彼の者は、果たして希望と成り得るか(別視点回)
夜の砂漠は、一転してかなり冷える。
しかも目印となるものが少ない夜の砂漠は特に遭難しやすく、旅慣れた商人も夜間は動こうとしない。
そんな中を、疾走する人影が三人。
もちろん、エリザ、デリガード、そしてアーノルドだ。人外のステータスを持つエリザ達にアーノルドがついていける訳もないため、デリガードが彼を背負って移動している。
そこまで無理をして砂漠を行くのには理由があった。
アーノルドとの話の中で判明した、『メートリス王国滅亡』という事実。
しかも、単に王政が変わったという意味ではなく、文字通りの皆殺し。
街を埋め尽くすほどの魔虫の群れが襲いかかり、生存者はメートリス王ただ一人というではないか。
エリザとデリガードは、それを実現できる相手に、心当たりがありすぎた。
「あった、ここだな」
砂漠にできた小さなオアシスの近く、ゴツゴツした岩場が広がる場所に、人が入れる程度の洞窟の入口がひっそりと口を開けている。
もちろん、あの魔物が住処にしている『パラクレート大迷宮』の入口だ。
『パラクレート大迷宮』は、幾つもの国にまたがる、大陸中の地下に広がる巨大迷宮である。そのため、滅亡したメートリス王国だけではなく周囲の国々にも大迷宮への入り口はいくつもある。
水を求めてオアシスにきた生物が地面に穴を開け、次第に広がって大迷宮に繋がることはよくある。この辺りのオアシスには同じように大迷宮への入口がいくつも存在していた。
「ま、まさか、この中に入るつもりか!?」
躊躇いもなく洞窟へ入ろうとするエリザとデリガードを、アーノルドは呼び止めた。
当然と言えば当然だ。
大迷宮の中は、魔物が跋扈する魔境。
しかも、メートリス王国を滅ぼした魔物の大群が身を潜めていると考えられているため、ここ数日で『触れてはならない』という風潮が広まりつつあるのが現状だ。
しかし、エリザとデリガードは全く意に介することもなく洞窟へ入ろうとするのだから。
「待ってくれ! パラクレート大迷宮には異常な強さの魔虫が溢れ返っているのだろう。いくら貴殿らが強くても取り囲まれれば……!」
「心配する必要はありません。どちらかと言えば、私達は彼らの仲間ですから」
「……は?」
アーノルドのエリザの言葉が理解できていなかったが、彼女らは時間が惜しいとばかりに洞窟へと足を踏み入れる。
言葉の意味を理解できず呆然とするアーノルドだったが、一人ここで待っているわけにもいかず、魔境へ飛び込むことを余儀なくされた。
大迷宮に入って進むこと僅か数分。
肌が泡立つ程の恐怖に思わず視線を上げると、魔法による小さな光に照らされ赤黒く光る無数の眼が天井を埋め尽くしていることに気が付いた。
その正体は、おそらくポイズン・アラネイドの群れ。
軋むようなプレッシャーに、鑑定するまでもなく異常な強さを持っていることが分かる。
「私から離れないように。敵だと認識されれば命はありません」
「敵だと……今は仲間だと認識されているとでも言うのか?」
「その通りです。現に、これだけ囲まれても彼らは襲ってきていませんから」
「そんなバカな……」
状況からして、それが嘘ではないことは分かる。
が、それを信じられるかというのは別の話だ。
と、同時に、アーノルドは僅かな興奮を覚えた。『魔物との共存』———その足掛かりとなり得る何かが、この先に居る。その協力さえ得られれば……
周囲の魔物の気配は強くなる一方であるが、同時にアーノルドの期待も徐々に高まっていった。
大迷宮へ足を踏み入れて数日、随分と奥まで来たようだ。
普通ならあり得ない進行速度。
しかし、一度も魔物に襲われていないという異常事態が、それを可能にしてしまった。
すぐ近くに魔虫の群れが居ることは分かっているのに、寝ている間ですら襲われることはなかった。これは明らかな異常。魔物が味方に付いていると信じるのに十分であった。
その上、時折エリザ殿がアラネイド種の魔物から食糧を受け取っている姿もあった。
私の理想以上の共存の姿がそこにはあった。
もしかしたら、私の夢も……と、この時までは期待に胸を膨らませていた。
辿り着いたのは、緑が生い茂るエリア。
洞窟の中だというのに強い光が辺りを照らし、大木と表現すべき木々が森を形作っている。
驚くべきことに、明らかに人工物と思われる建物がいくつも建設されており、辺境の村と言われても納得してしまうような集落がそこには広がっていた。
そんな集落を作り上げた者の正体は、すぐに明らかとなった。
「あん? 帰ってきてたのか?」
異質な光景に目を彷徨わせていたアーノルドの前にしれっと現れ、エリザとデリガードへと声をかけた者———黒緑の肌に尖った耳、鋭い牙。
間違いなくゴブリンであった。
間違いなくゴブリンなのだが———ゾクリと、冷たい何かがアーノルドの背筋を震わせる。
噂に聞く、『人語を話す魔物』。
人の言葉を理解し、喋る魔物が現れたと話に聞いたことは記憶に新しい。
そして、そのすぐ後に起こった、メートリス王国の滅亡……何らかの関係があるのは明白だ。
そんな魔物が目の前に……。
信じられないことの連続で、アーノルドは眩暈に襲われた。
「……いい加減そういう反応も飽きたな。で、こいつは?」
「客人だ。それも賓客だぞ、手は出すなよ」
「出さねぇよ。弱い奴に興味はない」
「なら良い。ところで、へレス殿は居るか?」
「へレス様なら屋敷にいる……と思うぞ。ここ数日籠りっきりでな、姿を見てないから確信はないが」
「そうか……少し邪魔するぞ」
ゴブリンと普通に言葉を交わすエリザを見て、最早驚くことにも疲れたとばかりにやつれた表情のアーノルド。
そのままエリアの中央に位置する、明らかに人工物の建物の中へと案内され———
———そこには、居た。
全ての魔物を統べる、魔蜂の女王が。




