飼育不可
「楽しみだなぁ」
休日の住宅街を歩く。俺の機嫌と呼応するように、コンビのビニール袋が揺れる。目的地に着くのが楽しみでしょうがない。今日は大学の友人の糸村宅で課題をすることになっている。課題をするのが楽しみなのではない。友人の家に行くのが楽しみなのだ。何も俺は『友達の家にお邪魔したことない寂しい男』ではない。友人宅の猫に会いたいのだ。
「この辺りみたいだな……」
スマホに送られてきた簡単な地図を頼りに歩く。
糸村が猫を飼っていると気が付いたのは、彼が黒いセーターを着て来た時だ。白い毛が付着しているのを発見し、大変驚いた。彼に白髪が生えてきたのかと焦ったからだ。他の友人たちに知られずに、白髪を回収しようと良心を働かせた。結局のところ毛を回収することは出来なかったが、毛が短いことからペットの毛ではないかという結論に達した。
糸村が猫を飼っていると確信したのは、講義中に隣に座る彼のリュックから猫の鳴き声が聞えたからだ。あの時は、白髪疑惑の時よりも焦った。教授の声だけが響く大講義室に、猫の可愛らしい声が響いたからだ。俺はブリキ人形のように、ぎこちなく首を横に向けた。
すると猫を大学に持ち込んだ本人は、涼しい顔で講義を聴いているではないか。更にはリュックの内側から引っ搔く音が聞え、苦しいから出して欲しいのではないかと心配をする俺。だが、友人は無視を続けた。糸村は頼れる良い奴だが、これ以上は見過ごすことは出来ない。声をかけようとしたところでチャイムが鳴った。
昼休みに問い詰めようとしたが、学食のカツカレーに夢中ですっかり忘れてしまったのだ。
「あ、此処だ」
スマホから顔を上げると、目的のアパートへと辿り着いた。糸村の部屋は二階である。外階段を上る。
糸村に猫のことを問い質す機会を失った俺だが、先日出された課題を一緒にやらないかと提案された。猫のことを聞くチャンスだと思い俺は頷き、糸村の家でやるのを条件にした。
俺は猫が好きだ。だが悲しきかな、俺が暮らしている大学の寮はペット飼育不可である。今日は友人の猫を堪能しようと、課題をそっちのけでやって来たのだ。
「おーい、糸村。来たぞ」
表札を確認して、玄関扉をノックし声をかける。
「なぁ、山岡。チャイムって知っているか?」
「知っている」
呆れた顔で糸村が扉を開け、俺の名前を呼んだ。それに対して俺は笑顔で返す。猫が昼寝中だったら起こしてしまうかもしれないだろう。可哀想だろう。友人の足元を見るが、猫は居ない。玄関まで来て外に出てしまったら大変だから、部屋にいてくれるほうが安心だ。
「まあいいや、上がれよ。散らかっているけど気にするなよ」
「了解。あ、これジュースと菓子」
友人に促されて部屋へと上がる。ついでにコンビニで買った袋を渡す。場所代と猫を堪能させてもらうのだ。安いものだ。
「さんきゅう、適当に座っていてくれ。今、ジュース持って行く」
「ほーい」
畳に腰を下ろし部屋を観察する。六畳一間の部屋は、男の一人暮らしとしては片付いている。予想に反して此処にも猫は居ない。キャットタワーや猫用トイレもない。もしかしたら俺が来る為に、洗面所とお風呂に移動させられているのだろうか。俺は猫と戯れたい。友人にそこまで気を遣わなくて良いと声をかけようと振り向いた。
「おい、山岡これはなんだ?」
「ん? 何って、猫の御菓子。あれ? そのタイプは食べない子?」
不思議そうな顔で、コンビニで買った猫用の御菓子を持つ友人。飼育環境が分からないのに、勝手に御菓子を買って来たのは良くなかったようだ。
「……いや、そうじゃなくて。此処は飼育不可物件で、俺は猫を飼っていないぞ?」
「……は? ……いや、だって……」
真剣な表情で糸村は衝撃的なことを告げた。動物を飼えない物件な上に本人は猫を飼っていないと主張する。では、俺が見た毛は?リュックの内側を引っ搔く、あの音は?
『にゃーん』
背後から猫の鳴き声が響いた。