王太子殿下の婚約破棄の現場に居合わせてしまった貴族Aの独白
目の前で行われている行為は、面子が何より重要視される貴族にとっては命綱となるような重大な行為だった。それを、さも軽いもののように行っているのはこの国の王太子様とその婚約者である公爵令嬢だった。
王太子様の横にはあまり評判の良くない伯爵令嬢が控えている。これはあれだ、厄介ごとの匂いがプンプンする。昨今、この国では婚約破棄されるペアが多い気がするのだが、王太子様も例に漏れなかったようだ。
それにしても、多くの貴族子息や令嬢が集まるこのパーティ会場で婚約破棄をする必要性が全く感じられないと思うのは俺だけだろうか。確かに、この場にいる全員に王太子様と公爵令嬢が婚約破棄されたという事実は認識されるだろうが、ぶっちゃけそれだけだ。公爵令嬢に強い恨みでもなければここで公開処刑のように婚約破棄をする必要はない。
まあ、いくら考えても俺のような子爵家の次男が干渉できるような案件ではないため、俺は素知らぬ顔でパーティで提供されている料理に舌鼓を打つ。
うん。この豚肉をスパイスか何かで煮込んだ料理は実に絶品だ。うちの領地はそこまで発展していないからこれだけ手間暇かけられた料理を口にすることはあまりない。この機会だからありがたく頂こう。
「一体私の何が不満なのですか!」
「不満さ!いつも僕以外の男に目が眩んでいるではないか!」
遠くで行われているイベントは佳境を迎えている。
折角王家が主催を務めるパーティだというのに、これでは雰囲気が地獄過ぎて食欲が失せてしまうではないかと思わなくもない。
まあ実際、俺以外の連中は静かに事の成り行きを見守っている。俺はこっそり料理を摘まんでいるけれども。
食べやすいように一口サイズにされているお惣菜をパクりと頬張る。
最近、どことどこが婚約破棄をしたという話が多すぎてこちらは少々食傷気味なのだ。例え殿下だろうと、「ああ、またか……」と言った気持ちの方が先行してしまって驚くにも驚けない。
最近の婚約破棄というのはまあ酷いもので、大した理由もないのに少し気に食わないからとか、勘違いで冤罪を掛けられて婚約破棄されるとか言う事例が増加している。
流石に将来の国を背負う王太子様がそんなうっすい理由で婚約破棄なんて双方の評判に傷がつくようなことを行っているとは思いたくないが……。
「その点、ミーシャは僕のことをちゃんと見てくれる!」
どうやらうっすい理由のようだ。いいのかそれで、というか陛下がそんな理由の婚約破棄をお許しになるのだろうか。
ほら見ろ、隣のミーシャ嬢なんてやってやったと言わんばかりの表情をしているではないか。これは金と地位に目が眩んだ悪女の顔だ。俺は知っている。今まで散々俺とは関係のない婚約破棄の現場を見てきたが、ああいう顔をしたやつは決まって金と地位にしか興味がないのだ。どうせ殿下にあること無いこと吹き込んだのだろう。恋は盲目と言うが、殿下はもっと澄んだ瞳で世界を見ていて欲しかった。
このままだと王家の評判に傷がつきかねない。ここは何か助け船を出すべきだろうか。いや、今更どうにもできない。俺がしゃしゃり出て殿下の過ちを正したところで、殿下が行った言動の数々が無かったことになるわけでもない。逆に子爵家の次男にフォローをされる程度の器だと思われるだけだ。
四面楚歌とはまさにこのこと。どうあがいても殿下に生き残る道は残されていない。恐らく、このままだと殿下の評判は地に落ち、王位継承権は別の誰かに移されるだろう。
憐れなり殿下。貴方は一時の恋に目が眩み、国王と言う地位を失ってしまうのだ。
あーあ。これじゃあもう言い逃れは出来ないね。というか、伯爵令嬢もそうなる可能性と言う物を考慮していなかったのだろうか。金はまあ有り余るほど手に入るかもしれないが、名誉とか地位は絶対無理だと思うけど。まあ、これは俺が考えることでもないか。
「ここに宣言する!我、ロード・フィン・グランドルはアナスタシア・ハルマンドとの婚約を破棄する!」
あー言った。言ってしまった。
公爵令嬢のアナスタシアさんは目元を赤くしながらベランダへと出て行ってしまった。こーれはひどい。まさか最近の婚約破棄ブームのように意味不明な理由で婚約を破棄されるなんて夢にも思っていなかったのだろう。ご愁傷さまです。でも、数々の婚約破棄を見てきた俺が言うけれど、こんな風に理不尽に破棄された人間は今後幸せになる可能性が非常に高いし、理不尽な理由で婚約を破棄した側はなんだかんだで因果が回ってくるよ。
というか、この地獄のような空気を何とかしてほしい。誰も何もしゃべらないじゃん。嫌だよ俺、こんな静かな空間で一人黙々と食事しているの。
