第二節 父の実家へ
幼稚園を卒園する頃、イブサンは周囲にこう、漏らしていた。
「僕、ここに居るみんなが誰も知らない場所へ引っ越すんだ」
「え! 一人で!? みんなの中から誰か一緒に行かないの!!?」
イブサンはコクリと、首を縦に振るだけだった。
イブサンの暮らしていた社宅――。
その近辺は空気が悪く、小児喘息を患っている彼には暮らしづらいため、空気の良い田舎へ引っ越す――
と、言うのは建前で、借金取りに追われていたため、山と田んぼしかない田舎へと、イブサン一家は引っ越すこととなった。
借金は何故?
その額は?
答えは、母方の祖母。
800万。
イブサンのおばあちゃんが作った借金を血も繋がらない彼の父が背負うコトとなったのだ。何の借金かは分からない――、しかしどうやら
「残り150万から200万くらいなので」
と、イブサンの祖母に言われ、彼の父はまんまと印鑑を押してしまったのだ。
「話が違うぞ!!」
激怒した父は祖母に電話を掛けるが、既に祖母達は夜逃げして、ヤツらが暮らしていた家はもぬけの殻になっていた。かくして、-800万を得た父だったが、借金取りにまで追われるようになった。音を上げた父は実家の山奥で暮らすことを余儀なくされたのだった。
小学生からド田舎へ――。
イブサンは周囲に振り回される形で引っ越すコトとなった。引っ越した先の小学校は、今にもつぶれそうな閉校寸前の小学校だった。同級生はたった一人。
「ヨロシク」
「うん」
二人の小学校時代については、後程。
小学校から帰ったら、母V.S.大人全員の、家庭崩壊ゲンカが毎日の様に巻き起こっていた。家事、育児、諸々――、何もせずに寝て食ってするだけの母に、父、父方の祖父、父方の祖母、曾祖母が怒りを露にしていた。
「ちょっとこっちに来い!!」
「嫌よ! 行ったら引っ叩かれるもの!!」
父と母が言い合いになっている。
「いいから来い!!」
父が母に向かっていき――、パァンと、頬を平手打ちした。
「ケンカ止めて! 止めないと、怒るよ!!」
イブサンの姉は涙しながら怒鳴っていた。
(もう怒ってるじゃん)
イブサンは凍る様な修羅場に、涙さえ零れなかった。
「あっちへ行っときんさい」
祖父に促され別の部屋へと、イブサンは移動し――、
「うぅ……」
一人になったイブサンはとうとう、両目から零れてくる生温かい雫を畳に落としていった。
小学校にて――、
たった一人の同級生は悪い言い方で言うと、出来が悪かった。テストの点数が低い、発音できない文字がある、宿題をやってこない。
「何でそんなにバカなん?」
「何で宿題やって来んの?」
小学生は、時として残酷だ。イブサンとて、そうだった。たった一人に対し、心無い言葉を投げかけていた。かけっこも、負けなかった。勝ったなと、常々思っていた。
小学校低学年までは――。
同級生よりも、一学年上の二年生の男の子の方が、仲が良かった。頭が良く、勉強を教えてもらったり、家に遊びに行ってゲームを一緒にしたり――。
イブサンは小学校生活を過ごしていくうちにあるコトを思うようになった。
(家、帰りたくない)
家に帰ったら家庭が崩壊している。いつもいつもケンカばかりしている。ずっと学校に居たい。ずっと友達の家に居たい。イブサンは心からそう思うようになっていった。
――、
小学校二年になったある日、イブサンは学校帰りに違和感を覚えた。
(母さんが……居ない……?)
動揺したイブサンは、祖母に聞いた。
「母さんは?」
「母さんはねぇ、入院したんだよ」
「入院……? いつ良くなるの?」
「暫くだよ」
この“噓”にイブサンは気付かなかった。
それから間もなくして、学校中にイブサンの母の噂を言いふらす輩が――。
「イブサン家のお母さん、ちょっと前に大荷物積んで、車でどっか行ってたよ」
「ホントだって見たんだよ」
「イブサン家のお母さんが――」
「イブサン家の――」
一学年下の一年生のS。そいつが学校中に“その日”見た光景を言いふらしていた。
『バカ』、『宿題しろ』等と言われ、イブサンを多少なりとも嫌っていた、たった一人の同級生も、流石にSの言動を不快に思い、イブサンに一言伝えた。
「Sが――」
「そう。教えてくれて、ありがとう」
あの日の“嘘”を信じたかった。
もしかしたら……でもやっぱり……。真逆の二つの思いが、イブサンを巡る。
しかし現実は厳しく――、イブサンの母は“その日”離婚していた。