第七話
虫の名前がいくつか出てきます。苦手な方はご遠慮ください。
どうかしてる。
腹立たしい気持ちを抱えながら電車に乗り込み、さっきの店で言われたことを頭の中で反芻する。
アリの特徴について教えろだなんて。アリの生態なんて、簡単なことであれば子どもだって知っている。
どうかしてる。
あの店の店員は何なんだ。常識がないにも程がある。いや、常識というか知識というか。とにかくそういうものに欠けていた。
話が通じない相手と話しているほど苛つくことはない。
とにかく改札を出たらすぐに駅前のドラッグストアに行こう。あそこは小さいながらも品揃えがいい。
そこになければ、少し遠いけど大通りに面した店まで急ごう。
まだ八時半、閉店までには時間がある。
私は何が何でも今日駆除剤を買わなければならないという使命感に掻き立てられながら、頭の中でこれからの行動をシュミレーションする。
蚊、ダニ、ゴキブリ、ナメクジ、ムカデ…
いわゆる害虫と呼ばれる類の駆除剤が無数に売られている。
なのに。
私はここでも頭を抱える。
アリの駆除剤はやはりない。アリほどポピュラーな昆虫は他にいないだろうし、アリほどメジャーな害虫も他にはいないんじゃないか?
私は再び店員を呼び止める。
「すみません」
若い男性店員はまるで私に気付かないかのように、まったくの無反応だ。
「すみません」
と、私はもう一度少し大きめの声で呼びかけるが、彼はそのまま私を無視して他の売り場に行ってしまった。
どういうこと?
彼に意図的に無視をしているような素振りはなかった。本当に私に気付かずに行ってしまったようだった。
仕方ないと、私はもう一度陳列棚を見て、アリの駆除剤がないか探す。
やっぱりない。
これ以上ここで探すのは自家の無駄だ。
いつまでもないものを探していても仕方ない。遠いけど大型のホームセンターに行こう。あそこならあるはずだ。
私は半ば走りながら、ここには絶対あると期待を込めて、ホームセンターに向かった。
大型店舗だけあって店内は広い。夜だからか人も疎らで店員の数も少ない。店員を探すのも大変なくらいだ。
でも陳列棚の上には大きく何がそこにあるか分かりやすく書いてあるので、それを目印に行けばいい。
ここだ。今度こそ。
息を切らせて辿り着いた殺虫剤売り場。蚊、ハチ、ゴキブリ、ダニ、それから、それから…。
ない。ここにもない。
まるで世の中がアリの存在を忘れてしまったかのようだ。
私はレジに走り、レジ締めをしようとしている女性に向かい焦る気持ちを露わに話しかけた。
「すみません、どうしてアリの駆除剤はないんですか」
返事はない。
「あの、すみません!」
女性は作業を黙々と続ける。
私は何がどうなっているのか理解できず、混乱して叫ぶ。
「ねえ!どうして私を無視するの!客が来て質問してるのに、あなたどうして聞こえないフリをするの!ねえ、ちょっと店長いる!?」
私はありったけの声を振り絞って叫んでいるのに、それでも女性は知らんふりだ。
「あ、三浦さーん。そっちのレジ締め終わったら悪いんだけど外の片付け手伝ってくれる?黒澤くんが急用で帰っちゃって、人手が足りないんだよね」
「はーい、わかりました。今日は実入りがいつもより少ないので早く終わりますよ」
「それも困るな、商売上がったりだ」
ははは、と豪快に笑いながら三浦と呼ばれたレジの女性に話しかけた男性は去っていった。
「すみません」
再び私は三浦というレジの女性に声をかける。けれどやはり返事はない。
さっきの男性には反応してちゃんと答えていたのに。
それに客がまだいる目の前で、レジ締めだの片付けだのと話すのは失礼じゃないか。
これって、どういうこと?
私は自分の足元が崩れていくような感覚に襲われ、怖くなって何も買わずに店を飛び出た。