枠の虜囚
「……待ちたまえ、キリネ君」
呼び止めて、それからなぜ呼び止めたのかを考えた。
もう彼から得られる情報はない。彼から得た情報を疑わしく思うわけでもない。
そうするべき理由はなかったはずなので、おそらく自分はそうしたかったのだろう。
ふむ、と観察する。
若いというよりは、幼いと言ってしまっていい少年。おそらくギルド登録が可能な十二歳にすら届いていないだろう彼は、やはりどこにでもいる普通の子供に見える。
おとなしそうな印象の彼が冒険者の店にいる事実に対しての違和感は強いが、かといってそこに違和感以上の特別性を見出すことはできない。
奴隷になるところを逃げて冒険者になった子……だったか。そういうこともあるのだろうな、くらいの話だ。
「なに? ペリドットさん」
素直に足を止めて振り向いた彼が、呼び止めた理由を問うてくる。その顔が無垢すぎて、自分がなぜそうしたのかやっと理解した。
不可解だったからだ。
「ナクトゥルスは常設の薬草採取依頼の中で二番目に高価な薬草だろう? 厩で寝起きする君にとっては大切な収入源のはずだ。なぜそんな簡単に教えてくれるんだい?」
不可解は、不愉快だ。気にくわない。
べつに他者が突拍子もないことしても気にはしない。それが理解できなくても問題はない。しょせん他者は他者であり自分ではないのだから、いちいちかかずらうことに対して意味を見いだせない。それが同業のやることならなおさらだ。
冒険者は自由なのだから。
どうやら自分は奇人変人の類であると、多くの者に口さがなく噂されているらしい。―――それを知って、そうなのか、とだけ思った。暇な話だ、と感じた。
冒険者は自由だ。誰も彼も自由に振る舞えばいい。わざわざ枠内に収まろうとする方が理解できない。しょせん誰も彼もがハグレ者、真っ当に地に足着けて生きることを選ばなかった者たちならば、ムジナ翁のように他人の評価なんかクソ喰らえと吐き捨てるくらいでちょうどいい。
なのにぼくを奇人変人と言い定める他の冒険者は、ぼくと比べれば自分がまだ常人の枠内であると安堵するのだ。
それはまったく不可解な心理であり、そこになんの意味があるのかこれっぽちも理解できない……などという困惑を抱いたことはあるが、まあどうでもいいことだと捨て去った。
そういう穿った見方は、ぼくには要らないものだ。
けれどそんな僕が、この少年を前にして―――奇人変人の類なのかなと思ってしまっている。
弱く、貧しく、矮小な彼が貴重な食い扶持を晒すなどと誰が予想できようか。そしてなんの要求もなく去って行こうとするのはどういう了見か。知っていても教えたくはないだろうと思ったからこそ、先日も聞かなかったというのに。
理解できない。不可解だ。なにより、この不可解さを無視できない自分がいる。これは気にくわない。自己の一貫性がとれない。解消しなければならない。
故に、理由を問う。
「高価な薬草を採り尽くされてしまうとは考えないのかい?」
なぜ貴様は、このぼくに施した?
幼い少年は、奴隷商から逃げてきた哀れな子供は、厩で寝起きする新人は、少しだけ首を傾げた。
その問いにこそ、なんの意味があるのかと困惑するように。
「だって、困ってたでしょ?」
―――ふむ。
なるほどなぁ、と納得して。そうか、と頷いて。あーあ、と心の内だけで呟いて。
ぼくは、彼に敗北した。
「困っている人は助ける、か。完璧な道理だね」
心からの賞賛が溢れ出て、ぼくは右手を己の胸に当てて礼をする。
余裕のある者が行う身を切る善行は、気まぐれと大差ないものが大半だ。打算があれば多少の不利益は許容できる。聖職者であったなら善行そのものが目的として成立する。
―――けれどこの少年は、そのどれとも違うのだろう。
「ありがとうキリネ君。提供してくれた情報、とても助かるよ。君に心からの敬意と感謝を」
「いや、そんなにかしこまってお礼を言われると困るけど……」
「フフン、君がどう思おうと関係ないよ。ぼくがそうしたいのだからね。……ああそれと、先ほどの話については安心していい。意地悪なことを言ってしまったけれど、ぼくたちはただこの冒険者の店のレジェンドであるムジナ翁を偲ぶため、その足跡をたどりたいだけだからね。薬草は採る気がないんだ」
「えっ、そうなんですか?」
目を丸くして驚く少年。うん、やはりムジナ翁は彼の中で大きい存在のようだ。目に見えて食いついてくる。
でも、一緒に行きたいとか言われると困るので、ここは早口になっておこう。
「そうなのさ。ああでも、ナクトゥルスは時期的にまだ早いって話だけれど、様子だけは見てきてあげるよ。もう採れそうだったら教えるから、君は安心して君の仕事に励むといい。ほら、君の可愛らしい仲間が待っているよ」
「あ……うん、分かりました。ありがとうございますペリドットさん」
仲間を待たせていることを思い出したのか、礼儀正しく頭を下げてから慌てて戻っていく少年。
その微笑ましい後ろ姿に、ぼくは目を細める。
「気持ち悪ぃなペリ野郎。ただでさえ他人に興味ないお前がそんな顔するなんて、明日は槍でも降るんじゃねえの?」
「ブルディオ君は失礼だねぇ。少しキリネ君を見習ったらどうだい?」
「ウェインだっつってるだろ」
やれやれ、と肩をすくめる。せっかくの良い気分が台無しだ。
他人に興味がないなんて評価は間違っている。正しくは、名前を覚えたいと思うような相手が少ないだけである。
その点で言えば、今日はいい出会いに恵まれたのだろう。
「キリネ君は目がいいね。とても綺麗な瞳をしている。あれはもしかしたら、いつか英雄になる器かもしれないよ」
夕食はまだ食べていない。昨日の失敗から食事は訓練の後と決めていた。
練習用の棒の感触を確かめる。毎日振っているそれは、最近だいぶん手に馴染んできた。
ゆっくりと息を吐き、大きく吸う。深く呼吸するときは、まず限界まで吐くといい。
ザッ、ザッ、という地面を擦る音が聞こえた。ニグが土を固めるように足元を踏みしめている。
あれにもなにか意味があるのだろうか。それとも、ニグなりに気合いを入れる仕草とかだったりするのだろうか。
知らないことが多すぎる。―――昨日ニグとヒルティースと戦って、その戦いを何度も何度も繰り返し思い出して、痛感した。
子供だからと、子供のようにあしらわれた。馬鹿にされた。当然だ。
あちらの方が強いのだから。
僕は、弱いのだから。
ふぅー、と息を吐いて、浅く吸う。
リルエッタとユーネの二人と一緒に、二度、薬草採取以外の仕事をやった。一度目はおじさんに気を遣われ、二度目は仲間の魔術詠唱の時間稼ぎができるか真剣に悩んだ。
僕は、強くならなければならないのだと知った。
「幸運だ」
思わず呟く。
まるでおあつらえ。笑っちゃうくらいできすぎで、用意されたご馳走のようだ。
強くなる必要があって、倒してやりたい相手がいて、こうして戦う機会がやってくる。
今夜は月が綺麗だ。
「それじゃ、ガキんちょ対ニグの試合、開始」
今日は開始の合図があるようで、たぶん気まぐれであったりなかったりするんだろうなとだけ思って、僕は棒を構える。
さあ、再戦の時間だ。