とりあえず、俺は料理を食べ続けられる空間を探そうという名目で、野次馬根性を発揮して公爵令嬢が逃げて行ったベランダへと皿を手に向かう。
ベランダへと出た俺に気持ちの良い夜風が肌を伝う。夜空には満面の星々がキラキラと輝いている。これは、食事をするにはもってこいの環境ではないだろうか。そう思って皿に盛っていた食事を頬張る。
さて、公爵令嬢はどこだろうか。泣いているのか、それとも吹っ切れているのか、どちらであろうととりあえず一目見てみたい。
そんな俺の思惑は大分外道だったはずだが、そんな俺の耳を疑いたくなるような言葉の数々が俺を襲った。
「ぷっ。あはははは!まさかあれだけ簡単に行くなんて、少々拍子抜けだったわね。まあ、それほどバカだったと言うことかしら。なんにせよ、婚約破棄は為されたのだから、もう私には関係のないことね」
どういうことだろうか。婚約を破棄されたというのにこれ以上なく愉快そうに独り言を呟いている公爵令嬢の姿があるではないか。これには歴戦の婚約破棄マスターである俺も脳が情報を処理しきれずに噛んでいた料理を飲み込んでしまった。
「あら、誰かいたのね。……ああ、貴方は私たちの茶番中でも食事の手を一切止めなかった図太いおバカさんじゃない。さっきの私の独り言、聞いていた?」
そう言って公爵令嬢は蠱惑的な笑みを浮かべる。
俺は本能的に感じ取った。あ、これダメな奴だ……って。
「い、いや……聞いていませ「聞いていないとは言わせないわよ?」……はい」
「そもそも、聞いていようがいまいが私にはあまり関係がないもの。貴方には私の秘密を喋ってもらっては困りますから、ここで共犯者になってもらいましょう。……まさかこのベランダへと足を踏み入れる空気の読めない人が居るとは思いませんでしたが」
それはごめんなさい。俺もちょっと魔が差しました。
「それに、私の話を誰かに聞いてほしかったところです。少々お付き合いなさって?拒否権はありませんことよ?」
「…………分かった。降参だ。それで、一体何をしたんだ?」
「簡単なことですわ。あの出来損ないとの婚約を破棄したかった。でもこちらからでは外聞が悪い、だから向こうからやってもらうように差し向けたんです」
うーわ。えげつねぇ。
「あの方はあの陛下の第一子だというのに、学はないし、器量もない、挙句の果てには女癖も悪いと来ました。あんな人と生涯を共にする気は私にはさらさらありませんから、どうやって婚約破棄まで持っていくか昔から考えていたんです」
「……なるほど」
まあ確かに、殿下の評判はお世辞にもいいものとは言えないけれど、特段悪くもなかったはずだ。まあ、近くで接している人しか知らない何かがあったのだろうか。それとも、その学のなさをフォローする誰かがいたのかもしれない。
「私から婚約を破棄するのは流石に無礼すぎます。相手は王家、それも次期国王候補です。ですから、日ごろから殿下が私の態度にほんの少しだけ不満を抱くようにしていたのです」
「……それが積み重なって今回の騒動に発展したと?」
「そうですわね。でも、私としてもここまで上手く事が運ぶとは思っていませんでした。精々、殿下からいつか不満をぶつけられる程度かと……。しかし、あの伯爵令嬢、失礼、名前を忘れてしまいました。彼女が殿下の不満を解消する存在となったことで、話はとんとん拍子で進んだのでしょう」
「つまり、計画にはまだ先があったと?」
「そうですわね。まあ、事細かにお教えすることはございません。言いたい欲はあるのですが、やることはあの伯爵令嬢と同じですから、誰かを殿下に差し向ける。たったそれだけです」
それを聞いて、俺は内心恐怖した。だが同時にこうも思う。それであんなうっすい理由から婚約を破棄する殿下も大概ではないかと。王としての器が圧倒的に足りていないというのは事実であると認めざるを得ないだけの醜態を晒してはいると思う。
「……ほんの少しの工作で瓦解するんだな、こういうのって」
「そうですわね。ですが、それは貴方にも言えることですのよ?」
「……ん?」
「もし、今のことを誰かに話してしまったら……一体何が起こってしまうのか、私には分かりかねますので」
その一言に俺の口元は引き攣った。相手は公爵家の令嬢、こちらはしがない子爵家次男。権力の差は歴然だった。
「では、私はこれで失礼いたします」
そう言って優雅に去るアナスタシア嬢の姿を見て、俺は思うのだった。
女って怖ぇ…………と。
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