 世間には知られていない秘密の第七迷宮…ララー大迷宮の中層で、幼い頃から共に過ごしてきた二体の竜が、いつものように軽い口喧嘩を交わしながら慣れた手つきで魔物を葬っていた。

 湿気のなく乾き切った広大な迷宮内では二体の声がやけに鮮明に響き渡り、二体の居場所は同層の様々な場所にいる魔物たちに知れ渡る。

 が、驚異的なまでの快進撃を見せつけているネルタとチェフェンに自ら戦いを挑みにいく頭の悪い魔物たちはこの迷宮にはいない。

 それ以外にも、この迷宮内にいる魔物がここまで怯え切っているのには理由があるのだが、この時のネルタとチェフェンにはそのことを知る由もない。


「上層の魔物は俺たちのレベル上げのためにあらかた片付けたからな、こんくらい下層に潜ればもっと沢山魔物がいるもんだと思ってたが…意外と拍子抜けだな」


「まあな、ヴァロメ様は生態系の維持だかで狩り尽くすことは辞めろって言ってたけど、いいのか?」


「俺たちが秘宝を手にしちまえばこの迷宮に入る意味も無くなるし、いいんじゃね?」


「そういう意味じゃなくてだな、後世がレベル上げに困るんじゃないかってことだよ」


「あー、そこまで考えてなかったわ」


 申し訳ない、といった顔で迷宮を突き進むネルタ。

 だがチェフェンにはその声音に謝罪の意が込められているようには聞こえなかった。それにチェフェンはやれやれというように首を軽く左右に振る。


「お、ここが最下層じゃないか?存外大したことなかったな、本当に先代たちはこの竜王の試練ってのをクリアできないでいたのかよ」


 そうこうしている内に最下層である四十五階層へ降り立ったネルタとチェフェン。

 そこで二匹は、その場に漂う異様な雰囲気に気がつく。


「ようやく来たか。待ちくたびれたよ」


 ここにいるはずの無い者の姿に、二匹は大きく目を見開く。

 そこには特徴的な紋様が刻まれた純白の外套に身を包んだ人間の男がいた。

 

「ニンゲン…か?どうしてこんな所に!?もしかしてお前がここのボスか?」


 原竜山を通ったのならば気づかないはずがない。明らかにこの男の存在はこの場では異質だったが──チェフェンは気づく。

 ララー大迷宮の入り口は、原竜山の魔法によって隠蔽されていない。

 つまり原竜山を通らなくともこの迷宮に入ること自体は可能なのだ、と。

 事実、チェフェンは原竜山の魔法がかかって体躯が巨大化しているのにこの迷宮に入れている。


「ここのボスはもう殺したよ。そういった意味では、ここの次のボスは僕になるのかもしれないね。いや、次のボスを君たちのいずれかにしようと思っているよ」


 驚く二匹の竜を無視して、独り言のように喋る男。それにネルタは、


「何を言っているかわからないな。とりあえずお前を倒せばいいってことか?」


 自分の行く末など知らずして、男を挑発する。


「う~ん。倒せるものなら、ね」


 二匹の竜を睥睨する男は表情を変えず淡々とした口調で面倒臭そうに腰の剣に左手をついている。


「色々聞きたいことはあるが、話をする気はあるか?」


「いや、君たちと話すことは何もないよ。奥にある石版はキーである竜王のリングがないと手に入らないみたいだからさ。どうせ君たちも竜王のリングを持ってないんでしょ?ちょうどいいから君たちで実験でもして帰ろうかなって」


「…?何を言ってるか益々わからないな。石版?迷宮の秘宝は竜王のリングじゃないのか?」


「そんなことも知らないんだ。その調子だったら最近までヴァルムが生きていたことも知らないんじゃない?こんな辺鄙な地で引きこもってるから外の情報に疎いんだよ」


「ヴァルムが生きていた…?どういうことだ?」


「もう、質問ばっかでストレスたまるなあ、どうせ君はここで死ぬんだからそんなこと聞いたって意味ないでしょ」


「誰が死ぬって?わかった。話ならお前を捕らえてからでもできるからな!」


 チェフェンはただ、黙ってそんなネルタと謎の男との会話を聞いていることしかできなかった。

 ネルタはそうは感じてはいないだろうが、目の前にいるこの男はヤバイ。関わってはいけない。チェフェンはそれを第六感とも言える感覚で感じ取っていた。

 

