第六節 自分だって、そう
イスの裏に書かれていた、『バカ』の二文字――。
これを担任が見つけ、必死に消しゴムで消そうとしていた。それをイブサンが見て、油性マジックは消しゴムじゃ消せねえだろと、どこか冷めた目つきで視線を送っていた。担任はそのイジメの実態を帰りの会とかでは話に出さず、うやむやなままイジメ(それ)はもみ消された。イブサンは、なんだ。この教師も大したことないなと、見切りをつけた。
イジメグループの主犯格は、Hだ。続いてナンバー2はM。他は例の、トイレに行ったら陰口を二人だ。
Hは、見るからに性格が悪そうな顔をしている。ナンバー2のMはというと、誰がどう見てもブスとは言えなかった。
(回想)
四月――、
新しい小学校に通って初日の日、イブサンは我が目を疑う光景を見た。
今まで見たコトない、美人が居る――。それが、Mだった。
そんなイブサンの様子を見て、K君はすぐにイブサンに話し掛けた。
「やあ。僕はKって言うんだ。ビックリしただろ? Mちゃん、その辺の芸能人よりキレイでしょ」
「確かに……可愛い……」
それから数日後、Mがイブサンのすぐそばに近寄ってきた。思わずイブサンはドキッとして、胸の高鳴りを抑えられなかった。1、2秒後――、
「アッハハハハハ」
Mはイブサンの顔を指差してあざ笑った。
(んだよコイツ、顔だけかよ!!)
(回想終了)
(M、顔は良いんだけどなぁ……)
イスの件について、Mも加担しているというのは火を見るよりも明らかだった。
その時、騒ぎ声が聞こえてきた。
「やい! ○○」
「うっせぇ! ××」
男子達による教室内を飛び交う罵声を耳にし、イブサンはフーと、溜め息をつき思うのだった。
(そもそも、この学校に、善人なんて居ない……か)
「イブサン、ちょっと!」
「!」
不意に、Hの弟が話し掛けてきた。
Hの弟――、
それは陰口をよく言う、イジメの主犯格Hの双子の弟だ。一卵性双生児か、二卵性双生児かは知らないが、姉弟のペアの双子は、イブサンにとってド田舎でも珍しい存在に思えた。
「何?」
「U君が、お前のコト、同級生で一番嫌いだって言ってたよ」
「!?」
U君とは――、
前の学校でも一緒だった、たった一人の同級生の名前である。
(Sが母親のコトを皆に言いふらしていた時、教えてくれた、たった一人の同級生である、U君。あんなに優しいU君が――)
イブサンは少々、ショックを受けていた。
「なんでも、『昔からの付き合いだから』だってさ」
「! ――」
心当たりはあった。
『何でそんなにバカなん?』
『何で宿題やって来んの?』
小学校一年の頃の心無い言葉――。
それはイブサンがU君に対して言い放った言葉だった。今となってはそんな言葉は言わないのだが、言われた側も、言った側も結構覚えているものだなと思いフーと、息を吐いたイブサンは言った。
「そりゃそうだよな」
「?」
Hの弟は、首を傾げていた。
『同級生で一番嫌い』
そう言えば、ケンカでも起きて盛り上がるとでも思っていたのだろうか? 達観していたイブサンは遠い目をしていた。
人の振り見て我が振り直せとはよく言えたもので、
生徒同士で口喧嘩が絶えない。イジメがある。言葉遣いが悪いヤツばかり。ガキが多い教室の後ろの方で、人間観察をしていたイブサンは、自分はああ成らない様にしようと思っていた。そんな頃に来た『同級生で一番嫌い』という言葉。それはイブサンの胸にグサリと突き刺さった。
(そう言えば、U君、小学校三年生の時から走るのが早くなってたっけ)
不意にイブサンは昔を思い出す。
(回想)
小学校三年生の時のかけっこの授業。人生で初めて、イブサンはたった一人の同級生に負けた。
「もっ、もう一回!」
仕切り直して、再び100メートル走をする。
距離が進むにつれて、どれだけホンキを出しても、どんどん、どんどん離されていく。イブサンは次第に、自分から足を進めるのを止めている自分に気付く。100メートル地点では、体数個分も離されてゴールした。
何かあったなと思い、イブサンは他の生徒に話を聞くと、その子は野球を始めていた。
(なるほど、野球をするために走って鍛えたんだな)
子供ながら、考えて納得した。
しかし、一向に宿題をして来ない同級生。しびれを切らしたイブサン(イブサンは母ちゃんか、なんかか?)は言った。
「何で勉強せんのん? 野球やっててもプロ野球選手になれるかどうかも分からんのに」
するとたった一人の同級生は答えた。
「野球ばっかりやってるのは、……野球が好きだから」
その屈託のない笑顔にやられたイブサンは、何も返す言葉が無かった。
(回想終了)
(U君はあと一年くらい先に、中学生になって、野球部に入るんだろうな。僕はどんな部活動をするんだろう……?)
それは希望も不安も無く只々シンプルな、イブサンの疑問だった。