幽霊のU子さんは成仏できない
信じられない気持ちで、稲塚君はその状況を受け止めていた。時刻は放課後、場所は校舎裏、そして、目の前には彼が密かに憧れている篠崎さんの姿があった。
『二人きりで話がしたいの』
と言われて彼は彼女とそこにいるのだ。しかも、彼女は頬を赤らめていて、なんだかモジモジしている。
そのシグナルを自然に解釈するのなら、これから彼女は自分に告白する気でいるのだろう。そうとしか思えない。
が、彼はそこで少し妙な点に気が付いた。こういう時は決まって現れるU子さんの姿がない。
周りを見渡してみる。
木の影にも、校舎の壁にも、ベランダにもいない。
目の前にはモジモジとしている篠崎さんの姿。
本能的に彼は察した。
――絶対に、おかしい。
U子さんは幽霊だ。
半年ほど前から高校生の稲塚君の周囲に現れるようになった。
ただ、幽霊と言っても、そうとしか思えないから稲塚君は幽霊だと思っているだけで、本当のところは分からない。半透明で、重力を無視してフワフワと動き、そして、高校生くらいの女性の姿をしている。因みに、幽霊なのに彼女は陰キャどころかあっさりとした陽キャだ。
U子さんには生前の記憶はない。ただ、何かしら恋の未練を抱えて死んだ事だけは頭に残っているらしく、稲塚君に『恋人になって』と迫って来る。恋人ができて、それなりにそれなりの経験をしないと成仏できないと本人は思っているらしいのだ。稲塚君としては別に悪い気はしないのだけど、それでもやっぱり相手が幽霊となるとちょっと怖くて、その訴えを断り続けている。
もっとも、彼が彼女からの告白を断っている理由はそれだけではなかったのだけれど。
『もっと勇気を出せば良いのに~』
朝の登校中、稲塚君は突然そうU子さんに話しかけられた。朝の爽やかな登校風景にも自然と溶け込む幽霊は珍しい。U子さんの姿は他の人には見えないらしく誰も騒がない。
「何の話?」
と、稲塚君は返したが、表情から誤魔化しているのは明らかだった。頬を少し赤くしているのだ。
『わたしが、こんなにべた惚れしているんだよ? 稲塚君はモテるって』
彼の少し前には同じクラスの篠崎さんがいて、彼は自然と彼女を目で追っていたのだった。
「うるさいな。別にそーいうんじゃないって」
と彼は言い訳のように返したが、自分でも無理があるとは思っていた。軽く溜息を洩らすとU子さんはこう言った。
『そんなにうじうじしていたら、死んだ後にわたしみたいに迷っちゃうよ~』
痛い所を突かれたと思いつつ、その言葉にちょっとだけ稲塚君は呆れた。
「君は僕と付き合いたかったのじゃないの?」
U子さんは彼の目の前で、空中をくるんと回るとこう返す。
『好きな人には、やっぱり仕合せになってもらいたいじゃない』
なんだかな、とそれを聞いて彼は思ったりした。
確かに自分はうじうじとしているかもしれない。
稲塚君には自覚があった。
幽霊のU子さんよりもよっぽど陰気だ。
でも、何の切っ掛けもなしに、告白なんかできない。せめて何か接点があればまた違うかもしれないけれど、そんなチャンスは見つけられなかったのだ。
『意気地なし』
教室でもU子さんから馬鹿にされた。その言葉にちょっとイラついた彼は思わずこう返してしまった。
「そもそもU子さんがいつ現れるかも分からないから、そんな気にもなれないんだよ」
もちろん、それは言い訳だった。
それにちょっと怒ったのか、U子さんは『ふーん。そーいう事を言うんだ』などと言って来る。
ちょっと後悔した彼は謝ろうと思ったが、その前に彼女は消えてしまった。
そして、その後だった。信じられない事が起こったのだ。篠崎さんからメッセージが届き、そこには『二人きりで話がしたいの』と書かれてあったのだった。
――そして、放課後、冒頭の場面である。
目の前には頬を赤らめた篠崎さん。
モジモジしている。
そして、U子さんの姿がない。
稲塚君は口を開いた。
「U子さんでしょう?」
ピクリとそれに篠崎さんは反応した。
『驚いた。なんで、分かったの?』
稲塚君は崩れ落ちるように落胆した。
「なんだよ、もー」
ちょっと涙目になっている。
「酷いよ、U子さん。僕が篠崎を好きだって知っていて、こんな悪戯をするだなんて。そりゃ、ちょっと悪い事を言ったけどさ」
それを聞くと篠崎さんの姿のU子さんはにやりと笑った。いつもよりもなんだか幽霊らしい表情だった。
『悪戯のつもりはないわよ。わたしが邪魔をしているって言うのなら、積極的に協力してあげようと思っただけ』
「どーゆー事?」
『わたしが簡単に憑依できたのはね、篠崎さんもわたしと同じ想いを抱えているからだよ』
それを聞いて稲塚君は固まる。
「それって……」
と言いかける彼に彼女は微笑んだ。その微笑みは少しだけ寂しそうに思えた。それからこう続ける。
『それともう一つ。この会話、篠崎さんにも聞こえているから』
「――えっ?」
と、彼が驚いた瞬間だった。篠崎さんの身体からU子さんは飛び出て、そのまま空に消えて行ってしまった。
残された稲塚君は、恐る恐る篠崎さんを見てみる。篠崎さんは真っ赤な顔で俯いていた。それを受けて稲塚君も赤くなる。
「え? あの…… え?」
彼女は動かなかったし何も言わなかったが、彼を拒絶しているようには見えなかった。
少し離れた木の上、隠れながらU子さんは二人の姿を眺めていた。
『おうおう。はにかみ系青春オーラ―を出しまくっているじゃない』
そんな独り言を言う。
そして、
“あ~あ、こんなんだから、きっとわたしは、いつまで経っても成仏できないのだろうなぁ”
などと思ったりしたのだった。