「ネルタ!この男に手を出すな!」


 紋章を展開し、戦闘態勢に入るネルタに対しチェフェンは咄嗟に叫ぶ。

 だが、自らの実力に自信を持つネルタがそんなチェフェンの忠告に耳を貸すことはない。


「大丈夫だ、見てろチェフェン!」


 紋章を展開したところで特に反撃してこない男に、容赦なく魔法を叩きつけるネルタ。

 ネルタの紋章魔法(アイデントスペル)は、近場にある岩石を空中で自由自在に加工し、対象に叩きつけるというもの。

 ネルタが鋭利に加工した複数の岩石群は、不可避の軌道で男に向かって閃いたように思われたが、


「デカイ図体の割には繊細な魔法なんだね」


 土煙が晴れた空間に、まるで何事もなかったかのように佇む男がいた。

 当初と変わっていたこととすれば、男の片手には剣が握られていることくらいか。

 

「なっ!あの量を全部捌き切ったというのか?」


「まあね、あまりにも遅すぎたから」


 遅すぎた、男はそう語っているがそんなわけはない。ネルタの魔法は高速で飛ぶ鳥型の魔物を撃ち落とすほどに速く、精度もあって──


 瞬間、男の神速とも思える縮地がネルタの首筋を捉えた。


「・・・え?」


 これには今まで傍目で両者の一瞬の攻防を見ていることしかできなかったチェフェンも思わず驚愕、いや恐怖を含んだ声を漏らしてしまう。

 次の瞬間にはネルタの頭部は地面に落ち、切り分けられた胴体からはドクドクと鮮血が流れでていた。

 幼少期から負け知らずだった親友、ネルタが一瞬で死んだ。

 もう、チェフェンから戦闘の意欲は消え去っている。

 

「お前は…なんなんだ」


「僕?僕は………」


 そう言いながら手に持っている奇妙な白い生物を首に突き刺してきた男の姿を最後に、チェフェンの記憶は途切れたのだった。



◆◇◆◇◆◇


 

 ワタルが竜の里へと向かったその日の出来事である。


「それで、邪竜レジェードに付けた 目印(マーキング)は機能してるんだよな?」


「そーすね、これはキッチリ竜の里を示してるはずっす!」


 薄暗い部屋、ただ爛々とゆらめく一本の蝋燭の明かりだけが支配するその部屋の中で、古代の代理人(デュアル・エー)第二支部の管理者である男と、その側近である男の二人が、机上に紋章武器(アイデントアーム)である地図を広げながら、会話を進めている。

 

「まさかこの森に竜がいたなんてな。それにこんなに早く竜の里まで帰ってくれるなんて思ってもいなかったぜ」


「そーすね!銀鏡の蜘蛛(アトロネ)がこの森に住み着いたと聞いた時にゃあ驚いたもんっすが、これで竜を戦力として確保できれば銀鏡の蜘蛛(アトロネ)も怖くないっすよ」


「いや、油断するもんじゃねえ。竜王(リントヴルム)なき今、例え竜種だとしてもあの化け物と対等に戦える竜はいないはずだからな」


「でも竜の里って竜が沢山いるんすよね?それ全部アレ(・・)で手懐けちまえばいいんじゃないんすか?」


「言っただろ?アレはたまたま迷宮で見つけた奇跡みたいなもんだ。数に限りがあんだよ」


「そうなんすか?じゃあアレが使えなかった竜は…」


「殺してもらって構わない」


「…了解す」


 不気味に笑うその男たちの笑みは、ゆらめく炎の明かりに溶け込んでいった。

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